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高級品やクルマを欲しがらない若者、夢が無いなあという意見もありますがそれは何が悪いのでしょうか?
高級品と、自分の能力や技術力に直接の因果関係があるわけが無いので、
悪いの根拠が分かりませんでした。
そのお金で、資格試験など勉強していた方が世のためになるような気がするのですが。
人の意見を読んでいても今ひとつ分かりませんでした。

質問者からの補足コメント

  • すみません、誤解を招いてしまったので補足します。
    夢が無いなあというのは私の意見では無くて、ネット上の書き込みです。
    例えば下記です。
    今の若者はなぜ中途半端なもので満足するのか?
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4129932.html
    昨今急増中(らしい)、若い世代の健全性に関して
    https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8302511.html

    また、「高級品と、自分の能力や技術力に直接の因果関係があるわけが無いので、悪いの根拠が分かりませんでした。」の意味は、
    直接の因果関係があれば批判する意味が分かるのですが、直接の因果関係が無いので理解できなかったと言うことです。

      補足日時:2015/11/16 22:07
  • 資格試験というのは、高級品を欲しがらないのが悪い(良いことをしろ)というのなら、
    技術を磨いて仕事をした方が世の中のためになるのでは無いかと思って書きました。

      補足日時:2015/11/16 22:09

A 回答 (16件中1~10件)

数十年前には3種の神器というのがありまして、白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫を指したり、3C(カラーテレビ・クーラー・カー〈自家用車〉)があり、それを手に入れるのを目標にがむしゃらに働いたりしたものです。

今では身の回りに便利なものが何でもあってハングリー精神が養われず、買える/買えないは別にしても困るわけでもなく、それほど働かなくても生きていけるようになりました。なので一旗揚げてやろうという野心や大きな達成目標をもったチャレンジ精神豊かな若者が少なくなったように思えます。まるで去勢されたみたいに見えます。

成長期に(学力での)序列化が進んだのか無理することもなくなり、無気力とまでは言いませんが、分相応でよいと思っているようです。その影響はジワジワと国レベルで出ています。1990年代前半の日本はがむしゃらに働く団塊の世代のおかげで国際競争力は世界2位を保ってきました。ですがそれ以降はズルズルと低下し、高度成長期以降に成人した若者(団塊の世代2世)が働き手の中心になってきた1990年代後半からは坂道を転がるように落ち、気が付くと今や日本の国際競争力は香港、台湾、韓国、中国にも追い抜かれて世界30位に近づいています。そして、そういう問題意識すらありません。

親が(生活面・金銭面・サポート面を含めて)出来過ぎて子供に構いすぎ苦労させないと、子供はダメになりますよね。向上心が少なく、やる気も失せ、現状に満足し、何だか冷めていて熱意がなく、権利意識(要求すること)だけは強い…それと同じことが国家レベルでも起こっているのではないでしょうか。分相応という考えからして、すでに腐っています。これでは日本がオワコン(終わりが見えたコンテンツ)になるのも確実です。

こんな日本がますますオワコンに進んで困るのは、今を担っている若者でしょうね。団塊の世代とその上は、よく働いたお蔭でそれなりの財産や蓄えがあり、この先も困ることは少ないのでしょうが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/17 23:04

そうですね。

高級品に使うお金があったら、資格取得に費やすのも良いことです。資格取得後、どれだけ世のために尽くせるかはあなたに次第ですが、上流社会に貢献するか、最低限の生活をしている人々に貢献するか、あなた次第です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/17 23:02

>それは何が悪いのでしょうか?



誰が「悪い」なんて言ってるのですか? まあ「我々の若い頃とは違うね」などと呟いている中高年層ぐらいはいるようですが、「悪い!」と断定してしまうようなネガティヴな意見なんか聞いたことがないですが。。。

>高級品と、自分の能力や技術力に直接の
>因果関係があるわけが無い

はい、因果関係なんか、あるはずが無いですけど、それが何か?

