最近、完訳版の「海底2万里」を読みました。
そこで疑問に思うことがありました。 この本、発行された当時は、どのような人を読者層としていたのでしょうか? また、どのような人をターゲットにして書かれた本だったのでしょうか?
以前、子供むけの「海底2万里」を読んだときは、細部がかなり省略されていて、まさに子供向けの冒険小説になっていましたが、完訳版を読むと、そうではなかったことがわかりました。
まず、潜水艦ノーチラス号とノーチラス号に関わる海の物理・化学・生物などの科学知識の記述は、現代の日本人が読んでも、一部難解な部分があります。 高校程度の科学全般が得意科目の人でないと、科学的な内容を理解しながら読むのは難しいと思います。 とくに博物学的知識が多岐にわたります。
また、過去の文学作品、歴史作品を持ち出しての比喩も多数あり、これにつていは、日本語訳者の注がなければ、お手上げ状態でした。
そんなわけだったので、読み終えて「19世紀のフランスやイギリスでは、どんな人がこの本をよんでいたのだろうか?」ととても気になりました。
よろしくお願いします。
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
#3です。
質問者さんをよそに、回答者間のやりとりになってしまうことを危惧するのですが、自分としては、#4、#6の方の回答には教えられることが多くありました。
それをふまえた上での自分の結論を、簡単に述べさせていただきたいと思います。
>ヴェルヌの視野はもっと広く、「地球的意味の世界市民主義」をヴェルヌは考えていた可能性があります。
このご指摘は、非常に納得できるものです。
それでも、というか逆に、だからこそ、このことは次代を築いていこうとする少年層を、読者として想定していたことにはならないでしょうか。
未来を予見することができたヴェルヌであったからこそ、技術革新がもたらす危機を予感し、科学技術を使いこなすためには新しい思想が、さらにいえば「新しい人間」が必要である、ということは、十分に認識していたはずです。
むしろ、技術革新よりも、人間の意識を変えていくことのほうがむずかしいことを知っていたのではないか。
だからこそ、たとえ理解することはできないにしても、#6の回答でおっしゃられた「地球的意味の世界市民主義」というものを、少年層の心のうちに胚胎させていくことの重要性を感じていたのではないでしょうか。
潜水艦や、見たことのない海の底の光景にワクワクしながら読み進んでいく子どもたちに対して、「未知の言語」を話す「新しい人間」たれ、と、ネモ艦長やノーチラス号の乗組員に託して語っていたのではないか、と思うのです。
以上、何度も失礼いたしました。この回答は討論を意図するものではないこと、#4さんの見解には大筋で同感していることを再度あきらかにして、回答を終了したいと思います。
自分としては、こういう回答者間のやりとりは、全く気にしていません。 何かについて興味があり、深く考えている二人が出会ったのなら、自然なことだと思います。 もちろん、それを読ませていただいた私もとても楽しませていただきました。
質問をわかりやすくするために、科学技術的方向にしぼって質問したのですが、本当は、ネモ船長を媒体にして表現される科学への見方、「復讐」を中心にすえたネモ船長の心理への興味も強くありました。
また、ベルヌを単純にアトムの「手塚治虫」と同一視しては駄目だと思いますが、「進んだ技術が人を幸せにするわけではい」的な視線には、共通したものを感じます。
科学や、それにともなった進歩に対する盲目的な信仰に魅力のなくなった現代で生活する私から見ると、すくなくとも、ベルヌには、そういう姿勢が見れると思います。
だから、ある意味ハッピーエンドではない、ネモ船長とクルーにとっては悲壮な最期で話が終わっているのも納得できるのです。 復讐をはたした→バンザーイ→かたきをうったよ!的な終わり方ではない。 むしろ、ネモ船長の復讐後の幽鬼のような虚脱感の漂う描写は、復讐を糧にして生きた者の明るくない結末です。
