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日本語の歴史に最近ハマっています。 現代の標準語は明治期に江戸山手言葉をベースに制定されたようですね。

ところで気になったのは、私たちが普通に使っている 「~です」 とか 「~ます」 という文末表現は一体いつ頃、どこで使われていた言葉から標準語化されたのでしょうか?  それらの過去形や否定形も含めて。

江戸時代の山手言葉は武家中心だったと聞きますので、その時代で既にこのような言い方をしていたとは思えないのですが ・・・

また、これに関しての書籍などがあれば、ご紹介下さい。 よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

 ご質問が鋭くなり、わたしの能力では「タジタジ」という感じですが、一応答えておきましょう。



>「です」の変化の経緯(1)は、何か武士の書き言葉から話言葉に変化したように感じたのですが、やはりそうでしょうか?

 武士の書き言葉と言えば、基本的には「候文」でしたから、そういう意味では関係なかったでしょう。

>(2)「ます」も何となく吉原言葉から下町職人言葉に変化していったような印象を受けたのですが。

「廓言葉」は下記のサイトに例がありますが、見たところ「ます」および、その変化には関係なさそうです。また、「標準語」は「明治中期から昭和前期にかけて、主に東京山の手の<教養層>が使用する言葉(山の手言葉)」を対象したものであり、明らかに廓言葉の影響が見られれば、おそらく対象にはしなかったでしょう。

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%93%E8%A9%9E

>また「ます」の最初の「まゐらす」は、例えば室町時代に「食べます」を「食べまゐらす」というように使われていたのでしょうか? そしてそれは日本のどこの地域・階層の言葉だったのでしょうか。

 「食べる」は「賜ぶ」から生まれた言葉ですが、「宇津保物語」の中に「かの蒜(ひる)臭き御さかなこそ賜(た)べまほしけれ」(「広辞苑」より)とあります。また「まゐらす」は「平安後期」に使われるようになった丁寧語ですので、「賜(た)べまゐらす」と言った可能性はあります。(当てた漢字は違いますが)平安時代は「話言葉」の記録が少ないこと、書き言葉と話し言葉の乖離があまり強くなかった(音韻は別)のですが、室町期には「狂言」やその他の話し言葉の記録が増えていきます。しかし、「そしてそれは日本のどこの地域・階層の言葉だったのでしょうか。」と言われると、ちょっと迷いますが、京都中心の上方の地方でしょう。階層も一概には言えませんが、支配者階級(足利氏などの武家)や裕福な町人だったのでしょうか。(因みに「室町」とは後に京都の商業の中心地になる町の名)

 なお、最初のご質問で「これに関しての書籍などがあれば、ご紹介下さい。」とありましたので、このサイトでの質問「国語ザ・ベスト」への回答者の方が、紹介していらっしゃった「岩波新書 日本語の歴史 山口仲美 著」を(わたしも読みたいので)再紹介します。ただ、時代の範囲は「上古から現代」という長い期間にわたっているようです。 
 
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この回答へのお礼

再度のお答え、有難うございました。
また、次々に質問を繰り返して申し訳ありませんでした。
(どうも疑問が解消されないと気がすまない性格で自分でも困っております)

でも、おかげさまで「です・ます」についてかなり理解ができました。
数百年の歴史を経て、現代日本人の標準語になっているわけですね。
逆に、あと数百年もすれば「です・ます」も消え行く運命にあるのかなと感じてもいます。

ご紹介の本を是非読んでみたいと思います。
真摯なご意見に本当に感謝しております。有難うございました。

お礼日時:2014/08/10 14:19

[です]


「です」の語源に2説あります。
1.「にて候」→「でさふ」→「でそう」→「です」(室町時代の変化)
2.「でござります」→「でござりんす」→「でござんす」→「でがんす」→「であんす」→「でえす」→「です」
(近世の変化)
 用例はほとんど江戸時代からです。「人情本」「滑稽本」等。(歌舞伎・浄瑠璃・滑稽文学等にはほとんど見えない)広く使われ出したのは、明治時代(二十年代から)。

[ます]
 語源は諸説あるが、「まゐらす」からというのが有力。
「まゐらす」→「まゐらする」→「まらする(まいする)」→「まっする」→「ます」
 用例は「浄瑠璃」・「狂言」・「歌舞伎」・「浮世草子」・「黄表紙」・「滑稽本」・「洒落本」・「人情本」等
[です]に比べて早く、室町時代から使われた。

