この人頭いいなと思ったエピソード

ネットの書き込みにあったのですが、その人はいじめられており、いじめる輩に勇気をもってどうしていじめるのかと聞いたところ「なんとなく」と答えたそうです。私はこの話を初めて知った時、愕然としました。私は今までいじめる人間は嫉妬や復讐など何かしらの理由があっていじめているのだと思っていたからです。
私が思うに理由もなしに人を傷つけるなんて、理由があってもそうですがそれ以上に人として最低な行いだと思いました。
そこで質問なのですが、こういった理由のないいじめが普通なのでしょうか?むしろ理由があるのが珍しいのでしょうか?どんな回答でも構いません。皆様の考えを教えて下さい。宜しくお願い致します。

A 回答 (12件中1~10件)

私は人がする行動のすべてに理由があると思っています。


したがって、理由のないいじめなんて無いと私は思っています。

「なんとなく」と答えている人でも例外ではありません。


意識には「意識」と「無意識」の二つに分けることができて、「無意識」の方が圧倒的に割合が大きいとされているそうです。
そして無意識が人に働きかけて起こす行動は、意識して行っているわけではないので、「なぜ?」と問いかけられても「なんとなく」としか答えられないのがほとんどです。

いじめる理由は人それぞれでしょうが、いじめる理由を自覚していないということがいじめの問題の難しいところだと思います。私は無意識による自分の行動を冷静に分析するには、それなりに訓練が必要だと思っています。

例えばあなたは程よく空いた喫茶店に入ったとします。そこであなたは席を選んで座ります。
そのとき「なぜその席にしたのですか」と聞かれたらきっと「なんとなく」と答える場合がほとんどでしょう。たいていの場合、無意識で選んでいるからです。
でもよくよく考えると、人の座っている席からはある程度離れていたほうが居心地良く、トイレや注文などで人の通り道になりにくく、壁に背を向けたほうが落ち着き、前回来た時もこの席に座ったから今回もここが安心で…などなど、ただなんとなくの中にもいろいろ理由があることに気づくでしょう。
この無意識の行動理由を冷静に分析することはなかなか難しいし、そもそも「理由がある」ことを知らない人が多いのです。


いじめもこれと同じです。
実際にいじめるという行動に起こすかどうかはともかく、「いじめたい衝動」は無意識レベルで発生します。そしてその「無意識」で感じた「いじめる理由」を冷静に分析するだけの経験値がなければ自分でも理由が分からないままいじめてしまいます。
自分ではその理由が分からないので、その感情をどう自制していいかもわかりません。そうなると深く理由を考えることが面倒になってしまい、「いじめたいからいじめる」ということになってしまいます。
つまりこれが「なんとなくいじめる」状態です。


まとめます。
どんな人でも決していじめる理由が無くいじめているわけではありません。無意識に存在するいじめる理由の存在を自覚し、それをもとに自制していくだけの力が不足しているのでいじめは起こります。
その力は一人一人が自分の人生の経験から学び、ある意味一生をかけてつけていく力です。
いじめる側が悪いと言えばその通りですが、それを言っていては解決なんて出来ないのではと思います。
人は未熟ゆえにいじめは存在すると認めることが必要ですが、結局それはいじめは無くならないということを意味します。
しかし対策は出来るはずです。
いじめがあればすぐに発見し、すぐに対処できるような仕組みを構築することが必要なのかなと思います。


以上、私個人の意見ですが参考になれば幸いです。
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心が汚い人に関わるとややこしくなります


自分達が沢山人を傷つけているから、少しでも自分に思いあたる節があると本人の事言ってないのに自分の事と思い込みます
そこで改心したらいいですがそうでない人はそのまま突き進み自分に似通った人を巻き込み更に攻撃してくるから気をつかうし疲れます

いじめをどうしてするかはその人なりのこだわりがあるからだと思いますよ
例えば、外見がいい人や仕事がある程度できたりお洒落だったり目に見えるものに魅力を感じる人にとったら逆の人はいじめやすいし、関わりたくないと思いますよ
自分にとってはどうでもいいからいじめるんだと思います
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元いじめ経験者です。



