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高校2年のものですが

清少納言が、「さては、扇のにはあらで、海月のななり」と発言したのは何に対する返答か。
その一文を抜き出せ。

という問いがあったのですが、まず解答候補として 
「さらにまだ見ぬ、骨のさまなり」
「まことにかばかりのは見えざりつ」

の二つが考えられますが、 僕は、まず清少納言の発言は 中納言に対するものなので
中納言のセリフである「まことにかばかりのは見えざりつ」 が適当であると思います。

しかしその問いの答えは、「さらにまだ見ぬ、骨のさまなり」 となっていました。
しかしこれは、中納言ではなくほかの人が言ったセリフであるから不適当だと思います。

なぜこのような解答になるのでしょうか教えてください。

A 回答 (4件)

 2番回答者です。

お礼中の再質問を拝見しました。

> 中納言の言った「まことにかばかりのは見えざりつ」

 かばかりの=これほどの とは、

 "これほどの"映画は見たことがナイ、"これほどの"演奏は聴いたことがナイ、とは、実際にすばらしい名画を見たり、すばらしい演奏を聴いたりして、体験して、以前見たり聴いたりしたものと比較して、それで初めて言える言葉ですよね。

 映画を生まれて初めて見た人は、「これほどの映画は見たことがない」とは言いませんから。

 なんどもくどいですが、「かばかりの」「これほどの」という言葉は、「前にした体験」と「比較」するときの言い方なのです。

 つまり中納言の「まことに"かばかりの"は見えざりつ」とは、最近入手したすばらしい骨を「ほかの、見た事がある骨と比較して」言っているわけです。言外に「いろんな骨を見てきたけれども」と言っている言い回し(表現方法)です。

 「扇の、いろんな骨を見てきたけれども、これほどすばらしい骨は見られませんでした」という意味になります。

 中納言が過去に何度も骨を見たんなら、それらの骨はクラゲの骨ではありえませんよね。

 見た事があって、クラゲの骨ではありえない物に対し、「誰も見たことがナイなら、それはクラゲの骨でしょう」と言っても、会話がなりたちません。(もちろん、何度も見た骨ならクラゲの骨でしょうという話も冗談にならない:クラゲに骨はないから)

 そこまではいいでしょうか。


 それに対して、

> 「さらにまだ見ぬ骨のさまなり」

 とは、 「さらに(まったく) まだ見ぬ(まだ見たこともナイ) 骨のサマなり(骨のようすだ)」 という意味です。

 これも、質問者さんがお書きの通り、すばらしい(扇の)骨を見ての感想なのですが、「言葉としては」、どこにも「実際に見た」という意味が含まれません。むしろ「見たことがナイ」と言っています。

 「骨だ」とは言っていますが、扇の骨だ、とも、言葉の中にはナイです。

 特別に、扇の骨だ、前に見た骨と違う、というような意味(例えば比較の意味)を持たせる言い回し(表現)でもありません。

 「全然見たことがナイ骨だ」という意味です。文章的には。

 となると、

 「さては、(誰でも見た事があるはずの)扇の骨ではなくて、(誰も見たことがないなら)クラゲの骨なのでしょう」という清少納言の言葉は、どちらの言葉に向けられたジョークなのか。

 ですよね。当然、多くの人が言った言葉に対して、だと思います。

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 蛇足です(わからなくてもいいです)が、ご紹介の文の後で、中納言が清少納言に「そのギャグ、私が言ったことにしたい」みたいなことを言っていたと思います。

 自分の言葉に対して言われ得た冗談(クラゲの骨)ではなく、ほかの人が言った言葉に対しての冗談だから、「『見たことがナイ』と言っているほかの者たちに、見たことがナイならクラゲの骨だな、と、私が冗談を言ったことにさせてもらいたい」というふうに言えたんだと思います。

 自分のボケに対して突っ込まれた言葉(ギャグ)をもらっても意味がありません。

 ほかの人がまた「見たことがナイ骨だ」と言ったら、今度は自分が「見たことがナイならクラゲの骨だろう」と突っ込みを入れる。そして突っ込まれた人たちから、「すばらしい突っ込みだ」と感心されたいということだろうと思います。
 
