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うちでも、迎え火と送り火を庭先で、松の木?を燃やしますが、
半分も燃えないうちに、水で消します。

あれれ、迎え火をする意味がわからないので、
ちょっと燃やせばいいのか? 全部燃やしきるのか?もわかりません。

どのくらい、燃やせば、迎え火や送り火の目的を達成いいのでしょうか?

「そんなの、適当でいいよ」というなら、
本当は、迎え火や送り火に意味はないんだと思います。
要は、現実には、存在しないものが、来たり、帰ったりしない!!

もし、来たり帰ったりするなら、
普段は、お墓にも、仏壇にも、いない。

といっても、
その仏教の風習なので、日本の光景としては、いいものです。
それが、迎え火を行う、本当の目的だと感じませんか?

なぜなら、
関係ない、宗教の人から見ると、庭先で、火を燃やして、
それで、何も起きやしないよ!!、こいつら何やってんだ!!と見えるてると思います。

A 回答 (4件)

これは精神面の問題です


確かに火をつけたからと言って来るとか、誰にもわからないですから、亡くなったかたを偲ぶ時間を忘れないために一年に一度行事的に行っているだけ、昔むかしは迎え火で魂が帰ってくると信じられたかもしれませんが、たとえ仮に魂が帰ってきていたとしてもそれが肉眼で確認できるわけじゃないから。
だから、今では火災予防として少量燃やして消す。要は自分達の気持ちを亡くなった方へ届ける儀式みたいなものじゃないですかね
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これは精神面の問題です


確かに火をつけたからと言って来るとか、誰にもわからないですから、亡くなったかたを偲ぶ時間を忘れないために一年に一度行事的に行っているだけ、昔むかしは迎え火で魂が帰ってくると信じられたかもしれませんが、たとえ仮に魂が帰ってきていたとしてもそれが肉眼で確認できるわけじゃないから。
だから、今では火災予防として少量燃やして消す。要は自分達の気持ちを亡くなった方へ届ける儀式みたいなものじゃないですかね
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火が消えるまでつけておくのが本来の方法です。



普段はお墓の中に入っています、そしてお盆の時だけはお墓から出て家に帰ってもいいよー、というのがお盆です。
そして、家は、ここですよーと目印にするのが迎え火です。
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迎え火、送り火に松の木を焚く、良い風習が残っていますね。



迎え火、送り火の煙に乗ってやってきて、煙に乗って帰って行く、だった気がします。
時間と安全が保たれるなら、火は消さない、です。消えるまでそのままにしておく。雨が降ったとき、火を付けて帰ってきたら、そのまま残っていた事があります。
松の木、枝、幹(割って焚物にした物)が沢山有るのに、この頃は段ボール箱を破いて燃やしています。

煙が昇る、線香も同じです。

自宅なら、自己責任で迎え火、送り火を焚けますが、墓地では火を焚く事を禁止しているところが出てきています。
特に寺の境内の墓地が多いようですが。或は、民間の会社が運営する霊園なんかも火を焚く事を禁止していますね。

迎え火、送り火は必ずしも自宅で火を焚く風習だけでは無いです。
わたしらの所は、お墓で火を焚いて、ご先祖様を呼寄せて、その火からちょうちんに火を移して、そのちょうちんを家に持って帰って、ちょうちんから仏壇のろうそくに火を移して、その火から線香に火をつけて、家に連れてきたと解釈する風習です。
送る時も墓に行って、火を焚いて送ります。
ですので、複数回墓参りをします。
13、14、15日だったり、私の町内は14、15、16日です。
菩提寺の住職が、13日の夕方に「仏様、お盆の準備が整いました」と言うお経を寺の境内の墓を一つ一つ回って上げて、仏を待ちますが、13日の朝に墓参りを済ましたところはお供え物が既に上がっています。

仏もあの世で色々忙しいでしょうから、早く来るのから、早く帰るのから居ます。
なので、この世の人は迎え火として火を炊いても、こっそり早く来ていた仏が送り火の煙として乗って行ったり、色々します。
仏壇に飾るのに、ナスに足を付けたのと、キュウリに足を付けたのが有りますが、急いでいる人はキュウリの馬、ゆっくりで良い人はナスの牛だそうです。

流石、大乗仏教、何でも有りです。
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