興福寺の阿修羅像です。
少年阿修羅は光の中にいる
光の中で手を合せている
今しがた手を合わせたばかりの姿で、前を見つめて立っている
振り向けば、悲しみと憎しみを背負い
背負いつつ、優しい光に手を合せている
いまだ懺悔もない、目覚めの姿
阿修羅の祈りは
深い優しさを垣間見た少年の祈り
この阿修羅像には由来からして、光明皇后の亡き母への想いが込められていると思いますが
そういった事を抜きにしても、心に訴えかけてくるものがあるように感じられます。
美術評においても「驚くべきリアリティーである・・」と言われていますが
それぐらい、子供の祈る姿を通して純粋なものを感じさせる作品になっていると思います。
私なりの印象といったものを、上に書いてみましたが
この阿修羅像から受ける印象は、人それぞれに違うのかもしれません。
私は美術書の写真を見たのみで、まだ実物を見たことがありませんので
できれば、実際にこの阿修羅像を見た方にその印象をお聞きしたいと思います。
また、仏教に関する感想等ありましたら付け加えていただければ幸いです。
よろしくお願いします。
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
about72 さん、こんばんわ。
私も仏像の中では天平仏が大好きです。なぜかというとこの前の時代と後の時代はとても定型的な表情なのですが、この時代の仏像の表情はとても自由で闊達な感じがするからです。特に阿修羅像はとても若い少年の容貌をしており、乾漆像というこの時代特有の作り方をしており、それは前述のとおり、ある種仏像としては型破りで空前絶後ですが、なぜか人の心をとらえて離さない魅力があります。それはほかの天平仏でも、やはり仏像なので、自由闊達に見えてもどこか悟りきった大人の表情が多いのですが、この仏像だけは若い少年の表情なので、あなたの言う通り、純粋なものを感じさせる作品になっているのかもしれません。その分この仏像の心は私たちの考えに近く、親近感を感じてしまうのかもしれません。
ちなみに私は2回見ました。
詳細は下記のURLを参照してください。
乾漆像
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%BE%E6%BC%86% …
阿修羅
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E4%BF%AE% …
この回答への補足
皆さんから、この阿修羅像についての実際の印象をあまりお聞きしていないせいか
はたまた、私が実際に見ていないせいなのか・・
どうも主観が定まらない感じです。
そこで試しにではありますが、
不安定な主観をそのまま掘り下げてみる事にしました。
自分が阿修羅になったつもりで、少し書いてみました。
落書き程度でお恥ずかしいのですが・・
アシュラなき心
アシュラなきアシュラ
アシュラを背負ったアシュラ
私は感情という阿修羅
愛と憎しみの阿修羅
救はれぬ阿修羅
終はりなき憎しみを背負い
終はりなき悲しみを叫ぶ
ただひとつ
祈られし心を忘れず
ただひとつ
祈りを受けし心を忘れず
母といふ 父といふ祈りを忘れず
その優しさを忘れず
手を合はす
ふと聞こえくる言葉に耳をかたむければ
そこにいる母
そこにいる父
私は阿修羅
自らの顔も分からぬ
幼き阿修羅
まあ、やはりといいますか、
光明皇后の万感の想い・・に尽きてくるのでしょうか
光明皇后が子供となって、阿修羅の姿を借りて「お母さ~ん・・」と言っている
それがこの阿修羅像なのかもしれません
純真な姿、母親を慕う子供の心
いつの時代でも変わらないんでしょう
純粋な人間性の目覚め・・などと改めて言わなくても、誰の心の中にもある自然な心だと思います。
多くの人の心を惹きつけ、共感を得てきた真実とは、案外そんなところにあるような気がします。
付け加えれば
八部衆も十大弟子も・・みんな子供の姿です
これは製作の発願者が、光明皇后という一人の女性であったからこそ成し得た事だったように思います。
通常は、このような姿の仏像が造られる事は、まずない、と言っていいように思います。
