【あるあるbot連動企画】あるあるbotに投稿したけど採用されなかったあるある募集

ゆとり教育の功罪のうち罪ばかり指摘され結果的に無くなりましたが、「功」はどうだったのでしょうか?「生きる力の育成」との当初の目的は達していたのでしょうか?また、ゆとり世代でない人に質問ですが、ゆとり世代と付き合って優れていると感じる点はありますか?

勝手ながら、ゆとり教育の罪の部分や批判は求めません。功績成果のみ回答願います。
ちなみに私はゆとり世代ではありません。

A 回答 (6件)

・功の部分


 ⇒浅田真央選手や錦織圭選手のような世界的スポーツ選手を生み出した。減った勉強時間を練習に当てられるので。

・ゆとり世代と付き合って優れていると感じる点
 ⇒全くありません。むしろ最近の若者は能力が高いとさえ思っています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
スポーツがありましたね。確かにそのとおりです。

お礼日時:2014/10/13 16:14

「やる気」「向上心」「競争力」のない人たちと言われてますが、会社に入ってくると争いを好まず、ほんわかしている人が多いですね。

ただ厳しいこと言われるとメンタルになる人も多いですが。
応用力では低いですが、繰り返し定型作業をこなす能力は高いですね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なんだか、単純バカと言ってるように聞こえます。

お礼日時:2014/10/13 16:12

A2です。


>上世代の問題点を修正されてるというのは、どんな内容でしょうか?
>大人の出来ない事を平気でやるというのは、どんな内容でしょうか?

>無駄遣いをしない、ものを大切に、計画的に、地球に優しく、自分らしさ優先、友達を大事に、視野を広く、客観性をもて、自己主張をしろ。。。
これらは、先世代の多くができないから、経験則の結果論な教育なわけですが、
大人の自分ができないから子供に注意するし、全部できる完璧超人がいないのです。完成形を描けず逐一理念を掲げる。

無駄遣いをし、ものを大切にせず、無計画で、環境を考えず、他者に媚び、友達をないがしろにし、視野が狭く、主観が強いのに、自己主張できない人間は、実際いますし、どんな人間かビジュアルにも描け、ダメな末路を想像つきます。
>>無駄遣いをしない、ものを大切に、計画的に、地球に優しく、自分らしさ優先、友達を大事に、視野を広く、客観性をもて、自己主張をしろ。。。
こういう完璧超人は、いないのです。ガンジーの非服従主義が近い。ガンジー主義はけっして無抵抗主義ではない。

できないからしろと教育するし、できないのは社会的にしにくし、生活に支障が出るから。
それを良しと教育受けたので、ゆとりはします。社会に迷惑かけても、自分が正しいから。

就職氷河期世代の私の世代は、社会の保護を信じません。自己責任で切り捨てられてきたから。保護は自己責任において利用するものです。
今の20代後半は、裏切る社会と一定の距離をおいて、自分らしさの幸福を追求します。自己防衛で情勢の機微に敏感、あるいは拒絶します。
今の10代後半は、個人の結果を当てにしません。やることをやった過程を大切にし、結果はついてくると信じますし、ダメな結果はいつか報われると前向きです。その代わり無駄なリスクを負いません。シンデレラ・コンプレックスのような社会依存があります。

これを裏返すと、実力が伴わないのに、結果を知ったかぶりし、いうこと言うのに、やることをやらない。が社会的全体の認識になります。
で、この認識は、戦後ずっとの若者批判の同じ結論です。
過去の自己肯定が現在の否定であり、現在の若者は過去の若者の否定改良版だから。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/13 16:12

 以下、極めて個人的な私見になります。

予めお詫びして、ご了解をお願いいたします。

 ゆとり教育というのは、そういう名前を付けた教育方針で、その名前で導入もされましたから、確かにあります。しかし、今や卑しめるために言われる「ゆとり世代」というものはありません。その前の「詰め込み教育」による「詰め込み世代」ならあったんですが、用語としてはあまり言われません。末期には狂気じみた状況でしたが。

 閑話休題。ゆとり教育は学校教育(小学校~高校)でのカリキュラム内容を多少削減しただけのものです。そんなことで、ゆとり世代と一括りにされるような、酷い駄目人間が量産されたりするでしょうか。そんなことはあり得ないんです。

 ゆとり世代を批判するテンプレな例では、「98円のものを買うのにレジで103円出したら、3円はいらないと突き返して、おつり2円出しやがった。釣りが5円玉になることも分からん」といったものがあります。そんなこと、ゆとり教育以前から頻繁にあったんですよ。10代の行儀の悪さだって、昔からある。ゆとり教育以降出て来たかのように言う、思うのは、いったい何だろうと首を傾げざるを得ません。

 大半の批判は当たっていません。かろうじて、PISAなどのテストの成績が下がったということは(分析方法次第な面はあるが)、確かにあります。でも、それでいいんですよ。そんなテストで好成績取っても仕方ない、といってゆとり教育を始めたんですから。狙い通りになって、何を慌てて脱ゆとりなどと言うのか。大変に頭の良くない話です。もちろん、そのように右往左往しているのは、ゆとり教育を受けていない、もっと上の世代です。