私も小学校1年~5年くらいまでいじめを受けていました。
全て集団いじめで、よく下校中に約5人の人にいじめられていました。

今はもうないんですが、そのいじめていた中の数人になぜいじめていたのか聞いてみたら、
そのネットの書込みと同じように「なんとなくやった」や「イライラしていたからした」と言っていました。

ですが、こういった理由が普通だとは限らないと思います。

私の場合はこの書込みと同じように何にもしていないのにいじめられたというケースですが、
○○したからいじめた、ウザいからいじめたなど色んなケースのいじめがあると思います。

なので、理由があるいじめが珍しいとも限りませんし、いじめは人それぞれによって違うと私は思います。
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恐らく「虐め」と言う言葉で考えていたら「なんとなく」と言う言葉の本当の意味は永久に分からないと思いますよ。


そして、大人としての感覚や大人としての考えで、虐めを考えていたら虐めの問題は形を変えるだけで永久に無くならないと思います。

まず、大人の脳と子供の脳は別物なのです。
子供の脳は前頭葉が発達しておらず、扁桃体主体の感情に支配された脳で、成長と共に扁桃体の感情や衝動を抑えられる前頭葉に発達して行くのです。
かと言って、成長段階で必要な経験を積めなければ、扁桃体を抑え切れるまで前頭葉は発達しません。
ですので、子供に大人の理屈を押付けても、理屈は分かっていても衝動は抑えられないのです。

では虐めの本質の話に入りましょう。
虐めの原型は、子犬同士や小猫同士にも見られる「擬似攻撃」です。
この擬似攻撃は、コミュニケーションへの誘いでもあり、加減を知る事でもあり、他者との距離感を測る意味が有り、これはこれで必要な事なのです。
初期の擬似攻撃で加減を覚えていなければ、手加減する事が出来なくなってしまうのです。

そして少し成長すると、この擬似攻撃にもう一つの意味が加わります。
それが「試し行動」と呼ばれる行動です。
試し行動は、養子縁組などで発生する「親試し」と言われる行動で知られていますが、虐めの本質は他者に対する「試し行為」なのです。
これは人間の本能に根ざしているので、止めさせようと思って止めさせれる類の物でもないのです。
人間は集団を形成する動物の中では特異な習性を持った動物です。
その特異性が「戦争」で、人間は集団で人間同士の殺し合いをして来た歴史を持つ動物なので、それが本能に刻まれているのです。
それは、殺しあう事ではなくて、危険を排除すると言う意味です。
集団で戦闘する時、最も危険にさらされるのは、仲間の逃走と裏切りです。
ですので、人間はいざと言う時に逃げ出す人や、裏切った人に対して嫌悪感を抱くのです。

試し行動は、他者に対する信頼性を推し量る意味を持っているのです。
ですので、同じクラスになった子供に対して試し行動の衝動が生まれてしまうのです。
そして試し行動を仕掛けて逃げ出したり、無視すれば危険性を感じて排除衝動が生まれてしまうのです。

衝動から来る感情ゆえに「なんとなく」なのです。

人間は、自分の所属する集団の意識が高いので、クラス分けなどで集団を区切り対抗心が生まれると、試し行動が起こり易い傾向が有り、壁を無くすと試し行動が出難くなる傾向が有ります。
単一の集団になり、敵がいなければ戦う必要は有りませんからね。
つまり、虐めを生み出す一番の原因は壁や境目なのです。

壁や境目の意味ですが、クラスや班分けと言った物理的な事から、格差や差別と言った精神的な物まで含まれます。
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いじめは、一般に狭い箱庭でおこるんですよね。

ストレス解消の活動のひとつで、そんな意識をすごーくストレートに(動物的に)表現したのが「なんとなく」なんでしょ。
所謂、下等な情緒に正直な言葉で、それ以上でもそれ以下でもありません。

いじめが問題になるのは、人間が人間社会というものの容積・容量をその複雑な性質上、正確に把握できないからです。箱庭の大きさを把握できなければ、いじめから抜け出すこともできないんですよ。
だから、いじめを嫌う人は普通、一人を好きになりますね。一人である現実は、彼を絶対的にいじめから遠ざけますから。
逆を言えばいつまでもいじめられる人は、集団やグループに対して、それだけお人好しで一人を怖がる人ということです。大抵は。希に先方から追っかけられる気の毒な人もいますが。
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「なんとなく」は本人が自分の動機を隠しているか自覚していないかだけですよ。