そもそも、誰が「因果関係はある」なんて言っているのでしょうか。

>資格試験など勉強していた方が世のため
>になるような気がするのですが。

「高級品と資格試験の因果関係」なんてのもありませんけどね。

>人の意見を読んでいても今ひとつ
>分かりませんでした。

誰の意見でしょうかね。ネット上の某書き込みですか? そんなのを気にする必要もないと思いますが。

。。。まあ、昨今の若い衆がブランド品や自家用車なんかに興味を持たないのは当然だとは思いますね。だって、若者はカネ持っていないから。

もちろん、昔だって若者の多くはカネなんかありませんでした。でも、「今はカネを持っていないけど、将来は昇給する」とか「安定して所得を得る状態が、これからもずっと続く」とかいう社会的コンセンサスみたいなものが存在していました。だから、カネはなくても多少無理して高級品やクルマを買い、「その時を楽しむ」といった姿勢が許されたのです。

しかし、今は誰でも「確実な昇給」とか「安定した仕事」とか「終身的な雇用」とかいうものが有り得ないことを知っています。将来が保証されずに先の見えない現在の世相において、若者が高級品やクルマなんぞに興味を示さないのは当然です。

見方を変えれば、昔のように景気が右肩上がりで雇用条件・経済マクロの状態が良くなれば、黙っていても若者は嗜好品にカネを投入するようになるということです(現時点でも、経済を右肩上がりにさせることは可能です。ただ、政府のお偉方はそれをやらないだけ)。

要するに、「高級品やクルマを欲しがらない若者」が悪いかどうかと問われれば、「ちっとも悪くない」と答えざるを得ません。一番「悪い」のは、若者(及び一般国民)にカネを行き渡らせない政府と財界・官界です。

もしも「高級品やクルマを欲しがらない若者は夢が無い。それは悪いことだ」などと主張する者がいるとすれば、「そんなことを呟くヒマがあったら、経済成長が見込めない世の中にしてしまった政治に対して批判しろ」とでも言ってやれば良いです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
例えば下記はどうですか。

今の若者はなぜ中途半端なもので満足するのか?
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/4129932.html
昨今急増中(らしい)、若い世代の健全性に関して
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8302511.html


>はい、因果関係なんか、あるはずが無いですけど、それが何か?

>そもそも、誰が「因果関係はある」なんて言っているのでしょうか。

やはり私の言い方が悪かったのでしょうか。
直接の因果関係なんかあるわけないので、批判者の言う事が理解できなかったのです。

>「高級品と資格試験の因果関係」なんてのもありませんけどね。

はい。関係ありません。だから理解できなかったのです。

お礼日時:2015/11/16 22:00

高級品を買うには一生懸命働かないと行けなかった時代の名残り。

別に高級品を買わなくても一生懸命やっていたら別にロレックスもベンツも必要ない。それ等を回りにおいて、日々自分を奮い立たせる事の出来る人には必須品。そもそもそれらに心が動かない人には豚に真珠。

どちらが良いとか悪いとかの話ではない。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/16 21:55

童話「アリとキリギリス」みたいなもんでしょう。


話のオチがアリに食料を恵んでもらうにしろ、飢え死にするにしろ、キリギリス・ジュニアは親と同じ生き方は選ばないでしょう。
童話よりも実話の方が分かり易いです。

まぁでも何でもかんでも我慢するのではなく、一点豪華主義みたいなところはあると思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
キリギリスの子どもはありだったという事ですか。

お礼日時:2015/11/16 21:55

三十路ちょい過ぎが失敬します。



物に拘らず自分を高める為に資格を取ったりするために回すのはとても素晴らしい事だと思いますよ!

