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自由ではない時全てを指すのですか?

それとも、自由・普通・不自由みたいにいくつか段階があるのですか?

A 回答 (5件)

☆自由ではない時全てを指すのですか?


◇まぁ、そうなりますね。自由でないことを《不・自由》というのですから。

ですが、
哲学では、一般的に、《自由》の対語は《束縛》。
物理でも《自由》⇔《束縛》かな。
経済ですと、自由経済⇔統制経済ということで、《自由》⇔《統制》みたいな感じ。自由経済⇔計画経済ということで、《自由》⇔《計画》という場合もあります。

《自由》⇔《制約》もそうかな。

《自由》は《束縛》や《制約》のない状態、と理解するといいんじゃないかな。


☆それとも、自由・普通・不自由みたいにいくつか段階があるのですか?
◇という分類は、普通しないですね。
あえてするならば、自由の度合いによって、
平均レベルの上、下で判断するということになると思います。
RPGのように、
(自由)レベル1、レベル2、レベル3・・・でもいいのかもしれないですね。


ではでは。
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rarabai213様、こんにちは。




「現象」ですね。
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量子論的世界像において、宇宙は認識される事で


有限な存在性を発生させる。
それは、不確定性原理における相補性において、
自我仮説(時間の流れ=記憶=過去=超光速)と
時空仮説(空間の広がり=予測=未来=光速下)が
対発生しているという事だ。

無=不確定性無限の潜在としての認識可能性
(感受表面での量子相互作用=仮説的時空への
無の射影)の変移(異なるhの時系列化=自我仮説)
としての経験において、階層的現象を表面的に
(いい加減に)捉える事で、本質的確定性おける
超弦(量子定常波)の光速性を潜在化させる事に
よって、上記のようにあらゆる一瞬から過去と未来
への対発生を可能にし、その積層の中にホログラム
(干渉)としての存在性を発生させるのだ。

つまり本質的に、環境は自己存在のための必要と
して生じており、そうした自己の意志が環境にと
ぶつかるならば、その意志の元となる自覚が、自己
存在の本質(宇宙としての自己)を認識できてない
ために、自己矛盾として対立しているのだ。
他人との対立(博愛の欠如)、有限な肉体性の限界
(肉体的な自覚)など、様々なレベルの「不自由」が
あるが、そのルーツは1つ(低認識)である。
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肉体は、個性でもあり対応可能領域でもあります。


そして誰でも、肉体には限界があります。

自由・不自由と言えば、内面でしょうか。
本来、限界はないのに多くは自ら制限をかけていますから。
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不自由というのは、自由の反対語ではありません。

足が不自由だ―これは、足に障害を持っているということですが、これの反対を「足が自由だ」とは言いませんね。
http://kotobank.jp/word/%E4%B8%8D%E8%87%AA%E7%94 …
によれば、不自由とは、思うようにならないこと。不足や掛けた点があって困ること、不便なこと、またはそのさま。と載ってます。これらの反対が、自由とは言えませんね。

自由といっても、現在日本で使われている意味には、様々なものがあります。
http://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E7%94%B1
全ての反対が不自由とはとは言えませんね。意味的には、「非自由」「否自由」の方が合っていることも有ります。

「自由が利く」の自由の反対が、不自由、かな。
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