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過ぎ去った時間は無限に続くが、我々は過去を呼び戻し感受することはできない。

未来の時間もまた無限に続くが、我々は未来を呼び出して感受することも出来ない。

しかし今現在、すなわち感受表面は過去と未来が接触する一瞬の時間であり、過去でもなく未来でもなく唯一我々が感受することが出来る一瞬の時間であると考えられる。

するとこの今現在とは無限なる時間の中にあって唯一つしかない特別な時間なのであろーか。
 
そして今生きている我々だけがこの特別な時間である今現在を感受できるのは何故であろーか。
 

 

A 回答 (7件)

こんにちは。




感受表面は現在だけだと思います。
人間にとって、過去とは、記憶であり、その記憶の想起、そのもの。この二つがなければ、過去など存在し得ない。しかも、過去の想起は、現在においてのみ行なわれるもの。その意味において、過去とは現在の一形態にすぎない。
のではなかろーか。
未来とは、予測と期待である。それさえも現在に行なわれるものである。未来も現在のことであり、現在という瞬間以外に未来はないのではなかろーか。

というのはいかがでしょうか。


~~~~~~
するとこの今現在とは無限なる時間の中にあって唯一つしかない特別な時間なのであろーか。
~~~~~~
一人一人で固有なものであって、その意味においても、特別な時間だと思います。
時間の共有性は、生物or主観的時間を根拠に、普遍的な時間が外在するという仮定から導き出されるもので、幻想にしかすぎないと思います。



~~~~~~
そして今生きている我々だけがこの特別な時間である今現在を感受できるのは何故であろーか。
~~~~~~
過去の記憶があるからではないでしょうか。たぶん、これがなければ、そこには単細胞生物が見せるような刺激に対する純粋な反応しかないと思います。はたして、これを《感受》と呼んでいいのか、疑問に思います。




ところで、
世界五分前仮説なんていうものもございます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E7%95%8C% …
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この回答へのお礼

>世界五分前仮説なんていうものもございます。

世界は五分前に誕生したとゆー説、

世界は5500年前に誕生したとゆー説、

はたまた世界は137億年前に誕生したとゆー説、

色々あるが、これらは全てバカげた考えに過ぎません。

なぜなら万物の根源、宇宙の法則であるアルケーの神はゆーておるからです、時間であろーと空間であろーと宇宙は常に無限であると。

アルケーのゆーことが一番正しい。
 
あ~、アルケー。
 

 

 

お礼日時:2012/11/11 22:12

厳密に言えば、と言うか、事実を言えば、「今」は私たちそれぞれの頭の中だけに存在します。

周囲に存在する、正確には、存在していた(今もあるかわからないから=代表例は星)全ては過去です。光にも速度がありますから、例え1メートル前の物でも過去の姿を見てあることになります。もちろん、宇宙には、何処にでも今がありますが、それを今同時に把握、認識することは不可能です。従って、私たち全員が「今」を共有することは、不可能です。
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No.1 お礼欄 >>>


今現在はもちろん共有可能です。
今現在なる時間は我々を含めこの宇宙に存在する全ての生き物にとって共有されると考えます。
それが故に我々は時計を用いて時間を伝え合うのではないでしょうか。

しかし時間は無限であっても今現在なる一瞬を除いて我々が感受できる時間は他に無いのであるから、やはり今現在は無限なる時間の中にあって特別なものであると考える以外ないのではないでしょうか。
<<<

想定する概念の相違で、そうならないこともあります。特に「それが故に我々は時計を用いて時間を伝え合うのではないでしょうか。」というのであれば、なおさらです。

光速度一定という原理を想定する場合、「今」という概念と、「ここ」という概念の両方が必要になります。両方合わせて「今・ここ」です。

光速度一定では、100万光年離れた彼方での「今・ここ」は、100万光年離れた「今(地球)・ここ(地球)」においては、「100万年前・ここ(地球)」か、あるいは「今(地球)・100万光年彼方」としてしか認識不可能だということです。
ベテルギウスが超新星爆発を起こしたとしても、640光年離れているので、ベテルギウスでの「今・ここ」は、地球上での「640年前・ここ(地球)」であり、「今(地球)・640光年彼方」で何が生じているのかは、想像の域をでない(分からない、共有不可能)ということです。

