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「現代音楽」というカテゴリーが新しく設けられて、どんな質問が出るのかと楽しみに見てきました。これまでの質問を見てきて、「現代音楽」のイメージは人によってさまざまなのかなと感じています。

私自身はこれまで、「現代音楽」は、音楽の歴史のなかのある限られた種類のものを指すと思ってこの言葉を使ってきましたが、これは独断的なものだったように思えてきました。

そこで、みなさんが「現代音楽」と聞いたときにどんな音楽をイメージするのでしょうか、また、この言葉は、これからどんな意味で使っていくのがいいのでしょうか。できるだけ幅広い方からの意見がいただけるとうれしいです。

A 回答 (8件)

私も同様にいつもこのカテゴリーに寄せられる質問に違和感を感じていました。


やっぱり、「現代音楽」というと、戦後の前衛の音楽から今現在に至る音楽のことを連想します。だから、このカテゴリーが出来たときは、前衛の時代の音楽、多くの人が理解できないで、あんなものは音楽ではない、感じる音楽、について、いろいろな話ができると思って、とても楽しみでした。でも、実際には、このカテゴリーでは、現代音楽=今のポピュラー・ミュージック、ジャズ、等を指すものとして、認識されているみたいですね。
おそらく、理由は、クラシックよりも、ポップやジャズの方が若い人に人気がある、ということによると思います。前衛の時代の音楽や、日本の武満徹、湯浅譲二、石井眞木のような音楽のことを、語れる人やそこに興味を抱く人は、ほんの一握りの人しかいないです。それ故に、このカテゴリーに寄せられる質問も、ポップやジャズに限られてしまうのでしょうね。

私たちの世代では、「現代音楽」は1945年から今に至るまでのことを指すと認識していますが、あと100年くらいたてば、この認識は消え、1945-1960年代までが「前衛の時代」、1970代が「引用・ミニマル・ミュージック・新ロマン主義」の時代、という認識に変わっていくと思います。ロシアのアヴァンギャルドとして世紀の変わり目の音楽を先導したスクリャービンも、その当時は「現代音楽」と認識されていたので‥。
1980年代や1990年代はまだ最近のことなので分かりませんが、1990年代の後半あたりから、過去の前衛の時代の語法の上に旋律を乗せるという新たな傾向が見え始めて(ベンジャミン、マクミラン、田中カレン、一柳慧etc)、また新たなる時代の転換が起こり始めています。
前衛の時代の根本的思想は、「伝統の否定」「過去との断絶」にあります。そのため、旋律を書くという行為は、古くさい行為、時代遅れな行為、と認識され、前衛の時代に旋律は姿を消しました。ところが、前衛の時代の語法が枯渇し、引用の時代も終わり、新ロマン主義の時代を通った今になってようやく、トーン・クラスターの響きの上に、それまで否定された‘旋律’を乗せるというような音楽が生まれました。機能和声を使用せずに旋律を書くにはどうしたらよいのか、という問題を、今の作曲家がようやく克服しつつあるためです。

「前衛の時代」の作曲家が「過去との断絶」を求めたのは、それまでの機能和声法や伝統的な形式を使用して音楽を書いても、他人の模倣にしかならないためです。シューマン・リストは偉大ですが、ベートーヴェンがやったことを、ロマン派的に、別の解釈で、別の表現の仕方で行っただけで、ベートーヴェンのヴァリエーションにすぎません。それは、過去の語法を使用した別の表現であって、ベートーヴェンの思想を借りて生まれたものです。中身を少し変えてヴァリエーションしただけで、結局はベートーヴェンの模倣です。
そういう行為を多くの作曲が繰り返して行い、やがてはマーラーのようなソナタ形式のような極限の姿にまでなり、シェーンベルクの12音技法が生まれましたが、その根本的思想には常にベートーヴェンがありました。
ところが、前衛の時代の作曲家は、他人の模倣から逃れるために、様々なシステムや新たな音響を求め、例えば、シュトックハウゼンならば、「過去との断絶」を「瞬間」という形で表現し、常に「今」「今」「今」となる、音楽を偶然に委ね、無意識に進行させる、という「瞬間形式」というものを生み出しました。「今」「今」「今」「偶然」「無意識」なので、「過去」は生まれないわけです。
よく、「内なる声を表現して、自分を表現したい」ということを述べる作曲家がいますが、「内なる声」とは「自分の経験」「過去の音楽」であって、他人の模倣、他人のヴァリエーションにしかならないため、そういう作曲家は、オリジナリティがないため、真に表に出ることはできません。そのような他人のヴァリエーションであるような音楽も、それはそれで素晴らしいので、私は大好きですが‥。

