プロが教えるわが家の防犯対策術!

はじめて質問します。大学四年の女です。
長文です。混乱しているので読みにくいかと思います。すみません。

三年半前に母が亡くなりました。もともと病気でしたが、そんなに悪いと知ったのは亡くなる前日でした。当時大学受験を控えていたため、隠していたようです。

母の死から三年がたち、友人たちの助けもあり、なんとか立ち直りつつあるところ、父から再婚をしたいという話をされました。その話をされた時、私は留学中で、帰国したら就活もしなければならず、気持ちに余裕がないから、就活など、すべて落ち着いてから話してほしいと話しました。

帰国後すぐ、まだ逆カルチャーショックからも立ち直れず、疲れも取れない頃に、また再婚の話をされました。
前々から、まだその話をしないでほしいと話しており、また、帰国後日本になれず精神的に余裕がない、と話していたにも関わらずです。泣きながら少しは私の気持ち、状況を考えてほしい、就活が終わってからにしてくれ、と話しました。

それにも関わらず、先日また再婚したいと話をされました。就活の本格化を控えているこの時期にです。ほんとにこの人は私の気持ち、人生なんてどうでもいいんだな、と思いました。自分がよければいいんだな、と。
日頃から、勉強、バイト(就活にお金がかかるのでやめられません)、就活準備で忙しく精神的、身体的に余裕がないことは伝えてあります。それにも関わらずです。
どうやら付き合ってる人がいるようです。

ちなみに再婚するなと言っているわけではありません。父の老後のことも考えてますし、今考える余裕がないから後にしてくれと言っているだけです。
娘の就活の数カ月より自分の再婚の話の方が大事なんでしょうね。

正直母の死からまだ立ち直れておらず、何事にもやる気がおきません。そのような中で、なんとか就活に向けてがんばらなきゃ、と思っていたところに、私の状況、気持ちを、考えないで勝手に話をされて、もうすべてが嫌になりました。
誰も私のことなんて愛してくれないし、自分も人を信用できないし、愛せないし、生きていく意味なんてないのに、なぜがんばって就活しなきゃいけないのか。
父を見てると結婚に希望も持てませんし、むしろ男性への嫌悪感すら覚えます。一生独りで生きていくのに、こんなにつらい思いをしてまで頑張らなきゃいけないのでしょうか。

もうすべてが嫌になりました。一生懸命育ててくれた母には申し訳ないのですが、さっさと人生終わればいいのに、と思ってしまいます。自殺する勇気もありません。もう疲れました。
どうしたらいいのかわかりません。周りは一生懸命がんばってるのに、自分はがんばれないし、がんばってもどうせ死ぬ、と思ってしまいます。

意味のわからない文章ですみません。ただただつらいです。涙が止まりません。
どうしたらよいでしょうか。あまりにも厳しい回答はご遠慮いただけるとうれしいです。

A 回答 (16件中1~10件)

読ませて頂きました。



質問者さまとしては気持ちの休まる暇がない。といったところの様に感じられました。
そして、或る方への『補足』を読みました。

お母さまがご健在のころのことを話しておられましたが、外食の予定をしていたにも関わらず“ドタ・キャン”/“サプライズのケーキ”の時も行方不明・・・等を聞いているとお父様は、こんなことを言うのはとても失礼とは思いますが、身勝手で自分本位というか我が儘であまり、相手の気持ちになって
考えて挙げる・とした感性と言うか、感情の薄い方の様にもお見受け致します。

人様の親御さまを悪く言うつもりは全くないのですが、「自分のやりたいようにしたい。」といった性格
なお方の様ですね。? (言い過ぎました。ごめんなさい。)

質問者さまは何も反対している訳ではないのですよね。
ただ、今はとても大切な時期(将来が掛かっている)なのでもう少しその件は待って貰いたい。
といわれているのですよね。

その旨を何度も言っているにも関わらず繰り返す・・・。
お父様はご自分の老後(?)の事を心配されいて、早く結婚をと気持ちが焦っておられる様にも窺え
ますが、これもまた悪口になりますが、父親を忘れておられるようにも思われるんですよね。
一人の男性になっておられるようにも受け取れます・・・。

親御さまなら、本来であれば我が子の将来が・決まる・決める・時期の数か月間くらい協力されても
いいのでは・と思われるのですが。(貴女のお願いを無視し結婚されたら同居となるわけですよね。?)

