【あるあるbot連動企画】フォロワー20万人のアカウントであなたのあるあるを披露してみませんか?

太平洋戦争は、日本人が遂行した戦闘行為である。
米英のむちゃな要求に対し座して死を待つことを
良しとせずと起こした戦争である。
世論も当時は開戦やむなしと言っていたのだ。

それが「終戦」という他人事のような表現で良いのか?
なぜそれをおかしいと思わないのか?

なぜ終戦と言い続けるのか教えてください

A 回答 (19件中1~10件)

”なぜ終戦と言い続けるのか教えてください ”


    ↑
私も常々疑問に思っていましたが、考えて見ると
これは、日本特有の言い回しですね。

日本人はドギツイ表現を嫌います。
白黒をはっきりさせるのを敬遠します。

例えば、失われた20年です。
政府、日銀の失政が原因だろう、人為的なモノだろう
といいたいのですが、
それを、あたかも天災であるかのように表現する訳です。

敗戦記念日であるはずが、終戦記念日と表現して
しまうのは、それがあたかも天災であるかのように
イメージさせるためでしょう。

誰も恨むな、という意図がその根底に見え隠れします。

千年経っても忘れないとかいうどこかの隣国とは
国民性が異なるのです。
墓から遺体を掘り起こして辱めを加える、なんてことを
やる欧米中国とも違います。

仏教に基づく諦念観が影響しているのかもしれません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

誰も恨まないのは良いとしても誰かに恨まれ続けるのは
困ったものですね。国際的には敗戦を認めるのが
普通だと知るべきではないでしょうか?
国恥記念日にしろとまでは言いません。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/15 08:41

『開戦』の対義語は『終戦』なので、何の問題もないと思いますよ。


というか、むしろ『終戦』という方がどちらかと言えば正しいです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/16 08:45

「敗戦」悔しいけど、「終戦」は喜ばしいですね。

庶民のせめてもの慰みだったのでは?

沖縄の米兵が強姦事件などを起こしニュースになることがあります。地位協定に守られているので、米兵は基地に逃げ込めば、逮捕されることはありません。独立後ですらこんな状態なので、敗戦直後の米兵の傍若無人は想像できるでしょう。米兵に慰安婦はいりません。日本女性を好きなだけ強姦し放題にできるのです。ただで、合法的に。終われば殺しても平気です。
日本から独立した朝鮮人にも不逮捕特権がありました。在日朝鮮人の性犯罪が多いのは、今でも続いています。駅前の一等地にパチンコ屋が並ぶのも、米国が守ってくれたからです。

慰安婦像がなぜアメリカに建つのか分かりますね。

「敗戦」というのはこんなことなのです。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」という玉音放送は、明日から起こる地獄には、無抵抗で我慢しなければならないとの予告だったのです。なぜなら欧米列強国が、アジア諸国を次々と植民地にする時に、男は皆殺し、女は強姦、子供も容赦なし、という蛮行を知っていたからです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

敗戦国はつらいですね。次は絶対に勝つ側と組みましょう。
ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/16 08:45

敗戦では記念にできないしね。



また敗戦記念日にすると敗戦の責任を追究する必要が出てきます。
極東軍事裁判は戦勝国の制裁ですがそれは当時の責任者のものです。

しかし国内的には敗戦の責任は別にあることになります。
それを現実として見つめる勇気がないからだと思います。
またその怖い現実を見つめたいと思わない心理があったのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/16 08:46

Washington Post や New York Times も "the 69th anniversary of the end of World War II in Asia" と表現しています。

ここはやはり「終戦」でないと(「敗戦・降伏」では)国際的な用語としてもみっともないと思いますね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/16 08:46

心地良いからでは?



だれでも青春の苦い経験も美化しがちですから

ここでもヘンテコな理屈をつけて正当化している人多いですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/16 08:46

忘れられがちですが、痛い思いをするのは


殴られた側だけではなく、殴った側も痛み
を受ける物だという事です。
殴る痛みと殴られる痛みの両方を経験した
日本が、それに懲りて、戦争をもう二度と
繰り返さない様にする為「敗戦」でなく
「終戦」を選んだ物と期待します。(^^;

立場を変えて、中国や韓国が敗戦側だった
場合、両国にとって「敗戦」の意味は報復
の為に、力を溜める雌伏の時に変わるのが
確実だと思われます。

もしかすると、中国や韓国が日本に「終戦」
ではなくて「敗戦」だと言い続けるのは、
永久に敗者として平伏せ。
もしくは、力を溜めて再度戦争を仕掛けて
来い。
そうしたら、今度こそ完膚無きまでに叩き
潰してやると言っているのかもしれません。

そういった過去の怨みにとらわれる事なく
未来を良くするにはどう行動したら良いか?
その為には「終戦」で良いと思います。
#歴史を学ぶのは、自分や他人がした失敗
#を繰り返さない為の物であるべき。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/15 18:05