でも、それを作者は責めていない、「復讐に生きるのは駄目ですよ、あなたの家族も望んでいない」的な、お説教じみた雰囲気は少しもないんですよね、あれほど復讐にかけた人間を描いているのに。
だから、ベルヌは、ネモ船長のような聡明な人物でもとらわれてしまった復讐というどうしようもない感情が、人間の一部だと認めたうえで、それとノーチラス号で表現されるすさまじい科学力との対比を描いているようにも感じられました。
No.6
- 回答日時:
英明な知性を持ち、博学にして専門的知識の燦然としたオーラに満たされた回答者に、深く敬意の言葉を献げます。さて、本文は簡潔に述べます。
わたしは、五つの作品を主要作品として挙げました。これは何故かということがあります。
まず、「地底旅行」と「海底2万リーグ」は、どちらも科学技術啓蒙小説で、冒険小説だというと似ていますが、「根本的な違い」があります。それは、前者には、ヴェルヌの「理念・思想」等の表明・メッセージが入っていないといないということです。
しかし、「海底2万リーグ」は、ヴェルヌとしても、作家として地位をある程度築いた時点であったので、自分のメッセージを込めた作品を書こうとしたのだと考えられます。そのメッセージは、簡単に言えば、「世界市民主義( Cosmopolitanism )」です。
この言葉をキーワードにすると、「未知の言語」の謎も解けて来ますし、ネモ船長とノーチラス号船員のあいだの堅い同志的結束も理解できるのです。ネモたちが使っている人工言語は、まったく西欧語にもスラヴ語にも関係のない、純粋な人工言語だと考えられます。文法も語彙も新しく造ったのです。そういう言語を造り、修得し、日常的に使用するという理由は、単に「西欧の世界国家と平和主義」ではなく、全地球的な「世界市民思想」が背景にあったとも考えるべきです。
ヴェルヌは、「地球的な視点」を持っていたのです。ボラピュクやエスペラントは、西欧語の文法を基礎に、語彙も西欧語から取り入れて、人工語を造りました。だから一般に普及したのですが、それ以前の人工言語では、まったくゼロから造ろうという試みもありました。ヴェルヌの場合は、ゼロから造ったことにした訳で、それはボラピュクの成功前には、ある程度、一般的でもあったのです。
(大蛸または大烏賊に絡まれた船員が最後にフランス語で叫ぶという印象的な情景があります。母国語を一切使わず、修得の困難な人工語を日常言語として使いこなしていたノーチラス号の船員たちは、非常に高い「理念的目的」を持っていたとしか考えられないのです)。
(ザメンホフには、祖国ポーランドの状況がいたいほど痛感されたのであり、「世界共通語」を造ろうというのも、「世界平和・世界市民主義思想」の故だとも言えます。しかし、ザメンホフの視点には、「西洋」しかなかったとも言えます。あるいは、それが当時の西洋では「現実的」であったのです。ヴェルヌの視野はもっと広く、「地球的意味の世界市民主義」をヴェルヌは考えていた可能性があります)。
実は、「空の征服者ロビュー」が、謎の人物が時代を超えた発明をして、仲間の秘密の同志と共に、飛行艇で世界中の空を回るという話で、海底が空中に変わったので、「海底2万リーグ」と非常によく似た話です。この作品にも「世界市民主義」のメッセージが入っていたと思います。
また、五つの主要作品の最後にある、1896「Face Au Drapeau」は、原題は「国旗に向かって」ですが、普通「悪魔の発明」というタイトルです。これは、原子力兵器を思わせる最終兵器を発明した科学者トマ・ロックと、この発明をめぐる列強の争奪が背景にあり、第一次世界大戦を、そして第二次世界大戦、ヒロシマやナガサキ、冷戦の核戦略を暗示しています。
重要なのは、記憶が間違っていないと、この作品に、ネモ船長とノーチラス号が出てくるのです。最後あたりの場面ですが、1869年の「海底2万リーグ」から、およそ27年後、ネモ船長は老人となっており、ノーチラス号はもはや動いておらず、ネモは、仲間達も少しずつ亡くなって行き、いまやわたしが残るのみだと、「悪魔の発明」の登場人物に向け述懐します。
ネモは理想のために戦い活動したが、世界の歴史は彼が願った方向には進まなかった。いまはただ、更なる厄災から人類が免れることを祈るだけだ、というようなメッセージであったと記憶しています(記憶が、間違っているかも知れません)。
