人生のプチ美学を教えてください!!

名実共に風前のともしびの「阪急ブレーブス」ですが、どんな名プレーヤーが活躍していたのでしょう。

回答者さまの思い入れが強い方を教えて頂きたいので、できれば2~3人まででお願いします。

あんな名シーン、名勝負があったなというのも紹介して頂ければ嬉しいです。

A 回答 (11件中1~10件)

福本、長池



山田、足立

かなぁ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

黄金期の投打の両輪、という感じですね。

足立光宏投手の”芸術”ピッチングは、遠い記憶ですが鮮明に残ってます。
76年日本シリーズ巨人との最終(第7)戦は圧巻でした。
後楽園球場の5万人は99%が巨人ファン、TV観戦の4千万人といわれる野球ファンもほとんどが巨人の応援。
その中で、足立投手は完投勝利をやってのけました。

日本シリーズ連覇は、6度目の挑戦で初めて巨人を破ってのものでしたね。

お礼日時:2004/07/02 20:36

一番に思い出すのはやっぱり代打ホームラン世界記録を持っていた「高井保弘」選手ですね。


初めて出場したオールスターでも代打満塁ホームランをかっとばしました。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~akichan/hr2.htm

参考URL:http://www2u.biglobe.ne.jp/~akichan/hr2.htm
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございました。

”代打の切り札”のハシリだったのかもしれませんね。
URL拝見しました。代打本塁打の歴代トップなんですね。(しかも他を圧倒しての・・)

レギュラーで出ていても、きっと活躍したんでしょうね。

お礼日時:2004/07/02 20:41

#2です。

ちょっと訂正です。
オールスターでの記録は満塁ホームランではなく,史上初の代打逆転サヨナラホームランでした。
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この回答へのお礼

TVで見てました。たしかMVPも彼でしたよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/02 20:44

山口の剛速球は、脳裏に焼きついています。

私が見た中では最強。
今はヤクルトファンなのですが、五十嵐のセ界一の速球もかすみます。

試合ではやはり、ヤクルトとの日本シリーズですね。上田監督の猛抗議。

http://www.sanspo.com/morespo/century/century000 …

あと、マルカーノ選手が亡くなったときは、とてもショックを受けました。
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この回答へのお礼

山口高志投手の剛速球、すごかったですね。
スピードガン表示は確かなかったようですが、常時155kmは出てたように思います。
パリーグの強打者をキリキリ舞いさせてました。

ボビーマルカーノ選手はナイスガイでしたね。
南米のプレーヤーらしく、陽気でタフで・・・。
日本での野球シーズンが終わってもベネズエラで野球やってると聞いたこともあります。事故はとても残念でした。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/02 20:52

こんばんはー。



ちょこっと参加させていただきます(^^)。

私が好きだったのは「簑田浩二 」選手です。

野球の醍醐味はホームランや三振を奪った瞬間などの派手なところではありますが、打って・守って・走れるという能力を兼ね備えたアスリートとしての魅力に満ちた選手でしたねー。
ほんと「職人」という称号がぴったりな選手でした。

外国人選手なら「ブーマー・ウェルズ」選手かな。

「ブーマー」というのはもちろん愛称ですが、なんといっても外国人初の「三冠王」を成し遂げた選手です。
落合選手とのハイレベルなタイトル争いは観る私達も楽しませてくれましたねー。

愛嬌のある顔(^^)も、打席に入っている時の仕草(ズボンをきゅきゅっと上げる)なんかも印象に残ってます。

名シーン、名勝負ではありませんが、野球選手にとって頭部への死球がいかに危険であり、あってはならないものであると認識させてくれたのは簑田選手でした。
日本的な駆け引きもいいのですが、一野球選手としてのプライドをかけた「真っ向勝負」がやはり野球の魅力であって欲しいと思います。
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この回答へのお礼

思い出してます、「簑田浩二 」選手・・・
地味でしたが、とてもハンサムな、走攻守そろった”いぶし銀”のバイプレーヤーだったかと・・・。
頭部へ死球の件は、記憶になかったです。そんなこともあったんですね。

「ブーマー・ウェルズ」選手は、三冠王も取りましたよね。確か、2m100kgのでかい体でしたが、とても愛嬌がありました。

それにしてもkokoichiさんの(回答の)守備範囲も広いですねー。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/02 21:00

阪急の名プレイヤーと言えば世界の盗塁王福本豊とサブマリンの山田久志、もう1人と言えば難しいのですが


加藤英司かアニマル・レスリーでしょうか。
名勝負はヤクルトとの日本シリーズ、名言はある日、上田監督が客席を数えたらお客が25人しか入ってなくて、「こんなんやったら、全員ベンチに入ってもらえ!」です。
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この回答へのお礼

>世界の盗塁王福本豊とサブマリンの山田久志・・・
黄金期のブレーブスを支えた二人ですね。

加藤英司選手は、ヒットを打つのがとても上手でした。
おぉ、アニマルレスリー・・、野球よりプロレスラーの方が似合ってるのではという記憶があります。

日本シリーズの25人てのは、知りませんでした。
いくら人気がないといっても気の毒すぎますよね。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/07/03 17:11

やっぱり山田久志かな。



あれほど完成されたアンダ-スロ-はもうでてこない
かもしれません。
ロッテの渡辺が久々に美しいサブマリンですが
やはり迫力が若干かけますね
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

”山田久志投手”
剛速球の下手投げというイメージがあります。

私の時代では文句ない不動のエースでした。
確かに、あのアンダースローを超える投手の出現は難しいでしょうね。

お礼日時:2004/07/03 17:16

私も、代打男の高井。



DH制度ができてレギュラーで活躍する機会もあったのですが、「ここぞ」の場面でおいしいとこ取りする「代打屋」のほうがイメージ強いです。

投手では、やはり足立。日本シリーズでは、必ず1試合はモノにしてましたね。いいところで完封したり。

晩年阪神に行きましたが、米田哲也。通算勝利カネやんについで2位。(弱小時代に阪急を支えた、というところはカネやんに共通するか?)

