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男女関係なく、嫌われやすい性格とは
どんな性格ですか?

A 回答 (9件)

自己中

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
自己中は嫌われますよねー!

お礼日時:2017/03/14 21:47

もじもじしてたりすぐ謝ってきたり


人のこと考えてなかったり、
自分のことを棚に上げてたり。
あとは自分にはできないのにほかの人には厳しいとか、
人の悪口ばっか言っていたり、何を相談しても否定的な答えしか返ってこない人、
嘘をつく人、頑固な人
すぐに起こる人……などですかね
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます*ˊᵕˋ*
人のことを考えられる人は良いですね( •̤ᴗ•̤ )

お礼日時:2017/03/14 21:47

何でも人のせいにして、


言い訳がましい人。
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この回答へのお礼

ごめんなさいと素直に言える人は良いですよね*ˊᵕˋ*

お礼日時:2017/03/14 21:45

自己中心的な考え方をする人とか、あまりにも自分の意見を口にすることができない人だと思います

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この回答へのお礼

自己中もそうですが、意見を言えない人もですよねー…
回答ありがとうございました*ˊᵕˋ*

お礼日時:2017/03/14 21:57

自己中の人はみんな同感ですね。


・挨拶しない人
・すぐいじける人
・上から目線の人
・自分をイケメンと思っている人
・自分をブス、醜男と思っている人
・人の弱点を付く人
・すぐ人のせいにする人
・サボる人
こんなもんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます!
なるほどですねー!
やはり、上から目線などは腹が立ちますよねー…

お礼日時:2017/03/14 21:58

嘘つき


挨拶しない
相手により話し方や対応を変える

やべ〜!俺、自己中た。嫌われる!
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この回答へのお礼

対応を変えられるのは嫌ですよね…( 。• - •。`)
回答ありがとうございました‪✯‬
自己中なんですかっ!?笑笑

お礼日時:2017/03/15 15:18

暗い雰囲気やネガティブな思考などでしょうか?

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!
暗い雰囲気だと、回りも暗くなりますもんね( ˊ•̥ ̯ •̥`)

お礼日時:2017/03/15 15:19

理由は無いのかもしれないけど、やりたい放題やっても嫌われない人もいるね。


やはり、人に悪い印象を持たれるのが、駄目じゃない?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!!
そうですねー、悪い印象を与えないようにします!*ˊᵕˋ*

お礼日時:2017/03/15 20:57

私も若いときは良く分かっていませんでした。



姉には子供の頃から、「お前はみんなに嫌われている。」と注意されていました。

しかし、親友と呼べる人も数人いましたし、

遊びのグループでは中心的な位置にいたと思います。

ですので、ずっと謎でした。

ところが、こうした研究をしている専門家などもいて、

大人になって仕事の中で研修を受けたりし、ようやくで分ってきました。

道徳、親の教え、先生の教え、自己啓発研修、宗教すべてが同じ事を言っています。

「人には体から外のモノを自然と嫌い、排除したいと言う欲求がある。」

と言うことです。

仏教では、

「唾液は口にある時は気にならないのに、外に吐き出した後は唾として忌み嫌う。」

と例えて教えています。

愛を訴えたり、礼儀を教えたりするのは、

元々そういう強い性質(体の外にある者を嫌う)があるため、

これを緩和すると言う意味だったんですね。


緩和をしないと、本人に非がなくても、巡り巡って損をするという教えでしょう。


また、緩和をした人は、そうでない人よりマシに見えるでしょう。

そのため、相対的に好かれるだけです。

嫌われる人と言うのは、本人に問題があるのではなく、相対的な順位が低いんですね。

周囲の人の振る舞いも意識し、それにあわせて、適度な位置を狙わないといけません。

そして、これらに無頓着な人が自然と最下位になります。

このとき、皆が言うのが「自己中心的」と言う表現です。


では、緩和とはどういうものなんでしょうか?

緩和しないといけない部分は、

自分の体の外のモノを、自分ではないと言って理由無く嫌う心の衝動です。

つまり自分には理解できない他人の行動、自分とは違う外観、自分とは違う匂い、

そうしたものに遭遇したとき、

反射的に相手を攻撃しようとする衝動です。

これはけっして(たったの一度も)やってはいけません。

現代では、差別として扱っていますが、古来より

「相対的な価値が下がり、最後は排除される対象となる行為。」

としてやらないようにと教えています。

その行為自体に悪さ加減もありますが、

実際には他人に利用されることが問題なんです。

差別をする人がいれば、差別された人を庇う人もいます。

一瞬で、周囲の人が「生きていて良い価値」というモノを無意識に判断し、

庇う人>差別された人>差別した人

と言う順位付けをします。

この衝動も止められないんです。


こうしたものが日々流動していまして、無意識に接する人の評価に蓄積しています。

自分の普段の行動と言うのは、大体思い出せないものですから、

「気がつくと嫌われていた。」

と言うことになるんですね。

なので、異質なものを攻撃する性質を抑え込む練習がとても大事なんです。

これは必須でして、練習をしていないと、個人差が生まれます。

さきほど言いましたとおり、相対的な順位ですので、自分には問題が無くとも、

他人が努力をしていたら、自分が意味も無く嫌われるという事です。

このポイントに気をつけていれば、大概は大丈夫でしょう。


次に、自己中心的と言う表現がされる原因と効果的な対策を述べます。

これも、2000年くらい前から既出でして、新しい話ではありません。

仏教では、悟りを開く行為について述べています。

脳の中にある自分の体と体以外を識別する感覚、

これを修行によって安全に壊していくそうです。

つまり、気をつけて、周囲に配慮している状態ですと不自由だという事でしょう。

まずは、その脳の機能を壊す(緩和する)様にしてしまえば良い。

大技ですね。

ここに愛を用いて(本来は子育ての本能)、為すように指導したのがキリスト教です。

習慣を用いるように教えているのが、道徳系、昨今では自己啓発系です。


いずれにしても、他人、世界を自分の体と同一視する(思い込み)が大事という事です。

自己中心的な人は、この範囲が狭いんですね。

道をすれ違うとき、他人と体が触れただけで舌打ちをしたり、激怒したりします。

どんなに隠してもこの瞬間にバレてしまいますよね。

普通と言われている人は、親しい間柄の人間まで意識が広がっています。

グループの中心と言われる人は、グループを体と勘違いしています。

大人物といわれる人は、グループ以外のライバルグループも自分だと思い込んでいます。

偉人と言われる人は、世界すべてを自分の体だと勘違いしています。

(それに近い想いと行動をしている)

