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1. 永遠に生きるわけではあり得ないわれわれ人間は どうして 《永遠》という言葉を
持っているのか? 

2. 永遠については 分かっていないのぢゃないか? 分かったというのは 死なない人
間だけであるはずだ。

3. 定義し得れば 分かったことになるのか? 仮りにあたまで分かったとしてもそれを
ほんとうに《分かった》とは言わないゆえにこそ その永遠を《神》に当てはめているので
はないのか 人間は? 

4. なら何で神は 人間の精神や観念であるのか? 

5. 精神は《永遠(ないし無限)》を神に当てはめて捉えたというその能力手段に過ぎな
いのだし 観念は その手段としてあるかたち(ありさま)に過ぎない。

6. 何で神を人間がつくった言葉であり概念だと言うのか?  

7. 言葉であったり概念であったりするのは 神を示すためのシルシ(補助線)であるに
過ぎないと言わねばなるまい。

8. シルシとしての言葉じたいは 人間がつくったのかも分からないが 永遠(無限)を
一体どうやって人間がつくったというのか?

9. 無限は 二で割っても三で割っても その商はやはり同じ無限であるというのを い
ったいどうやって人間がつくったというのか? 無限(永遠)ということばで ただ発見し
たに過ぎないはずだ。

10. それを《かみ》という言葉で言ったとしても 何もわれわれは分かったことにはな
らない。だから神という言葉で指し示すものは 《非知》というナゾであるはずだ。《知り
得ないと証明し得て知ったというナゾ》としての不可知ではないはずではないか?

A 回答 (8件)

25. 《非思考の庭(信仰の場)》をとおして 《永遠》を知る。



信仰とは何か《非思考》か

ある辞書は信仰を「証拠のないものに対する確信」と定義しています。しかしヘブライ 11:1では「信仰とは、望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実体についての明白な論証です」とあり、

これは、事実や真理にしっかり基づいて、ある事柄を信じることを意味しています。

「保証された期待」と訳されているギリシャ語(ヒュポスタシス)は、パピルスを用いた古代の商業文書の中で、所有を保証するものという考えを表わすために普通に用いられていたそうで、ある学者は、「信仰は望んでいる事柄の権利証書である」という訳し方を提案しています。(ギリシャ語聖書語彙集)

「明白な論証」と訳されているギリシャ語(エレグコス)は、事実と思えることに反する事柄を論証するために証拠を提出するという考えを伝えています。確かな証拠や具体的な証拠が必要です。


信仰は理性《論理的、概念的な思考》に基づいているべきか

キリスト教のみならず多くの宗教が、理性に基づいて考えるのを妨げて、代わりに、詠唱、儀式的な祈り、論理的で建設的な思考よりも神秘主義を伴う様々な形態の瞑想などを強調します。

しかしテモテ第一2:3‐4には「これは、神のみ前にあってりっぱなこと、受け入れられることです。神のご意志は......真理の正確な知識に至ることなのです」とあり、もし、人々が真理の正確な知識に至るのが神のご意志であるなら、神は不当にもそれを人々から隠すでしょうか。歴代第一 28:9によれば、そのようなことはありません。「もしあなたが神を求めるなら、ご自分をあなたに見いだされるようにされる。」
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

55. ★ 信仰は理性《論理的、概念的な思考》に基づいているべきか
☆ 《信じる(無条件に神――の名――をわが心に受け容れる⇒ 非思考の庭)》と《考える(理性⇒思考の
緑野)》とは両立します。考えをつづけていても休めていても 《非思考の庭なる信仰の動態》ははたらいて
います。

56.《信仰》とは何たるかについては 聖書にはいくらでも説明があります。テモテ前書の《正確な知識》
も あくまで信仰にもとづくものです。次のごとく。

57. ▲(ローマ書 3章) ~~~~
21:ところが今や、律法とは関係なく、しかも律法と預言者によって立証されて、神の義が示されました。
22:すなわち、イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられる神の義です。そこには何
の差別もありません。 ・・・
24:ただキリスト・イエスによる贖いの業を通して、神の恵みにより無償で義とされるのです。
~~~~~~~~~~~~~~
☆ この信仰をあたえられて人は 神を知る境地にもみちびかれます。

58. 歴代誌・上28:9の句の意味は イエスを前提とすれば いまのパウロらの説明に同じく従うでし
ょうし 旧約の時代ということを考慮すれば 例のモーセの《顔と顔を合わせて 友だちのように神を見た》
といった意味のくだり(出エジプト記33:11)の問題だと考えます。

59. 結論を述べるなら なお神直視のときを待つようにというそのシルシとしての体験であったと考えま
す。いまはおぼろに見ている。

60. ▲ (へブル書11:1) ~~~
(Grk ) ἐλπιζομένων  ὑπόστασις  πραγμάτων  ἔλεγχος  οὐ  βλεπομένων
( KJV ) the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
(新共同)望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること。
(新世界)信仰とは、望んでいる事柄に対する保証された期待であり、見えない実体についての明白な論証です。
~~~~~~~~~~
☆ 《保証された》と《実体》は 勇み足の表現でしょうね。つまりこの場合は 信仰にあってシルシとしての
確信・確認です。シルシは 思考の問題です。

