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親に愛され育ったはずなのに、自己肯定感が異常に低く、人を信じることができません。何故でしょうか?


私の家庭は、よくある冷めた家庭でした。
両親が二人揃うところはあまり見たことがありません。
ですが、父は遊び歩いてほとんど家に居なかったにせよ、たまに顔を合わせると優しかったですし、手を上げられたことなど一度もありませんでした。
母は派遣社員として働いていましたが、七時には帰ってきて毎晩食事の用意をしてくれていました。五時には起きて朝食とお弁当の用意もしてくれました。

ですが、おかしなことに、愛された具体的な記憶がありません。
手を繋いで歩いていた記憶はあるのですが、その時私が思っていたことは"恥ずかしい"それだけでした。
小学生くらいの、記憶がはっきりしていない頃から、親と歩くのがとても恥ずかしく、嫌だったことを覚えています。

とは言っても、親との仲は悪くなかったと思います。
やっぱり具体的には思い出せないのですが、学校での出来事や読んだ本の話は、もっぱら母にでしたが、毎日のようにしていました。
反抗期もなく、叱られたことはありますが喧嘩をしたことがありません。本当に一度も、喧嘩になったことがないです。(私を育ててくれた母の基本的なスタンスが放任で、好きなことをやらせてくれたからです)
兄と二人兄妹ですが、すごく平等に育てられました。これは母が幼少の頃から贔屓されて育ち、それが嫌だったから、平等をとても意識してたんだと思います。
兄妹仲も、悪くないどころか、かなり良いです。兄とも、物心が芽生える前を除けば、喧嘩したことがありません。


私は現在21歳で、親元を離れて大学生をしています。
最近、友人に指摘され、やっと、今まで自分が誰にも心を開いていなかったことに気が付きました。

私は所謂優等生を演じ続けてきました。
友達の前では、「勉強はできるけど騒がしくてお調子もの」というキャラクターになりきり、いつもいじられ役として皆を笑わせる立場でした。
家でも、おっちょこちょいで甘えん坊な妹として振る舞っていました。
そうあることが普通だと、ずっと思っていました。
率先して、みんなに何かをしてあげる立場でないと気が済みませんでした。
小さなことですが、ちょっとした雑用を引き受けたり、勉強を教えてあげたり、そういうことです。
たぶん、そうしなければ、誰も私と付き合ってくれないと思っていたんだと思います。
本当の私は、とても暗くて、皆が私を嫌っているという被害妄想に取り憑かれていました。これは中学生の頃からです。
特に虐められた経験も、悪口を聞いてしまったこともないのに、です。

友達はあまり長続きしませんでした。
だんだん、嘘をつき続けるのが大変になるからです。
虚言癖というのでしょうか、どうでもいい嘘をついてしまう癖があって(それも大体は別に自分を大きく見せたいとかではなく、昨日赤い服を着た、とかそういう、毒にも薬にもならない嘘です)、矛盾がでないように考えるのは、大変な労力でした。
そのせいもあって、友達の数も多くありませんでした。
元々、友達は私に付き合ってくれてる、という思いもありましたし、私から遊びに誘うことはできず、学校が離れればすぐに疎遠になりました。

好きだと言ってくれる人がいても、まず真っ先に、この人は私に何を求めてるんだろうと考えてしまいます。
告白された側なのに過剰なほど尽くしてしまいますし、彼が望む私を演じてしまいます。
私から好きだと思うことは、正直、ありません。
恋愛に限定しなくても、好きな人、というものが、いません。友だちも、親も、兄も、死んだとしても私は悲しまないでしょう。
実際、18の頃祖父が死んだ時、わたしはひとつも悲しくなかったどころか、死体が恐ろしく、気持ち悪いとしか思いませんでした。週に一度は顔を合わせ、進路の相談にのってもらったり、書道を教わったりしていた祖父なのに、です。