この様に、どこまでを自分の体と同一視できているか?

と言う差が広がっているんです。

この相対的な順位により、下位のものが排除されるという仕組みになっています。

更にマイナスへも広がります。

自分の体と心を分けてしまい、体を奴隷、心を主人として扱う事も出来ます。

普段の自分の考え方が変質してしまい、

体に無理をさせても、「体が勝手に回復すればいい」と考え出すわけです。

こうなりますと、体が回復しなかったり、体が老いて行ったり、醜かったりする事を

嘆いてしまい、体に八つ当たりをするようになります。

うつ病になるときは、必ずこういう兆候があります。

「自分の健康を守る自己中心的な発想」のほうが、まだランクが上なんですね。

心と言うのは、体を別物として扱い、下に見て苛める性質があるんです。

この段階まで来ますと、自分自身の中のセーフティ(自己消滅判定)が動き出して、

社会から消えるように誘われます。

理解できない自滅的な行動事例が、古来から沢山あると思います。

犯罪などがそうですよね。

この流れに嵌らないこと。その逆の方向にいざなうことが大事です。


次に無意識の怖さです。

私たちは意識して手足を動かしていません。

大雑把な指示を出し、無意識に任せています。

ミスと言うのは、こうした瞬間に起きます。

自己消滅の判定がされていますと、狙い済ましたように、大事なときにミスをします。

脳と言うのは、機械と違いまして、停止することがありません。

つまり、私たちが意識していなくとも、

自分の自意識とは別の人格(人の人格は多重人格が基本とされています)が起きており、

一緒に外を見ており、考えているんですね。

「私は生き残るべき。そうしないと私の体(世界)が保てない。」と考えるか、

「私は消えるべき、私は故障している。他に任せて世界を引き継ごう」と考えるか、

どちらかになっているんです。

後者に成っている人を救おうとしても、中々出来ません。


人間一人一人は細胞みたいなものでして、

心のあり方と行動(体を見下しているか?)によって、

あっけなく消え去るものなんですね。

争いや戦争などの外の脅威もありますが、

実際は、自分の栄達を無意識が阻害し、ミスや失敗を演出されて、

自分を助ける人たちを嫌いに成るように心を制御され、

消耗して消えていくんです。

地味ですが物凄い圧力でして、対抗するには偉人に近い知力が必要でしょう。

これに囚われると、自滅する方向で素晴らしい知能指数を発揮するわけです。


これらから、自分への戒めとして、考え方を変えていきます。

例えば、

誰かが誰かを攻撃しているとき、どちらが生き残るべきかを考えてはいけません。

「どちらも自分のからだ」と考えて見ましょう。

例えばある臓器と別の臓器だと思いましょう。

双方が、どちらかが消えるべきと主張したら、困りますよね。

損しかしません。

しかも痛みに苦しんでいると、周りの人は元気溌剌としているわけです。

もし自分の体の中で、こんな事が起きれば、本当に無駄でしかありません。

争いを起こした人(どちらかの臓器)を罰して摘出しても、何の解決もありません。

この様に、周囲を体と考えることで、唯一無二の正解が導けるんです。

勿論、練習が必要ですよね。


昨今では、こうした振る舞いをする人をリーダーと呼びますが、

大体の人はリーダーの行動を真似ているだけでして、

その人が持つマインドを得ているわけではありません。

これらは昔から器と呼びますが、単に、

「どれだけ広くを自分の体と考えられるか?」

と言う差でしかないんです。


同時に、心を大事にしすぎて体を軽視する姿勢は大変危険です。

体が危険と言うのではなく、心(=脳)は体の一部ですから、

体のほうから排除されます。(メンタルの障害)


周囲を気遣うときは、

「対象の人の心が、その人の体を気遣っているか確認し、

 『なんで体を大事にしない?成ってないぞ』

 とその人の心に対して警告(職務怠慢と言う意味で)をすることです。」

相手の心をケアしたいときは、

相手の心が体を蔑ろにしている事を思い出させることです。

結果として、とても良い方向に変わります。

心の苦しさを心だけで解決しようと言う発想が傲慢なのです。


まとめますと、

自分の体に嫌われないようする練習をします。

そして「周囲が体である」と言う錯覚まで発展させます。

この二段階だけが大事であり、其の他の良き性質はその過程で生まれます。

その練習量の差で順位が決まり、これが自他からの評価になるわけですね。

また練習量が足りない人は、確かに不快な行動を取りますが、怒ってはいけません。

自己消滅の力は侮れず、

そうそう長くは持たないと知り、未来の別れを哀しむ事が大事です。

これらは数千年も前から既出ですが、

ご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

とても、参考になりました。
周囲が自分の体であるという考えはとても良い考えですね!
なるほど!!!
本当にご丁寧な回答ありがとうございました*ˊᵕˋ*
とても、心に深く響きました!

お礼日時:2017/03/18 19:34

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