壮年時代、作家としての地歩をようやく固めたヴェルヌは、自分の思想的メッセージを作品「海底2万リーグ」に込めたのですが、それは世間には理解されず、やはり科学技術啓蒙・冒険小説として受け取られたので、思想小説には自分は向いていないと自覚したのかも知れません。編集者にも大いに反対されたようですし。
そして三十年のときが経過して、世界の情勢が、理想として願った方向ではなく、危惧したような姿へと益々進んで行くことを凝視して、晩年のヴェルヌは、ネモとノーチラス号を再び登場させ、ネモの活動のその後の成果・結果を、世界の情勢の展開に応じて、ネモの口から語らせたのだとも思えます。
科学啓蒙・冒険主義作家として出発し、そのような地位を確立し、思想・メッセージ作品では「海底2万リーグ」などで試みようとしたが、才能がないためか、世が受け入れなかった為か認められず、科学啓蒙・冒険小説作家として、その後の生涯、活動を続けたヴェルヌです。最初から、英国のスウィフトの風刺小説の伝統を踏まえて、「社会批判・文明批判」の小説を書いてデビューしたH・G・ウェルズとヴェルヌを比較するのは、妥当とは言えないようにも思います。
ヴェルヌの場合、「海底2万リーグ」そして多分「空の征服者ロビュー」などが、彼に可能なメッセージを込めた、理念の表明の作品で、この場合、「教養ある成人をも」読者として想定していたのだと、わたしは考えるのです。だから、先の回答の最後に、こう付け加えたのです:
>「海底2万リーグ」の場合はです。他の作品では、青少年を読者に考えているものが多く思えます。
二度も詳しい解説ありがとうございます(^^)
まず、自分以外にも、この作品について考えるところのある方がいらっしゃったとことをとてもうれしく思います(自分とは比べたら失礼なくらい深く考えてらっしゃいますよね)。
ベルヌの時代と、それに関連した歴史の流れ、社会、思想…興味深いお話でした。時間をかけて読ませていただきました。
No.5
- 回答日時:
#3です。
非常に興味深い、かつ勉強になる回答が#4の方より出されました。
他の回答について意見のやりとりをすることは好ましくない、という規約も存じております。
なるべく規約に抵触しない形で回答の追加をさせていただくことを質問者さんにお許し願いたいと思います。
まず第一に、#4さんの
>ただ、このスタイルの話は、「科学啓蒙書」や「冒険談」の体裁を取って、青少年向き作品として販売層を設定しないと、アカデミックな立場の人たちからは、「荒唐無稽」とされ、高度な文学や芸術を論じていた人たちからは、所詮、「子供騙し」という評価を受けて、出版そのものが困難になるため、販売対象として、青少年を戦略上取らざるを得なかったのだろうというのが、私見です。
というのは、非常に鋭いご指摘だと思いました。
確かに、今日のようにSFというジャンルが確立されていなかった当時のことを考えると、そうした側面は否定できないと思います。
一方、中産階級の子弟の教育のために、イギリスでは1860年代から、教育・娯楽雑誌の存在が、きわめて重要なものとしてクローズアップされるようになります。
アンデルセンの童話やルイス・キャロルの作品を掲載した優れた雑誌が次々と刊行され、こうした中に現れた冒険小説を満載した雑誌のひとつにスティーヴンスンの『宝島』が連載されています(1881-1882)。
エッツェルはこうしたイギリスの動きを見ながら、青少年層を対象にした雑誌を計画していた時期(1862)に、ヴェルヌの『気球に乗って五週間』と出会い、即座に二十年間の出版契約を結び、彼の作品を発表する場としての『教育と娯楽』を創刊するようになる。
ヴェルヌが安定して執筆活動を続けることができたのも、特に初期のうちは、エッツェルの支援が大きかったと思われます。
こうしたことから、「販売上の戦略」というよりも、やはり当初から、青少年層を対象とする、という雑誌の第一義をヴェルヌ自身了解の上で執筆されたもの、という見方を、私は取りたいと思います。
個別この作品が、その範囲を超えるものであることを裏付ける根拠を見出すことはできません。
