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仏教の話で釈迦が本当に悟ったことと言うのを耳にしました

宇宙の、例えば自分の母親と地球の裏側のどっかの部族のなんとかさんが同じ重要性であること

他にも何でもいいのですが自分と鉛筆が同じなどなど。。。

すべての人、物は全て同じだということ。だと聞きました

ここでは釈迦が本当に悟ったのは「空」だとか、いや別のなんとかだ!という話は置いておいて

私にはこの全てが同じである、の意味が分かりませんでした

どなたか説明が得意な方、して下さると嬉しいです

それとこの悟りを開くと結局何がどう便利?・・・という何がか良いのでしょうか?

A 回答 (9件)

その人が、どういうつもりで言ったのかは知りま


せんが、「全ての宇宙は、心の中にのみ実体を
持つ」という考えであれば、納得できます。
あなたが「自分」だと考える肉体も、真のあなたと
しての宇宙全体の部分に過ぎず、痛みを感じると
いっても、それは世界が目から見えるからといって、
目ばかり大事にしているような滑稽さである。

量子論的世界像において、有限的存在性は認識
される事によって発生する=環境は自己存在の
必要として相補分化しているのであり、目(肉体)
も鉛筆も、この世界をより良くする道具に他ならな
いという意味だろう。
それを理解するという事は、「自己の必要」として
生じている環境なのに、肉体的な自己中心主義
による意志が環境の物体にぶつかるのは、自己
存在の本質に根差した真の自覚(他我=博愛)に
基づいていないための“自己矛盾”としてであると
感得する事だ。
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この世界はブラフマンそのものであり、人間もえんぴつも、高次元(M理論では11次元、超弦理論では10次元)の波動の3次元断面における投影(2次元テレビ画面上の映像の3次元版です)に過ぎないという点で同じです。

カプラの「タオ自然学」あたりから入ってみてはいかがでしょう。
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こんばんはgaituさん。



違うところに意識を向けるのも同じところに意識を向けるのも自由であって、この意識を自在に操ることが肝要かと。
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鉛筆も貴方も、造られしモノであって、なおかつ滅びゆくモノってことで、同じですね。



鉛筆と水は違います。水と空は同じです。
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gaitu様、こんばんは。




>「すべての人、物は全て同じだということ。だと聞きました」
>「私にはこの全てが同じである、の意味が分かりませんでした」
>「それとこの悟りを開くと結局何がどう便利?・・・という何がか良いのでしょうか?」

ご自身で、聞かれた方に訊くより、ありませんでしょう。
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別の言い方の一つに「違いが無い」という現し方があります。




鉛筆と貴方は違いますが、その違いを生んでいるものとは何なのか?

それは貴方の「認識」が違いを認識しているから違うのです。

そして認識の違いは皆が違い、同じ認識を持つことは無く、同じだと思い込んでいるだけなのです。

認識や理解は人それぞれで決して交わらず、また正しいと言う事もありません。

すなわち「絶対」の基準が存在しないので、鉛筆を鉛筆と、貴方を貴方と分け得る方法は無いのです。

あくまで「それぞれがそう思って生きている」のです。


この事に気づくと、自分の認識に振り回されなくなります。

自分の認識がただの認識であり、真実ではない事が判るからです。


補足

無とか空とかいうものは、唯の技術の一つです。

佛教の本質は「苦しみの原因を解き明かし、苦しみから解放された生き方」を求める事です。

その苦しみを「認識」によって、見えなくなっているのを解くのが「無」とか「空」と呼ぶ技術です。
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色々なエピソードはありますが、釈迦が主張していることは簡単にまとめると


「ノーリスクノーリターンこそ最強」ということではないでしょうか。
誰かが得をすれば、必ずどこかで誰かが損をしている。あたりまえのことです。
じゃあ得を求めなければ、誰も損はしないよね。皆、得することを考えるのをやめましょう(煩悩を捨てましょう)
といきついた感じでしょうか。

また、妻子を捨ててまで行った修行の目的は、「苦からの脱却」といったところです。
貧富の差や人種差別などで苦しんでいる人を助けたいという思いも強く持っていたようですが、
言わば人生における敗者を救うためにたどりついた結論なのではないか、と個人的には思っています。

恋人と最終的に死に分かれるのが決まっているのなら、そもそもはじめから恋人を作らなければいい
という発想にたどり着いた人です。

この辺りが、「悟り」の内容といったところです。
どのように便利に働くかは、どこまで自分の行動に影響させるか、またどう感じるか次第であります。

釈迦が説いている教えは言ってしまえば極論です。
自分の母親と、赤の他人の重要性(=存在価値)が同じかどうかは、
森羅万象、宇宙に存在している一個体だと見れば同じです。そのくくりで言えば、鉱物でさえも同じです。

なるほど、と思わせる考え方が多いですが、その反面行き過ぎた考えも多数あります。
宗教とは得てしてそういうものだとは思いますが。
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>自分と鉛筆が同じとはどういう意味ですか?



○2つの意味で同じという意味です。ひとつ目は「同じく造られたもの」二つ目は「元は全て根本仏のかくあれという思いから出来ているもの」ということですね。

>それとこの悟りを開くと結局何がどう便利?・・・という何がか良いのでしょうか?
○ちっぽけなこの世の常識などにくよくよすることがなくなりますね。死の恐怖もちっぽけなこの世の常識の一つですよ。女も男も元は一緒ですから楽しく家庭をもって暮らせるでしょ。世の悩み事は小さいことなんですね。だって巨大な岩や地球や銀河さえ元はおなじなんですから。わかるかな。
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こんにちは。




☆宇宙の、例えば自分の母親と地球の裏側のどっかの部族のなんとかさんが同じ重要性であること
◇命を有するもの、そして、悟りうる存在として、命を有するものは、等しい。
そして、悟りには、生まれなどは関係がない。

ですが、だからといって、
何から何まで同じというわけではないです。


ですから、
☆他にも何でもいいのですが自分と鉛筆が同じなどなど。。。
すべての人、物は全て同じだということ。だと聞きました
◇は、極論です。
本質的平等性とともに、違い、個性も重視します。

たとえば、
人間と鉛筆は、物からできているという点では同じですけれども、
現実にある存在としては、人間と鉛筆は別なものです。
Aさん、Bさんは、人間という点では同じですけれども、
やはり、それぞれ別な人間なわけ。

この「○○の点で同じ」という部分を忘れると、大変な誤解を生みます。


☆それとこの悟りを開くと結局何がどう便利?・・・という何がか良いのでしょうか?
◇「真の自由が獲得できる」ら・し・い。
何事にもわずらわされない、《自由自在》な存在になれるら・し・い。

とは、
空は飛べませんよ。
水の上も歩けないし、死者を復活させたりもできません
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