現在必要悪として自動車、ゴミ等の環境問題や、サービス残業、自殺、言葉遣いなど様々なことがありますが、ほとんどの場合は個人の良識の範囲内というきわめて曖昧な倫理規定が社会通念的に通っているのですが、実際の所どこまでよろしいのか考えれば考えるほど分からなくなってきます。そこで必要悪を認めつつ有る程度規制する際に有用なルールの作り方の基となるようなことを教えてください

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A 回答 (4件)

>現時点での一般的に必要悪はどの程度アリかということを決めてしまえないかと思ったわけなんですよね。



ごめんなさい。これはどう答えたらいいのでしょうか。「どの程度アリ」の部分が上手く表現できないのですが、必要悪はどう理想を掲げても常に存在するものだと思うので(表裏一体ですね)。逆に bookmarkさんがゴミ等の環境問題、自殺、言葉遣いなどで例として具体的に示してくれると私も答えやすいのですが・・・

理想と現実の問題点をすり合わせて改善、改革されていくではダメですか?

> そこで必要悪を認めつつ有る程度規制する際に有用なルールの作り方の基となるようなことを教えてください

自動車問題ですが、排気ガスの規制なども排気ゼロにするのは車自体を運転しなければ問題は解決するのですが、今の社会に車がない生活は考えられません。しかし、削減する必要は感じているからルールを過去の経験や歴史に学んで目安として設けるわけですよね。国の体制によっても数値が違うこともあります。「実際の所どこまでよろしいのか?」に関しては後の歴史で判断されることでもあり、今正解がわかるのなら、確実な未来が手にできるはずですよね。だから、どこまでよろしいのか考えられないけど、ベストではなく、ベターと思うことをすることしかできない、と思います。

ちょっと、話が逸れちゃいましたか?
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こういうことは時代によって変化していくモノですから、制度の中での民主主義で判断されますよね。



ここで大切なのは、皆が納得できる指標・理念を掲げることで、必要悪があっても理解という解決で共通な利益を共有するようにすること。
更に参加意識が個々人にあると良いですよね。他人事ですと、人は無関心になりますから。

私も極言すると、常識なんてないと思っています。常識・非常識に境は決められないですし、強制されるものでもないと思います。しかし、大きい小さいに関わらずルールを設けるに本当に必要なモノは、教育だと思います。これも受けるだけの教育ではなく、プロセスや結果も状況により変化するものですし、他者を受け入れることができる尊重、寛容を身に付けるような教育です。個人から相手、その他の人々の存在から、社会が成りうるという自己と他人への理解を教えないといけないのかとも思います。

この回答への補足

皆さんが言われていることは、すごく正しく、すごくすばらしいことばかりですが、理想的なことを言われているように感じます。
 現実的な話をすると、(やはり具体例を出さないと話しにくいので出させていただきますと)政府が今やろうとしている構造改革など、明らかに善ととれますが、それにより仕事を失う人もいますよね、つまり仕事を失う人にしてみれば悪ですし、環境の話にしてみても同じようなことがいえますよね。そのような各利益を代表する人として政治屋がいるわけですけど、この人たちに任すとえらく時間がかかるわけですよね。
 また教育の話にしても、今このネット上でブラブラしている人に教育しても、アイデンティティが既に出来上がった年の人たちばかりなので、もう既に遅すぎるわけですよね、だから小学生くらいに教育していかなければいけませんよね、その子たちが社会に出て行くときまで”待て”というのも、気が遠くなるような話ですし、第一そのような教育プログラムを作ったとしても、教えられる人が今の日本にはいないので現実的な話ではありませんよね、だから現時点での一般的に必要悪はどの程度アリかということを決めてしまえないかと思ったわけなんですよね。
 いろいろ考えてみたんですけど、やはり具体例を出しながら教えていただかないと私自身わからないんで、できれば具体例も出してもらって、一般的なことを教えていただきたいです。

補足日時:2001/06/12 09:29
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必要悪というのは文字通り、


「悪いこともあるが、必要なので存在が容認されていること」ですよね。
それならば、悪い部分と必要(便利)な部分との比較考量で、それぞれのことがらを決めていくしかないのではないですか。
悪い部分と便利な部分を比べて、便利な部分が多いから許容する。
例えば自動車にかかわる各種規定の中でも、
単体で早く目的地につくためには、交通規制などいらないのですが、
それでは、事故が多くなるなど不都合がおきるので規制するのでしょう。
あるいは排気で大気汚染につながるから、排ガス規制などを行う。
悪い部分をそのまま認めるのではなくて、
比較考量するわけです。

さて、その基準ですが、事柄によって別々ですし、
時代によって変わります。
そして、利点と悪い点の受け方が個人によって異なりますから、絶対的にみなが納得する基準はありません。

こうした衝突する利害を調整するのが政治です。
逆に言えば、みなが納得する基準などないから
政治が必要だということになるのではないでしょうか。
納得いかない人にも強制するだけの正統性が必要なので、
政治に清潔さとか公平さが求められているのでしょう。
もちろん、広い意味の政治とは、国政、自治体の政治だけではなくて、集団であれば多くの確立で利害の衝突は起こります。マンションの理事会、生徒会や会社などなど・・・・でも、「政治」が必要なのでしょう。

わき道にそれてしまいました、すみません(汗)

というわけで、恒久的で普遍的な基準はありえません。
あるすれば、利益を比較考量するという、実に大ざっぱな営みだけでしょうか。
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個人の良識の問題です。

宗教とか道徳とかマナーとかの問題で規制できる類ではないのでは。

この回答への補足

説明が足らなかったようですが、個々人を規制するためのルール作成をする場合のお話をしています。
反論はあるかもしれませんが、私は現在の日本において、社会一般的に通用する宗教、道徳、マナーは存在していないと考えています。その場合多くの判断が、個人(特殊な考えをもつ人)に任されていくわけですが、そのような判断を、誰もが納得できるようにするにはどうすればいいかという話しをしています。
またこの質問はは、あえて具体例を避けて話しているので、答えられにくいと思いますがご了承ください。

補足日時:2001/06/11 10:14
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