ショボ短歌会

補江総白猿伝の冒頭分

梁大同末、遣平南将軍藺欽南征、至桂林 、破李師古・陳徹。別将欧陽紇略近至長楽悉平緒洞深入深阻。紇妻織白甚美。其部人曰、将軍何為挈麗人経此。地有神、善竊少女、而美者尤所難免。宜謹護之。

の書き下し文と訳が知りたいです
よろしくお願いします!

A 回答 (1件)

梁りょうの(西暦502-557年)大同だいどうの末のことである。

 平南将軍の藺欽りんきんは南方の遠征に派遣させた。 その軍は桂林(広西省)まで進んで、敵軍をうち破ったが、このとき別将の歐陽こつは、つぎつぎと敵地を攻略して長楽(福建省)まで進み、さらに諸方の蛮族を平定しながら険しい山中まで入っていった。
 歐陽こつは妻を同伴して進軍していた。 その妻は色白ですらりとした美しい女性だった。 それを見た村人たちは、「このあたりには若い女をさらう神通広大な神がいますので、美しい人を連れてここをお通りになっては危うございます。 特に美しい人は必ずさらわれます。 十分注意して守られたほうがいいですよ」と歐陽こつに言った。 歐陽こつはその言葉を聞いて不安になり、夜になると宿舎の周囲を兵士たちに警備させ、妻を密室に隠して厳重に戸締まりをし、さらに10人ほどの女中に見張りをさせておいた。
 ある夜のことだった。 吹き荒れていた突風が、明け方近くになるとおさまり、物音一つしなくなったので、見張りの女中たちは安心して、居眠りを始めた。 しばらくして、ふと何かに起こされたような気がして目を覚まして部屋をのぞくと、妻の姿は忽然と消え失せていた。 戸締まりは厳重にしていたので、全く不可解だった。 外に出たが、険しい山道のため、すぐに道が分からなくなり、探すこともできなかった。 明け方近くまで探したが、結局わからかった。 そこで、歐陽こつは妻を見つけるまでは帰らないと決心し、将軍には病気を口実に全軍を駐屯させ毎日、山奥まで捜索した。

参考URL:http://www.sun-inet.or.jp/~satoshin/koten/toudai …
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