お礼日時:2015/12/11 15:44

「永遠」という概念は、終わりが無いということと、始まりが無いということと


セットになっていると思います。両方理解しないと、分かったことにならないの
ではないかと思ってました。

さてこれを、自然科学で解明しようという努力の結果が「四次元」という言葉な
のではなかったかと思っていたのですが、詳しい人に聞いてみたいです。

自然科学で解明できるのか?やっぱり無理なのか?

人間は何故これを知ったのかといえば、宗教的な話を聞いたときとか、夜空を見て
いるときなどに、直感的に感じたものではないかと思います。

私が子供の時、父親に宇宙の果ての話を聞いて、がっかりしたことを覚えています。
父親曰く、宇宙には果てがあるのだ、と。
がっかりしたということは、心のどこかで、「無限」を感じ、そうあることを望ん
でいたということになると思います。

「永遠」も同様で、皆それを感じてはいるものの、時の経過とともに消えいってい
るのでしょう。
何故感じ取れるのかといえば、自身の中にあるものだと言うことができると思いま
す。
しかし、いかにも曖昧なものですから、「目覚めている」とはやはり私には思えな
いのです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

50. そうですね。やはり いちおう哲学としての定義を明らかにするのが筋で
しょうね。

51. 1,2,3・・・と数えて行って無限大になるというその《限りなさ》は 
永遠とは違いますよ。

52. あるいは 通俗的な永遠として そのように《限りの無いこと・果てしの
ないもの》といった感覚で受け取るのではないでしょうか。

53. でも 《永遠》は――《絶対》であり《無限》であり―― 経験世界のこ
とではないわけです。(9)の定義にしたがうものと思うのです。

54. やはり神の問題・信仰のもんだいなんだとは考えますが どうでしょうか
ねぇ。

お礼日時:2015/12/10 22:01

私の意見は、自然の法則や宇宙の現象を理解する事が神の言葉で、無限は、Loop実在する概念ですね。

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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

46. もし神の言葉があるとしたら それや一般に摂理とよばれ これを人間が翻訳したもの
が 自然の法則などでしょう。

47. しかも世界の到るところに 神の言葉ないし霊を見た〔感じがする〕というときには
《宇宙の現象》の一つひとつが 言わば分身としての神々になるのでしょう。

48. ★ 無限は、Loop実在する概念ですね。
☆ 《実在する》のは 経験事象です。《無限=永遠=絶対》は 経験世界を超えています。

49. 経験事象のうちにも《無限大や無限小 あるいは 量子相互作用》を容れていますので
そこから 《 Loop 実在する概念》をみちびき出して来たのでしょうか。

お礼日時:2015/12/10 09:49

永遠と刹那は同じもの。

絶対無と完全有が同じものだということと同じ。
無限大の質量は時間を停止させるが、何もないところは時間が停止しているのと同じ。
貴女にとって、宇宙創成から貴女が生まれるまでは一瞬、貴女が死んでからビッグクランチまでも一瞬。
貴女は100年生きて十分に生を堪能して人生を楽しんだ。おめでとう。
それ以外の時間は、刹那でもあり永遠でもある。

ところで、私が神と知り合ったのは5年も前になる。
知人からの紹介だったが、永遠の女神と呼ぶにふさわしくその神々しさには息をのんだものだ。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

40. ★ 永遠と刹那は同じもの。絶対無と完全有が同じものだということと同じ。
☆ 《絶対》が《絶対無》と《絶対有》とを含みうるというのは 経験事象としての《有る無い》に
当てはめてそのように表現しうると言っています。