頭悪いくせに遊びや物欲に負けて時間のある時にあれこれ自分自身に投資して勉強すりゃよかったと子供ができて自由な時間なんか1日わずかになった今、後悔してるおばちゃんが言うから間違えないかと!(笑)



欲しがらない、または欲しいと思わない側の他の意見は

・上を見たらキリがない
・欲しがった所で先立つものが絶望的に足りない
ので現実的ではなく諦めがつく
・似たような物なら安い方で十分、
流行り物なら尚更もしくは、すぐ流行り終わる
からいらん!
タグでもめくらない限りわかりゃしねーぜ!
・そんなもんに大枚はたいたことろで誰得?店!?
だったらその予算で安いの沢山買うわー
・車ぁ?免許取るのに30万前後、車買うのに軽でも
100万前後、毎月保険にガス代、駐車場
だ☆◎△□&%@…電車チャリこそ正義!っ^O^

などと言う意見を聞いたことがいくらか。

あと下拵、下積み、下準備を嫌う傾向にあるっていうのも特徴かなと思います。面倒くさい、ならいいやって言って諦めてしまいやすい気がします。
いきなり本題に触れれないと萎えちゃうみたいで(._.)


何を目標に自分を奮い起たせてお金貯めてる?のか稼いでいるのかなーっていう疑問はありますね。

欲しがらない事は決して悪いとは思いませんしむしろ良い事でもあるように思いますが、食わず嫌いとかなのか?っていう疑問は少しありますね。
だとしたらちょっと勿体ない気もします、それだけ賢いのだからちょっとだけ経験したら成長の糧として吸収されそうなので(._.)

悪い悪い言ってる連中はお金が回らなくて困るからじゃないですかねー?流れを止めてるのは若い人ではないのだけれども…(-_-;)
もしくは無気力な印象を受けたか。
あとバブル経験してるオイチャンやオバチャマは当時高級ブランドで家中埋め尽くすのがステータスだったもんで、それから比べると贅沢しようと思えばいくらか出来るのになんだか随分と質素ね!って言いたいのかもしれませね。




自分は短期集中形で小さくてもいいので目標ないとモチベーション維持できないので(._.)
独り身の若い人が随分偉いなーと思いますけどねぇ…

大半が時代背景による自尊心の大きさが結構関係してる気がしてきました。


少しでもバブル経験した方々は大多数がどの学校行っても◯百~◯千人単位のマンモス校なんてよくある話、常に今と比べて競争相手の人数が半端ではなく何をするにも競争というよりもマイペース自己ベスト式の今と違い、

忍耐 根性 気合い 一番以外は無意味!
勝てば英雄負ければ国賊!
というなんだか、北◯鮮かここ最近発展目まぐるしい◯国のような信念の元育てられ生きてきた人達ですから並大抵の事ではびくともしませんね(笑)
今の◯国は高度成長期ですからよく似てますよね、野心や行動力が。


それに引き換え昨今、少子化で同級生はおろか校全体の人数なんて300いればいいほうですかね?
高校くらいだと500~くらいは居ると思いますけど。
競争相手が少ない上、平和的が大人しすぎるに取り違えたのか小学生~中学生のまだ幼い子供達が自尊心が低い故いじめられる自分が悪いと自ら命を断ったり耐え難い要求を断れず百々のつまりは亡くなってしまった等我が四肢が切り落とされるよりも聞いてて苦しい悲報をよく耳にしたり

何の関係も無い自分よりもどう頑張っても弱い動物の体の一部を切ったり、今まさに自分が股を裂いて産んだ子供を手にかけ遺棄したりと
聞くたびにやりきれない思いをする事が増えてるのも関係してるのではないでしょうか?

教えが極端なんですよね、縦が何ともだった!じゃあ次は横だ!っていう風に
縦で育った親が縦で子供を育てるのは当たり前なのに学校や教科書は横だから子供は何を信じたらよいやら混乱してしまいますね…

悶々とします…

そして何が言いたいのか話が逸れて忘れてしまいましたので悶々と〆ます。。。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
なぜ欲しがらないか、大体そういう意見は見かけますね。
あと、高級品の話では無いのでちょっと話はそれるのですが、私は物が少ない部屋を「美しい」と感じるので、
「美しい部屋」が欲しくて物を減らしている面があります。これもある意味では物欲です。
ところでなんで伏字なんですか。

お礼日時:2015/11/16 21:54

>高級品やクルマを欲しがらない若者、夢が無いなあという意見もありますがそれは何が悪いのでしょうか?



