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イラクは内戦のような状態に陥りそうです。
おもに宗教的面から、対立が発生しているのですね。
千年も前から、この宗教面で相違がありましたね。
それにもかかわらず、イラク国・イラク国民して(完全でないかもしれませんが)一応まとまっていますね。
ところで、このイラク国・イラク国民という自覚(一体という)は、いつごろ成立したのですか?

A 回答 (7件)

イスラム教の名の下にイラクあたりで統一した国ができたのは、アッバース朝で、バクダードにAD762年に首都が建設され、これが世界でも有数の都会になって栄え、500年ほど続いています。

これが最盛期ですね。あとモンゴルがやってきて破壊され、長い間統一されませんでしたが、近世になって1920年にファイサルがイラク王国を作って人民に認められました。彼らのイラク国の自覚はそれ以後でしょう。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
統一国家ができたのは、アッバース朝なのですね。
そして、1920年のイラク王国以降に、国の自覚ができたのですね。

お礼日時:2014/07/02 16:30

そんなモノは一度も成立していませんよ。



あくまで「敵の敵は味方」であって、「其の時」の都合で共闘したまでです。

中東地域は常に小部族の乱立状態で、統一された民族意識は今の今まで現出していません。

あくまで、力の強い部族が、他部族を征服しているだけです。

ただ、私は自主独立の意識の強い彼らを好ましく思っています。

好戦的なのが玉に瑕ですがw

日本人の感覚での「一体」は今後も私たちが生きている時代では、まず、在り得ないでしょう。

と言うより、日本人の一体感は他の先進国では無いです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
1.まず、一体と言う言葉ですが、私が(おそらく日本人が)使っている一体(感)は、
<他の先進国では無いです。>
のですね。感覚で違うのですね。
2イラクのシーア派がイランの同派と組まないで、イラク(国・人)として結束していた、ことについては、
<「其の時」の都合で共闘したまでです。>
中東地域では、
<統一された民族意識は今の今まで現出していません。>
なのですね。

お礼日時:2014/07/06 09:10

イラク国・イラク国民という自覚



1980年
イラク・イラン戦争の後

この戦争が始まった段階では、イラク内シーア派はシーア派であるイランとは組まないで、フセイン大統領などのスンニ派と共にイラク軍として戦った。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
<イラク・イラン戦争>
では、イラク国・イラク国民が明確に現れた、のですね。シーア派同士が組まないで、イラク(国・人)として結束していたのですね。

お礼日時:2014/07/04 21:47

>>イスラム教の成立や分派以前から、イラク国・イラク国民という自覚(一体という)は、成立していたのですね。



イスラム教の教えはアッパーズ朝からですけど、そもそもアッシリアは古代エジプトと争った紀元前に5000年も続いた王朝です。

それまでのシュメール人とは異なり、イラク北部のアッシュールに栄えた民族です。
現在のクルド人が末裔と言われています。

イラク南部には、元々バビロン(バビロニア)という国があり、アッシリアに吸収されます。
これは、エジプト・マケドニア・アッシリアの地中海紛争?の覇権争いです。

後期アッシリア時代に、旧約聖書が書かれています。
バベルの塔(マルドゥーク神殿)などもこの時代に建設されました。

カリフというのは、この時代に消えた王族の血族の系譜を”預言者”という新たな血族に頼った形です。
本来は天皇のように、一子相伝で継承し続けていれば良かったんでしょうけど。
しかし、時代は流れてアレキサンダー(アレクサンドロス3世)に滅ぼされます。
マケドニア王であり、エジプトのファラオであり、ペルシャのシャーハンシャーです。

こういった異民族の暗黒時代を経て、今に至ります。
今では、このカリフに連なる親族が石油利権を掌握しています。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
日本のような島国とは違って、陸地のつながっている中東は、民族の抗争が激しく
<異民族の暗黒時代は経て>
もあるのですね。イラク国・イラク国民は、歴史に耐えて、継続しているのですね。

お礼日時:2014/07/03 08:51

下記はイラクの歴史の概略です。



イラク地域は古代ではメソポタミアとよばれました。 世界最古の文明であるメソポタミア文明が栄えました (シュメール、アッカド、アッシリア、バビロニアなど)。 紀元前6世紀頃からこの地域はペルシア(=イラン)帝国の一部となりましたが、主要地域は常にイラクで、バグダードに首都が置かれていました。

注:イラクはチグリス川とユーフラテス川が形成した沖積平野にあります。ここからシリアやエジプトにかけての地域は、土壌が肥沃なため肥沃な三日月地帯と呼ばれています。

610年頃に預言者ムハンマドがおこしたイスラム教はイラク周辺地域に急速に広まります。その結果7世紀以降この地域は急速にイスラム化し、イスラム帝国やオスマン帝国などイスラム王朝の一部となりました。 (13世紀末に起きたオスマン帝国は西はモロッコから東はアゼルバイジャンやイラク、北はウクライナから南はイエメンに至る広大な領域を支配しました。首都は現在のイスタンブールです。その支配は第一次世界大戦まで続きました。)

第一次世界大戦でドイツに味方したオスマン帝国は滅亡します。イラクは英国の指導で独立し (初め君主制)やがて共和国になりました。 湾岸戦争とイラク戦争の後、現在は民主議会選挙による政府が発足しています。

なお、クルドなどの民族紛争は随分昔からあったもののようです。サウジのような古い王制やシリアの独裁体制もあり、イスラム教内部の紛争がこれに加わり、対イスラエル(広義には対米)の姿勢も国によって異なります。紛争は当分続くでしょう。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
第一次世界大戦後に
<イラクは英国の指導で独立>
したのですね。この時点あたりで、明確なイラン国・イラン国民が成立した、と読み取れますが・・・

お礼日時:2014/07/02 22:17

紀元前のアッシリア時代からです。

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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
<紀元前のアッシリア時代から>
ですと、イスラム教の成立や分派以前から、イラク国・イラク国民という自覚(一体という)は、成立していたのですね。

お礼日時:2014/07/02 10:30

ペルシャ帝国時代からです

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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございました。
<ペルシャ帝国時代から>
ですと、イスラム教の成立や分派以前から、イラク国・イラク国民という自覚(一体という)は、成立していたのですね。

お礼日時:2014/07/02 10:29

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