症状といいますか、人を愛せないこと、信じられないこと、それらのことをカウンセラーに話したら、「親に愛されなかったのでは」みたいなことを言われてしまいました。そんな訳ないと思い、そこにはもう通っていません。
ですが、段々と不安になってきました。
私は愛されてなかったか、と考えてみると、ちょっとおかしなくらい、10歳くらいまでの記憶が朧気で、私は心に蓋をして、愛されたんだと信じ込んでるだけなのでは、と考え始めてしまいます。
こんなことを考えてしまうなんて、もうカウンセラーじゃなくて、病院に行ったほうが良いんでしょうか。


乱文失礼いたしました。こういったSNSでする初めての質問ですので、何か失礼がありましたら、申し訳ありません。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (9件)

ご両親はお仕事も家庭も、大切にしようと思われていたとことでしょうが、きっとお忙しくて、、ややマニュアル通りになってしまったんじゃないでしょうか?  実際、働きながらの子育てとか大変ですし。

 最初から、問題のおこる隙もない家庭に仕上げてしまっていたというか。 お子さんたちも賢いので、その空気を感じ取り、面倒をかけないよう自分自身を殺してしまっていたというか。情操表現をするのが、苦手なのでは? これからの人生、少しづつ「自分」の個性を知ることをテーマにされてはいかがでしょう。誰に遠慮することも要らないです。何でも、好きなことを、とりあえず、一人でしてみるのは?  通りすがりの者ですが、おせっかい、失礼しました。
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
自分の考えならまだしも、気持ちを誰かに言ったことは、たぶん、ほとんどありません。苦手以前の問題ですね。個性ですか……あまり考えたことなかったです。これから考えてみようと思います。がんばります。

お礼日時:2015/03/28 18:05

53才、既婚男性です。


貴女が悩んで、知りたい事は何でしょうか?
10才までの、記憶が曖昧な事でしょうか?
御友達から、指摘された事でしょうか?
まず、御両親が貴女を愛しているような行動があったか、無かったは、それほど重要な問題では無いんですよ。
実際問題、貴女が御両親に愛されていると感じるかどうかが問題なんです。
それは、実際の行動で決まる事では無いと思います。
子供にとっては、両親は保護者です。
赤ちゃんが、両親の愛を疑うでしょうか?
愛されていなければ、捨てられたり、虐待されるでしょう。
ですから、普通は疑いもしないはずなんですよ。
御兄様とは、仲が良いんでしょう?
御兄様は、貴女を愛してくれていますか?
御友人との関係についても、貴女は友人が欲しいんですよね?
それは何故でしょう?
たとえば、それらの行動が、普通に見られたいと言う自意識から生まれているのなら、自然な感情とは違うかもしれません。
でも、それが問題なわけでは無いんですよ。
社会生活を続けていく上で、問題が起きる事は無いでしょう。
虚言癖については、確かに問題かもしれません。
問題の本質は、嘘をつく事では無く、それによって人間関係に問題がおきてしまう事です。
普通は、問題がおきたり、自分にとって不利な行動はしなくなるはずですね?
貴女にとって、解決しなければならない問題がどこにあるかを理解する必要があります。
まず、人を信じる事と心を開く事は、関連性は無いんです。
人は、誰でも、自分にとって必要な行動しかとらないんですよ。
人を信じる事が出来ないのではなくて、人を信じる必要が無いんじゃないないですか?
心を開けないんじゃなくて、心を開く必要が無いんでしょう?
貴女が、人を信じたくて、信じられないのなら、矛盾があります。
心が開きたくて、心が開けないのも矛盾ですね。
でも、質問文からは、そのようには感じないです。
相手が何を求めているかがわからないと不安になるのは、確かに問題かもしれません。
問題は、不安になる事です。
見えない物が怖いのは、自然な感情です。
でも、心は誰にも見えません。
では、何故不安に思わない人がいるのでしょうか?
それは、相手の心に依存していないからです。
一般的な人間関係であれば、相手の心に依存する必要が無いから、不安になる必要が無いんです。
友人や、自分が愛する相手などは、自分が好きだから、関係性が成り立っているんです。
つまり、そこに相手の心が絶対条件にはなりません。
ただ、一般的には、相手もそれなりの感情が無いと関係性が生まれないのも確かです。
だから、関係性がある事自体が、お互いの感情を証明しているんです。
感情に齟齬が生まれれば、関係性は無くなります。
親兄弟・親族は、ちょっと条件が違います。
何故ならば、生まれた時から、血縁と言う関係性が生じているからです。
親であれば、子供の面倒を見る事、子供からは面倒を見てもらう事、兄妹も一緒に生活する事により、自然に関係性が生まれていきます。
親族も同じですね。
それは、生活の歴史により条件づけられています。
愛情を与えられる行動の無い家庭であれば、それらが条件づけられない可能性はありますが、出生時からそうである例は稀でしょう。(愛情がなければ、面倒は見ないからです)
まずは、貴女が解決したい問題を整理して見れば良いと思います。
心配であれば、医療機関等を受診してみても良いでしょう。
必要な事は、貴女の不安が解決する事です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
解決したいのは、究極的には、自尊心の低さなんです。
その原因が、カウンセラーに聞いても、ネットや本で探しても、家庭環境とばかりで、ですが、親に問題があったとは、私には決して思えなかったんです。
そう悩んでるうちに、私は親を愛せないどころか、注いでくれた愛を受け取ることさえしてなかったのか、悩んでしまって、
つまるところ、自尊心の低さの原因を解決しようとしたら、その原因を見失ってしまった、ということでしょうか。
確かに、人を信じられなくても、心を開かなくても、大丈夫なことは、今までで分かってますから、必要性という点で、さしせまったものはありません。
ですが、そんな人生、寂しいです。
不安が解決すること、
そのために自尊心をどうにかしたかったのに、余計に不安になってたらしょうがないですね。
また、まとまらなくてすみません。
がんばって整理してみようと思います。