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この回答へのお礼

返答が遅くなり失礼いたしました。
ありがとうございました!
素晴らしくわかりやすい回答に目からうろこが落ちる思いです!
さらに補足も加えていただいて!
とてもよく理解できたのでベストアンサーに選ばさせていただきました。

重ねて、ありがとうございました。

お礼日時:2014/06/04 19:29

 まず、「何に対する返答か」という問いが間違っています。

誰も問いかけなどしていないのです。中納言殿が中宮に献上する扇の骨を持ってきて、この骨は素晴らしいできばえの骨だから、ありふれた絵や文字を書いた紙を貼るのはふさわしくない、という話をしただけです。その話が発展した結果「まだ見たことのない、素晴らしい骨だ」という人があるという話になっていったわけです。この話は中宮やそのそばに仕える女房(清少納言も含まれる)たちが聞いていました。
 その時、反応したのが清少納言で、「(見たことがないというなら、)それは扇の骨じゃなくて、海月の骨でしょう」と言ったという自慢話です。中納言がした話の中には「どんな紙をはればよかろうか」という問いかけはあったのかも知れません。しかし、清少納言は別の反応をしました。このような機知に富んだ話は外にも「枕草子」に出てきます。さすがに筆者自身は、自慢話を書き残したくないと思うけれど、他の人たちが「一つも漏らさずに書きなさい」というので(いやいや)書き残したと、取り繕っています。
 しかし、中納言や中宮のど周囲の人々がその機知ある話を期待していたのは事実でしょう。だから「そのネタはわたしがもらっておこう」とまで言ったのです。

 誰も清少納言に問いかけていないけれど、「見たことのない骨」に反応して話のネタにしてしまった、という話です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
申し訳ございません。私の表現がよくありませんでした。

「この発言はどの部分を受けたものか?」

という表現にするべきでした。
ご迷惑おかけいたしました。

お礼日時:2014/05/16 19:03

 質問者さんがお書きの通り、清少納言の発言が、中納言の発言を受けた(中納言の発言に対する)返答だということは明らかなのですから、



> 清少納言が、・・・ 発言したのは何に対する返答か

 という設問は、「中納言の発言の内の、どの部分に対する返答か」という意味に解するべきなのではないでしょうか。

 どれが中納言の発言かというと、 

 「ほかの人もね、『まったくまだ見たことのない骨の様子だよね』って言うんですよ。ほんとにね、これほどの骨は見たことがないんですよ」という発言の"全体"が、中納言の発言なのです。

 ですから、2つの回答候補のどちらも、候補として失格はしていないのです。

 そこで、「扇の骨じゃなくて、くらげの骨なのでしょうね」という清少納言の言葉が、2つの候補のどちらにふさわしいかという判断になります。

 質問者さんがあげられた部分は、純粋に中納言自身の感想ですが、それは目の前に「骨」を見たうえでの感想です。

 清少納言の発言は、「クラゲの骨」について言っています。つまり誰(中納言を含む)も見たことのない骨について言っている言葉ですので、質問者さんのあげた「骨を見たうえでの感想」はふさわしくありません。

 ゆえに、清少納言の発言は、「さらにまだ見ぬ、骨のさまなり」という部分を受けての発言だ、と理解し、その部分を抜き出すのが正しいと思われます。
 
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
しかし、私の理解が足りず、せっかく回答いただいたのに理解できません。

人々が言った「さらにまだ見ぬ骨のさまなり」
中納言の言った「まことにかばかりのは見えざりつ」
この二つはどちらも、目の前に「骨」を見たうえでの感想であり、
どちらも、「クラゲの骨」(=誰も見たことがないほどすばらしい骨)
に対する感想であるとしか思えません。

そして、最後から2番目の段落の、
「クラゲの骨」に対する感想と 「骨を見たうえでの感想」
の何が違うかがわかりません。
元の発話者こそ違うものの、同じものに対する同じ感想としか思えません。

再度、質問させていただきました。
よろしければもう一度回答願います。

お礼日時:2014/05/16 07:52

http://www.manabu-oshieru.com/daigakujuken/kobun …

一応、これを読んでみてください。↑

役に立たなかったら、ごめんなさい。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。参考にさせていただきました。

お礼日時:2014/05/16 07:53

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