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とても仲が悪いけど世間体のために離婚しなかった親を持つ者です。
お互い憎み合っているため、関心が全て私に行き、異常に過保護に育てられました。思い通りにならないと、父には顔や頭を殴られ母には泣かれました。
特に、二人とも私が英語を勉強するのを異常に嫌がりました。たぶん自分の手が届かない事をされるのが嫌だったのではないかと思います。

なんとか自力で英語を習得したのですが、外国人の友達とそういう話をしていると、虐待自体はどこの国でもあるけれども、アジア(特に日本と中国)では、“血のつながった親を尊敬しないのは許さない” “「どんな家族にも問題がある」と言って、虐待を否定してあげることが親切”という考えが根強いことをいつも感じます。
親に暴力を受けていた子供が成長後に親を殺す事件が多いですが、殺されるのは、私の親のように、子供を自分の思い通りに育てようとした親が多いようです。自分の経験上、原因の一つに、世間の無理解があると思っています。
私はもう若くないのですが“その歳で親を尊敬しないなんておかしい”みたいなことをよく言われます。そのうちの何人かに、実の父親に性的虐待に遭う人の話をするのですが、笑い飛ばされます。

自分が20代の時に、自分の話を聞いて、育った家庭環境が異常だということを認めてくれる人がいれば、もっと人生に前向きになれたのに、と、思います。私の親を含め、そういう親にも良いところがあるのですが、ただ話を聞いて、異常な環境に育ったことを認めてくれる人がいると思うと、親と向き合う勇気が持てます(少なくとも私はそうですが、世の中の人は逆に考えているようです。)

特に資格はないので、ただ話を聞くだけしか出来ない私ですが、自分の経験上“プロじゃない一般の大人が口を出さずに話を聞いてくれる”と思うだけで違うのではないかと思っています。そういうボランティアをご存知の方いますか?都内在住です。

A 回答 (5件)

おばさんです。



貴方の思いは尊いと思います。
ですが、お互いにとって果たしていいことになるのでしょうか。

聞くだけ・・・というと、軽いことと思いがちですが、虐待を受けていることで精神的に行き詰まっている場合は、相づち1つ打つことにさえ細心の注意が必要だと思います。
カウンセリングの経験のある医師が絡み合った気持ちを1つ1つ解していく、気の長い慎重に行わなければならないことだと思います。

また、反対に誰の助けも借りられず虐待を受けて子ども時代を過ごしてきた人は、話を聞くことで心の奥底に閉じ込めておいた苦しみがフラッシュバックするかもしれません。

やはり、気持ちを吐露することも含め、心の傷は心のお医者様に診ていただくのが1番良いのではないでしょうか。

下記のサイトの管理人は児童虐待と心の病について書かれています。
また、虐待体験と後遺症を相談された方々の実体験談がのっています。
どれも苦しさをぶちまけるように、気持ちを吐露されています。
話すだけではなく、改めて文章の力を感じました。
ここで貴方の思いをいかすことはできないでしょうか?

http://utubyoukokufuku.lolipop.jp/assault.html

ご参考までに・・・。
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この回答へのお礼

 有難うございます。

 自分自身医師に話を聞いてもらおうとしたのですが、普通の精神科医にはかなりぞんざいに扱われました。時間がないからだと思うのですが、長時間話せるカウンセラーだと、お金もかかるので、時間とお金のない若者の役に立ちたいと思っています。
 また、数はかなり少ないのですが“何の資格もないごく普通の大人が話を聞いてくれた”という経験が自分にもあり、生きる勇気を持てたので、素人だからこそ役に立てないかと思っています。
 フラッシュバックについては、そういう方達のお役に立てるなら・・・と、覚悟の上です。
 
 サイトを拝見しました。
 体験談のうち三人目の、お姉さんに苛められた障害者の方のお話が一番心に残りました。私も、正に、姉に苛められていた(彼女も父から暴力を受けていたので私はそのはけ口でした)障害者だからです。
 そんな私ですが、若い女の子には、お姉さん的な存在になることが多いです。
 私もおばさんだし美人じゃないので、男性からは人気がないのですが・・・身長170cm・体重50kg弱で、明るくコミュニケーション能力が高いと言われるので、よく若い女の子から慕われます。今までも、自分の親の話をした後若い女の子から「私はパパが大好きだから父親を嫌ってる友達が許せなかったけど今彼女が理解出来た」とか「自分は虐待されてたなんて言う人は卑屈なだけだと思ってたけどNさん(私)みたいな明るい人でも虐待されてたんだ、イメージ変わった」と、言われたことがありました。他の友達には話さないのに私には虐待されていたことを話してくれた女の子もいました。
 そういう経験を活かせれば、と、思ったのですが・・・最初からボランティアスタッフとして会う場合は、そうは行かないみたいですね。

 でも、そういうボランティア団体があったら、諦めずにチャレンジしようと思っています。自分の力不足で被虐待経験のある若者を傷つける前に、まずそこのスタッフの方と話すはずですし・・・

 ご紹介頂いたサイトで私の思いが活かせて被虐退者のお役に立てるかはわからないですが、私自身の勉強にはなりそうです。有難うございました!

