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江戸時代、国持ちクラスの大名でないと偏諱を賜ってなかったようですが、歴代の通字ということで代々「忠」がつく大名家も少なくないように思います。
例えば徳川吉宗の御世に偏諱を賜ってない大名が「宗」を使う事は憚られたけど、前の時代の将軍である秀忠や家光、綱吉の「忠」「光」「吉」の字を用いる事は問題がなかったのでしょうか?

また、町人・農民のレベルでも、光兵衛さんという人がいて、後から代替わりで「家光」という名前の将軍が現れた場合、光兵衛さんは「光」を憚って別の名前に改名を余儀なくされたのでしょうか?

A 回答 (1件)

国持ち大名でも将軍の偏諱を賜るかどうかはそれぞれの家の伝統もあってもらわないところもありました。


また、その家の伝統で将軍の偏諱が通字となっているような家ではその字を使うことは別に問題はなかったようです。
次に庶民が将軍の名をはばかるという必要はなかったでしょう。だいたい江戸時代には他人が諱をよんだりすることはなく(諱を呼ぶことは失礼でした)通称で呼んでいましたので、庶民は将軍は公方様、将軍様(こちらで呼ぶこともあまりない)でほとんど将軍の諱を知りませんでした。
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。
庶民は憚らなかった以前に、将軍の名前を知らなかったのですね。

お礼日時:2005/11/09 17:34

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