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成仏できるとかできないとか、成仏するためには戒名が要るとか要らないとか、これらはいずれも坊主が金儲けをするために編み出した詐欺商法の元ネタです。
その目的を達するために坊主というのはあの世のことを持ち出したり、そのあの世を知っているかの如く説いたり、あの世に三途の川を設けたり、その三途の川を渡れる人と渡れない人がいるなどと作り話をしたり、三途の川を渡れない人は地獄に落ちるなどと脅したりするのです。
であるからこの世においておよそ坊主ほど卑しい人間はいないと心得たほうがよろしい。
万物の根源、宇宙の法則、アルケーの神は申しております。
人の道を歩んでさえいれば必ず成仏できると、また成仏するために坊主に金を払って戒名を得る必要などありませんと申しております。
それでもあなた方はアルケーの神の教えではなく、坊主の言うことに従うのですか。
 
 

A 回答 (16件中1~10件)

補足です。



日本人のキリスト教徒は別として、無宗教の人はなぜ葬式だけ仏教に頼るの?という純粋な疑問もあります。
ふだんサッカーに見向きもしないピープルの、ワールドカップでの変貌と熱狂からに感じる不思議さと違和感とそれは同じです。
我々日本人は、ワールドカップや葬式というような非日常の場では、いとも簡単に恭順してしまう人種なのでしょうか。

ところで親戚に、とある新興宗教(西洋の神様方面)に入信している一家がいます。
これを言ったら分かってしまうと思うけれど(笑)、焼香も献杯も(盆踊りや子供への輸血も)許されない教えのところです。
肉親の葬式ですからでないわけにはいかないけれど、もともと彼らの入信に、疑問を嫌悪感を感じていた他の親戚はその件で一層、彼らへの不信感を顕わにしていました。
その新興宗教から抜けきれない親戚一同の自他や世界に対する浅慮な考え方、弱さこそが食い物にされていると私は思っているわけですが。

彼らとその発信源に、焼香も献杯の拒否が、死後の魂にどういう影響があるのか聞きたいところです。

戒名が、時間をかけて考えだされたものと、PCのランダム検索で作られたものと、どうして値段が同じ(または価格差がある)?

魂の性質が高い、まるで高僧のような一般人が心を込めた戒名を作っては釈迦にお叱りを受ける?
何の疑問も抱かない生坊主の言いなりの檀家を誰が諭す?

三途の川を渡るときの予約に名前が要るの?
あの世では戸籍や名簿が必要なの?
そもそもあの世では固有名詞という概念があるの?

現世からの執着を解き放つべき立場の方が「我」を捨てられないという矛盾。

法衣をまとえば神の遣いになったような気分こそコスプレと同じ効果(といったら言い過ぎでしょうかw)。

開き直りの破壊僧の方がまだ好感が持てます。

彼らの根拠の成否は証明できない。ましてや献杯や戒名のような三次元的レベルに陥ったネタについて答えることは、彼らの手の内を明かすようなものですから。

自己矛盾という「神は細部にわたる」の一様態。彼らは矛盾にキーワード等が付いているのでしょうか?

宗教も「考え」のひとつですから、そこらへんに転がっている石ころのようなものにすぎません。

しかし石を見た人間が、石によって依存心、他力本願、固定観念(それにより洗脳させられた心)で自らを振り回させるわけです。

宗教を隠れ蓑にして自分の真実から逃げ続ける人間は、法衣を纏い、「聖」を言い訳とする俗僧と変わりないでしょう。彼らの宗教はそういう需要と供給で成立しているのですから。

宗教自らが、正常な懐疑の精神でもって批判しないかぎり宗教は欺瞞を持ち続けたまま「哲学」として昇華できないと考えます。
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この回答へのお礼