 取り敢えず、これだけ書きました必要でしたら、言ってくだされば、調べてみます。
なお、質問文中の「どこで使われていた言葉から標準語化されたのでしょうか?」の意味が分かりません。標準語と言われたのが明治期ですから、「です」「ます」などは既に使われていたわけです。
 
 また、「江戸時代の山手言葉は武家中心だったと聞きますので、その時代で既にこのような言い方をしていたとは思えないのですが ・・・」
 
 江戸時代といっても約二百五十年の期間がありますから、一口では言えないと思いますが、確かに参勤交代にによって、全国各地から江戸に出てきた武士も多く、方言丸出しで言葉も通じないことも多かったと思います。しかし、長い期間でしたから、江戸詰めの武士も増えてだんだん支障はなくなっていったと思われます。
さらに、標準語が推進されたのは、明治の中期から昭和の前期に掛けてでしたが、正式に決定されたものではありません。(現在では共通語と呼ぶのが普通)そのうちに山の手に住む教養層の言葉も相当変化しました。
ということは確認しておいてください。
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この回答へのお礼

詳しい解説を頂いて、有難うございました。(お礼が遅くなり、申し訳ありません)

お話によると、「です」も「ます」も江戸時代に既に使われていた事になるのですね。これらは明治に入ってから、何かが変化してそうなったのでは?と考えていたのですが、もっと古いわけですね。
質問文の「どこで使われていた言葉から標準語化されたのでしょうか?」ですが、これら「です・ます」が日本(多分、江戸)のどこかの階層でその昔に使われていた言葉がそのまま明治に入って標準語になったと思っていましたので、このような質問文になりました。

ご解説の「です」の変化の経緯(1)は、何か武士の書き言葉から話言葉に変化したように感じたのですが、やはりそうでしょうか?また、(2)も何となく吉原言葉から下町職人言葉に変化していったような印象を受けたのですが。

また「ます」の最初の「まゐらす」は、例えば室町時代に「食べます」を「食べまゐらす」というように使われていたのでしょうか? そしてそれは日本のどこの地域・階層の言葉だったのでしょうか。(この時の江戸は大都市ではなく、まだ原野に近い状態だったと思います。)もしかして当時の都の京都あたりに住んでいた武士の言葉だったのでしょうか。

色々と申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

お礼日時:2014/08/07 13:10

「です・ます」体の文章が世に広まったのは、明治時代に言文一致の新しい日本語の文章を作ろうと多くの人が試行錯誤、悪戦苦闘していたころで、山田美妙の影響が大きいようです。



明治39年に雑誌に掲載された二葉亭四迷の「余が言文一致の由来」の冒頭部分にその経緯が詳しく書かれています。(青空文庫のURLを引用します)

http://www.aozora.gr.jp/cards/000006/files/901_1 …

この文章にもありますが、言文一致の文章の参考にしたという式亭三馬の作品を読むと、江戸時代後期には「…ます」という口語表現がすでにあったことがわかります。例えば「浮世風呂」の女湯で母親は次のように、手習いを休みたがる娘の愚痴をこぼします。(江戸の銭湯で町人の女性の言葉です)

母「…私の目褄を忍んでは休みたがります。今日もちやんとお父っさんを騙して、お休みに致しました。兎角お父様殿は、嬌(あまやか)し、過ぎて困ります。…」
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この回答へのお礼

お答え、有難うございました。
明治期の文豪たちが文体をどのようにすれば良いか、苦戦していたのが分かりました。
それと、井戸後期の町人言葉では既に「~ます」はあったのですね。
となると、「~です」もこの時代に既にあったと考えた方が良いのでしょうか。

古い言葉遣いで、例えば花魁たちが「~で ありんす」とか、職人たちが「~で がんす」とかの文末表現を使っていたとか聞いた事がありますが、それらが変化して「~です」になったのでしょうか。
当時の人たちがどんな言葉遣いをしていたのか、とても興味があります。

お礼日時:2014/08/04 13:24

フーテンの寅さんはご存知でしょうか?



松竹によって1969年から映画が作られていますが、自己紹介するときには「です、ます」調です。
ですます調を使うことによって、学がないのに無理して丁寧にしゃべっている感じを表わせるからでした。

今とはだいぶ感じ方が違うかもしれませんね。
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この回答へのお礼

有難うございました。
参考になります。

お礼日時:2014/08/04 11:18

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