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下記のような記事がありました。「このような認識」は問題であると言っているのですが、果たしてどこが問題なのでしょうか。

>冤罪問題について丸山弁護士は「冤罪があるから死刑を止めろというのは、交通事故死があるから車をやめろというのと同じ」と発言したが、カットされていた。丸山弁護士は、自民党の法務担当の長。その人が、このような認識。TVで明らかにしてほしかった 
#TVタックル @ryomichico 1:33 AM - 8 Apr 2014

A 回答 (5件)

仰る通り「冤罪問題」と「死刑の是非」は別問題だと思います。



わたしは死刑は肯定しても冤罪は肯定しません。
米国並に取調べの可視化は必要だと思われますし、司法取引
もあるほうが良い。 自白頼りの前時代的な捜査はごめんです。
ただし同時に「おとり捜査」も認めてほしいものですが。

さて、菊田幸一(氏など敬称など必要なし)について。

冤罪により有罪とされたものは、死刑や収監によって失われた
命や時間だけを問題にしていますが、一年未満の禁固刑であろ
うが社会的制裁によりその失職や家族との離別、世間の冷たい眼
など人生が奪われることになります。(痴漢冤罪の罰金刑でさえも)

冤罪の可能性があるからと言うならば、その冤罪を生み出す司法の
構造か手法に言及すべきで、だから死刑廃止せねばと語るのは
自身の死刑廃止を訴求するための詭弁に過ぎません。

>菊田幸一氏は、・・・むちゃくちゃな理屈です。

はい。詭弁です。そして菊田幸一のむちゃくちゃな理屈は今に始まっ
たわけではありません。
おそらく質問者様は御存知でしょうが、回答No.3様は菊田幸一の過去
の発言を知っておられるのでしょうか。

wikiより菊田幸一の過去の発言を引用します。

自著『死刑廃止・日本の証言』では、死刑囚の母親(大道寺幸子)と
の対談中「私は犯罪被害者より加害者のほうが辛いと思う。被害者
の苦痛なんて交通事故のように一瞬だ」と述べている。また、テレビ
の生放送討論会で「司法が制裁を与えないなら、私が殺す」と発言し
た本村洋に対して「あんた、(犯人の)少年が死ねばそれで満足なの
かよ」、「法律も知らないくせに」と発言した

まさに外道。わたしが被害者の遺族なら顔形が変るまでぶん殴って
います。

この回答への補足

>わたしが被害者の遺族なら顔形が変るまでぶん殴っています。

私もそう思います。加害者は生きている限り、限られてはいても楽しみを味わうことができます。しかし、殺害された被害者は、過去に努力したことから将来の希望まですべてを奪われたのです。その無念は計り知れません。

しかし、こういう被害者側の感情に立脚した死刑を支持する考えに対して、反論する人もいます。

この人がそうです。⇒ 死刑賛成と、「被害者遺族感情」を利用して叫ぶ人を、私は決して信用しない
http://blogs.yahoo.co.jp/hiroshikey66/62653703.h …

補足日時:2014/04/13 21:44
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この回答へのお礼

>冤罪の可能性があるからと言うならば、その冤罪を生み出す司法の構造か手法に言及すべきで、

まさにその通りです。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/28 10:59

”「冤罪があるから死刑を止めろ」という理屈は”


     ↑
逆に、
死刑を止めて、それで殺人が増えたら、犠牲者
にどう責任をとるつもりなのか、と聞きたいですね。
それに冤罪があるから、というのであれば
総ての刑罰を止めろ、ということにもなり得ます。



「冤罪があるから死刑を止めろというのは、
 交通事故死があるから車をやめろというのと同じ」
     ↑
副作用があるから、止めろ、という理屈に
対する反論だと思われます。
副作用が無いモノなんか、探すのが難しい
のが現実だ、ということでしょう。


いま、冤罪を一番望んでいるのは、死刑廃止派だと
思います。
冤罪が発生したら、躍り上がって喜ぶでしょう。

この回答への補足

>いま、冤罪を一番望んでいるのは、死刑廃止派だと思います。冤罪が発生したら、躍り上がって喜ぶでしょう。

本当にそうだと思います。「ほれ、見ろ。だから言っているじゃないか」と。

その主張は、死刑さえなくなれば他の冤罪はあってもいいと言っているようなものです。

しかし、冤罪を根拠とする死刑廃止論は、まったく話になりません。死刑になりたかったと言って無差別殺人を犯した者に死刑判決を下すことには、何らの反論にもなりません。

補足日時:2014/04/13 21:28
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/28 11:01

>菊田幸一氏は、・・・むちゃくちゃな理屈です。



むちゃくちゃではないです。
裁判所は法律に従って判決するのですから、
死刑がなければ死刑判決は、あり得ないです。
交通事故死・・・車に乗るな、
と言うこととは違います。

この回答への補足

>死刑がなければ死刑判決は、あり得ないです。

確かにあり得ません。しかし、死刑に相当する無期懲役という判決があります。死刑でないからと言っても、冤罪で一生を刑務所で過ごすということがあってはなりません。

生きている限り冤罪であることを証明できると、死刑廃止論者は主張するでしょうが、冤罪である恐れのない殺人事件についてはその主張は通用しません。

加害者本人が死刑になることを希望しているようなケースを含めて、冤罪の疑いのないケースについては死刑判決が下って当然です。

補足日時:2014/04/13 21:13
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/28 11:02

冤罪かもしれないから死刑でなく終身刑ならいいのでしょうか。

無罪かもしれないが有罪。冤罪で50年服役し殺されなかったからいいでしょ。ということですね。酷い人権侵害です。冤罪は冤罪。あってはならないのです。

冤罪事件は警察検察の見込み捜査証拠でっち上げ自白偏重ですが裁判所が法の権威を守るためと称し検察のデタラメ主張を丸呑みしているからです。裁判所の無能無責任怠惰及び事大主義が冤罪事件を産んでいるのです。

血液型が一致しているから犯人だという決めつけは非科学的なのに葵の御紋の印籠のような決定力を持っているなんてそら恐ろしい。証拠なきは被告人の利益。

名張毒ぶどう酒事件は証拠はないのです。王冠の歯型が被告の歯と一致していたなんて証明のしようがありえません。インチキ鑑定です。そもそも鑑定なんて個人意見に過ぎなく大した証拠能力はないのに決定的証拠とした裁判所の事大主義は人権軽視の恐ろしいものです。

この回答への補足

>冤罪は冤罪。あってはならないのです。

同感です。満員の電車内における痴漢事件では、疑われたら身の潔白を証明することは困難です。事件の大小に関係なく冤罪はあってはなりません。

菊田幸一氏の主張は、死刑さえ廃止すれば冤罪であってもいいと言っているようなものです。まったく話になりません。

補足日時:2014/04/13 20:52
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/28 11:07

 冤罪があるから死刑を止めろ→交通事故死があるから車をやめろ→めぐりめぐれば人は殺すことがあるから産むのをやめろに繋がるからです。

同じベクトルです。それを言えばヒトとしての意味がないということですね。生まれなければ冤罪はあり得ません。ヒトがいる限り死刑以外も冤罪はあり続けます。

この回答への補足

菊田幸一氏は、「死刑制度があるために誤判を犯す危険性がある。死刑がなければ誤判はあり得ない。死刑制度がなければ死刑を言い渡す可能性はないわけだから」と言っています。むちゃくちゃな理屈です。

補足日時:2014/04/13 13:13
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

お礼日時:2014/04/28 11:09

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