理由はそれなりにちゃんとあります
楽しいから又はむかつくから、この二つに集約されると思いますけどね。
私も昔はいじめっ子だったのでよくわかります。
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すごくリアルな答えですね「なんとなく」


援助交際をしてた女性や、少年犯罪者などに同じ質問をすると、同じ答えが返ってきます。
もちろん、十人十色ではありますがね。
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それもひとつの理由としてはあるのでしょうけど、当然嫉妬や復讐もあるわけです。


それが本音であるのかどうかも微妙ですし。
嫉妬であっても○○のこういうところが悪いからって理由を作りますよね。
思い付きで口走るとそれが後から嘘だとバレたりして・・
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追記しておきたいのですが。


私が回答したのは「事実と考えられる原因」であり、それらをもって「だから正しいいじめだった」と主張したいわけではありません。同時に「間違ったいじめだった」とは言いません。なぜなら私個人の主観でしかなく、価値観は多種多様にあるからです。だから是非は私には分からないのです。分かるのは起こった事実と考えられる原因、または双方の言い分、です。


TV番組でこんなことがありました。
いじめ特集をやっていて、その中で体験談を紹介していました。
要約すると、「集団でいじめられたから集団でいじめ返した」という内容でした。番組ではこれが何故か「美談」としてまとめられていました。つまり「いじめは駄目」という主張があてはまらなかったのです。「やり返す」のを良しとしたのです。

他にもあります。いじめて相手を自殺に追い込んだ男の子がいました。その子は学校を転校することになりました。転校先でどうなったと思いますか?その子はほとんどの生徒に無視、スルー、シカト、仲間はずれ、をされている状況です。
これは確実にいじめです。でも周りは「当然でしょ」と思っているようすです。
しかしそもそも、「いじめは駄目」なのではなかったのでしょうか?
その男の子を批判している人達は「いじめは駄目」と理解しているはずです。しかし自分達がしているいじめは正当性を主張します。


「いじめは駄目」「でもこのいじめは良い」「このいじめは駄目だけどあっちのいじめは正当性があるから良い」
こんな曖昧な状況で、どうして子供に教育が出来るでしょうか?
大人の世界でもいじめが普通にある社会です。子供だけではありません。
「人を傷つけてはいけない」確かにそうです。しかしそれをどのように組み込んでいくかが難しいです。
皆、こんなもんなのです。何が正しいのか、何が悪いのか、分かりません。


参考にならないかもしれない回答ですみません。
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ある本で読んだのは共同体意識からくるもので、おそらく「私刑」しているんです。

リンチですよね。

1億総中流の幻想が続いていて、みんな画一でないといけないというのでしょうか?

バブル期あたりまで、私の記憶、感覚では所得差はある程度実感する世の中だったと思います。

実際は、上流、下流ともいえる所得差って日本でも存在します。


バブル期でかなり所得が良くなって、最近はまたまずしくなっているんだと思います。


低い基準に合わせて平等にするのではなくて、ドロップしたものを人間の尊厳で救うのが本当だと思います。

最近の理想主義的に平等論も深く読み込まないまま、イメージとして広がっているんでは。

人間が多くて、目が行き届かない程大きな社会では、どうしても勤勉な人から怠惰な人までいたりして、普通差があると思います。


お金の社会で成功とされるブルジョアジーはそれも価値観ですが、無機質ともいえると芸術の本からどこかで書いていたような。

共同体「ムラ」を意識して、保守的なポピュリスト?(その人は不完全情報で動く普通の民衆にすぎない)はノリで鼓吹して集団を興奮させて、いじめをするんだと思います。市民感覚も大事ですが、不完全で感情的に祝祭をあげるというのはよくないことです。保守的なことを語ってもその人ってかえたがっているんですよね。積み上げて新たな習慣を生成するのを邪魔している頭先行型で保守主義をとらえている、ノリの人かと。

不完全な情報の人で感情的な人で感覚的なので、それはやはり「なんとなく」です。
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