お礼日時:2015/03/28 18:23

幸せそうなヒトの子供時代を聞けば、たぶん自分の親との基本姿勢の違いがわかると思います。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/03/28 18:25

表面的には何不自由なく問題のない家庭。


これが実は落とし穴、ネックなのです。
あなたのご両親は確かに親として立派に責任を果たしあなた達ご兄弟を育て上げられました。
世間的にはそれだけで十分に評価される良いご両親です。
しかし条件をクリアしていればそれで良いという事ではないのが家庭であり子育てです。
時には不十分な状態でも子供はより愛情深く育つこともあります。

あなたのご両親にはもちろん愛情がありました。それに何ら不足はなかったはずです。
しかし、あなたにそれを十分に伝えることが出来たか?
よく言われるのは「兄弟同じように育てたのに何故こうも違う?」ということ。
当たり前なんですよね。子供はそれぞれに違う。同じように育てれば同じ子供が育つわけでもない。
お兄さんには良くてもあなたは違ったかも知れない。別の対応をしてあげなければいけなかったかも知れないのです。
だとしてもあなたに何ら非はありません。自分を責める必要はないのです。

ご自分で自覚がないようですが、あなたは寂しい子供時代を送ったと思います。
手のかからない良い子だったのでしょう。すると親は手をかけなくても大丈夫だと思ってしまう。
本当はもっと関わってあげるべきだった。もっと深い心の交流をあなたは必要としていたんです。
ご両親は決して仲が良いわけではなかったようですね。
すると、子供は自分が「かすがい」にならなければいけないと本能的に思うのです。
私が良い子でいないとこの家庭は駄目になるのではないか、と無意識に察知するのです。
だからずっと、あなたは自分の本心を押し殺して我が儘を言わず両親の気に入る子供を演じてきたのです。
もちろんそれは友人など他人との関係にも大きく関わります。