また、
>高度な文学や芸術を論じていた人たちからは、所詮、「子供騙し」という評価を受けて
の点に関しては、事実そうであったようです。
作品が与えた影響の広範さに比して、いわゆる「文学史」という範疇から見たヴェルヌの評価は決して高いものではありません。
むしろ、ダダイズム、シュルレアリズム、あるいは後のフ-コーに多大な影響をあたえた作家レーモン・ルーセル(1887-1933)が、ヴェルヌを熱狂的に愛好し、「あまりに深遠で謎の多い、またあまりに今日的な」と称したともあって、再評価され、多角的研究の対象となってきつつある、といった情況のようです(ここらに関しては、私は詳しくないので、具体的な情報はありません)。
二点目。
>また、もっと重要なポイントとわたしに思えたことは、ネモ船長を初め、ノーチラス号の船員たちが、「未知の言語」で話し合うということです。
確かにこれは非常に重要な点であると思います。
#3の回答で引用した「地球に必要なのはあたらしい人間だ」、あるいは、沈んだ金塊を「この地上に、苦しんでいる人びと、圧迫されている民族、救いをもとめているみじめな人びと、憾みをはらしてあげねばならぬ犠牲者たひ」のために役立てようとしていること。
また船室に飾られている銅版画は、ポーランドのコシューシコ、ギリシャのボツァリス、アイルランドのオコンネルといった、民族独立のために戦った人物、および、ワシントン、リンカーン、アメリカの奴隷廃止論者ジョン・ブラウンです。
こうしたことは、ヴェルヌの政治的見解、つまり植民地支配を批判し、民族の独立を支持する一方、描いていた理想はアメリカの独立宣言に描かれていたようなものではなかったのではないか、と想像できるのではないでしょうか(残念ながら、アメリカは独立宣言に描かれた建国の理念とはまったくちがう方向に進んでしまいますが)。
「未知の言語」は、むしろ、ノーチラス号の乗組員の多国籍性、そして彼らが等しく重要な人間である、という思想(この思想自身、1851年に書かれた『白鯨』のピークォド号が、船長を頂点とした徹底した階級社会であったことを思うと、とてつもなく先進的といえるのですが、逆にヴェルヌがあくまで知識階級の一員であり、現実の船の生活の経験がまったくなかった、それゆえに彼の描いた艦も現実から離れ、理想的なものであることを可能にした、といえるかもしれません)から導き出された必然的な要請であったのではないか、と思うのです。
どのような言語をヴェルヌが想定していたかは、ざっと本を探してみましたが、具体的に触れられている部分はありません。漠然と国際語のようなものを想定していたことは、想像に難くないのですが、それをもってヴェルヌを「先覚者の一人」とみなしてよいかどうかはわかりません。そのためには、もう少し彼の作品をトータルに検討していく必要があると思います。
ヴェルヌに数十年遅れてイギリスに生まれたH.G.ウェルズ(1866-1946)となると、フェビアン協会の会員でもあり、国際連盟設立に尽力した、という経歴が見て取れますが、ヴェルヌに関しては、彼の政治的思想を裏付けるような資料を見つけることはできません(ヴェルヌの研究書に当たったわけではないのですが、百科事典レヴェルの資料からは、それを探すことはできませんでした)。
ヴェルヌが国際的視野を持った人物であったことは作品からあきらかですし、そうした人物が社会主義に無関心であったとは考えられませんが、むしろ19世紀中期~後期にかけての先進的な人々にとって、ユートピアといえばある種の社会主義的なものだったのではないか、そういう時代的な気運があったのではないか、と思うのです(その意味でオーウェルの『1984』(1949)など、ディストピアを扱ったもののモデルの多くが全体主義国家であることを考え合わせると、興味深いものがあります)。
#4の方が後半でおっしゃっておられることは、非常に参考になるし、スペンサーとの関連など、教えられる点も多く、大筋で賛同するものですが、そう結論づけるためには、いますこしヴェルヌの作品なり、経歴なりを詳細にあたってみる必要があると思います。