41. 人間が《絶対・無限》を 《有る絶対・無い絶対》として――好みに応じて・言いやすいよ
うに――表現してもかまわない。

42. すなわち 《永遠》についても それは《有る》とも《無い》ともどちらを選んで言ってみ
ても構わない。有神論と無神論とになります。

43. 《刹那》は どうでしょうか。刹那に対するには 経験数量としての《無限大》でしょう。
そして《永遠》は 刹那や無限大を超えつつそれらを包み込むわけです。

44. ただし 《永遠の現在》という言い方があり そういった命題としてもあります。

45. おそらくこれは 《感じる・考える としての身と心》なる経験事象の問題ではなく 《信
じる としての非思考の庭(アートマン=霊我)》の問題ではないか? と考えます。

お礼日時:2015/12/10 09:41

「永遠なる神を限りある人間がどうして知りうるか?」


→知りえないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

29. ★ 〔永遠なる神を→〕知りえないと思います。
 ☆ 通常は そうなるでしょうね。

30. ただし厳密に言えば 《知り得ない》という証明は出来ない。のだと思います。

31. つまりは 《知り得る》とも証明できないし じっさい《知り得ていません》。

32. となると どうなるでしょうか?

33. 《知り得るか知り得ないか これが人間には知り得ない》という《非知》にな
る。のではないでしょうか?

34. ですから もっと勇み足で言うとすれば そのような《非知》としての神につ
いては 《おれは神を見た》とか《神の言葉を聞いたんだ》と言い出す場合が出て来ま
す。

35. そこまでは 自由ですし それに対して反駁し切るということも出来ないはず
なんです。

36. 反駁され得ないのですが しかも その《神直視》の体験を ほかの誰かが共
有することも出来ない。

37. すなわち いやおれは あいつが言っていることはほんとうだと思うと言って
その神直視の体験を共有するんだという人間が現われ得ます。と同時に その賛同ない
し《証言》は じつは何の有効性をも持ち得ません。

38. 神について知り得るとも知り得ないとも知り得ないというのと同じように 神
を見たとも見ることは出来ないとも どちらも証明し得ないのですから 第三者が賛同
し証言したとしても そのことが根拠づけられることはないと言えます。

39. 非知なるナゾについては 想定としていくつかのことが言えるでしょうけれど
――神は 創造主であるとか全知全能という属性を持つとか言えると言えば言えるので
すが―― そのことが神本体の存在そのものであるとは どうしても言い切れない。の
だと思います。

お礼日時:2015/12/09 21:24

人間は再帰的思考によっていくらでも大きい数をつくりだすことができます。

その上限がないので、数は無限であると言います。無限とは単に文字通り「限りがない」という意味だったはずです。そして、永遠とは時間的に限りなく遠い未来という意味でしょう。
無限も永遠も一応矛盾なく定義できますが、「限りない」という否定的表現によってかろうじて定義されているところが問題であると思います。「限りない」によって私たちの経験や認識が到底到達できないものを指しているわけですね。

数学は形式的な学問なので、矛盾なく定義されたものはすべて対象とすることができます。しかし、哲学において、私たちが直感できない概念である「永遠」や「無限」を使用する場合には注意しなければなりません。

カントはその主著である「純粋理性批判」において、「永遠」や「無限」を理性によっては把握しきれない概念であるとして、それらに関して我らの悟性は対立する命題を導いてしまうということを提示しています。(参照==> https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E5%BE%8B … )

「神」の概念は人によってさまざまなので、議論するにはまず定義を明確にすることが必要であると思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

26. 一つ目の段落については 次を読み直して欲しいとは考えます。
☆☆(趣旨説明) 9. 無限は 二で割っても三で割っても その商はやはり同じ無限で
ある。
☆ 円周率の π が 小数点以下において限りなく数がつづくという場合の無限ではありま
せん。

27. 二つ目のパラグラフについて。π は 3と4との間におさまる有限の数なのです。
よく考え直していただきたい。限りなくつづいたとしても この数は けっきょく経験世界
の中におさまります。

27. ★ 「神」の概念は人によってさまざまなので、議論するにはまず定義を明確にす
ることが必要であると思います。
☆☆ (趣旨説明) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9. 無限は 二で割っても三で割っても その商はやはり同じ無限であるというのを い
ったいどうやって人間がつくったというのか? 無限(永遠)ということばで ただ発見し
たに過ぎないはずだ。

10. それを《かみ》という言葉で言ったとしても 何もわれわれは分かったことにはな
らない。だから神という言葉で指し示すものは 《非知》というナゾであるはずだ。《知り
得ないと証明し得て知ったというナゾ》としての不可知ではないはずではないか?
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

11. 《非知》とは 《知り得るか知り得ないか それが人間には知り得ないナゾ》のこ
とです。これが 《神――普遍神――》のことです。

お礼日時:2015/12/09 20:13

1.&10.