>>◇なぜ終戦と言い続けるのか教えてください



一般に、こういう場合は、「上位概念」を使います。
「下位概念」は、特別な意味を持たせるか、「上位概念」を深化せたり説明する必要がある場合に用います。

例を挙げて説明します。
或る人が病気で死んだとします。
これを言う場合、「病死」という言葉を使います。
一方、死んだ原因などを詳しく知りたい、という要望が出てきたとします。
死んだ人の友人などからですね。
その際、遺族は、「心筋梗塞でした」とか、「肺炎で亡くなりました」とか、「ガンです」とか説明します。
この時、「病死」は「上位概念」で、「病気で死んだ」ことを包括していいます。
一方、「心筋梗塞」や「肺炎」や「ガン」は「下位概念」で、病死の原因の要素を詳しく区分して説明してます。

また、「ガン」は、全てのガンに対して、「上位概念」に当たります。
「ガン」の「下位概念」は、「肺ガン」とか、「胃ガン」とか、「大腸ガン」とか、その他、諸々の個々のガンです。

このように、全ての概念は重層的になっています。
「敗戦」や「終戦」について考えてみましょう。
「敗戦」は、「戦争が、敗れて終わった」ことを意味します。
「終戦」の一形態です。
勝って終わる戦争のあります。
「戦勝」とか「戦捷」ですね。
それゆえ、「敗戦」や「戦勝」は「終戦」の「下位概念」であり、「終戦」は、これらに言葉の「上位概念」になります。
一般的に、こういう場合には、「上位概念」を使うのです。
だから、先の戦争を表す場合、「終戦」という表現を用いるのです。

「終戦」を使わず「敗戦」を使用する場合には、戦争を詳しく説明したり、或る種の思惑があったり、主張が込められていることが」あります。
韓国の婦人が、「日本は、なぜ、『敗戦』と言わないんだ!」「『敗戦記念日』だろう!」と非難していましたが、これなんか、明らかに、「日本憎し」の感情が込められていますね。
「敗戦」という言葉を日本に突きつけることによって、日本への負の感情が明らかにされているのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

第3者であれば貴兄のご回答は正しいと言えますが
当事者が上位概念を使うのは、自分のしたことを
うやむやにしてしまいますので許されることでは
ありません。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/15 18:08

正確には『ポツダム宣言受諾表明の日』でしょう。


短く云うなら『敗戦宣言日』かな?
翌日は愚父が二度目に応召するため、我が家は朝から大勢の人達が出入りし、昼前から酒盛り状態でした。最後のお別れ会だなどとは、子供心(当時国民学校2年生)には思い及びませんでした。
『子供は外で』と言われ外で遊んでいましたが、正午頃急に家の中が静かになったこと、兄に聞くと「重大放送」があるらしいと。
放送は一部耳にしましたが、子供の耳にはチンプンカンプンでした。
『ぎょくいん(玉音)』放送だったと知りましたが、玉を転がす様な涼やかな声には聞こえませんでした。
放送が終わると宴会の続き、安堵したという空気が残念を越えていた様に思います。
後で耳にしたことですが、親戚のおばさんの一人がとても喜んでいました。夫の戦死公報があって、跡取りさんが間もなく徴兵検査の年頃だったのです。
戦線での敗退を「転進」と偽り、占領軍の引き上げを「講和」とごまかし、「戦争責任」を臣下に負わせ、「原爆投下が100万の米兵の命を救った」とする押しつけられた迷信を信じさせてきた政府とマスコミ。
今また解釈改憲=『集団的自衛権』の名の下に戦闘行為を容認する政府、国民の命、今少し尊重して欲しいと感じています。
因みに天皇制擁護勢力は、フランス革命記念日を「パリ祭」などと呼んで、王制から共和制への画期的革命の真実まで、未だに覆い隠し続けています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/15 18:08

元参議院議員の中村哲治さんが敗戦記念日だと称しているようですね。


奥さんが飛び降り自殺をしたりそれに絡んで裁判したりしてますけど。

世界中で敗戦した国はたくさんありますけど、同じ同盟国だったドイツやイタリアはどういう記念日かと探したら、「解放記念日」だそうです。
ヒットラーやムッソリーニからの解放という意味かな?

日本は独裁者はいませんでしたので、解放記念日と言う言葉は適当ではないと思います。

私が検索した限りでは、敗戦記念日を設けている国はないようですね。

民意を束ねる政府としては、敗戦記念日を設けると民意がまとまるのかどうか。
戦争を知らない私たちは「適当に」敗戦記念日って言ってますけど、戦争の中を生き抜いた当事者が敗戦記念日を認めるのかどうかですね。

ただ連合国軍の占領下にあった1952年4月27日までの7年間、新聞紙上では、9月2日を降伏の日や降伏記念日や敗戦記念日と呼んでいたそうで、朝日新聞なんかは大喜びで敗戦記念日って書いてたんだろうなって気が。


敗戦と言う言葉を使って、あえて自国を辱める必要はないのかな?

と言うのが回答です。


なぜドイツ、イタリアと違って日本が迷惑をかけた近隣諸国が満足する謝罪が出来ないかと考えると、日本は独裁国家ではありませんでしたから、ドイツ、イタリアのようにヒットラー、ムッソリーニなどの独裁者のせいに出来ないからですね。

近隣諸国も日本人全てが悪いって事になってしまって今に至っているような気がします。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。一応戦犯が悪いってことで
国際的には決着しているようですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2014/08/15 08:57

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!


おすすめ情報