最後に、非常に参考になる回答をお寄せくださった#4さんに、いまいちどお礼を言うとともに、いままでそれほど興味を持ってこなかった作家に、関心を向ける機会を与えてくださった質問者さんに感謝したいと思います。
なお児童文学については、過去とくに調べた経験があるわけではありません。
具体的に引用したわけではないので書名はあげませんでしたが、私が依拠しているのは『世界児童文学案内 ――誕生から世界的発展期まで』(神宮輝夫 理論社)です。
フルテキストが電子化されていて、ここで読むことができます。
ヴェルヌは“■19世紀-ヨーロッパの児童文学”という章に、詳しく触れられています。
http://www.hico.jp/ronnbunn/jinguu/sekaijidou/se …
参考URL:http://www.hico.jp/ronnbunn/jinguu/sekaijidou/se …
No.4
- 回答日時:
英明にして博識な回答者に深く敬意を表するものです。わたしなりに調べていたこともありますが、「ロマン主義」や「自然主義」などの専門用語を駆使しての専門的な文学史・芸術史的考察には、ただただ頭がさがる思いです。
我が貧しき生涯にあって、得ることのできた貧しき知見と浅薄な視野での展望における考察をいま少し記させて戴きたくお願い致します。
さて、わたし自身は、完全版のヴェルヌの作品の翻訳は読んでいませんが、青少年向けに省略して翻訳された内容からしても、この作品は、背景に高度な文明的視野が存在しており、見かけはともかく、内容的には、読者対象は、それなりの教養や思想を持った、「教養知識人=成人」だろうと考えていました。
ただ、このスタイルの話は、「科学啓蒙書」や「冒険談」の体裁を取って、青少年向き作品として販売層を設定しないと、アカデミックな立場の人たちからは、「荒唐無稽」とされ、高度な文学や芸術を論じていた人たちからは、所詮、「子供騙し」という評価を受けて、出版そのものが困難になるため、販売対象として、青少年を戦略上取らざるを得なかったのだろうというのが、私見です。
つまり、読者対象は誰であったかと言えば、先に述べたように、これは「文明批評小説」でもある以上、実は、「教養人=成人」が対象で、ヴェルヌ的な「啓蒙小説」でもあったので、この啓蒙において、「青少年」が対象であったという二重性があるということになります。(更に、上に述べたように、販売戦略上、「子供向け冒険小説」の体裁とジャンルで販売されたという三重性があるとも言えます)。
>19世紀後半の社会を支配していた、科学と進歩に対する素朴な信頼と手放しの礼賛のなかにあって
英邁なる知性の的確な指摘には、ただただ頭がさがる思いですが、果たしてそうなのか、という疑問もあります。
私自身は裏付けとなる文学史的・芸術史的・思想史的・社会史的知識を持ち合わせませんので、何ら説得性ある歴史的経緯などを示すことができませんが、管見では、「進歩主義」「啓蒙主義」が社会を変動させる思想運動であったのは、18世紀末から19世紀にかけてで、19世紀半ばから末頃の時代は、もっと錯綜した時代の諸相があったようにも感じます。
別の場所で記したのですが、英国のメアリー・シェリーが、『フランケンシュタインの怪物』[1818]を書いたのは、19世紀初めですが、「ロマン主義」の自然礼拝は同時に、人間の「無限の進歩」に対する反省的吟味がすでに含まれていたという事実もあります。
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そのような話はともかくとして、ヴェルヌの『海底2万リーグ』に対し、わたしが抱いていた重要な幾つかのポイントというものを以下に述べてみます。
わたしはこの作品のなかで、ネモ船長が、何かの勢力と戦っていること、ノーチラス号は、一種の「亡命者」の避難場所であると同時に、そこから新しい何かの変革を試みる秘密の拠点であるようにも感じていました。
作品には明確には示されていないとは思いますが、ノーチラス号は、海底航海途上、どこか未知の船舶(多分、軍艦)と戦闘を行い、これを撃沈させます。映画の『海底2万リーグ』は確か、このシーンは非常にリアルに描かれていて、ネモ船長が命令すると、ノーチラス号は、船首の攻撃用コルヌス(角)を攻撃相手に向けて突進して敵の船に衝突し、これを撃沈するのです。