無論、想定する概念を「光速度一定という概念に縛られずに、したがって時間・情報を伝え合わずに、たとえ100万光年離れていたとしても、今現在を全宇宙に同時に想定する」とすれば、仰るとおり「感受」できるでしょうが、空想・想像・仮想・架空という脳内での知的思索の範疇を逸脱し得ないということになるでしょう。

でなければ、100万光年の「光年」という概念が生きてきます。光は真空中を1秒間に地球を7周半分進むことができるので、地球上の人間にとっては0.1秒程度以下の誤差で「今・ここ」を共有可能なわけです。

地球上では、どちらの「想定」が優れているとか言った問題にはならず、多少の時間のズレが内在されていたとしても、「今・ここ」として共有しあえる「特別さ」というものを感じ取れるということです。

更に付け加えるならば、「光速度一定」という概念を時空間(宇宙全体)の「どこにおいても」想定しうるゆえに、「今(地球)・ここ(地球)」が、時空間(宇宙全体)から切り離されずに繋がり合っているという「特別さ」を感受することもできます。

いずれにしても、何に対して「特別さを感受するのか」は、それぞれの想定・視点の差になるのでしょう。。。
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この回答へのお礼

有難うございます。

>ベテルギウスが超新星爆発を起こしたとしても、640光年離れているので、ベテルギウスでの「今・ここ」は、地球上での「640年前・ここ(地球)」であり、「今(地球)・640光年彼方」で何が生じているのかは、想像の域をでない(分からない、共有不可能)ということです。

上の話、1つ疑問があります。

例えば、100メートルの距離をおいて離れた2人が衛星電話を使って会話したとするとき、2人の声の間には約3秒ほどの時間差が生じるのであるから100メートル離れると時間は3秒違うなどと考えるであろーか。

上のベテルギウス超新星爆発の話における「640年前・ここ(地球)」なる考えはこれと同類のものではないでしょーか。
 

お礼日時:2012/11/11 07:00

物理的に時空を図表にする時、そこには原点(座標0)が


あります。
しかし、実際それはどこでしょう?
「感受表面が現在」といっても、それは有限な広がりを
持っています。
脳の中心でしょうか?それはどこでしょうか?

実際は、感受表面での量子相互作用=光速に対し、
超光速=過去=記憶=時間的流れ=自我仮説と
光速下=未来=予測=空間的広がり=時空仮説の
相補分化として、内外に分かれているのです。
それを外側に重ねる事で、時空的存在性は派生して
いるのです。
絶対化による無=不確定性無限の潜在としての認識
可能性の移動により、相対的に無は風となる。

量子性=時空仮説に対する無の射影=相対性理論の
四次元ミンコフスキー空間において時間軸が虚数である
事により、時・空軸の等距離点が0(界面原点)となる。
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この回答へのお礼

 
>物理的に時空を図表にする時、そこには原点(座標0)が
あります。
しかし、実際それはどこでしょう?


すると時間の原点は宇宙の始まりである137億年前であるなどとゆーありきたりの結論に達するゆーことでしょうか。


>「感受表面が現在」といっても、それは有限な広がりを
持っています。

なぜ感受表面が有限であると初めから結論出来るんでしょうか。
無限かも知れんのに。
 

>絶対化による無=不確定性無限の潜在としての認識
可能性の移動により、相対的に無は風となる。

風とは何か、
何かの物理現象のことなのであろーか、
無に風が吹く訳はないと思うが。
 

お礼日時:2012/11/11 09:37

> 過ぎ去った時間は無限に続くが、我々は


過去を呼び戻し感受することはできない。

初歩の初歩の段階で、人一個人に与えられている
次元・世界が、どうやら無限であるらしい、というのを
私は経験させられた事があります
そして、現世に於いても、、実は人は、個有の次元で
生きているのだという事なども

真の優れた段階になれば、過去・現在・未来への
実感は変わるようですし(少なくとも過去は経験出来、
共有・追体験・来訪などが出来るらしく)

