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おはようございます。
今「インテグラル・ヨーガ」という本を読み、ヨーガ・スートラについて
学んでいます。
読もうと思ったのは、どうも最近嫉妬することが多くなったからです。
例えば、世間は土日休みなのに私は関係なく仕事に行っている……などです。
くだらないといえばくだらないと思います。

とはいえそういう考えがよぎるので、上の場合は環境を変えるか考えを変えるべきだと思いました。
環境を変える努力をしつつ、こういうのはまた解決すれば、また別のことで
悩んでしまったりするので、考えを変える、こういう想いに対しての対処法を学ぶべきだと
至りました。

前置きが長くなりました。今上記の本を読んでいて、どうしても理解出来ないところがあり、
教えて頂きたいです。
自己についてですが、『自分の他は、すべて”見られるもの”である』とあります。自分の持っている物ならなんとなく分かります。「私の」物だから執着してしまうが、単に持っていた何かを失ってしまったと考えると、失くした苦しみは軽減されると思います。
しかしこれが心と身体だと分かりません。
『自分が”自分のもの”と呼ぶものが、自分であるはずはない--』と書いてあります。
プルシャという真の自己がこの心と体を見ていると解釈しましたが、
私が頭が痛いだとするとそれを感じているのは私自身ではないですか?
(私の心、精神がそう感じているといえばいいでしょうか)
心と体は本当の私ではないから、苦悩やその他もろもろを気にするなということなのでしょうか。
分かりません。

長文かつ拙い文章ですが、どうかよろしくお願いします。

A 回答 (2件)

『心と体は本当の私ではないから、苦悩やその他もろもろを気にするなということなのでしょうか。


大体そういうことでしょう。
『自分が”自分のもの”と呼ぶものが、自分であるはずはない--』
[ 無執着 ] を養うための認識について述べられている箇所だと思います。
心や体は、様々な刺激を受け取り反応するわけですが、そうした心や体を、本来の自分(真我)というものが「観察者」として「外側」から見ている。
頭痛にしても、「私が痛い」ではなく「(私が見ている対象としての)頭が痛い」という捉え方をすることによって、それに対して冷静に対応することができるようになる。
ということではないかと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
文章ですと確かにおっしゃるとおりかと思いますが中々理解できなくて……
参考になりました。

お礼日時:2015/08/26 09:06

そんな下らない本を読むから、思い悩むのです。


 そんな質問者にお奨めするのが、「カーマ・スートラ」
 ふるい本ですが、まだアマゾン等で新品を入手できます。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83 …


 読んだ後、真夜中にベランダから月に向かって、また夜の海岸で「ヨニっ!」「リンガー!」と叫ぶがよろし。
 街でインド人に出会ったら、「ヨニィィィイ」「リンガァァァア」と声を掛けてあげるのも喜ばれます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/08/26 09:04

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