もし、そうであるなら、一生お父さまを憎み続けることにもなり兼ねない。
就活どころの話ではなくなる・・・。

もう一度、お父さまと“膝突き合わせて”ご自身の胸の内をお話されてはどうですか。
“私にとって今が一番大事な時であり将来を一生を左右する岐路に立たされている”・と言うことを
理解していただくことではないですかね。

感情的になったら負けですよね。お願い、判ってください・・・とした姿勢でもう一度お話をされ了解
を得ることではないでしょうか。

・・・深呼吸をして落ち着いてからお話しをされてみてはでうでしょうね。
きっと、判ってくださると思いますよ。悪口や露骨なものの言い方に気をつけるようにされたら宜しい
ことだと思います。もう一度頑張ってみてくださいね。

言いたい放題で不愉快な思いをされたらお詫び致します。
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 もともと病気でしたが、そんなに悪いと知ったのは亡くなる前日でした。

当時大学受験を控えていたため、隠していたようです。>

 とても、愛されていたと思います。前日まで隠すのは、いつ死ぬかも分からない、心配をかけたくない、楽しく日々を過ごして欲しいとの思いからです。もちろん、もっと早く知っていれば、もっと話したかった等、後悔もあったはずです。でも、愛されていたことは事実です。すがる姿をみせる親もいます。親も人間なのです、死を前にしたとき子供のように怯え、母でなくなる方もいる中毅然とした、愛のあるお母様です。
 私は、母を3歳に白血病で亡くしました。その後、近所の血の繋がらないおじいちゃん、おばあちゃんに預けられていました。山に病院があったので、「お山でおねんねしている」と言われ信じていました。何年かして、義母と再婚して、とても可愛がってくれました。本当の母だと思って過ごしました。しかし、父のDVがひどく、小学6年生で離婚し、血の繋がる父と暮らしました。兄もいましたが、理不尽さに出て行きました。父は、5回結婚してます。兄は3番目、私は4番目の子です。その父も、わたしが30歳の時、心筋梗塞の大動脈破裂で亡くなりました。遺産相続の関係から、他に兄弟がいることも知りました。
 
 何事にもやる気がおきません。さっさと人生終わればいいのに、と思ってしまいます。自殺する勇気もありません。もう疲れました。>
 似たようなことも思いました。この世は、理不尽だと。大学生の時も、父親の指示どうりの大学に進みました。レールを決める人でした。興味がないことに勉強する気もおきず、かといって、卒業できないと私への暴力が待っているので、スレスレで卒業しました。大学時代の女性の友人が、ずっと黙って話を聞いてくれました、人を選んでいたので初めてやっと辛かったと話せたのです。私の中で、父と2人で過ごした6年は恐怖でした。その、父も死にました。不思議ですが、そんな、父親でも、亡くすと寂しいものです。なにも、できなかったって思いました。20代前半は憎んで過ごしました、心が耐え切れず住民票を移さずに逃亡しました。警察からも連絡が来ましたが、兄が事実を話し間に入ってくれました。亡くなる数年前くらいからでしょうか。会ってもいいかなと感じたのは。
 
 今は、距離を取られたらどうでしょうか。今は無理なら電話は取らないなど、こころの距離です。質問者様の場合、今は、まだ思春期の延長線上、社会も知りません。父親が墓場まで、母を愛し続けて欲しいという理想を持つ気持ちもわかります。ずっと、お母様を愛して欲しいと思う気持ち。そして、母という最高の理解者、自分を最も愛してくれる存在である母を失った喪失感は、3年で癒すのは難しいと思います。父親が再婚ということは、帰る場所がない(実際有るではなく、ほっとして戻れる場所です)という孤独感も、お辛いと思います。自暴自棄になられる時期があってもいいじゃないですか。極論に走る気持ちがある時があってもいいじゃないですか。こころがひねくれている状態なんて、私はよくありました。でも、そういうときは本当に苦しいこともわかります。
 