そのような段階の人々が、現実にいるという事は、
初歩の段階というのは、有効な時間の中での、
経緯である事を感じられるのではないでしょうか?
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暇なときの、暇なダベリングだと思って、適当に書きます。


 
hitonomicji23さんが書いた時刻と、掲載された時刻、前回答者の回答が掲載された時刻、私が回答を書きつつある時刻、その回答を掲載し、どなたかが開く時刻は異なっていても、当人は「今現在」などと思って、そのように書きます。書籍などの最新版と同様で、何が今現在、最新、Nowなのか、わかりません。
人間が時間の流れを意識するとき、その対象や内容は結構曖昧です。現在も、過去も、未来も同様です。現在の日本は、過去の人は、未来の社会は、私の未来はなどでも、その区切りは固定的ではありません。
現在だけが特別なのではなくて、過去も、現在も、未来も、特別かどうかの判断基準の設け方次第で決まります。
 
現在がただ一つだとして、過去もいくつもあるわけではないです。未来は存在するかどぅかわかりませんが、存在すれば一つだけ存在します。
 
感受するととのことですが、感覚器だけが感受するのではなくて、最終的には脳が感受する内容を決定し、過去のことを思いだして悲しんだり喜んだり恐怖に駆られたりもします。試験前や失業不安など未来の出来事に緊張や不安を感じたり、子供の出産を前に幸福感を持ったりもします。感受しているのは今の私であっても、対象は過去だったり未来だったりするのです。夢は今の自分が見ているのですが、その夢の中では過去の自分が悲しんだり喜んだりしています。
 
「今生きている我々だけがこの特別な時間である今現在を感受できる」と言い切れるか。難しいと思います。
 
感情に関して言えば、心理学では、他人の感情に共感したり、引っ張られたり、影響したりもすることがわかってます。感情だけでなく、他人の行動や集団の状況に関して、外国の昔のことでさえも、書籍などを通じて、理解、感受することも出来ます。 また、感受という言葉ならば、「感受=印象などを感じて心に受けとめること。【稲妻のように鋭く葉子はこの男の優越を―した】」のように、抽象的概念にも使えます。「優越」「敗退」「勝利」「衰退」「真理」「善」「悪」「偽善」「隆盛」「緊張関係の高まり」「信仰の広がり」「神の啓示」について感受するのは、まさにそのときだけでなく、書物などを読んでいて過去の出来事関係からも感受することができます。小説などで昂揚や興奮を感じている状況を、「この特別な時間である今現在を感受している」とは普通は表現しないでしょう。
 
本当に未来に起きることを現在に起こすことは出来ませんが、未来に起きることを勝手に想像して感受することも出来ます。不安や恐怖など、希望や興奮、緊張などの多くはそうしたことで感受するものです。別れの予感などで悲しみや孤独感に浸ることもあります。老人や病人、失業した人は、先々のことを想像して不安や孤独、孤立、絶望などを感じるのでしょう。
「未来を呼び出して感受することも出来ない」という場合、このようなケースはどう考えるのでしょう。
 
「感受」している人物のいる時間の流れと、「感受」している対象の事柄の発生している時間の流れとは、それぞれ別に考えることも出来ます。
 
「感受」のことを時間に絡めて考えるのではなくて、「感受は感受」、「時間は時間」でそれぞれ考えた方が、こんがらからなくて、考えやすくなるのではないでしょうか。
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「今現在」を共有可能だからこそ「我々にとって」という言葉を発しうるのであれば、それは「特別」ではないであろう。


「今現在」を共有「不可能」で、「我にとって」と「他にとって」とが異なるのであれば、それは「特別」であろう。

「今現在」を「共有可能」だからこそ、「我々」という「特別な」存在がありうるのではないだろうか?
「今現在」を「共有不可能」な人々・生命は、「我々」とは異なる存在なのではないだろうか?

「認識不可能な存在」を想定してはじめて「我々」に関連するものごとを「特別」だと認識しうるのではないのだろうか?
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この回答へのお礼

 
御回答有難うございます。

>「今現在」を共有可能だからこそ「我々にとって」という言葉を発しうるのであれば、それは「特別」ではないであろう。

今現在はもちろん共有可能です。
今現在なる時間は我々を含めこの宇宙に存在する全ての生き物にとって共有されると考えます。
それが故に我々は時計を用いて時間を伝え合うのではないでしょうか。

しかし時間は無限であっても今現在なる一瞬を除いて我々が感受できる時間は他に無いのであるから、やはり今現在は無限なる時間の中にあって特別なものであると考える以外ないのではないでしょうか。
 

お礼日時:2012/11/10 16:34

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