おそらく幼少期のご両親の接し方に何らか問題があったと思われます。
問題といったって別に虐待があったとかという話ではありません。
スキンシップが不足していたのではないでしょうかね。
そんな事と思うかも知れませんが幼い子供にとっては大きな問題です。
お忙しくて余裕がなかったかも知れませんが、一番は気持ちの問題です。
ご夫婦仲が実は冷え切っていたかも。
あるいはお母様は子育てを負担に感じていたかも知れませんね。
あなたにとってショックなことを言ってると思いますが、本当はもっともっと甘えたくてかまって欲しかったあなたの心が、幼いまま育っていないのではないでしょうか。
無償で愛される実感が欲しかったのだと思います。

だとすれば、カウンセリングで心の育てなおしを図ることです。
もうあなたは小さな子供ではないから、今さらお母様に甘えることなど出来ない。
だから自分で育ちなおすしかないのです。
深く自分の内面の奥底に立ち入り、問題の根本を見つけましょう。
それは簡単なことではないし怖いことかも知れないけど、冷静に自分を分析してみる必要があると思います。
誰が悪いのでもないのだという事は、忘れないでください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
精神年齢が、低いということは、自分でもすごく感じることがあります。情緒的には、まだ中学生か高校生くらいだなあと。
カウンセリングで、育てなおす、ですか。心を育てることは、できるんでしょうか。ちゃんと大人になれるでしょうか。不安ですが、専門家と、ちゃんと相談する必要は、きっとあるのでしょうね。もう一度通ってみようと思います。

お礼日時:2015/03/28 18:34

>親に愛され育ったはずなのに、自己肯定感が異常に低く、人を信じることができません。

何故でしょうか?

自分が自分にダメだししてるからです。
別に親のせいじゃない。
人を信じないということは、つまりあなたも人を騙そうとしているということです。
相手を利用するために相手と一緒にいる。あなた自身が。
だから相手もそうだと思う。

>私は愛されてなかったか、と考えてみると、ちょっとおかしなくらい、10歳くらいまでの記憶が朧気で、私は心に蓋をして、愛されたんだと信じ込んでるだけなのでは、と考え始めてしまいます。

そんなのどうでもいい。
愛された、という具体的な証拠がないなら愛されてないんでしょう。
でもそれと、自分が自分にダメだしするかどうかは関係ない。
自分の意志なのだから。

別に人を信じたければ信じればいいし、信じたくなければ信じなくてもいい。
自己肯定感が低いのがいやなら自分で自分を褒めればいいし、困ってないならそのままでいい。

自分が何をしたいかです。
自分がよいと思うことをコツコツやることです。

>そんな訳ないと思い、そこにはもう通っていません。

自分が逃げたのかどうかは自分がよく分かっている。
逃げ続ければ何も変わらない。

自分がどうなりたいのか考えて、それに役立つことをマジでやることでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
人を信じてない、騙そうとした、というのは、その通りです。ですが、信じる方法も、騙さず付き合う方法も私には分かりません。

自分で自分を叩かずにいられないんです。これは意志で治るんですか。治そうとして治るんですか。

カウンセラーからは、逃げたと言えば逃げたんでしょう。当時は単に、なんて的外れを言う奴だ、こいつはヤブだと思い込んでいました。ですが、それは自分の弱さから目をそらすための言い訳だったのかもしれません。

変わりたいと、思ってますが、手遅れな気もするんです。何がしたいのか、もうさっぱり分かりません。何になりたいのか、どうにも見えないのです。
ですが、やらなくてはいけないのでしょう。マジになる必要が、私にはあるのでしょうね。諦めないように、投げ出さないように、一心に頑張りたいです