小説では、三人の「客」は催眠剤で眠らされているあいだに戦闘は終わり、フランス人の科学者である客は、ネモに依頼されて負傷者の傷を見たり、また戦闘で死亡した船員の海底埋葬式に参列したりしています。
また、もっと重要なポイントとわたしに思えたことは、ネモ船長を初め、ノーチラス号の船員たちが、「未知の言語」で話し合うということです。ネモは、フランス語で客と話をしますが、船員たちは、互いに、「未知の言語」で会話しています。
この質問に回答しようと色々と調べるまでは、わたしは、この「未知の言語」や、また上のネモが何かの勢力と戦っているということを、前者は、ポーランドのザメンホフの造った、人工世界言語「エスペラント」の影響であり、また後者は、フランスの「ドレフュス」事件と関係がある、人権抑圧体制に対する抵抗運動の指導者がネモなのだろうと考えていました。
しかし、調べると、どうも年代が合わないということになります。
ヴェルヌの代表作品は次のようになります:
ジュール・ヴェルヌ [1828-1905]
1864「地底旅行」
1869「海底2万リーグ」
1886「空の征服者ロビュー」
1888「十五少年漂流記」
1896「Face Au Drapeau」
ヴェルヌは、「未知の世界」として、「地底」「海底」「空」を作品にしており、更に、「月世界」への旅の作品も書いており、「地球一周」の話も書いているので、当時の「既知の世界」「未知の世界」すべてに対し、そのありようを、作品で構想し展望し、具体的に描写したとも言えます。
これは、当時における「全宇宙的博物学的探求」だとも言えますが、物質世界の全体を見渡した世界観を持っていたのだとも言えます。(非常に系統的で、網羅的であることに留意してください)。
そこで、ザメンホフの「エスペラント」ですが、人工言語・世界言語は次のようになっています:
ドイツ:シュライヤー 「ボラピュク」1879
ポーランド:ザメンホフ 「エスペラント」1887
「海底2万リーグ」の発表年代と「ボラピュク」「エスペラント」の発表年代を、今回初めて比較してみて、ヴェルヌの構想の方が先行していたことに気づいたのです。「ヴェルヌの構想」ではなく、当時の西欧の進歩的社会改造論者たちは、「世界言語構想」を抱いていましたから、ヴェルヌもその先覚者の一人なのだということになります。
ネモは、海底から得た資源や財宝などを、未知の勢力に提供し、資金援助していたという設定があります。この相手が、ロシア帝国の圧力の前、独立運動で苦闘していたポーランドの独立運動への支援資金であったとすると、納得が行くのですが、そうなのか、という疑問も起こります。
以下に「進化論」のチャールズ・ダーウィンと、同じく、社会や宇宙の「進化思想」を論じたスペンサーの著書の年代をサンプルに挙げます:
チャールズ・ダーウィン「種の起源」1859
ハーバート・スペンサー「発達仮説」1852 「心理学原理」1855
ヴェルヌは、スペンサーの「進化思想」の影響を受けていたとも言えます。また、ヴェルヌが作品を書き始めた頃は、1854年にマルクス・エンゲルスの「共産党宣言」が出ており、社会主義運動が各国で展開していた時代にも当たるのです。
カール・マルクス+フリードリッヒ・エンゲルス「共産党宣言」1854
自然科学的知識の先取性と展望の広さ・深さにおいて、ヴェルヌは驚異的な力量を持っているのですが、それに目を奪われると、ヴェルヌの「文明批評家・文明思想家」としての側面が忘れられるでしょう。
ヴェルヌは、自然科学や技術の当時の先端知識と、更にその先の展望を、詳細緻密にディーテイルを積み上げて作品のなかで展開したのですが、しかし、同時に、社会運動や、文明の思想などについても、実は、深く広い展望を示していたのだと言えます。
最初に述べたように、ヴェルヌの作品の出版のためのターゲットとしては、青少年=子供がメディアによって設定されていたのですが、しかし作者のヴェルヌ自身は、読者として、教養ある成人(または、向学心に富む青年)を考えていたことは間違いないでしょう(「海底2万リーグ」の場合はです。他の作品では、青少年を読者に考えているものが多く思えます)。
