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コーラン9章5節の「多神教徒どもを見つけしだい、殺せ」という章句と、2章256節の「宗教にはむり強いがあってはならない」や17章33節の「正当な理由がないかぎり、人を殺してはならない」の章句の間で矛盾が生じていると思うのですが、どういうことなのでしょうか?

A 回答 (4件)

別に矛盾はしてませんよ



皆殺しにしろという命令ではありませんから
「聖月が過ぎたならば,多神教徒を見付け次第殺し,またはこれを捕虜にし,拘禁し,また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。だがかれらが梅悟して,礼拝の務めを守り,定めの喜捨をするならば,かれらのために道を開け。本当にアッラーは寛容にして慈悲深い方であられる」

これが、その節の全文で、この節ができたのには理由があります。

ムハマンドがアッラー(神様)の教えを布教していきましたが、それでも迫害を受けていました、幾数年かけて布教してもなお攻撃を仕掛けて来る者、国を倒そうとする者に対して、戦争を早く終わらせる為に言った言葉にすぎません。

「殺せ」の部分だけを抜き出してしまうと、ただの殺人命令になってしましますが、悔い改める者であるならば、それを許しますから、戦争を止めましょうね、と言っているのが、この教えです。
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コーラン9章5節の「多神教徒どもを見つけしだい、殺せ」


やじるしそんなことは書いてありませんよ。
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これまでの回答者のかたがたの御意見で充分なのですが、いくらか追記します。

『コーラン』の引用文は下記のものを使用します。回答番号2の方もさうなさつてゐるやうです。
『日亜対訳注解 聖クルアーン』日本ムスリム協会

『コーラン』を読むときの注意として、これは通常の文章ではなく、アッラーからの言葉である、としてゐることです。ですから詳細な状況説明がなくても、信用性が保持されます。(もちろん信じる人にのみですけれど。)御質問の9章5節につきましても、そこだけを読むと、酷い記述に思へます。この文章が書かれた当時、イスラム教徒への迫害がおこなはれてゐたといふ歴史的背景を資料から示すことは、不勉強な私ではできません。『ハディース』ですらほとんど読んでゐません。

「アッラーとその使徒から、あなたがたが盟約を結んだ多神教徒に対し解約が、(宣言)された。」
(9章1節)
それなりの戦争状態にあつたのでせう。
「それにしても(多神教徒は)4ヶ月の間は(任意に)国中を往来させなさい。」
(9章2節)
しかし聖なる月とされる「4ヶ月の間」は戦争をしてはいけないことになつてゐます。これはギリシャのオリンピア競技と似てゐます。現代ではオリンピックは歴史にもとづいて平和の象徴だともてはやされますが、実際には宗教儀式として戦争を中断しただけであつて、イスラムのこの記述と同じことです。該当期間がすぎれば、再開します。
「聖月が過ぎたならば、多神教徒を見付け次第殺し,またはこれを捕虜にし、拘禁し、また凡ての計略(を準備して)これを待ち伏せよ。」
(9章5節)
文脈から考へれば、単なる戦争状態の開始宣言にすぎません。あくまでも時代背景があつての内容です。
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>どういうことなのでしょうか?



 日本国憲法9条と同じ
解釈次第です。
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