 誰も愛してくれないことは、ないですよ。父と会うこと変化につながったのは、わたしというものが、3年間という母の愛、他人の愛を少しずつ頂いて育ったという気づきです。人には必ず死が訪れるけれども、それは、生きる喜びを知るためなんて言われてもピンとこなかったけど、、人が握ってくれたおにぎりがどんなに形がおかしくても、心から美味しいな、と感じたとき、それは、母親がいなかったからか・・・と感じました。心からの気づきが増えていくたび、素直になれていきました。
 この世は、もっと、不幸な人がいる、そんな、ことは頭では誰でも分かってます。でも、そういう境遇の中で生き生きとしている人がいたら、気づくはずです。環境が悪いほど、不幸になるなんてことはありません。質問者様が、乗り越えた経験が人格に重みと深みを足します、母親を失った方から相談を受けたら質問者様の言葉は、心に響くはずです。お父様のことも、社会経験をし、時が来れば今の憎しみは消えていきます。母になれば、また、母のありがたみが分かります。失っていれば尚更です。そして、また、ときを経て、質問者様が年老いて、余命幾ばくになられたとき、とても、とても、お母様から愛されていたんだと感じると思います。
 
 辛い経験は、人を時折自暴自棄にします。でも、もっと深い喜びを感じるときがきます。辛い経験も含め、全て、繋がってると感じられる時が来ますよ。
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こんばんわ!



ただただつらいのでしたら、ただただ泣くのがよいです。
そういうときの我慢は、何よりもいけません。

大切な大切な心の支え、愛してくれた母を亡くされたのですから、
それはもう本当に受け入れられないことでしょう。

あなたのから伝わってくる感情が、たくさんあります。

・大好きだった母親を亡くした深い悲しみ
・そんな母親を忘れて再婚したがる父に対する憎しみ

そんな父の話なんて、何も聞きたくもないのは当然です。

・どうせ死ぬとわかっているのに
・それでも生きていかないといけない
・生きるためには仕事をしないといけない

だから必死で頑張っているのに、また父が邪魔をする。

頑張ってもどうせ死ぬのに周りが一生懸命で、
頑張れない自分がどうしても許せないのですね。

いまは涙がとまらないのも、うなづけます。

でも、涙はいつか必ず止まりますから、
いま何より大切なのは、憎しみに心を譲ってしまわないことです。


どうせ死ぬのに、頑張る理由はございます。

「死ぬときに笑えるように」
「死ぬときの後悔を減らすために」
「死ぬときに誰かに泣いてもらえるように」

いろいろありますが、
あなたにも、しっくり来るものがきっと見つかると思います。

いまは絶望すら感じておられるでしょう。

しかし、憎しみに栄養を与え続けていると、
また笑えるようになるまで時間がかかるようになってしまいます。

本当にお辛いでしょう。
今は少し流れに身を任せるときかもしれません。

何か1点でも光をみつけ、
その光だけ見失わないよう、確かに生きましょう。


あなたに死ぬ勇気がないのは、
お母様がその勇気だけは与えてくださらなかったからです。


いかがでしょう?

どうか「どうせ死ぬのに頑張る理由」探しを続けて下さい。
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2度目のROKABAURAです。


不幸にとらわれてるぞ。まあ人間時にそうなりやすいけどね。

自分だってもし母親が死んでその後父が再婚したら心はイヤだと感じる。
だけどそれは子どもとしての甘えの部分に過ぎない。

一人の人間なら相手の幸せを考えるのが当たり前で正しい。
だから複雑でも「良かったね」と血の繋がった家族だからこそ祝福する。

財産?そんなものは持ち主が考える事だ。
オヤジの物はオヤジの物 オレの物はオレの物
オレの人生は俺自身の選択により成り立つオレだけの物だ。
親は親で与えるようならくれ。くれないようならそれもまた結構。
だってオヤジの物なんだから。
親は子どもを育て上げれば役割としては済んでいる。ここまで育ててくれてありがとうだ。
後は繋がりと補助だよ。互いに。

20歳は少し早いしまだまだ子どもの部分も多いだろう。それは大変と考えて当たり前だ。
就職という未知に対する恐れや新しく増える家族に対する怖れ。環境の変化はだれだって怖い。
文句を言いたい気持ちも分かる。がそれはそれ。これはこれだよ。
あなたの幸せはおやじさんと一緒に暮らす事じゃない。

父親より遥かに素晴らしい男性と一緒になるとか
「男なんてゴミよ」ってな感じのバリバリのキャリアウーマンとか
自営業や農業みたいにいつも家族が一緒の家庭を作るとか
そっちを目指した方が幸せなんじゃないかな。

「結婚はいいよ。お父さんの幸せのために。
そのかわり私が就職して働いて半年位したら一人暮らしをするから
アパート代の敷金と礼金と出来れば月に2万くらい補助してくれるかな。」
って手かな。
まあ相手との共同生活がイヤだったら抜け出せる保証だ。

