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身の程を知ることと自分を低く見る(他人は自分より上の存在だと思う)ことの違いって何ですか?
また、私の場合身の程を知ったら自分に自信がなくなるんですけど、どうやったら身の程を知った上で自信をもつことができますか?

A 回答 (12件中1~10件)

自分よりスペックが低いのを見下すのがいいと思う。

自分のスペックが低くても親のスペックが高ければ生きてく上で全然問題ないよ。DNAで考えるか自分個人で考えるかの違いじゃないの?
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/18 01:35

自己満足なんかいくらでも出来ます。

要は他人の評価です。他人に評価される事を頑張ってやって下さい。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/18 01:36

身の程を知っただけじゃ自信は持てません。


自信はおのれの努力に裏づけされるものです。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
自身は努力をしたときに持てるものなんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/18 01:38

「天は、人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」



何をもって、自分より上だとか、下だとか判断しますか?

例えば、サッカーで自分は0ゴールだったが、友人は1ゴールした、友人の方がサッカーがうまい。と思うのは間違っています。
ドリブルが上手い人もいれば、カットするのが上手い人もいます。
誰かが上、ってことはないと思うんです。
ボールを運んだ人や、チャンスを作った人がいて初めて、友人はゴールすることができたのです。

ドリブルが上手い人なのに、ゴールを決めるポジションに行きたいというのは、身の程を知らないというのかもしれません。
自分の良さを生かせていないので。
だけど、友人よりサッカーが下手だ、と思うのは自分を低く見ています。得意なことが違うところにあるだけ。

自分の良さに気付いて、それを生かせば、自信につながると思います。
でも、自分が持っていないものに執着して、ゴールの上手い友人に嫉妬していると自信を持つことができません。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
サッカーの例えでわかりやすく回答していただきありがとうございます。
誰もが違っていてそれぞれいいところがあって自分の良さに気づけたら自信を持てるということですね!
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/18 01:46

"身の程を知ることと自分を低く見る(他人は自分より上の存在だと思う)ことの違いって何ですか?"


    ↑
身の程を知るてのは分相応ということです。
7のレベルだったら、7だと認識して、7の
言動、生活をしろ、てことです。

自分を低く見る、というのは7なのに、6,とか5
と認識、評価してしまうことです。


”私の場合身の程を知ったら自分に自信がなくなるんですけど、どうやったら身の程を知った上で自信をもつことができますか?”
      ↑
身の程をステップアップすればよいだけです。
7だから自信がなくなるのですから、それを8,9
にすればよいでしょう。
方法は努力するしかありません。
努力もしないで問題を解決しよう、なんてのは
図々しいです。

尚、うつ病の人は、自分を正確に評価できるそう
です。だからうつ病になります。
健常者は自分を過大評価します。
だから、うつ病になりません。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
確かに努力することで自信を持てるんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/18 01:48

「身の程を知る」と同様の言葉に「身の丈を知る」という言葉があります。


おそらく語源は、「身の丈(=身長)に合った着物がもっとも格好良く綺麗に着ることができる。」ということでしょう。
いくら高価な着物でも丈が短くて脛が見えていたら恰好悪いし、丈が長すぎて裾が床を引きずっていたら恰好が悪いということなのでしょう。

したがって、正しく客観的に自分を理解することが「身の程を知る」ことだと思います。

よく陰口って言うじゃないですか?(決して褒められる行動ではないですが・・・)
「○○って、運動神経はいいけど、馬鹿だよね?」とか「○○は頭はいいけど、性格悪いよね。」とか「○○は性格いいけど、デブだよね?」などなど・・・
自分に対してもそのように言えると思います。
「私って○○だけど、××だよね・・・」(○は長所で×は短所)

でも、これらって非常にネガティブ(否定的)な表現です。ちょっと言い方を変えて、
「○○って馬鹿だけど運動神経いいよね。」とか「○○は性格悪いけど、頭いいよね。」とか「○○はデブだけど性格いいよね。」さらには、「私って××だけど、○○だよね。」
これだけでやはり気持ちって前向きになると思います。

さらにいえば、欠点があるということは良くなるチャンスがあるということです。

ほとんどの人(特に日本人)は、自分の長所を5個あげるのは難しくても、自分の短所を5個あげることは簡単にできます。
では、この5個の欠点を1個でも直せれば少しレベルアップするじゃないですか?
「私にはこういう欠点があるので、今直そうとしています。」凄く前向きですよね?
かといって、きっと5つの短所を克服できたときには、また他の5つの短所に気付いてしまうはずです。
これを繰り返していくうちに人は成長するのだと思います。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
短所を繰り返し克服していくことで人は成長できるんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/18 02:48