ただ、この手の「アンケート」質問は削除されることが多いみたいです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

350勝の”米田哲也”投手ですね。
ホントは、この時代から前が教えて欲しいブレーブスなんです。
米田、梶本、バルボン、スペンサー・・すごい選手ばかりだと思うのですが、名前は知っていてもどんな活躍をしていたのか、また他にどんなプレーヤーがいたのか・・。

350勝なんて、今では考えられないのですが、全盛時代はどれたけすごかったのでしょう。

お礼日時:2004/07/03 17:23

↓日本プロ野球機構のHPです。


http://www.npb.or.jp/

「年度別成績」をクリックし、「パシフィックリーグ」のリーグ旗(?)をクリックすると、1950年からの成績を見ることができます。

1950年の個人投手成績を見てぱっと目に付いたのが、大投手「野口二郎」の名前です。太平洋戦争前は東京セネターズ(後の大洋ホエールズ)にいたけど、戦後は阪急にいたんですね。(汗)

その後も、各年度の個人打撃/投手成績10傑(打率又は防御率)を調べてみると、阪急でどんな選手が活躍していたのか少しはわかりますよ。

と言っても、阪急の選手の登場頻度は少ないです。
昭和30年代は、西鉄・南海・大毎・東映の四強時代で、阪急・近鉄はお荷物球団だったようです。阪急の打者はほとんど名前が出てきませんし、投手は米田・梶本ばかりです。

昭和40年頃から投手の足立光宏、打者の長池徳二・スペンサーの名前が出てくるようになります。山田久志投手が初めて防御率10傑に出てきたのは1970年でした。

1967年の阪急初優勝の時のMVPは足立投手、1968年の2連覇達成の時のMVPは米田投手でした。
打者としては、大熊選手、坂本選手がベスト10に名を連ねていますね。名脇役という印象でしょうか。

1971年、1972年の2連覇の頃は、加藤秀司選手・福本豊選手の名前も見られます。1971年のMVPは長池選手、1972年のMVPはシーズン盗塁数世界新を達成した福本選手でした。

1975年からの3連覇の頃には、山口高志投手、マルカーノ選手、今井雄太郎投手の名前も見られます。稲葉投手は中日からトレードされたような記憶があります。

> 回答者さまの思い入れが強い方を教えて頂きたいので、できれば2~3人まででお願いします。

あっ、ゴメンナサイ。ここまで書いちゃってから気がつきました。m(_ _)m
そもそも阪急ファンじゃないので、思い入れは全然ないですし。(^_^;)
っつーか、そういう趣旨じゃアンケートとみなされちゃいますよ。(苦笑)

> あんな名シーン、名勝負があったなというのも紹介して頂ければ嬉しいです。

やっぱり日本シリーズで9回に山田投手が王選手に逆転スリーランを打たれたシーンが最も強烈に印象に残っていますね。

参考URL:http://www.npb.or.jp/
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この回答へのお礼

>っつーか、そういう趣旨じゃアンケートとみなされちゃいますよ。
にもかかわらず、ごていねいに調べていただきありがとうございました。

興味深く、半世紀前からの記録を繰ってみました。
なんと1950年にはパリーグ7球団もあったんですねー。
ありゃー!なんと1954年は8球団!
(ちなみに56年まで8つ。トリビアの・・・に出てもおかしかないぞ、トンボユニオンズって何だー)
レインズってすごい選手、184安打、45盗塁しかも首位打者。
1956年 河野 旭輝選手 85盗塁!

とても良いサイトを紹介いいただきました。(かなり興奮気味 (^_^;)
ふむふむ バルボンさんは3年連続盗塁王か。
61年 稲尾 和久投手 (これ西鉄さん)、年間42勝にはびっくらこいたー!

興味は尽きませーん!お礼は、これくらいにして、62年以後のページに突入してきまーす。  

お礼日時:2004/07/05 20:47

>あんな名シーン



日本シリーズのヤクルト戦の話は出ていますが、
ジャイアンツ戦で、岡村捕手がホーム突入をブロックしたのに審判に「セーフ」と判定されてつい手が出て退場処分。
これがなければシリーズの行方は変わってたかもしれない。
(翌日の新聞にランナーの足がホームを踏んでる写真が出たが、タッチの前か後かまでは1枚の写真ではわからないもんな)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

そのエピソードは、後から聞いたような気がします。

ネットで調べてみました。
「おそらく1969年10月30日の日本シリーズ第四戦のことだと思います。
3点をリードされた巨人が、四回裏の無死一・三塁でダブルスチールをしかけました。
(打者・長嶋茂雄、一塁走者・王貞治、三塁走者・土井正三)タイミングはアウトに見えましたが、岡田功球審の判定はセーフ。
この判定に激高した阪急の岡村浩二捕手が、日本シリーズ初の退場処分を受けています」
http://dion.oem.melma.com/mag/76/m00037976/a0000 …

懐かしい名前が並んでいます、真相はどうなのか分かりませんが、ヤクルト戦の例の件にしても、たった一つの判定で(大げさに言えば)歴史が変わってしまうこともあるのでしょう。
闘う男たちの熱い思いが、今に伝えられている・・といったところでしょうね。

お礼日時:2004/07/07 20:26

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