「愛」か・・愛は与えるものでも奪うものでもない。
存在を認める事だ。
あなたは今まで十分認められてきたはずだ。
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No.4です。

お礼コメントありがとうございました。

そうか…
そうでしたか。

まず、売り言葉に買い言葉、とご自身で思っているなら、それは救いだと思います。
本当にそうなんです。
親子であっても、そうなっちゃうんです。

お父様の言い分。
「老後が心配だから」
なるほど…

まずひとつ理解して頂きたいのは、やっぱり返す返す、お父様も一人の人間なんです。
完璧なところなど何一つない。
それどころか、今後どんどん不完全になっていくものだと思って間違いないです。

これは私自身と私の親との関係を振り返って、本当にそう思います。

子供の頃は親という存在は、自分の全てでした。
全部正しい。困ったことがあれば何でも解決してくれる。
私は周りと比べてなかなか親離れできなかったので、質問者さんと同じくらい…か、もう少し長いこと、親というものは完璧に近い存在だ、そうでなくてはならないと思っていました。
けれど今、私は30代前半ですが…親よりも私のほうが、できることが多いし、親のやるべきことを私がとって代わるようになったなあ、と思うんです。
物理的なことだけではありません。
精神的にも。

少し前、本当に本当に刺してやろうかと思うくらい、親とケンカをしたことがありました。
でも、心臓が破けそうな怒りの中にあって…ふと思ったんですよね。
これは、私のほうが折れなければ、終わりは無い、と。

当時、私もすごく大変な時期にありまして、こう言っては何ですが就活前の今の質問者さんの10倍くらい精神が切羽詰まっていました。
それなのに、親なのに、私の状況を省みずにそんなことを言うんだ…と本当に絶望したんです。
でも、そこをどんなにかき混ぜても、何も解決しない。
親は親、私は私。
私は私の人生を、親がどんなことを言おうと続けていくしかない。
だったら、親の怒りは受け流すしかない…という感じに。

今も、そのことは許していません。
でも、親は親です。自分をこの世に産んでくれた存在です。
そして一人の人間です。
完全ではない。

話し合っても解決しきらないことも、あります。
そんな時は、苦しいでしょうが妥協点を見出すことも必要かと思います。
もし、質問者さんがお父様の面倒を一生見てあげる、と約束できないのであれば、お父様にも自分の生き残る道を探る権利が、やっぱりあるんです。
どうして「今」になってしまったのかは、相手のいることでもありますし…色々あるのだと思います。
そこを認めてあげた上で冷静に話し合えば、まだお互い譲れる部分が見つかると思います。
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今はただ、父親の言う再婚相手に会ってみてはどうでしょう。



彼女に会う、彼女も父親と再婚したいのかを問う。
母親との死別で、再婚となったら母親と同じ墓に葬られることになるので家族の反対はありませんかと問う。

相手にお子さんがいるなら、また別問題です。
母親のお仏壇やお墓問題もありますし、家や土地があるならもっと大変な問題も出てくるでしょう。
どうしても父親を良く思えずに、父の再婚だけが反対なら父親に彼女の所に婿に言って貰う方法もあると思います。

父親を庇護することに見えるでしょうが、妻の死を見た父親は貴方が成人している事もあり「自分の死」を考えたのかと思います、誰かに看とって欲しい気持ちが再婚と言う形になっているのかとも感じます。
相手の方が素敵な方で家族にも問題が無い方なら、母親の思い出はそのまま残してもらい父親だけお相手の方の所でしばらく暮らしてもらってからの再婚を許してはどうでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お相手はお子さんがいる方のようです。
仏壇、お墓については、心配しています。再婚したとして、父が先に亡くなったら、ということも。父はあんまり考えてないようですが。
父の頭の中では、今の家にその方を、と考えているようで、再婚したら私に実家はなくなるし、あの家で母との思い出に浸ることもできなくなるんだろうな、と思っています。

再婚したい一番の理由は、老後の心配のようです。
婿は父の性格上難しそうですが、ひとつの考えとして覚えておきたいと思います。

お礼日時:2013/11/22 00:37

お母さんの死から、もう、3年もたってるのに いつまで引きづってるのでしょうか?



お父さんは、いつ迄、再婚を待たなければ、ならないのでしょうか?

貴女が中高生ならともかく、、、。

もう、22歳ですよね?

自分の就活とお父さんの再婚は、別のことなのでは?