「悪い」というのは、あくまでも質問者の見解であって、第三者がそう結論づけたわけではないと思うのですが。

普通に平ったく考えて、若者が高級品に手を出さないことは、特に悪いことでもないと思いますけど。
ただ、バブル世代のBBAやGGIらとしては、自分たちはマスコミに踊らされてお金のない若い時代に無理して高級品や車を買ったのに、今では価値観が変わって若者がお金を使わないということに、若干嫉妬の気持ちもあるかと思います。
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この回答へのお礼

すいませんが、

>「悪い」というのは、あくまでも質問者の見解であって、

私は上記の逆を言っているのですが、どこの部分を読んで、私が悪いと思ったと思われたのでしょうか。
あと、BBAやGGIってなんですか。意味は何となく分かりますが、もっと一般的な言葉を使うのがマナーだと思います。

お礼日時:2015/11/15 21:18

「高級車がステータスだった時代の人」です(笑。


わたしはどっちかっていうと、あなたが疑問に思ってることを発言した人の側です。

>高級品と、自分の能力や技術力に直接の因果関係があるわけが無い

ここの解釈によるのでしょう。この文は二つに分けて考えねばならない。

普通は、人よりも良い財やサービスを得ようと思えば、金銭が必要となります。
しかし、若いころは一般的には、所得は低いし、そんなことは出来ない。
社会に出て、キャリアやスキルを積めば、所得が上がっていくから、上のようなことが出来るようになる。
つまり、「収入の高さは自分の能力や技術力に密接に関係がある」というのが前提にあります。
まあこれはいいですよね?

ただ、「その収入の高い人は必ず高級品を欲しがる」というのは、緩やかな相関はあるものの、必ずしも
成り立つわけではない。

この二つの命題を合わせると、「高級品を買う、欲しがる」は必ずしも「個人の能力や技術力」には関係が無い、
というあなたの主張は正しいと言えます。

でも、昔は、三種の神器や、3Cなんかにも表れている通り、貧しいところから立ち上がって、収入を上げて、
持ってない財を手に入れて、というのが、成功の象徴だったのです。
そのために一生懸命、身を粉にして働く。これが美徳だったのです。
「いつかはクラウン」って言葉、ご存知ですか。この言葉があまりにも端的に示しています。
ご存知なければ調べてみてください。

いま若くて低所得なのに、身分不相応の高級車やブランド品を借金して買え、と言うのではなくて、
いずれそういうものが手に入れられるくらいに自分を高みに持っていく努力をせよ、というのが主旨。
高級品を欲しいとさえ思わないのは、自分を高めようとか、もっと良い生活をしてやろうといった、
野心が無い、と見えるのです。

高級品を実際に買うかどうかは別として、若者が野心を持たないことは、現代においても私は悪いと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 20:30

No.7があなたに言いたいこと。

あってるかは知らないけどね。

「先の事考えすぎ」
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 18:01

悪くは無いですよ。



物欲が強すぎる人には、熱を冷ましてあげないと、親切になりません。

欲は適度であれば便利であり、強すぎると苦痛になりますし。

諭す内容は質問者さんの主張と同じものになります。

しかし、弱すぎるというのも問題の一つです。

物への興味が薄れていると言う事は、

他に満たされないものがあるということです。

何かに囚われて、気もそぞろになっている精神状態ですから、

これはやはり解決しないといけませんでしょう。


物以外に悩むところで言えば、

第一に肉体の健康と安全、親しい間からの親族や友人や恋人、

仕事への遣り甲斐、他人からの尊敬、自分の信条や夢の実現となります。

欲求と言うのは段階があるそうで、上に並べた順番で満たされるという

ことは良く知られています。


なるほどとは思います。

しかし、どうしてそこまでするの?

