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ヒトに「子孫を残したいと」という強烈な欲求があり、ほっといても子供が産まれていくというのなら何の問題も無いのですが、
最近の少子化問題を見てると、どうもヒトにはそこまで子孫に執着する欲求というものは無さそうですね。

そこで本題なのですが、
国家が将来にわたって永続的に繁栄する事が大事なら、少子化というのは憂うべき問題です。
子供は国家の存続において欠かすことのできない必須の資源ですから、
出産、育児を義務化してでも子孫の数を維持していかなくてはなりません。

しかし、逆に個人の人権や自由が大事であるという観点から見ると、
結婚も出産も、あくまで個人の自由意思に基づくものになります。
その結果として少子化が進み、将来的に国家が弱体化して豊かさや安全さを損なったとしたら、それはそれで大問題です。


そこで問いたいのですが、
「国家の存続・繁栄」と
「個人の自由意思・人権」と、

どちらを優先するのが、「あるべき姿」だと思いますか?


思うがままを答えて頂けると嬉しいですが、趣旨から外れる回答はご遠慮下さい。

宜しくお願い致します。

A 回答 (8件)

国とは大きな家族のようなものと思っています。

国が栄えるなら国民もしあわせであるという単純な構図があります。
一方で、個人の自由意思や人権というのは、国家が集団主義的になって国民を支配するような事にならないためにある線引きのようなものでは無いでしょうか。

実際にあるのは冒頭に述べた単純な構図ではなく、複雑な実態がその内容である国と国民の暮らしですので、尚のこと個人の自由意思や人権というものが大切になってくると思います。

ですので結論は、個人の自由意思や人権がある事によって、国の正しい形が導かれるのであるから、個人の自由意思や人権の方が大切です。

家族がその構成員を励ましたり応援するように、国家存在が、国民の人生のためになると言うのが理想であり、一人一人が自由意思に基づいて、国、大きな家族のために何かを成す事が、理想であると思います。
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この回答へのお礼

1番しっくりきました。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/12/11 07:49

どっちも大切ですね。



個人の自由意志・人権を保障しているのは、国家です。
国家の存続を補完しているのは、個人です。

どちらを優先と考えると、答えは偏ります。
どとらも充足してこそ、実行に移せる答えになると思います。

個が国家の礎ですから踏みにじるのは無しで
国民の利益のために国家維持が必要なのです。

国家は物ではないので、個々が力を合わせて維持するものです。
国家という共同幻想を維持する力は、国民一人一人ですから。
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国家なんて枠組みは、人類の歴史から見たらほんのチョット前に生まれたモノ



あとから生まれた国家という概念が優先されると考えるのは難しいね
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我利が個人、他利が周囲のみんなのためにというみ方が出来ますね。


しかし、国家といういわば幻影のために、特攻隊員のように命を捨てる必要はなく、個人の自由で他人の権利を奪うことはできません。
個人か国家かという近視眼的なスタンスを選ぶのではなくて、法律で峻別しにくい政治的な案件に関しては、個別具体的にどう対処するかをみんなで決めていこうというスタンスがあるべき姿だと思います。
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"どちらを優先するのが、「あるべき姿」だと思いますか?"


   ↑
現代の考え方は、国家とは、個人の自由や権利をよりよく
守るための道具に過ぎない、とされています。

あくまでも建前ですが、一応、こういうことに
なっています。

人は一人では非力なので、国家という団体を作り
その利益を最大限に守れるようにした、という
という説です。
社会契約説みたいなものです。

しかし、質問者さんが指摘するように、国家は
人間の自由や権利に必要不可欠です。
ユダヤは国家を持たなかったゆえ、悲惨な目に
あいました。
クルドは、国家がないため、現在、悲惨な目に
遭っています。

だから、どちらが優先するか、ということに
なると、個人、という他ありませんが、実際は
その調整の問題になると思われます。

理念的ですが、国家そのものの利益というのは
ないのでしょう。
あくまでも、個人のための国家にすぎません。

個人の自由、権利は大切だ。
しかし、そのために、ほかの人の自由や権利を
害することはできない。
それを調整する公的機関が国家である、という
ことです。

以上に対して、国家そのものの利益はあるのだ、
という考え方もあります。
国家は個人のために存在するが、その個人、という
のは、現在する個人だけではない。

過去現在未来を通して存在する個人である。
そういう個人のための国家であるから、時には
国家の利益が、現在個人に優先することもある
という考え方です。

ワタシ的には後者の方が好きですが。
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日本が繁栄するから国民人口が増えるは間違いだと、国家が気付くのが遅すぎます。


経済の供給を将来生むために、少子化対策として案を出してるとしか思えません。
子供が一人ずつ増えるのに将来親がどれだけの収入が必要か。
今の国に少子化対策は不用と思います。
戦後あぶく銭のように使った税金。国家の対策のツケが今きただです。
私は個人の人権を優先して、個々の考えが正解だと思います。
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これはつまり、


「国家の存続・繁栄」は右翼的思想であり
「個人の自由意思・人権」は左翼的思想でありますので、
あなたは右翼ですか左翼ですか、そしてどっちが正しいですか、という質問とほぼ同義です。

よって、いくらこの場であるべき姿を論じても、
昔から延々繰り返されてきたイデオロギー的な話にしかならないのです。

それでも思うままにお答えすれば、
どっちも大事、それぞれが問題なく成立するように、
国家と個人間でバランスを取っていかなければならない、
というつまらない答えになってしまいます。
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生き残ったものが勝ち。

それだけ。我々は生物であるので、それ以外の正義は無い。
よって、国家だとか個人だとかどうでもいい。
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