「永遠に生きるわけではあり得ない」と言い切れるのでしょうか。
今まで永遠に生きた人がいないだけではないでしょうか。

創世記2:17には「善悪の知識の木については、あなたはそれから食べてはならない。それから 食べる 日に あなたは必ず死ぬ からである」とあり、最初の人間が食べなければ人間死ななかったという可能性はないでしょうか。

また、

伝道の書3:11には「神はすべてのものをその時にかなって美しく造られた。 定めのない時 をさえ彼らの心に 置き、まことの神の行なわれた業を、人間が始めから終わりまで決して見いだすことができないようにされた」とまさにあり、

「どうして 《永遠》という言葉を持っているのか?」と、
「《非知》というナゾであるはずだ。《知り得ないと証明し得て知ったというナゾ》としての不可知ではないはずではないか?」との質問のご参考にならないでしょうか。

しかも、「神について知りうる事柄は彼らの間で明らかだからであり、神がそれを明らかにされたのです。 というのは、神の見えない特質、すなわち、そのとこしえの力と神性とは、造られた物を通して認められるので、世界の創造以来明らかに見えるからであり、それゆえに彼らは言い訳ができません。」とローマ人への手紙1:20には述べられています。

それで結論として、


永遠 人間がつくり得ないもの 正しい

どうして持っているか 神が人間の心に置いた

神は知り得るか 知り尽くし得ないが知ることはできる


とまとめたいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

16. ★ 今まで永遠に生きた人がいないだけではないでしょうか。
☆ わたくしも 【Q:《とき(時)》をひとは制御できるか?】〔できる。〕とい
ったことを問うてもいるのですが いまの問題は まぁ 《今まで永遠に生きた人が
いない》という前提で話をすることになるのではないかとは思います。

17. なぜなら もし人間が永遠のいのちを実際に得たとしたら そのときにはす
でに《神》の何たるかを知ったことになるでしょうから。

18. アダムとエワが善悪を知る木から採って食べなかったなら 死ぬことはなか
ったという話ですが これはすでに人には自由意志のあるということを神は織り込ん
でいたでしょうから 《朽ちるべき存在》であることに成っていたでしょうね。

19. 永遠を知る・神に顔と顔とを合わせて相いまみえるというのは このエデン
の園からの追放としての歴史のあとに 起きるとすれば起きる。のではないでしょう
か。

20. 《伝道の書》の中の《定めのない時》というのは KJVでは《 world 》と
も訳されている《オーラム( Grk: アイオーン)》ですが 
https://www.blueletterbible.org/kjv/ecc/3/1/t_co …
新共同訳では
▲(コヘレトの言葉 3:11)永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のな
さる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。
☆ というように確かに《永遠》という言葉が使われています。

21. そうしてつづく一文では ラプラスの悪魔の知識を人間は持ち得ないという
ふうにも書いてあるようです。

22. つまりおしゃってくださったように《非知》の問題として この世界につい
ての人間の知識・知性は 自然本性として成っている。とわたしも思いました。

23. そしてやはり確かにパウロはローマ書で 《永遠》が造られたものをとおし
て見られ得るとさえ書いているようです。

24. 帰結された結論に接して そうですね:
▲(ローマ書 1:17) 福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初め
から終わりまで信仰を通して実現されるのです。
☆ というくだりをも併わせて参照しました。

25. 《非思考の庭(信仰の場)》をとおして 《永遠》を知る。

お礼日時:2015/12/09 17:13

暇がないので1.だけ。


数学は「無限大」という「定義出来ない」概念を避けるために「充分大きな数」という言葉を用います、へんてこだがこれで充分、もし充分大きくない無かったら、自然数の場合一を加えなさい、そして充分大きな「閾値」を越えていけば良い。
似たのに化学の「充分長い時間が経ったら」があり「無限の時間」を避けるため、時々調べて「もう充分、これ以上は観察してもムダ」になったらおしまい。

かみの出番は無い。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

11. なぜ
★ 「定義出来ない」概念を避ける
☆ のですか?

12. なぜ
★ 「定義出来ない」
☆ のですか?
 
13. ★ 「無限大」 
 ☆ と《無限》とは別ではないですか?

14. すなわち
★ 自然数の場合一を加え
☆ ることによって《無限大》を表わそうとするその内容といまの《無限》とはまったく
別ではないですか?

15. ★ かみの出番は無い。
☆ というよりも 《世の中 人間の出番だけだと規定し切るのは 無い》でしょうよ。

お礼日時:2015/12/09 14:44

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