>宗教自らが、正常な懐疑の精神でもって批判しないかぎり宗教は欺瞞を持ち続けたまま「哲学」として昇華できないと考えます。

残念ながら今の仏教に哲学ってものは見い出せません。
坊主の肉食妻帯化、あまりに多くの宗派と宗派間の争い、偶像崇拝、御本尊などの紙切れをめぐる権威志向、お題目などの非思考化、三途の川や成仏などの来世志向、・・・などなど、そのどれをとっても哲学からあまりにかけ離れております。
このような状況にあるので最近問われだした生命倫理の問題についても何一つまともな思想や哲学を示すことが出来ないでいます。
誰ひとり志をもって生命倫理の問題に取り組もうとする坊主などいません。
思想や理念のない葬式仏教に成り下がった今の仏教はあまりに無力なのです。
哀れ仏教としか言いようがありません。
 

お礼日時:2014/09/04 15:27

こんばんは。




>「成仏できるとかできないとか、成仏するためには戒名が要るとか要らないとか、これらはいずれも坊主が金儲けをするために編み出した詐欺商法の元ネタです。」

はい。


>「人の道を歩んでさえいれば必ず成仏できると、また成仏するために坊主に金を払って戒名を得る必要などありませんと申しております。」

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この回答へのお礼

 
>?

うげっ。
 

お礼日時:2014/09/04 22:11

最近では、戒名をPCで決めるらしいですね。

ここまでおちたか!と思いますがw

あの世があるかどうは別として、あの世に行くときは、なにも持っていけません。
ですからあの世での名前(戒名)が必要なのかという疑問はそもそもありました。

そのうち、私が葬式なんか要らないね、と思うようになってきたら、世間でも自然葬や家族葬、果ては遺骨もいらないというような考えの方が増えているとのことで、偽善嫌いの私としては嬉しい限りです。
でもまあ、遠い実家までの墓の管理などの大変さから、守る方も遺す方も、その理由とする限りである場合ならばなーんだという気持ちですけれど。
ならば葬式や墓にだけ仏教徒となることに、少しでもよいから疑問を持ってほしいものです。偽善嫌いの私としては。

以前うちにきた坊主。愛煙家であるのはまぁいいでしょう。私も人のことは言えませんから。
でも彼の特徴である長い説法は困ります。まるで「講演」です。お坊さんの自己顕示欲に使われているのなら、欲を捨てなさいと説教されてもねえ(笑)

さらに身内の

坊主=偉い
葬式=故人最後の華麗なイベント

というような態度をみて、仏の前で人間の業をおがめたような気がしましたね。


葬式は死人にだせません。遺族が送る。でも大きな労力がかかります。
賢い方は自分の死後の対処を考え、身内にはなるべく負担をかけないような言葉と必要経費は必ず遺し、託すべきです(ですから遺言を遺すことは義務化するべきだと思うのです)。

死を考えることは生を考えることですから、死後の対処を他人に任せるだけで死に逃げ(?)するのは「終わりよければすべてよし」と考えている仏さんには取り返しのつかない失敗といえるでしょう。

よって、人間いつ、どうやって死ぬのか分かりませんから、今すぐにでも、遺言は残すべきと私は主張したい。
自分が葬式も墓も要らない、と思っても遺族の勝手でやられたら死んでも死にきれん(笑)という人もいるでしょう。私もそのうちの一人ですが。

>坊主ほど卑しい人間はいない

卑しいという人間は坊主にかぎらずごまんといますが、その卑しさに気付かない偽善や欺瞞を隠れ蓑にするにはもってこいの職業だとは思っています。

葬式の業者の営業の方がまだ卑しくない。もっとも仏前に飾る水菓子・・・あれはたぶん原価100円もしないだろうなのが1個2.000円もするのかと(笑)もっとも私は葬式を出す費用は私もちではないので、言えるわけがなかった・・・

結局は、葬式費用を出す側の「父ならこういう葬式にするだろう」という故人の遺志ではなく、個人の意思どおりのフツーの葬式。もちろん業者の思惑どおりの(笑)
でも皆ただでさえ貧乏なんだから、遺された方が大事。だからできるだけ金のかけない葬式を。と故人は言っただろうと今でも思うのですよ。

葬式や墓、戒名、お経というビジネスツールが死後の「形」をまず作る。
地獄の沙汰も金次第。
そして露骨な遺産争い。
確執ある親戚同士の通夜の諍い。
故人よりも縁者同士が集まる口実云々。
関係者(俗世)の業が集束される時と場というのがいまや、私の葬式等のイメージです。