お礼日時:2015/01/24 04:55

回答補足。


多重人格は、虐待被害を訴えても否定されたという事に起因して、発症するものではありません。被害本人自身が、虐待を強く否定する事で発症します。 そしてその人格は、自身が虐待の被害者であったという認知力を高める毎に統合されます。
虐待者と被虐待者のそれぞれ自身は、同じく虐待があると認め難い構造を持ちます。それを片方が認めない限りは、その関係性から脱出出来ないのです。
ですので、被虐待者が虐待をされていると訴えた時点で、虐待の構造は解消されたといえます。
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この回答へのお礼

 私の知る限りでは、多重人格は、虐待被害を他の大人に訴えて否定された後、自分でもそれを否定しなければならないと思うことから発症することが多いようです。あなたの言ってることとは、大差ないように思えます。それでも違うと思われるかもしれませんが、その違いを主張することの何の意味があるんですか?
 被虐退者が虐待されていると訴えた時点で虐待の構造は解消されるって・・・それで解決なんですか?父親に犯され続ける生活を送っていた女の子が、それを訴えて保護されて、今後犯される可能性がほとんどなくなったら、それでめでたしめでたしなんですか?
 相当虐待の定義に拘っている方のようですが、小難しい言葉を並べて、専門知識を振りかざしても、意味がありません。
 虐待は、する大人も、される子供も、近くにいる人間も、大半は、専門知識のない素人なのです。

お礼日時:2015/01/24 16:35

お礼頂きましたので。


私は十代の頃に、障害児童特化の学童保育で働きました。そして障害児童に惹かれる思いが強くなる毎に、自身の知識が不十分と思われ、成人後大学へ行き直し、現在では障害児童の発達の研究職に就いています。
障害児童は虐待の被害者になり易く、その仕事の中で凄惨な状況に出くわす事が度々あります。薬物依存症の親と掴み合いの喧嘩をした事もありますし、パチンコ屋や麻雀屋にいる親を家に帰るよう説得する事もあります。風俗で働いた親がその給金を払って貰えないという事で、代わりに交渉して給金を取り返したりもします。家出した子供を匿う集団から子供を取り返す悶着にも参加します。そのたび事に、なお私には知識が足りない、学びが必要だとつくづく思うのですよ。不十分だと思うばかりです。
あなたの志しが、確かなものだとすれば、何故相応の資格を得て、知識を得ようとなさらないのか。何故、現状のままの自分で人の役に立てると思えるのか不思議でなりません。まるで、あなたの自己肯定の為にそれらの悲惨な子供達を利用しようとしているようにも感じられます。それが無意識であればある程、人に害を与えるものにもなり得ます。これは私自身も常に自身に向けて問う事です。人の心というものは、人に向けて作用し易いからです。
例えば心理学を学び、それを誰かの為に役立てる人は、常に自身に向けての自己分析を怠ってはなりません。これは命題です。人を助けたいと思う気持ちが、常に善良であるとは限らないからです。
あなたの志しにかなうよう、知識を得る努力の中で、あなたの志しが求められる場所へ自然に導かれると思いますよ。どうか、学んで下さい。
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この回答へのお礼