その点について、専門家の方も「光明皇后の万感の想いが込められた・・」と述べておられますので、誤りのない推察であるように思います。
光明皇后という一人の女性の母親への追慕の念が、この阿修羅像には込められている・・
これが、きっと間違いのない真実なのだと思います。
一人の女性の母親への想いが・・時代を越えて人の心を打つ形となった
純真な子供が祈る姿は、多くの人を魅了してきた
そうした事であるように思います。
あと、背伸びをした言い方になりますけれども
仏像における可能性、羯摩曼荼羅の有効性と展開といった事についても有益な示唆を与えてくれるものでもあると思います。
そうした点についてのご考察等もありましたらお寄せください。
ありがとうございます。
仰るように、天平時代の仏像には優れた作品が多いと思います。
みずみずしさがあると思います。
とくに阿修羅像には、美しさだけではなく、親近感がありますね。
人間らしい仏の表現がなされている感じがします。
乾漆像といえば
不空羂索観音が思い浮かんできます。
こちらは
阿修羅像とは対照的で、超人間的な仏の表現がされている、といった感じがします。
強烈な祈りの力を感じさせる・・祈りの怪物です。
まあ、その崇高さは、好き嫌いが分かれる、といった感じもあるとは思いますが・・
いつか見たい仏様
会っておきたい仏様
いっぱいあります。
興福寺の阿修羅
広隆寺の弥勒菩薩
中宮寺の如意輪観音
向源寺の十一面観音
東大寺の不空羂索観音
毎日拝んでいる小さな観音様と一緒に、いつかは旅に出たいと思っています。
No.4
- 回答日時:
ありがとうございます。
>>「儒教ですか
仁義礼智信、というもの
>仏教的な理解とは相容れない、ということも、あるかと思います。
人の心の有り方の規範とすべき事と、仏教における慈悲平等の実際の有り様は一致しない・・
有り方と有り様は一致しない
客観解釈と主観解釈は一致しない
これはもう自然な事だと思いますよ。
この阿修羅という精神的評価、及び、阿修羅像における評価という事についても同じ事が言えるかと思います。
釈迦如来の眷属としての阿修羅の立場は、明らかに低いものです。
けれども阿修羅の改心における精神的変化の内実は決して低いものではない・・と思います。
それはまた
製作された経緯や技術を含む歴史的価値、美術的価値における評価の客観性に対して、主観的な解釈が一律でない事にも見られると思います。
このような宗教的作品においては、殆どにおいて主観的な解釈を語る言葉として用いられているのは
「深い精神性がある」とかいった、ごく簡単な言葉だけです。
このようにして、一律でない主観的解釈を片付けてしまう事が客観的解釈においては当然な事であると思います。
しかしながら、そういった主観面、深い精神的な面に立ち入らなければ宗教的な真実や価値は見えてこないと思います。
阿修羅は阿修羅に過ぎない・・と言って切り捨ててしまうか
阿修羅は人にもなれれば、仏にもなれる・・と見るかは自由です。
どう見えるかは、見る人の心しだい・・でしょう。
客観的な資料や評価は参考に過ぎない。
違いますかね・・。
はい。
自由なんですね。
(深い?笑))
ありがとうございます。
>自由なんですね。
そう・・自由なんです。
自由の一例をば・・
だいぶ前に聞いた話ですが・・
知っている方もいるとは思いますが
この阿修羅像がどう見えたか、という話の一つ
修学旅行で興福寺の阿修羅像を見学した中学生の話です。
一人の女子中学生が・・
阿修羅像を見ているうちに泣きだしてしまった
「阿修羅が泣いている」
と言いながら泣きだしてしまった
周りにいた人は、なんだか分からない
阿修羅の顔は泣いている顔ではないのに、その女の子には、泣いているように見えた
これはまあ、
その女の子の感受性が大変強かったせいだと思いますが
程度の差はあっても、そうした感覚は誰しもが持つような気がします。
子供が真顔で祈る姿、というものには純粋なものを感じさせられると思います。
もちろん、それは感情的なものである事には違いないと思いますが
ただの感情とは言い切れない
心の真に迫ったというか、心の底にあったものが現れてきた
どうもそうしたもののように思えます。
「純粋な人間性の目覚め」って言うんでしょうか・・