過去の音楽に馴れている人に、また、過去の音楽しか自分の経験の中にない人に、その過去の音楽の否定から始まった「前衛の時代」の音楽は理解できないのは当然のことなので、私には理解できないという人の気持ちはよく分かります。
でも、もう少しくらい、このカテゴリーにも、武満徹のことやブーレーズ、シュトックハウゼン等のことがでてきてもいいと思いますが、そういう音楽を知っている人は、ほんとにごくわずかなのでしょうね。ポップやジャズに比べたら、いないに等しいくらいの‥。

長くなりました。余計なことまで、いっぱい書いてしまいましたが、どうかお許し下さい。
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この回答へのお礼

 きっとこの質問は、lutowinnの目には留まるだろうと期待していました。さすがに見事にまとめていただきました。私は、この分析に加えて、第2次世界大戦直後にこれらの音楽が盛んになった背景として、大戦の荒廃と過去の遺産への懐疑というものを見逃せないと思っています。「過去との断絶」は同時に「そもそも音楽とはなんだったのか」という「原点への回帰」なのだと思うのです。
 このカテゴリーがわれわれの期待と異なる質問で埋め尽くされているのは、何より日本は平和だということの証かもしれません。

 それにしてもそういった質問をされている多くの皆さんからはこの質問はほぼ完全に無視されてしまいました。まことに残念です。

お礼日時:2004/05/25 13:35

音楽については全く素人であります。



「現代音楽」と言えば、スティーヴ・ライヒ、ケージ、高橋悠治といった感じです。
いわゆるJ-POPやロック、ポップスなどは含まれないと思っていました。なので、ここのカテゴリを覗くたびに若干の違和感を感じておりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私もこのカテゴリーに寄せられる質問に違和感を感じていてこんな質問をしたわけなのですが、予想外にも、私と同じような感じ方の方が結構いらっしゃるのが分かりました。

それにしても、このカテゴリーに「現代の音楽現象」と言う理解で質問されていた多くの方々の反応が意外に少ないのですが、どなたかその立場からこのカテゴリーは今のままでいいのか、ご意見ください。

お礼日時:2004/05/22 12:50

音楽に限らず「現代」というとき


■歴史区分の上の「近代」の次に来る「現代」。
 主に第一次大戦後から1970年代までの期間。
という意味と、文字通り「今」という意味とが
ゴッチャになっていることが多いですよね。
現代思想とか現代美術とか現代建築とか。

音楽史上の一区分としての現代音楽は
ブレーズ、メシアンに代表される一連のアカデミックな
音楽のことを指すと思うのですが
実際にレコード屋さんなどに行くと
クラシックでもポップス、ロックでもない
ニッチな音楽が一緒になって並んでいることが多い。

似たような例として
プログレッシヴ・ロックというのがありますよね。
60年代後期から70年代中期に確立したロックの一スタイルで
当時は文字通り進歩的なロックだったのでしょうが
2004年の今となっては昔のスタイルな訳です。
だから、スタイルとしての「プログレ」以降の
文字通りプログレッシヴなロックは
オルターナティヴとかアヴァンギャルドとかエクスペリメンタルとか
ニューウェイヴとかニューエージとか
結構、名づけに困ってますよね。

こういう問題って、哲学好きな人には
記号論を語る上での格好の素材だったりするのでしょうが
そんなの音楽好きにはあまり関係ない話ですよね。
コンスタティヴな現代音楽/パフォーマティヴな現代音楽、って分けても
仕様がないでしょう?