 何を根拠に、私が何も勉強していないと思ってるのですか?
 私には、あなたが“私には知識が足りない、学びが必要だと思う”と、本当に思っているとは、思えません。私が、どこで何を学んだかをここで言わないのは、あなたの様に、習得した専門知識に固執し、それに当てはまらないことを否定したがる人に傷つけられてきたからです。学んでいた研究機関で、被虐待経験のある方達にお会いしましたが、大半は、専門知識のある人に自分の苦しみを否定されることを怖がっていました。
 現に、一昨日も、若い友達が夜中に泣きながら電話してきて、あなたととても似た経歴を持った人に自分の苦しみを否定されて傷ついたと言って来ました。彼女は、名門大学を出ているのに、いまだに国立大の医学部に受からなかったことで、親から人格を否定するようなことを言われ続けています。彼女の苦しみは、あなたが関わっているお子さん達のそれとは、全く違うものの様です。そう、“違う”のです。どちらがより苦しいかなんて、比べても意味がありません。それでもあなたは、彼女があなたの直接の知り合いだったら、彼女の苦しみを否定するのですか?
 上記の回答で職歴を書いて頂いたのは、恐らく私が“あなたの様なに人に傷つけられている人を助けたい”と言ったので“私は虐待がどういうものかをちゃんとわかっている”と、言いたかったからだと思います。でも私は、あなたの仕事を批判しているのではありません。虐待には、いろいろな種類があります。あなたが向き合っているのは、その一部ですが、それでもご立派な仕事だと思います。問題は、あなたが関わっている虐待以外の虐待に苦しんでいる人、そういう人を助けようとしている人を見下していることです。
 私は、勉強していた時に、恐らくあなたと同じ様なお仕事をされている方とお話する機会がありました。その上で、私は、あなた達が関わっている様な虐待を今受けているお子さんではなく、子供時代に過剰で歪んだ愛情を受けて育った成人を助けたいと思うようになりました。私とあなたの最大の違いは、私は、あなたのしている事を尊いと認めているのに、あなたは、私がしたいと思っていることを否定していることです。
 例えば私は、多くの障害児童にお会いしてきました。ただ、虐待を受けていた障害児童に特化した活動ではなかったので、あなたから学べることは、たくさんあると思います。でもあなたは、障害者本人である私から学べることは何もないと思っているようですね?代わりに、こんな事もしたあんな事もした、という文を読んでいると、変な優越感を感じます。
 そういう優越感を持った被虐待者をたくさん知っています。私は父にこんな事をされた、俺の母はこんな事もしてくれなかった、それに比べりゃお前の悩みなんか何だ・・・家族を頼れない以上良い友達を作らなきゃならないのに、その変な優越感のせいで友達を作れないのです。あなたの文章を読んでいると、あなたの関わっているお子さん達が、あなたから影響を受けて、そういう大人になるんじゃないかと心配になってしまいます。虐待は、終了すれば解決するものではありません。今虐待を受けている子供に関わる仕事をしている人間と、子供の頃に虐待を受けた若者を支援したいと思っている人間が、お互い否定し合ってても意味ないんじゃないですか?
 私自身は、最初の質問で言った通り、外国の研究機関や支援機関の方と話していて、日本の一番の問題点は、一般の方の虐待に対する認識不足だと思っていて、それを変えるお手伝いがしたいと思っています。だから“専門知識と資格のない人間は役に立たない”とは、思いたくありません。なぜなら、大半の一般大衆は、素人だからです。
 私自身もそうなので、こういう質問を読む人の大半は、今虐待を受けている子供ではなく、昔虐待されていた大人だと思います。あなたに同意する人がたった1人で、同意したくない人が5人もいるということがどういうことなのか考えた方がよいと思います。

お礼日時:2015/01/24 16:23

専門知識が必要です。



児童養護施設で活動されたらどうですか?
かなり悲惨な例があります。
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この回答へのお礼

 有難うございます。

 ただ、児童養護施設にいる子供というのは、既に、虐待を受けていたことを、周りの大人が認めているはずだと思いますので、私がしたい事とは違うのではないかと思います。

 過保護な親から過剰で歪んだ愛情で育てられた人の中には、ちゃんと育ててくれたどころか、普通の親よりずっと子供にお金をかける人が多いので、それでもなお親に感謝出来ないことで、周囲の大人だけでなく自分でも自分を責めてる人が多いようです。

 そう言えば、マイケル・ジャクソンも、来日時に、都内の児童養護施設を訪問してますが、彼も、そういう人の一人だったんじゃないかと思います。うまく踊れないと酷く殴られたそうですが、その経験があるから巨万の富を築けた。思い込みや期待を押し付けられて育った人の苦しみは、児童養護施設にいる大半の子供の苦しみとは、違うのではないかと思います。

