人間は理性を持つから、手を持つのか、手を持つから理性を持つか?どちらでしょう。皆はどのように考えますか?

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理性」に関するQ&A: 知の暴走(理性の欠如)

A 回答 (4件)

過去においては以下のように考えられていました。


「人間は、他の猿に対し、知能の優越がまずおこり、これにより道具を使いこなすことができるようになり、手が発達した」
これに対し、現在は「直立二足歩行の獲得により、手が、移動器官から操作肢と変化し、これにより、情報のフィードバックが大脳を発達させた」と考えられています。よって「手を持つから理性を持つ」が正しいといえるでしょう。
なお、直立二足歩行は感覚器官の内、視覚器官の優越ももたらし、これも大脳の大型化に一役買っています。群れを作る動物であることは言語の獲得に大きな役割を果たし、これも大脳の拡大の原因です。
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この回答へのお礼

なるほど。説得力があります。有り難うございました。もう少し考えてみます。

お礼日時:2001/06/18 18:11

直立歩行で手が自由になり、その脳の潜在力にあわせた


様々な作業が可能になり、より脳を発育させ、複雑な手
作業さえも可能にする。ふたたびその複雑な手の活用が
脳を発達させ理性を司る部位を発達させる。━そんな野
暮な説明はここでは置いておいて、ひとりの思想家の言
葉でこれに答えたいと思います。

エックハルトの教説に「書くことのできる手だけが消す
ことができる」とあります。理性とは自分自身を律する
ことであるとすれば、まさに作り出し、抑制し、再び作
り出し、変化させる、書いては消す行為そのものです。
理性が先か、手が先がではなく、手のように理性が働き、
理性のように手が働くとき、人間は人間となりえたので
はないでしょうか。体と心が見事にめぐりあう瞬間です。
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手の定義がわからないので お答えしにくいのですが


身体の一部の肉体である手をさして言うのであるならば
理性と手の関係は 考えるほどのものではないのでは?

なぜなら 手のない人は 皆 理性がないかといえば そのようなことはないし、その逆もないでしょう。

手に限らず その他の 体が不自由な方でも 理性を持ち
知的な人はたくさんいます。

強いて言えば 言葉が 理性を作っていくのでは?
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この回答へのお礼

敢えて考えてみたかったのですが、確かにakiyoteaさんの考え方も正しいですね。有り難うございました。

お礼日時:2001/06/18 18:13

前置きは何も無しですか。


猿は餌を持つために手があるのか、手を持つから餌を持つのか、一体手とは何でしょう。
理性を持っていても手のない人も居ますし、手を持っていても理性のない人も居ます。
手をどの様に定義するのかその辺りが不明ですが、そのまま手と解釈せずに手段と解釈させていただければ、前者であると言いたいですね。
理性があって、その元に手段がある。
手段を講じた後で理性でセ-ブするというのは、いただけない気がします。
こんな考えで如何ですか。
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この回答へのお礼

つまり、人間となったのは、理性を持ったからなのか、手を持ったからなのか、という問いかと思われます。課題で・・・全く見当もつかなかったものですから。有り難うございました。

お礼日時:2001/06/18 18:18

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