阿修羅が泣いていたとすれば・・
優しさにふれた悪人が涙を流す
という
よくあるアレですよ。
大人になると、中々こうはいかなくなる
いつの間にか自然と立派な悪人になって、泣くことを知らなくなる・・
見方を変えれば、この阿修羅像は純粋な子供には必要ないわけです。
薄汚れた大人には必要という・・ものなんでしょう。
千年以上も手を合わせ続けて、たくさんの人の心の掃除をしてきた、阿修羅さん・・
ご苦労さまでした。
会ったら、そう言ってあげましょう。
No.3
- 回答日時:
about72様、こんにちは。
「師」ばり、ではありませんが、
儒教の影響の濃い、、、ところでは、
仏教的な理解とは相容れない、ということも、あるかと思います。
(儒教のほうが、「上下関係」といったことに、厳しい)
ありがとうございます。
儒教ですか
仁義礼智信、というもの
>仏教的な理解とは相容れない、ということも、あるかと思います。
人の心の有り方の規範とすべき事と、仏教における慈悲平等の実際の有り様は一致しない・・
有り方と有り様は一致しない
客観解釈と主観解釈は一致しない
これはもう自然な事だと思いますよ。
この阿修羅という精神的評価、及び、阿修羅像における評価という事についても同じ事が言えるかと思います。
釈迦如来の眷属としての阿修羅の立場は、明らかに低いものです。
けれども阿修羅の改心における精神的変化の内実は決して低いものではない・・と思います。
それはまた
製作された経緯や技術を含む歴史的価値、美術的価値における評価の客観性に対して、主観的な解釈が一律でない事にも見られると思います。
このような宗教的作品においては、殆どにおいて主観的な解釈を語る言葉として用いられているのは
「深い精神性がある」とかいった、ごく簡単な言葉だけです。
このようにして、一律でない主観的解釈を片付けてしまう事が客観的解釈においては当然な事であると思います。
しかしながら、そういった主観面、深い精神的な面に立ち入らなければ宗教的な真実や価値は見えてこないと思います。
阿修羅は阿修羅に過ぎない・・と言って切り捨ててしまうか
阿修羅は人にもなれれば、仏にもなれる・・と見るかは自由です。
どう見えるかは、見る人の心しだい・・でしょう。
客観的な資料や評価は参考に過ぎない。
違いますかね・・。
No.1
- 回答日時:
阿修羅も含む仏教を保護する八部衆は、もともとはインドの神様です。
インドの神様が釈迦の教えをもとに仏教に帰依した形ですね。ご存知のようにもともとは戦いの神でもありますが、興福寺阿修羅像は戦いなど微塵も感じられません。
どうしても阿修羅だけがクローズアップされてしまいますが、興福寺国宝館で八部衆を順番に拝観すると、八部衆のうちの一つだということを痛感させられます。もちろんその八部衆の中でも美術的には一番美しいとは思います。が、しかし、阿修羅よりももっと童顔の沙羯羅像や、頭部のみの五部浄像にも魅入らせられます。鳥の顔をした迦楼羅像も素敵です。
ただ、興福寺では正面からしか見ることができないのが残念です。東京や九州で「阿修羅展」が開かれた時は全方位から見られたそうです。私はもう阿修羅像に10回以上会っていますが、いまだに後ろ姿を見たことがありません(笑)
是非、本物に会いに来てください。
ただ・・・阿修羅像の実物を見たことがないとおっしゃるのなら、興福寺はもとより他のお寺の諸仏にも会ってらっしゃらないのかもしれません。
私が一番好きな仏像は法隆寺横の中宮寺の如意輪観音です。
ありがとうございます。
阿修羅像に10回以上会っている・・とは恐れ入りました。
やはり、それだけ惹かれるものがあるんでしょうね。
私もいつかは必ず見に行くつもりでいます。
東京の阿修羅展では、阿修羅像だけが他の八部衆とは別に展示されていたようです。
特別扱いだったのでしょう。
美術的にも素晴らしく、多くの人を惹きつけていたんだと思います。
中宮寺の如意輪観音・・
これはもう何も言うことがない、というか
仏の優しさ、そのものの中にいる人の姿のように感じられます。
奈良には古き仏たち・・
行ってみましょう。
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