 ゆとり世代(そんなものはないけれど、便宜上、この言葉を使います)は、実は恐るべき実力を持った世代です。学校教育のカリキュラムのせいではありません。小さい時から持っている、使っている道具が違うのです。PC、携帯、スマホなどでいえば、高い実力を評価して、デジタル・ネイティブと呼ばれることもあります。

 計算を例にすると、算盤を必死に練習した世代は、電卓を修行なしに使う世代に駆逐されました(「電池が切れたらどうするんだ!」などと無駄なあがきをしたらしい)。四則電卓を極めて何でも計算できるまでに修行した世代は、関数電卓を練習なしに使う世代に負けました。そして関数電卓はPCに。

 PC+プリンタはボールペン習字に熟達した層を不要にしました。電子辞書により、紙辞書ならとても持ち歩けない数を容易く持ち運べるようになりました。そうなると、例えば英語の上達の速さが違ってきます。さらに、今はスマホで膨大な数のネット辞書に。

 時間と労力をかけて知識をただばらばらに覚た単純物知りは、誰でもネット検索ができるようになると、相手にされなくなりました。

 そういう変化が、加速度的に起こって来ているわけです。今後もそうでしょう。だから、ゆとりより上の世代は、本心としては怖いのです。だから貶す。年長のため敬されているいるのをいいことに、若年者に無用、無理筋な駄目出しをするのです。

 なぜそんなことをするか。変化が緩やかな時代だったら、歳を取るだけで本当に役立つ人間になれました。生きていれば、いろいろ見聞きしますからね。いろいろやってみた経験も溜まっていく。ゆとりの上の世代は、さらに上の世代をそういう様子を見て、安閑と自分も時間さえ経てば偉くなれると思っていた。

 ところが、時代の変化が非常に急速になった。いろんな面で、若い連中が自分を追い越すようになった。知識自慢をしても、ググられて間違いを指摘される。それが受け入れられない。スマホ取り上げて、競おうとする。テストではシャーペンと消しゴム以外、許さない。

 馬鹿げているでしょう。今の実務能力は、スマホなどのデジタル機器込みで達成されているし、その基準で判断されます。PCの主要ソフトをどれだけ使えるか試されたりもします(で、ロートルはカンニングしたり、部下にやらせたり)。

 ゆとり世代を必死に貶して己が優ると言いたがっている上の世代は、そういう優れた機器を作り、ネットとつないで提供してきたわけです。「これ使って、頑張ってね」と。それなら、どんどん使って貰えばいい。子どもの頃からそういう道具を使い慣れていたら、道具込みでの能力が自分に優るのは当たり前です。

 やろうとしたことがうまく行きかけると、慌てふためいて止めようとする。なんとも馬鹿げたことです。しかし、もう流れは止まりません。ゆとり教育だろうが、脱ゆとり教育だろうが、関係ありません。どちらも、10年、20年経って、今のゆとりを貶す世代と同年齢になったとき、自分たちが遥かに優れていることを実証してくれるでしょう(上の世代が自ら、自分の若い時にできていたことと比べて考えてもいいんですが、やろうとしない)。

 教育方針の小手先のことなど無関係です。それにかこつけてあれこれ言うなんてのは屁理屈でしかありません。能力を増大させる道具がどんどん進歩し、普及している。だから、それで育ち、使いこなす若い世代は優秀である。それだけの話です。

 上の世代の一員として、以上のように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
デジタルネイティブ、初めて目にしましたが確かにその通りですね。教育水準が下がるのも、どうしても過去と比べてしまうのでクローズアップされるだけで、実問題は無いのかも知れません。

お礼日時:2014/09/27 12:45

>「生きる力の育成」との当初の目的は達していたのでしょうか?


達していると思いますよ。過去の社会問題を全部修正し、大人の小言を全部受け入れた理想型の子供がゆとり世代。

就職氷河期世代の自分からすると、10歳下のゆとり第一世代は、自分達世代の問題を全部改善しているし、
その10歳下のゆとり最終世代は、第一世代の問題を全部改善している。
どんな困難も前向きに受け入れる包容力を持っていると思いますよ。受け入れるから克服しないし、受け入れられないと反発せずに逃げる引きこもる。

無駄遣いをしない、ものを大切に、計画的に、地球に優しく、自分らしさ優先、友達を大事に、視野を広く、客観性をもて、自己主張をしろ。。。
理想の子供は、理想の大人とは違ったのです。
子供を子供扱いして、教育の先を見据えなかった泡沫的な大人の産物。
理想の教育で、大人のできないことを平気でやる大人になったから、鏡写しの自己嫌悪で嫌われる。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
もう少し教えて下さい。
上世代の問題点を修正されてるというのは、どんな内容でしょうか?
大人の出来ない事を平気でやるというのは、どんな内容でしょうか?

お礼日時:2014/09/27 10:08

 僕はゆとり教育がいいとか、悪いとかは分かりませんが、その実施の時期が、というか実施の動機が、まずかったと言うか、情けないと思います。



 日本には、外の目を気にする癖があります。国内では不評だった邦画が、国下の映画祭で賞を貰った途端に国内での評価が上がったことがありますが、同じような背景を感じます。

 実は外国で日本教育の詰め込みを見習わなければ、という風潮が広がり始めた時に、日本では外国を見習ってゆとりを、とすれ違いの決定をしてしまったような気がします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2014/10/13 16:15

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