お礼日時:2015/03/29 10:00

自尊心や自己肯定感の低い人ほど自意識過剰です。


身内にもいるのでどうしてだろうと考えていたところです。
思いついたのが損得勘定が働くからではないかということです。
自尊心が高い人は自分だけでなく他者の欲求も尊重しバランスを取ることができます。
損になることは避け、得になることしか考えない人は自尊心が高いとは言えません。
あなたが他者に合わせるため自分を装うのも、そうすることで得られる何かを期待しているからだとは考えられませんか?
しかし期待が外れることがしばしばあり、それが人間不信に繋がっていくものと考察しました。
自尊心を高める方法は、自他ともに誠実であることを心掛けて下さい。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
自意識過剰なのは分かっています。というか、他者への意識の仕方がわからないんです。
期待をしている、というよりむしろ、何にも期待をしてません。私が人の雑用を買って出るとき、それはもっぱら私のためです。人のために行動していると、自分が安心できるからです。ですから、人に失望したという経験(少なくとも記憶に強く残るようなものは)無いんです。
変な話、損得勘定で考えたら、いつでも損になってると思うし、損でいたいと考えています。損でいることが楽だからです。
誠実であることが何かは、今の私には分かりません。ですがその誠実さを探すことを含め、頑張ってみようと思います。

お礼日時:2015/03/29 11:40

>自分で自分を叩かずにいられないんです。

これは意志で治るんですか。治そうとして治るんですか。

治ります。

そのためには、原因追求はほどほどにして、自分を叩くことをやめて自分が望むもっと望ましい心理状態で生きていけることをサポートしてくれるカウンセリングに行った方がよいです。

カウンセラーはあくまでサポートなので、やるのは自分ですけどね。

自分が原因を追究して解明したければ、すればいいと思いますけど。自分の望みですから。

自分の望みすら分からなくなってるなら、周りに踊らされて生きてるだけですから、自分が自分に戻ることから始める必要があるかもしれませんが。
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この回答へのお礼

お返事、本当にありがとうございます。
治ります、という言葉に、なぜかとても安心していました。
自分が自分を叩くことを、もう止められないと諦めてしまっていたんです。そう言って頂けただけでも、少し前向きになれそうです。

原因を探して後ろばかり見ていてもしょうがないですからね。追求はほどほどにして、ちゃんと今どうすればいいのか、を考えるべきなのでしょう。そのためには、専門家のお力を借りることも、厭うわけにはいかないのでしょう。

お礼日時:2015/03/29 11:47

私には、あなたが子供の頃愛されていたと感じていたとはとても思えません。


父親とは、たまに帰って来た時には、仲良しを演じなければならなかっただろうし、
母親も、あなたに特別なことはしてくれなかったようですね。
平等に育てられたということですが、逆に言えば、特別な関心を注がれてなかったということ。
関心を得ようとしても、無視されていた可能性すらあります。
自分でも「放任」という言葉を使ってますし、それは愛情には繋がりません。
兄弟間ですら、喧嘩も出来ない仲なのではないですか?

「喧嘩するほど仲が良い」とは限りませんが、本音を出せているなら考え方に違いが出るのは当然で、
それが喧嘩になっても不思議ではありません。でも、それが無い。
もっと問題なのは、仲直りという経験が少なすぎて、喧嘩になるのが怖くなり、
本音が言えなくなってる可能性があることですね。
「仲が良い」という言葉が、「喧嘩しない」など、まるで友達との関係を表すように使われてますが、
親子の愛情がそんなことで満足出来てるんですか?
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文章を読んでいて気に成ったのが・・・?



>親に愛され育ったはずなのに、自己肯定感が異常に低く、
 人を信じることができません。何故でしょうか?

成人に成ると、「自分が」「自分は」だと思います。

親に愛されていると…どうなるのでしょうか?
親に愛されていないとすると・・・どうなるのでしょうか?

どちらにしても貴方はどうするのか?だと思います。

なので、第一人称で考える年齢だと思います。
私は親に愛された経験もありません。
しかし、病気にもなっておりません。

貴方は病気ではないと思います。
また、貴方の様な方は世の中に沢山いると思います。

ご心配に成る事は全くないと思います。
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