「自分」という基準があったら、


「高い」「真ん中」「低い」の中で、
「真ん中」のことをやってください。

身の程というより身の丈程のものが丁度よい。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
無理に背伸びをせず、自分らしく身の丈に合った生き方がいいんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/18 02:50

おじさんです。


「他人は自分より上の存在だと思う」
→keynjjさんはお若いのだろうと思います。
といいますのは、子供の頃や若い頃に競争を強いられてきたからです。
学業でも、運動でもです。
しかし、それは強い人間を作るための教育だったのです。
しかし、社会に出れば、競争などしても疲れるだけです。
会社の出世競争や企業競争、スポーツ競技での競争などは、やり過ぎると心身の健康を阻害し、病気になるのです。
競争で勝った負けたなどは、過ぎてみれば大した差はないのです。
ですから、結論としては勝った負けたという垂直思考ではなく、誰でも得意不得意はある、それぞれの好きなことで生きていけばいいという水平思考が一番いいのです。
勝った負けたなどと考えて生きるのは、中学生レベルの思考なのですからね。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
勝ち負けにこだわらず、自分の好きことをするのがいいんですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/18 03:02

ご自分に自信がなくなる時があるのですね。

身の程を知るのはご自分の伸び代があるていど想定でき行動できる事かもしれません。自分を低く見るのはご自分の能力を謙遜する事だと思います。身の程なんて関係ない、ガンガン突き進む人生って生きてみたいですよね。どうぞ笑顔で姿勢良くいて下さい。自信がついてきます。上手くいきますよう応援しています。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
こんな僕を応援してくださるなんてすごく嬉しいです!
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/19 15:53

「身の程を知る」とは、



「自分の現在の力、将来の力を正確に知りたいと願う気持ちにより、

 自分の定め(適職)や役割(気付かなかった周囲の期待)が見えてきて、

 自分の人生を効率的に運用できたり、充実した生活をおくれるようになる。

 自分を完全に制御し、運用しているという自信と自覚が生まれる。

 そんな”流れ”が生じ始める」

という意味でしょう。

自分を低く見積もる行為と大分違うとおもいます。


例えば大変優秀で、実力のある人がいたとします。

こういう人は身の程を知って(優れていると自覚する)、

もっと世の中に自分をアピールするべきでしょう。

世の中に立つ(立派という語源)べきです。

しかし、「そこまで力は無いだろう」と思い、小さな幸せを探すこともあります。

すると、色んな物事が上手く行かず、その人とその人に親しい方々が不幸に成ります。

何故だか運が悪くなるんですよ。

これは、自分を低く見すぎて、身の程を知らなかった逆の例ですね。


この”身の程”には、役割とか責任と言う概念があり、

加えて継続的に実施するという義務が加わります。

先ほどの例のように自分を低く見すぎて、

”継続的に実施できる役割”があるのに、これを無視したとします。


大概において、他の人にとっては、

「あの人にとっては楽にできるはずなのに、涼しい顔で私の苦労を見ている。

 冷たい人だなあ」

という印象を与えます。

自分に劣等感を与える苦しい存在として受け取るでしょう。


これは別に悪いことじゃないんです。

身の程(自分が優れている)を知っていれば、

「多分そう(冷たいと)感じているだろうなあ」

と予想がつきますよね。

これが分かっていれば、他の人とも問題を起こさずに、上手く付き合っていけるはずです。

身の程を勘違いしていると、

「これくらい誰でも出来るでしょ?」

と不用意な発言をしてしまいますよね。

そういう意味でも、優れた人もそうじゃない人も、

身の程を知っておいて頂けるほうが、周りは迷惑をしませんよね。



次に、別の例ですが、

「今は楽しく出来ても、継続すると負担になってきて、最後はやりたくなくなる」

ものがあったとします。

他人と言うのは、継続したらどうなるかまで考えてくれませんよね。

最初のほうだけ見て、「大丈夫そうね、任せた」と言うものですよ。

つまり、継続を強制してくるわけです。これはどうにも防げないものですよ。

”できる”という事をアピールすると、失敗するまで継続させられるわけです。

でまあ、その失敗のときに「きみにはがっかりだよ」と鼻で笑われてしまう。


しかし継続しても、負担にならないくらいの簡単なものならば、

アピールしても安全ですよね。

ここまで考えて、やれる、やれない、できる、できないを示すことが大事です。

これも身の程を知る行為の一つです。


次に憧れの先に何があるのかを知ることです。

義務とか責務と言うものを忘れがちです。

カンニングで試験をクリアし、学歴を飾ったとします。

しかし、学歴の先にあるエリートコースに潜り込んだとしても、

本当に実力がある人の間にはいって、やっていけるんでしょうか?