男として、3年も、独身を続けられたことの方が、立派だと思いますよ。

母親の 死 というものにいつまでも、拘っていてはいけませんよ。

もっと、大人になりましょう。

貴女の就活とお父さんの再婚は別のことなのに、、、。

お父さんが、わざわざ、娘の顔を立てて再婚の許可?をとっておられるのに、、、。

お父さんを見て、なんで結婚に希望がもてなくなるのか、、、???

妻を亡くした悲しみから立ち上がれたのですよ!!

その彼女さんがいてくれたお陰なので、お父さんは立ち直れたのではないですか?

それとも、貴女は、父親は、妻を亡くしたらヨボヨボになって欲しい、、、と思っておられるのですかね?

甘いなぁー、甘ちゃんですね、、。


何度も書きます。

貴女の就活と、お父さんの再婚は別物でしょうに、、、。

それとも、貴女は、自分が就職するまで父親には、

いつまでも寂しい思いをさせても良い!!ということでしょうか?

どうも、貴女が 生きてるのが辛い、、、という気持ちがわかりません。

いいんですかねー?? そんなに、軟弱で?

自分が上手くいかないことを全て父親のせいにしてしまってませんか?

この回答への補足

回答ありがとうございます。

一つ聞かせてください。ご両親はご健在ですか?どなたか近い身内を突然亡くされた経験はありますか?
もし亡くされているのであれば、何歳で亡くされ、何年で立ち直れたのですか?一年ですか?半年ですか?3ヶ月ですか?

お答え聞かせていただいてから、またお礼を書かせていただきます。

補足日時:2013/11/22 00:30
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>>再婚するなと言っているわけではありません。

父の老後のことも考えてますし、
今考える余裕がないから後にしてくれと言っているだけ

これはお父様に伝えましたか?
ただ単に後にしてくれと突っぱねたわけではないですよね?

あなたもいっぱいいっぱいだと思うんですが、子供じゃありませんよね。
留学させてくれたお父様に感謝していますか?

妻に先立たれ、娘も外国に行き、近くで支えてくれたのは再婚したい相手なのではないですか?
もしかしたらですが、もしそうであれば、あなたは逆に再婚したい相手に感謝しなければいけません。

お父様の再婚と自分のこと、別にして感がえられませんか?

私も頑張る。お父さんも幸せになってねって気持ちになれませんか?
何もかもネガティブに考えていて、自分で自分の首を絞めているように感じます。

お母様のことで立ち直ることができなくても留学はしていたんですよね。
きついことを言いますが、自分のやりたいことはやり、言いたいことを言っているだけで
自分のことしかかんがえていないのはあなただと思いますよ。

もっと大人になりましょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

伝えました。何度も伝えたうえで、今回の対応だったため、「もうつかれた」わけです。

留学させてくれたことにはもちろん感謝していますし、ことばで伝えてもいます。

別にして、ということですが、もちろん一緒には考えていません。ただ今そのことを話す余裕がないから、あと数カ月待って、といっているだけなのです。
そのことがそんなに悪いことなのでしょうか?就職で大事な時期だから、もうちょっと待ってくれ、というのがそんなに悪いことですか?
そのことを考えないで話す父はまったく悪くないのですか?成人してる、してないに関わらず、話すタイミングは考えるべきではないでしょうか?

もう一度質問を読んでいただきたいです。私は父の再婚そのものに反対(両手をあげて賛成なわけでもないですが)、という話はしていないはずです。

お礼日時:2013/11/22 00:27

父親の父親都合の勝手は許さないが、


自分が自分のしたいがままに生きる=自分の気持ちや自分勝手は、世の中のいかなることよりも、
何よりも
優先されて当然である。

そのように読めます。
もし、上記を「厳しい回答」と感じられるのであれば、
下記をお読みいただいたうえで、是非、反論いただきたい。

【母の死から三年がたち、友人たちの助けもあり、なんとか立ち直りつつあるところ、父から再婚をしたいという話をされました。その話をされた時、私は留学中で、帰国したら就活もしなければならず、気持ちに余裕がない】

質問主様は、親族すべてが、まだ哀しみに立ち直れない中で
一人、留学されました。
それは立派です。
喪った哀しみから立ち直ろうと、成すべき事を為そうとされるのは、とても立派です。
でも、それは、質問主様だけに許され、父には許されないのでしょうか?
父とても。
喪った悲しみから立ち直ろうと、種々の取り組みがあったであろう・・と推し量る度量は、
留学で「多民族・多種の価値観」を学びとったはずである質問主様に
育まれなかったのでしょうか?