 あと、出来れば、子供ではなく成人した若者のお役に立ちたいと思っています。

お礼日時:2015/01/24 05:31

虐待は犯罪なんですよ。


親に英語の勉強を反対されるのは、虐待ではありません。勉強にはお金がかかります。親が自分が持っている資質をどのような事に使うかは、親の自由なんですよ。子供に従うべきことではありません。
いいですか、虐待は犯罪行為なのです。その犯罪行為の被害者が、自ら被害を受けていると名乗り出る事が出来ない状態をさすのです。ですので、「私は虐待を受けています。」と自ら発言する人は該当しません。そんな事が言えるなら、自分を守る行動も起こせるでしょう?
何度でも言います。虐待は犯罪行為の被害者をさすのです。親子喧嘩は虐待ではありません。子育てに親が方針を示すのも、当たり前の事です。その方針に子供がそぐわない事は、虐待ではありません。
あなたのように、それを虐待だという言葉で表現する人がいて、虐待という言葉が余りにも広義に使われ過ぎて一般化する毎に、本当の深刻な虐待も同列に扱われるようになりつつあるのです。私は、子供に関わる仕事を長くやる者ですが、その事が非常に腹立たしいですね。
犯罪行為である深刻な事態の被害者を、ボランティアとはいえ素人に任せたりはしませんよ。それは軽率な事でしょう?
勿論、あなたが言うような内容で、悩まれる若者は確かに多いとは思いますが、そんな若者は、あなたが過ごす日常の中で知り合えるのでは、ありませんか?
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この回答へのお礼

 私は、あなたの様な人に傷つけられている人を助けたいと言ってるんです。
 英会話学校や留学の費用を出さない親は、たくさんいます。でも世の中には、自費で勉強しようとしている子供に腹を立てて、子供が動けなくなるまで暴力を振るう親がいるんです。
 「私は虐待を受けています」と自ら発言する人は虐待を受けていない、というのは、根拠不明で賛成しかねます。それに私は、子供の頃の被虐待経験に苦しんでいる若者の役に立ちたいと言ってるんです。
 自ら虐待を受けているなら自分を守れる行動も起こせるというのにも、賛成しかねます。ご立派なお仕事をされているようですから、多重人格者の多くが、親からの性的虐待を他の大人に話しても認めてもらえないことで発症するのは、ご存知ですよね?
 因みに私は、親からは性的虐待を受けていませんが、8歳の時に近所の男にいたずらをされた後、父親から、一家の恥さらし呼ばわりをされて、散々殴る蹴るされました。約20年後、父が、私が子供の頃ロリコンの被害に遭ったことをコロリと忘れていることを知りました。
 あなたは、親から愛情を受けずに暴力だけ受け続けたお子さんと接しているのでしょうか?もちろん私には、その様な方達の辛さは、わかりません。でも、歪んだ愛情で過保護に育てられた人間の辛さだって、そうでない人に“わからない”はずなのに、あなたの様に知った風な口を聞く人がいるから、だから助けたいと言ってるんです。
 そういう知ったかぶりの人の口から多く出るのは、「あなたのことを考えてるから怒るんだよ」という言葉です。そういう言葉は、私の親とは逆に、子供に勉強を強いる親を持つ子供に向けられることが多いようです。でも、勉強がクラスで一番か二番かで将来に与える影響なんて、ほとんどないですよね?一番でないと酷い暴力を振るわれることが与える影響の方がずっと大きいはずです。親から子供への怒りの中には、愛情でなく、思い込みや世間体から来るものが多いのです。
 確かに、親の子育ての方針に子供がそぐわないのは、虐待ではありません。でも、それを受け入れずに子供を思い通りにしようとするのは、虐待ではないのですか?
 そもそも、なぜあなたは、虐待という言葉を狭義に留めたがるのですか?私は、二級の障害者ですが、自分を障害者だと思うことを一級の方に申し訳ないとは思いませんし、三級の方が自分を障害者だと呼ぶことに腹を立てたりしません。理由の一つに、障害が重くなく障害者に見えないことで散々苦労してきたからです。虐待はこういうものだと決め付けずに、種類や程度に応じたケアをするのが必要ではないのですか?因みに、癌を経験していますが、辛くはありませんでした。理由は、誰も私の癌を否定しなかったからです。
 私が言うような内容で悩んでいる若者は私が過ごす日常生活の中で知り合えるというのは、間違いではないと思います。問題は、そういう人の大半が、明るく振舞ってても心を閉ざして他人に自分の被虐待経験を話さないことです。あなたの様な人に苦しみを否定されてきたから、更に傷つくことを怖がるからです。
 新聞やニュース番組を見ているのなら、親からの愛情を受けずに施設等で育った人達と、学校で良い成績を取る等親の期待や思い込みに苦しめられて育った人達、どちらが成長後に親を殺す人が多いかご存知でしょう?動機の一つは、あなたの様な人達の無理解だと思います。あなたの回答の同意数マイナス4というのが、それを表しています。
 

お礼日時:2015/01/24 03:17

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