こういう現世の騒々しさ。

だから私はそこ(墓の中)にはいません。とうたう「千の風になって」の静かな世界観が好きですね。
詞人は不明らしいですが、たぶんネイティブな世界からのメッセージかと思うのです。

そのひとが偉大なる自然の一部のようなひと、ならば自然に還してあげればよいのです。
音楽が好きだった人なら音楽葬で。
陶芸が仕事だった人なら、骨壷を自分の焼いたものにするなど・・・
自分の派手な葬式を見届けてでないと逝けない。というのなら、それはそれでよいでしょう。

カタチのアイデアはたくさんあります。人の死を待ち構え、カネに替える職人のためのものではない。

ですから、死の居場所を自分で選択するのは、生前の自己責任です。
その望みや願いを叶えるのは、遺族の理解と愛情の証しです。

自分の死に群がる人や金が「騒々しく」動くのでしたら、それを望まない故人は成仏しませんよって(笑)
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No.12の訂正です。



【誤】お寺が檀家の持ち物でない場合
【正】お寺が檀家の持ち物である場合
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☆その坊さんが病気にでもなったら病院までいって毎日見てやらなあかん


◇檀家は、当然、お見舞いのお金はだすよ。


☆その坊さんが東京へ旅行に行きたいゆーときは、飛行機や新幹線の切符、ホテルや旅館の手配忘れたらあかんで。
それからその坊さんが女と遊びたいゆうたらちゃんとしたデリヘルサービスの面倒みてやらなあかん。
◇それは坊主のプライベート。
檀家といえども、坊主がプライベートに使うお金の面倒まではみない。

それに、
坊主とは、檀家から巻き上げたお金で、檀家に見つからないように豪勇をするものなのだ。

お寺が自分の所有物であれば話は変わってくるけれど、
お寺が檀家の持ち物でない場合、
見つかった坊主は寺から追い出される。
さらに、最悪、檀家が裁判所に告訴する場合もある。
業務上横領で訴えられたり、
払った金の返還訴訟を起こされる。

また所有物であったとしても、
檀家が金を一銭も出さなければ、坊主という旨味のある商売はできない。


分かったか~♪
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ちょっとおもしろいことを教えましょう。



ウチの宗旨(ひょっとしたらウチの地方だけの習わしかもしれない)けれど、
お正月になると、お年賀をもらったお返しに、
坊主がやってきて神さま(神棚)にお経をあげるのよ。
仏様でない所がポイント、ここは試験に出ますし、出します(笑い)。

檀家さんのランク、格付けによってもお値段は変わるのだけれど、
お年賀の相場は5000~10000円といったところで、
坊主のお経代も大体同じくらいの金額かな。
(上限はないよ、包みたいだけ包む)

あと、お盆でしょ、寺の改修(寺の台所とかもです)とかあれば、その費用を檀家がすべて払わないといけない。
その他、諸々の寄進…。

○○回忌もあるし、田舎でお寺の檀家をやるには、結構、金かかるんだ。

檀家を多く抱えるお寺や坊主は、結構、リッチなんよ。
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この回答へのお礼

>檀家を多く抱えるお寺や坊主は、結構、リッチなんよ。

さよーか、ではそのお寺の坊さんの面倒を目一杯みてやらなあかん。
その坊さんが病気にでもなったら病院までいって毎日見てやらなあかん。
その坊さんが東京へ旅行に行きたいゆーときは、飛行機や新幹線の切符、ホテルや旅館の手配忘れたらあかんで。
それからその坊さんが女と遊びたいゆうたらちゃんとしたデリヘルサービスの面倒みてやらなあかん。
分かったか。
 

お礼日時:2014/09/03 22:49

面白いですね、貴方にとって歴史とはどれほど前までを言うのでしょう。


あなたにとっては国が成り立った50-60年ほど前までなんでしょうね。
でも日本の歴史は2000年あるんです。仏教だけでも1300年余りあるんです。

思想、信教の自由はあります。なので、なにをどう考えようと貴方の自由です。
彼の世にもその原則があるんでしょうかね。
私自身は貴方のアルケ-より長く生きた。多少ウスケーの神ですから、残念ながら多少マトモな歴史認識があるんです。
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>それでもあなた方は坊主の言うことに従うのですか



