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日本には死刑がありますが、 殺人事件でも 死刑になるのは ほんの1~2%止まりです。
ですから、もし、死刑が廃止になれば、その 1~2%の遺族は 死刑がなくなったことへの 歯痒さや悔しさを感じるはずです。

しかし、もし、死刑が廃止になれば、その1~2%であるか、残りの98~99%
であるかさえ、審議されず、分からなくなってしまいます。

死刑制度があれば、その残虐な殺人犯罪のおいて、その殺人犯の死
をもって償わないといけないものかを、検挙された時点から、殺人犯が
被害者に犯した罪の量について、検察、犯罪者、裁判員、判事などの
多くの人々が審議し、非常に悩み、人間の道理にもとづき判断します。

死刑制度が廃止されれば、その殺人犯の罪、被害者を殺したという罪
の対極にある殺人犯に対する死の審議がされないことになります。
それは、殺人犯が被害者を犯したある一定以上の罪の量を見積もらず
秤にかけないことを意味します。

死んだ被害者、被害者を愛する人の求めるものは、殺人犯への復讐
などと言う陳腐な話ではないと思っています。彼らが求めるのは
「被害者の生の証・価値」「被害者を想う人の認証」、つまり
被害者の価値(人権)は生きている人と等価であるとの公平性を
社会に求めることだと感じています。

死刑制度の廃止は、殺人犯の生を優先し殺された被害者と等価と
しない非人道的な要求を被害者側に課すことになります。

死刑制度が存置されていれば、死刑にならない殺人事件に対し
多くの人々が審議した内容にもとづき、なぜ、その事案が死刑と
ならなかったか、説明をすることが出来ます。

死刑制度の廃止は、なぜ、殺人犯の犯した罪の量が、殺人犯の死に
値しないのか、初めから審議さえもされず、その説明すらできません。

そのような不条理に納得できる被害者、遺族はほとんどいないと
考えます。死刑廃止の欧州でも、多くの人が死刑復活を願っています。

殺人事件において、殺された被害者に与えた殺人犯の罪の量を
綿密に審議し、それが殺人犯への死刑に値するか否か
多くの人間が悩むこと自体が、殺された被害者に対して
今、生きている人々が背負う責務であると考えます。

死刑廃止は生きている人間が功利主義において、その責務から
逃れようとする行為に見えます。

死刑を存置し、その殺人犯罪での被害者の死と、対極にある
殺人犯の死について、その事件、裁判に関わる全ての人が
考え、悩むことが、重要だと考えます。

また、殺人犯自身が自らの死を考えること、その恐怖に向き合い
己が被害者に与えた恐怖が分ることで、殺人犯罪の罪深さを理解
できると考えます。終身刑の求刑で、それができるとは考えられません。

みなさんは どう思いますか?

A 回答 (1件)

いや、素晴らしいです。


紗布羅和さんの死刑論議では最高です。

確かに、死刑があれば、そういう考察、議論が
なされ、より深い領域に達することが可能です。

これ、しかし、御自分で考えだしたことですか?

自分で考え出したのなら、凄いですね。

本当に真剣に、死刑について考察しているんですね。

脱帽です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>自分で考え出したのなら、凄いですね。
私の仮説の一つに 他のサイトの意見の請け売りを交えたものです。

お礼日時:2015/12/01 10:09

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