(註:元の文章は、もっと詳細でしたが、これは簡略化したヴァージョンです)。
No.3
- 回答日時:
なかなか興味深い話題だったので、少し調べてみました。
ヴェルヌが処女作『気球に乗って五週間』をひっさげて登場したのが、1862年。
ちょうどフランスでは、ロマン主義が終わり、自然主義運動が生まれた時期にあたります。
自然主義とは大雑把に言って、人間やその行為は、環境と遺伝に決定されたものである、という考え方です。
自然主義の作家というと、なんといってもゾラが有名ですが、文学者ではないけれど、この時期見逃せないのがファーブル。
彼の『昆虫記』は1879-1910に執筆されていますから、ヴェルヌとほぼ同時代人として見ることができるでしょう。
つまり、ヴェルヌが活躍した時代というのは、科学技術が進歩し、自然現象が次々に解明されていきつつある時代だった。
こうした時代がヴェルヌやファーブルを生んだ、と考えることができそうです。
『気球に乗って五週間』は、編集者ピエール・ジュール・エッツェルの目に留まり、世に出て大評判になります。フランス国内のみならず、各国の言葉に翻訳され、一躍ヴェルヌは流行作家となりました。
1864年、エッツェルはヴェルヌの作品を定期的に刊行するために『教育と娯楽の雑誌』の発刊を始めます。
ヴェルヌのほかに、エクトル・マロの『家なき子』、ジュルジュ・サンドの『かもめ岩』など、多くの優れた作品がこの雑誌から生まれています。
『海底二万マイル』は『教育と娯楽の雑誌』に1869年3月から70年6月まで連載されました。
その後、ヴェルヌのすべての作品を集めた〈驚異の旅〉シリーズの一冊として刊行されています。
すでにヴェルヌは作品を書き終えていたのですが、エッツェルは隔週、一度に二章の分量で連載する形式にこだわったようです。
こうしたことから『海底二万マイル』が設定した読者層というのは、やはり青少年層が中心であったことは間違いないようです。
ただ、偕成社文庫『海底二万里』下巻あとがきには、こんなエピソードも紹介されています。
ヴェルヌとエッツェルの間には、ネモ船長の設定をめぐって、はげしい論争があった。
当初、主人公を、帝政ロシアから弾圧を受けたポーランドの貴族としようとしたヴェルヌに対し、翻訳出版の得意先のひとつであるロシアを悪役にすることは好ましくなかった。そのかわりに奴隷制度に反対する人物にしてはどうか、と提案したのです。けれどもこの案も、作品全体の流れを損なう、という理由でヴェルヌには拒否されます。結局、ヴェルヌは手直しを拒み続け、ネモを、ラテン語の"Nemo(=No name)"にふさわしい、曖昧な、謎に満ちた人物とします。
あるいはノーチラス号が掲げる黒い旗、これには「個人の完全な自由と独立を求める無政府主義者のシンボル」が意味されている。
植民地で圧政をおこなっている側が、はるかに野蛮である、として「地球に必要なのは新しい人間だ」とネモ艦長に言わせる場面もあります。
そして、もちろん動植物事典さながらの、多くの海洋生物が紹介されている。
これらすべてを読者が理解することを求めた、というよりも、ヴェルヌが作品としての質を追求した結果であるように思います。
19世紀後半の社会を支配していた、科学と進歩に対する素朴な信頼と手放しの礼賛のなかにあって、ヴェルヌはすでに行き過ぎた科学技術がもたらす不幸と荒廃を予感していたといいます。
こうした先見性を持った作家の作品であったからこそ、100年以上の歳月を経てなお、鑑賞に堪えうるものなのではないでしょうか。
詳しい解説ありがとうございます(・∀・)
>こうしたことから『海底二万マイル』が設定した読者層というのは、やはり青少年層が中心であったことは間違いないようです。
そうですか…、やはり青少年層が読者の中心だった可能性が高いですね。 でも、作中に紹介される科学知識を解しながら、読み進められる青少年って、なんかすごいですね。 きっと、大衆ではなく、市民の中でも、教養の高い家庭の子供が手にしていたのですかね?