他人(自分以外の人という意味で)には、自分とは異なる背景、視点、人生がある。
それを、異文化に接する留学で、真に学びましたか?

【逆カルチャーショックからも立ち直れず、疲れも取れない頃に、また再婚の話をされました。
前々から、まだその話をしないでほしいと話しており、また、帰国後日本になれず精神的に余裕がない、と話していたにも関わらずです。泣きながら少しは私の気持ち、状況を考えてほしい、就活が終わってからにしてくれ、と話しました。】

逆に。
配偶者を喪い、その直後に子供を異国に送り出した父親の「ダブル喪失感」に
想いを至したことがありますか。想いやった事がありますか。
いかに喪失感が強かったか、考えた事がありますか。
いや、敢えて、厳しく言いましょう。
配偶者を喪った時に、そんな時にもかかわらず、留学するのか?自分の元を離れて行くのか?
父が抱いたかもしれないその精神的負担を、留学する時に、
質問主様は、慮ったのでしょうか?

父親を、日本に残して、自分は留学して良いだろうか?
その葛藤は無かったのでしょうか?

あったにせよ、無かったにせよ、
その時、父親は、思ったはずです。

自分の寂しさを、子供に負わせてはいけない。
好きな道を歩み、自由に人生を謳歌し、母の死を乗り越えて、大きく成長してほしい。

だからこそ、
自分自身は、自分で、子供に頼ることの無い人生を全うしよう・・と。
そのように考えられたはずです。

そして、共に歩む人を見つけられた。
これは、父親の、親業の卒業です。

二十歳も過ぎた大人ならば、
このへんの、心情の機微は、
推測できる懐の広さは、
持ってもよいのではないでしょうか。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

おっしゃる通り、父親は自分勝手だと思っています。それは幼いころからです。
休日に遊んでもらった記憶もあまりありません(仕事ではなく、趣味で出かけていたので)し、家族で約束していた外食に来ない、母の誕生日に、と母の好きなケーキ屋さんにサプライズでケーキを頼んだのに、車で取りに行くはずの父と連絡がつかない、など。
こういう経緯で小学生高学年になるころにはすでにどうやって父と話していいのか分からない、父は信用できない、と思っていました。こういうことが未だに父=自分勝手、と思う原因になっているのだと思います。

そのため、母の死後の父との関係には相当苦労しました(現在進行形ですが)。これも自分勝手と言われるかもしれませんが、父自身が、子供と良い関係を作る努力を十分にしていなかったと思います。私が父を心配するような関係性を作る努力を、父自身がしていなかったということです。正直、心配より「頻繁に話さなくて済む」という安堵の方が大きかったです。この努力は、父ではなく、小学生の私がすべきものでしたか?

苦労して、ようやく父と普通に話せるようになりました。それでもなお、もう数か月待ってほしい、というのはやはり勝手でしょうか。これ以上の努力が必要ですか。

補足日時:2013/11/22 00:14
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まだ、人生になれないからの悩みだと思います。



長年生きてきたオバタリアンになれば、「あんなこともあったねえ・・・」になります。

まだ、心が独立していないからです。


「私の事を考えてくれてない」とか、「心の余裕がないのに」とか思うかもしれませんが、
長く生きれていれば、
「それが、どうしたあっ!」
に変わります。

逆に、他人の事を考えるようになります。
人生は同時進行です。
いつまでたっても余裕なんて出来ませんから、常に様々事を同時にダダダッと片付けていくようになります。

まずは、すごろくゲームをしているような気分で心を整理してみましょう。


人って、自分の心の状態にかかわらず、行動しています。

人って、自分が大変かどうかにかかわらず、病気になったり、恋をしたり、別れたりするものなのです。

ですから、人の行動で自分がいちいち惑わされず、人それぞれの生き方を喜び、悲しむべきものです。


まだ、そのようなことに慣れていないので戸惑っている状態だと思います。


結婚してごらんなさいよ。

姑の言う事等、まともに聞いていられません。
ラジオが鳴ってると思って相槌はうつものの、内容は聞くに堪えないものです。

夫は好き勝手に行動してます。
子供も、大きくなればそれぞれの世界に入ります。


他人は、自分に合わせて行動してくれないと言う事に気付くまで、無理をする事はありません。


それって、決していやなことばかりじゃないんですよ。
その中でも、素晴らしい思いをする事が出来るんですから!!

そのうち、とんでもなく感動的な体験も用意されていると思いますよ。
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