で、実も蓋もない意見なのですが
言葉なんて各自が勝手に解釈すればイイと思うんですよ。
その人の解釈が、その時代に於ける主流か/亜流か?といった
問題が出てくるかもしれませんが
その主流か/亜流か?の基準も、時代によって変わるでしょう。

私がスティーブ・ライヒが好きです。
スティーブ・ライヒが現代音楽か否か?には興味がありません。
レコード屋によって置いてある区分が違うのが玉に瑕ですが
それがノーマークだった音楽を知るキッカケになったりするのですから。
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この回答へのお礼

おっしゃる通りだと思います。

音楽史の事件としての「現代音楽」が「現代の音楽」ではなくなってしまっているのでしょう。「アルス・ノヴァ」のように、むかしの「新音楽」がそのまま音楽史の用語になってしまっているのもあるのでそれもいいのかもしれませんが、ライヒはレコード屋さんのどこにあるのか分かるような整理が必要な時期に差し掛かっているのかもしれませんね。

お礼日時:2004/05/22 12:46

実際は「Contemporary」でしょうが、クラシックに対応する現代音楽では質問する人も数も少なすぎると思いますので、J-POPやニューミュージック(この言葉もなんか古そう)などをさしているのかなと思います。


やはり「コンテンポラリー」が一番あっていると思いますが、殆どの人は意味がわからないのであえて使用しないのでは。
自分の中では現代音楽は楽譜を見ただけで思わず考え込んだり、笑ってしまうような音楽だと思っています。

この回答への補足

 ここまでご回答いただいた5名の皆さんにお礼申し上げます。
 私自身の中には「現代音楽」ということばは「現代の音楽」という意味とは別の音楽史的な位置づけがあって、特に20世紀の半ばでもっとも盛んになった音楽そのもののあり方に戻って音楽作りを見直そうとした動き(それは同時にとても前衛的でもあった)を中心に考えています。No.3の方のように、YMOを日本の「現代音楽」というとき、明らかに私とは違うスタンスにあると思うのですが、単純に「現代の音楽」でもないような気がします。こう言われるとき「現代音楽」ということばがどんな響きを持っているのかに興味があります。

さらに多様な意見が伺えればうれしいです。

補足日時:2004/05/20 10:06
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私のイメージする「現代音楽」は、



難解、緊張、意味不明  です。

なぜかといいますとわけがありまして。。

毎日音楽コンクールというコンクールは御存じでしょうか、日本でも有数の大きな音楽の登竜門的なコンクールですが、そこに作曲部門というのがありまして。
テレビで放送されるので見ていたんです。オーケストラなのに、非常に聞いていて苦しかったですね。良さがわからないものが優勝になっていました。
その時の基準が、「既存のものをうちやぶれたかどうか」といったような審査基準だったと思います。

また、現代音楽をよく聞いているという人と話したこともあるんですが、その人に聞いた話では、
「レコードに数十分なにも音が入っていない曲」があるそうです。リサイタルもするんだそうですが、、舞台に作曲者がぽつんと座っていて、時間がくるとおじぎをするんだそうです。。

もしかしたら私の場合は、「前衛音楽」というイメージが入っているかもしれません。

1個人のイメージっていうことでお許しください。
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私が思う「現代音楽」とは、”打ち込み”を多用した楽曲かな、と思います。



個人的にはなんか無機質な感じがして好きではないのですが、人間の手では表現し得ない音を作り出せる”打ち込み”はある意味、作り手の表現の幅を確実に広げたのかな、とも思います。

そういった意味では、日本の「現代音楽」の祖とも言えるYMOなどは今日のミュージックシーンの礎を築いた偉大なアーティストだったと思います。
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本来は、クラシックの中の【古典】【ロマン派】【近代】【現代】


のジャンル分けで使われる言葉なんでしょうが・・
ここでは、どうなんでしょうね??

皆さんがカテを勘違いしているのか・・
カテの表現が適切でないのか・・

見れば、《クラシック》とは別に《現代音楽》と言うカテになっているので
クラシックの中の・・と言う意味では無いのかもしれませんね。
私も気になっていました(笑)
言葉って難しいですね。
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私はジャンルでいうとクラシック音楽ですね。



作曲家の武満徹さんの曲かな。
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