坊主の言う事なんて聞きません。
しょせん肉食妻帯坊主の言うことなど聞くに値しませんよ。

うちは、だまって20万かそこら包んで、お経を読んでもらいますよ。初七日までぶっこみ一括払いです。
すると、相手が勝手に立派な戒名をつけてくれる。
まあ、5代も前からの檀家だからかもしれんが、どうでもよいことに関心を払うほど人生は長くないかなぁ。
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この回答へのお礼

 
うちは、坊主には一銭たりともやりません。
なにせ、うちにはアルケーという立派な神様がついておるけん肉食妻帯坊主如きに世話になる必要は全くないんでござんす。
 

お礼日時:2014/09/03 16:49

一応、戒名には意味があるのよ。


お葬式というのは出家の儀式で、この時に頂ける、俗名とは違うホーリネームが戒名。
でだ、その出家の功徳をもって、死者が本来行く所より少しはマシな所で生まれ変わる、という寸法。
それがお葬式という儀式なんでございますよ。
真宗さんは違うと思うけれど。

で、
三途の川の向こうがあの世なんよ。
生と死の境界線みたいなものですな。
なので、三途の川を渡らないと、ワクワクドキドキの連続である地獄にもいけないんですよ。
そして、この川の渡し賃が六文。
だから、火葬する前、この渡し賃を棺桶に入れる。
この渡し賃がないと、三途の川を渡れないんで。

だから、この渡し賃・六文(紙のお金)さえあれば、三途の川を渡って、あの世に行ける。
戒名のあるなしに関わらずね。


戒名、高いからな~。
このお値段は、
http://obousan.minrevi.jp/kaimyou/?utm_source=Go …
の一般的な相場を見てください。
《相場》なもんだな~、宗教とは別の経済原理で動いていることを、この言葉が表わしている。
うちの両親が死ねば、《院号》をつけないわけにいかないし、戒名代だけで合わせて200万か~。
高いな~。


☆であるからこの世においておよそ坊主ほど卑しい人間はいないと心得たほうがよろしい。
◇卑しいかどうかは知らないけれど、ウチの実家のお寺さんの坊主は、お金が好きみたいだね~。
両親が「金儲け主義だ」と嘆いておりました。
あとの判断はお任せします。



☆人の道を歩んでさえいれば必ず成仏できると、また成仏するために坊主に金を払って戒名を得る必要などありませんと申しております。
◇あるけ~の神からそんな啓示を受けたの?
ヒトノミチさんの考えではなくて、これは、啓示の内容なんだね?


ほいじゃっ!!
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この回答へのお礼

>三途の川の向こうがあの世なんよ。
生と死の境界線みたいなものですな。
なので、三途の川を渡らないと、ワクワクドキドキの連続である地獄にもいけないんですよ。

正しくはこうである。
三途の川を渡りきるとそこはあの世である。
そして無事三途の川を渡りきりあの世へ行くことが、即ち成仏である。
しかし三途の川を渡りきることができない者は成仏できない。
もちろん一度三途の川に足を踏み入れると引き返すことも出来ない。
だから成仏できない間はあの世へも行けず、この世に戻ることも出来ない。
これが即ち亡霊である。
そして坊主は坊主の言うことをきかないと成仏させてあげないという。
成仏するも、亡霊になるも全て坊主次第であるというのである。


>☆人の道を歩んでさえいれば必ず成仏できると、また成仏するために坊主に金を払って戒名を得る必要などありませんと申しております。
◇あるけ~の神からそんな啓示を受けたの?
ヒトノミチさんの考えではなくて、これは、啓示の内容なんだね?


これはNo.2のお方が述べているような坊主に対する嘆きの声が四方八方から生まれており、それがアルケーの耳に届き、それがこだまとなって人の道の耳にも届くという寸法です。
分かりましたか。
 

お礼日時:2014/09/03 07:09

学会の勧誘かいw



「邪法を捨てよ!」って言ってるだけじゃないかw

目くそが鼻くそを笑った所で、漫才のネタにもなりゃしないw
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