もしくは、教育関係の雑誌ということなら、作品と並列して、作品とは別に「今月のノーチラス号の科学」みたいな感じで解説記事とかがついていた可能性があるかもしれませんね! そう考えたほうが自然な感じがします。
>ヴェルヌはすでに行き過ぎた科学技術がもたらす不幸と荒廃を予感していたといいます。
そうですよね! これは感じます。 信じられない科学技術を手にしているネモ船長と、クルーは、その技術によって幸せになっているわけではないし、しかもその技術の最後の目的は「復讐」とうい、人間の原始的感情に基づいているものだったり… 単純な科学小説ではないと思います。
No.2
- 回答日時:
アクアラングを発明したフランス人のクストーの作品を小学校4年のころに読みました。
父が80日間世界一周とその2冊を買ってくれ、20歳くらいまでは何回も読み返しました。そのクストーも小さいころはジュールベルヌの作品を愛読し、年を重ねるごとに新発見の連続であり、最終的にサルベージをすることになったみたいです。
その仲間もジュールベルヌはバイブルで、海底に潜ることを夢見て、とうとうアクアラングも発明したのです。その後、潜水病も治療するようになったり、海底カメラの撮影で活躍したり、かなりの影響を実際に受けた人もいたのです。
また、クストーの学校時代の友人は、HGウエルズのタイムマシンやスタートレックの原作の元になったレンズマンの話に子供たちが夢中だったみたいです。
タイムマシン以外は現実にすこしずつなって、アポロ11号のあとの宇宙探査や潜水艇も現在進行中です。
各国語に翻訳されたのは結構早い時期だったみたいですので、今のハリーポッターほどでは無いにしても話題はあったみたいです。
参考URL:http://www.scc.u-tokai.ac.jp/sectu/kaihaku/umiha …
あのクストーもジュールベルヌのファンだったんですね。やはり、当時としても評価の高い作品だったのですね。
でも、科学知識の裏付けもさることながら、ネモ船長をはじめ、登場人物の心理描写にも優れたところが多い作品ですよね。 ほんと、大作なんだな、ってあらためて思いました。
No.1
- 回答日時:
こんにちは、あまり参考にならないかも知れませんが…
昔、スピルバーグ監督の「バック・トゥーザ・フューチャー」で主人公の友達兼科学者の「ドク」が若い頃に「海底2万里」を読んでいたと映画の中で力説するシーンがあります。ドクはタイムマシンを発明するほどの人物です。
かなりの大推測ですが、当時「海底2万里」が発表された頃科学者を志す人たちに読まれていた可能性は多分にあると考えられます。
稚拙な回答ですみません。
あのドクも、海底2万里に影響を受けていたとは…(^^)
>当時「海底2万里」が発表された頃科学者を志す人たちに読まれていた可能性は多分にあると考えられます。
そうですね、解説でも「フランスで発売された11年後には英語訳の日本語版が出版された」とありますから、科学に興味のあった人達には、そうとうに読まれていたでしょうね。
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