負い目と劣等感にさい悩まされて、地獄の人生を味わうでしょう。

(そういう人が本当に身近にいたので、驚いたことがあるんですけど)


若いうちは、

自分の未来を阻害するゲートみたいなもの?があるように感じるものです。

何とかしてそれを交わして、その先の富を手に入れたいと思うものです。

ですが、ゲートと感じているのは自分だけかもしれないんです。

「そんなものあったっけ?」

と言う人が沢山いるかもしれません。

こういう人が苦労せずに潜り抜けているんでしょう。

自分が阻害されていると感じた段階で、気がつかないといけませんよね。

この人達と戦うことになるということを。


競争と言う概念を述べたので更に補足します。


継続的に競争を続けており、これを負担と感じていない人種がいます。

こういう方々は、勝つことにも負けることにも慣れております。

負けから逆転することを無常の喜びとしています。これを楽しみにしています。

さらに、

同様の志や性質を持つライバルがいることを知っています。

こういう人は、劣勢に見えるライバルに対しても油断しません。

劣勢と言うのが芝居かもしれないからです。


ライバルの作戦としては、

(本当は何時でも勝てるのに)最初はわざと負けようとします。

これに引っかかると、損失も大きいですが、ショックも大きい。

これが一番危ない。

やる気をそがれますと、その後の人生も下降気味になります。

これを防止するためには、

優勢や劣勢のような、今の状況とは別の情報を参考に使います。

「xxが出来る人が、こんな弱い人物像だろうか?」

こう考えれば、慢心もさめて用心深くなりますよね。



この様に、身の程を知るという本来の用法は、

こっそりと自分を戒めるときに使うモノじゃないかと思います。

人の自慢がくやしくて、これを言い負かすときに使ってはいけません。

誰かの態度が大きいからと言って腹を立ててもいけないでしょう。

不用意に腹を立てれば、そこから余計な勝負毎に発展するかもしれません。



人と言うのは他人に対して厳しいものです。

勝負が決しても手加減しませんし、頼んだからと言って辞めてくれません。

一度、自力の違いが判明すると、

安心して継続的にこちらを支配し続けるでしょう。

自力に違いがあると言う事は、こちらの脱出手段も防いでくると言う事です。

こういう状況になれば、将来に対しての希望と言うものは無くなります。


これを防いだり、抜け出すためには、

他との力関係から、正しい相手に正しく取引を持ち掛けないといけません。

しかし思っている以上に状況が悪かったり、

思っている以上に取引材料の価値が無かったりすれば、

余計な情報を相手に与えてしまい、

これが切っ掛けで脱出不可能な罠にはまることがあります。

これも身の程を知るという行為の一つになります。




今または将来存在する脅威に対して、どのくらい距離を置けるか?

脅威の度合い、それに見合う距離感を大事にしたいと思いませんか?



誰でも、いざとなれば逃げ出すわけです。

それが想定されるならば、普段から偉そうにしないのも知恵の一つ。

大物ぶって、勝利宣言とかしちゃった後に逃げ出すことがあれば、格好悪いですよね。

身の程を知るというのは、

自分の根性や勇気なども加えて、評価しないといけませんよね。





さいごに本質問の答えとしては、

「周囲の人よりも少しだけ慎重になる。」

ことでしょう。

(これで充分にいけます)

他の人が「自分以上に身の程を知らない」ことに賭けるのが極意です。

自分を低く見積もることは何も益になりません。

その場その場で、周囲を見て程度を変えるのがコツですよ。


ノウハウとしてですが、

「誰も助けてくれない中で、

 ガチ勝負を挑まれ、その上で脱出不可能な支配を受け続けるかもしれない?」

と想像する。

これで不用意な言動や行動に抑制が掛かるはずです。

支配を受け続ける可能性!

これを想像するのがポイントです。

この抑制は慎重というカテゴリに入ります。

自信を無くした状態ではありません。



そして、自分より抑制がきいていない人が居れば、

自分が相対的に謙虚となるはずですし、これによって助かるはずです。

具体的には、冒頭から例に挙げている、事例を参考にしてください。

普段そういうことを考えていなかったのならば、

大変有効であるとおもいます。



以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

大変遅くなり申し訳ありません。
こんな僕にこんなに長い文章を書いてくださってありがとうございます!
回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/08/20 01:10

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