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北原白秋の雲母集に収められている

「寂しさに 海を覗けば あはれあはれ 章魚逃げてゆく 真昼の光」

という短歌の解釈や訳を教えてください。


表現技法や区切れも教えていただけると有難いです

A 回答 (1件)

この歌集は大正2年、九州から上京していた父母弟妹や結婚した俊子との、一家を挙げて転居した三浦三崎にて物されたものです。


この歌は、「雲母集(きららしゅう)」中の「山海経(せんがいきょう)」の項の「海底(うなぞこ)」の二首の一つで、そこには「庭前小景」とも付されています。
そしてこの「庭前小景」という小題はまた、「寂しき日」四首と「海峡の夕焼」四首にも付けられ通底しているものです。

九州からの家族の中での、また多々あって結ばれた俊子との間での、それぞれとの同居の中に団欒あり、また個々の思惑とすれ違いありの明と暗が同居の日々であったのでしょう。輝かしい夏の三浦三崎の海辺と、暗溟を湛えた海底とのコントラストの鬩(せめ)ぎ合いでもあったと。

 海にゆかばこの寂しさも忘られむ海にゆかめとうちいでて来ぬ

この時期に著わされた詩歌集「真珠抄」に「海底」という題に次の短詩があります。

 おそらくは花ならむ海の底の海松(みる)の小枝に輝く球あり輝く球あり

そして不思議の海や山に棲まう怪しの生き物たちの集大成である「山海経」の小題には、色々な生きものたちと己自身の中の屈折した心理たちとの対照が、天から指す光線と海底の蠢きの不思議と怪しのコントラストが、「あはれあはれ」と感じられ又観しられるのでしょう。

「真昼の光」については「真珠抄」での「永日礼賛」の次の端書きに明らかでしょう。

 日の光十方にあまねく、身をかくすよすがもなし。真実にただひとり人間ものもあらざれば感極まりて乃ち涙をぞ流しける。

 人間なれば堪えがたし真実一人は堪えがたし

真昼の光が差し込めばこそ、そこで奪われた影も、そしてそこで生れた影もまた我が心模様の艶やかさであり、まさに「日が照りとほり影の親しさ」であるものでしょう。

 海底の海鼠のそばに海膽(ひとで)居り日が照りとほり影の親しさ
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この回答へのお礼

細かく分かりやすい回答をありがとうございました。
すごく助かりました。

お礼日時:2013/11/26 21:23

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