限定しりとり

 
その理由は簡単である。
野球とかサッカーのような団体プレーでは個人の力量が計りにくい。
自分がいくら練習してアスリートとしての能力を伸ばしてもチームメートが練習もせず能力がなければ団体プレーでは力が発揮でききず全て水の泡となる。
あるいは監督がアホで力量のある選手と力量のない選手の見分けもつかなければいくら練習してアスリートとしての能力を伸ばしても全て水の泡となる。
スポーツ選手にとって最も大事なことは自分の努力に対する正当な評価である。
この観点から言えば陸上とか水泳のような個人種目以外にスポーツは成り立たないのではないか。
 

A 回答 (4件)

回答番号2,3のplapotaです。

さらに追記します。

古代ギリシャのオリンピア競技は、すべて個人種目でした。徒競走、幅跳び、円盤投げ、槍投げ、レスリング、ボクシングなど。アルケー競技、すなはち競歩は実施された形跡がありません。ポリスごとの競争はなく、与へられたのは、優勝者へのオリーブの冠でした。

現代オリンピックにおける、国家間の競争や団体種目の採用とは、大きく異なります。

hitonomichi33さんの御指摘が、本来の姿なのかもしれません。

*** *** *** *** ***

「時」は、先へと進みつつ,たしかなことを告げ知らせた、
彼がどのようにして戦の贈り物を選り分け
最上の品々を供物にしたかということを、
またいかにして四年ごとの祭礼を、
最初のオリュンピア競技と勝利の誉れとともに、
創立したかということを。
(ピンダロス『祝勝歌集』内田次信訳 京都大学学術出版会 83,84ページ)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
 

お礼日時:2014/10/25 08:27

回答番号2のplapotaです。

追記します。

たとへば野球で、打線の弱いチームにゐるピッチャーに勝ち星がつかないのを見ると気の毒に思ひます。なにごとも状況次第でせうか。

個人でチームをまとめるのにも限界があります。
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この回答へのお礼

 
ありがとうございました。
 

お礼日時:2014/10/25 11:18

この問題はスポーツに限つたことではないと思ひます。



職場でも、個人がどんなに成果を挙げても、周囲が足を引つぱれば、その個人の業績がかきけされてしまふことがあります。

反対に、一人で仕事をしてゐて一人分の成果しか出せなかつたのが、二人になれば二人分ではなく、三人分の業績をあげることもできます。

かうしたことができるかどうか、団体競技の場合の見所のひとつだと思ひます。
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>この観点から言えば陸上とか水泳のような個人種目以外にスポーツは成り立たないのではないか。


世界では多くの団体スポーツが成り立っていますから、
「この観点」とやらが間違っているのでしょうね。
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