何故、大事な事として語られるの?

何故、それほど重要視されているの?

と言う点に関しての説明があまりありませんよね。

だからなんなの?

という素朴な質問には誰も答えていないんです。


簡単に言えば、幸福感を得るためです。

幸福になることではありません。あくまでも感覚を楽しむことです。


欲求不満が解消されれば、幸福感に類するものに包まれるでしょう。

つまり、その肉体的な(脳内の)感覚を多く得るための生き方です。

人の脳内には、苦痛とは真逆の魅惑的な感覚がたくさんあります。

人はどうせ死んじゃいますので、生きているうちに沢山味わっておく、

と言うのが損の無い生き方であるという主張です。


また、これから遠ざかると、

「どこがよかったのかおもいだせない?」

となります。

「冷静に考えれば、必要ではないよね?」

となります。


勿論これでも良いのですが、

たまに思い出して(いやいやながら)味わってしまうと、

「ああそうだった。頭で考えて分かるもんじゃないよこれ。

 俺はどうして、必要ないとか言ってたんだ。その期間、損をした。」

と凄い後悔するんです。

この”これ”と言うのは、”快感”のことです。

ですので、快感については、忘れるほど遠ざかってはいけない。

これが鉄則です。

快感から遠ざかると、理屈っぽくなりますし、やる気が減退します。

本人の能力も下がりますし、自分・他人への貢献度も下がります。

この状態で普通に生きられる人は、

一度やる気を出すと、素晴らしい人物に変わります。

こうした可能性を見れば、やる気が減退している人は勿体無いと思います。

それは本来のその人ではないと思えるからです。


また、

快感から遠ざかることになった原因が、

周囲の人にあり、本人に責任が無い場合が多いんです。

こうした人は自分を責めて生きていますから、

これを見つけた場合は、皆で何とかして上げるのが当然です。


今に始まったことではなく、

人と言うのはこの様にできており、人のつながりと言うのは、

これらを互いにサポートするだけであって、それ以外にはありません。

社会の仕組みが高度になり、

一見して見え辛いので、目的がわかり辛いですよね。


本質的には以下の二つの方針に沿っております。


・如何にして、自分の快感を得るか。

・他人が快感から遠ざかっていたら、

 それを思い出させて、(自分で)何とかさせる。


どんな制度も上の二つの思想を実現するためのルールですし、

全ての人の活動はどちらかに当てはまります。


次にご質問の内容について説明します。

世代間のギャップがあります。

年配の方は統一された価値観で教育されており、

悩まずに、横一列、同じ事を同じ年齢でしておりました。

実はこれらの価値観、年齢に対する取り組みは、

生理的な面でも合理的であると思います。


脳内の制御は、

ニューラルネットワークと言う生体コンピュータが行っています。

基は体内の制御を行うだけの仕組みですが、

これを転用して現実世界での営みに活用しているようです。

そのため、

社会構造が体内の組織と似たものになるのではないかと思います。

社会生活をしながら、転用部分に相当する脳内の部位を活性化させ、

これによって体内の制御ソフトを強化し、健康にも貢献するわけです。

人の体は全て脳の制御ソフトが行っています。


体を鍛えると体力がつくのではなく、

体に負荷を与え、これに無理やり脳に対応させることで、

脳内の制御ソフトを進化させているわけですね。


こうした体力づくり以外の必要も生じます。

肉体の成長により、新しい肉体の制御ソフトが必要になります。

年齢による変化にあわせて、新しい制御方法が必要になります。

これを会得するために、社会上での役割や活動を上手く使って、

脳内にフィードバックをかけていくわけですね。


社会と言うのは、肉体年齢にあわせて、肉体が必要とする脳用ソフトを

得られるソフト販売店みたいなものです。

自然の欲求から、年齢に合わせた仕事や立場が用意されています。


つまり、年配の方は理屈がわからずに取り組み、

その様なものであると思い込み、

その恩恵に対しては良く考えずに享受してきたわけです。


物欲と言うのは、体内のカロリーや其の他必要な物質を欲する仕組み

から生じている、脳内への投影だと思います。

細胞の願いであり、これを肯定すると言う事は、代謝を良くする事に

相当するでしょう。


多くのカロリーを供給するためには、その経路が上手に作られないと

いけませんから、脳が指令を出して各部が連携します。

またカロリー以外の必要物質を吟味し、調整します。

高級品を望む嗜好と言うのは、このカロリー以外の必要物質を望む衝動

であり、医学的に必要な数々のたんぱく質ではないかと思います。


ですので、社会と言うのは物欲を強く持つと、

友人ができるようになっているはずです。

高級品を望むと、友人関係が変わり、能力が向上するはずです。

社会の中では、個々人は一つの体内組織の細胞に相当し、

これに逆らって動作することが不可能であると思います。



例えば子供の頃から友人が少ない人は、

周囲より物欲が少なかったはずです。

昔の教育方針ですと、

親が子供にモノを買い与えてはいけないとされていました。

理由については親も知らない。

ただそういうものだと教えられてきたわけです。

なので、守らないでいいのじゃないか?と言う親が増えています。


私が最初に友人を作ったときは、

駄菓子を買うために、空き瓶を集めて酒屋に持ち込みお駄賃を得る

遊びからでした。

驚いたのは、お金持ちの息子が夢中になって菓子をほおばる。

どうも、

親の方針で小遣いもなく、菓子も与えられなかったようなのです。


性格面や経済面、其の他の多くの点が彼と共通していませんでした。

しかし、同じ欲求のもとで連携を果たすことで、

とても強いつながりを互いに感じました。

つまり、欲を活用して子供に友人を与えるための大人の智慧ですね。

親が買い与えてしまう玩具は、一つ一つが人間の友人になるはずだった

可能性なのです。


趣味のつながりと良く言いますが、

もっと本当に強く友人や恋人を望むのならば、

同じ物欲を持つ人を探すことです。

同じ欲を持つ人に対して、人は優しいものです。

優しくすると友人ができるのではありません。

いまの教育は因果が逆転しておりまして、物欲で共闘をした者同士が互い

に優しくなるという事を教えていないんです。



因果が逆転しますと、大変なことが起きます。

友人や恋人、社会からの尊敬が無いと、これが気がかりで物欲が生じません。

物欲こそがこれらを一気に解決する特効薬なんです。

欲のために忍耐が生じますし、互いを必要としますし、

その期間が長ければ、互いを好きになりますし、かけがえの無い存在として

認知します。(そういう成り行きしかない)

特効薬を嫌えばネガティブループに突入します。

これではやる気がどんどん減退しますよね。

「僕は物欲が少ないんで友人が少ない。これが気がかりで物欲が少ない。」

快感を思い出せないので、やる気が出ないと言う状態でしょう。


ところが、

このメカニズムとは別に、闇雲に忍耐をもとめたり、努力を求めたり、

自己研鑽や協働、コミュニケーションを求める文化がはびこっています。

欲を絡めずにできる訳がない(体内の仕組みから)のですが。


快感から遠ざかった状態には、肉体的な刺激のある物欲がききます。

服、靴、イス、寝具など日用品がお手ごろです。

ここに目的を加えリラクゼーションを求めれば、最後は家や車になるでしょう。

大変弱っている人には、美味しいものが効きます。

こうした人は風俗産業も利用してください。

そのために存在するのです。

公的な場では医者にいけと言いますが、他でも解決できます。



昭和世代は世論に負けて、嘘を子供に教えるようになりました。

しかしそうした中でも、男が男の子に教える真実があるとしたら、

「高級品を求めて快感を得なさい。

 その過程で人間関係も変わり、精神面も含めて充足する仕組みになっているから。」

に集約されると思います。

これだけは嘘じゃないし、伝えたいことであるため、年配の人が強く主張するんでしょう。

本当に重要な話だからです。


以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2015/11/15 17:08

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