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裁判は同じでも議論まで一緒にしてしまうと方向性が変わってしまうからです。
人が人を裁くこと自体そもそも無理があります。万人が納得する制度は絶対に作れません。
ならば最大数が納得できる制度にするのがベターであると考えています。

また死刑が執行されるまでの間の死刑囚の生活は全て税金で賄われているのはご承知かと存じます。
これほど無駄なカネの使い方もないと思います。
現在の我が国は決して余裕がある訳ではありません。むしろ借金大国です。
今は経済面では国際的信用度が高いので国債に頼ることができますが信用が落ちればそれも難しくなります。
そんな綱渡りな状況で死刑囚に1円たりとも無駄な税金を投入すべきではないのではないでしょうか。

宅間守や加藤智大は勝手に社会に絶望し死を望んだにも関わらず自殺はできないから制度に殺してもらおうと
大量殺人をした卑怯者です。
情けをかける必要は全くありませんが基本的人権を尊重する以上、拷問はできません。
現在の刑法で一番重い刑罰が死刑なのですから迷うことなく速やかに執行すればいいだけです。

犯罪者の量刑を考え直すより先にすべきことは被害者家族への対応だと思います。

みなさんは いかがお考えですか?

A 回答 (3件)

>社会を騒がせるような大事件の犯人の処遇論は切り離して考えるべきだと思います。



「何」と切り離すのか不明。


>ならば最大数が納得できる制度にするのがベターであると考えています。

「制度」が何を意味しているのか不明です。
(裁判の制度なのか量刑を決定するシステムなのか、それとも「司法」そのものなのか)

法は最大数の「納得(議会での議決)」によって成立し運用を認められている。

個別の事例への量刑を、当時の有権者の総意(感情)に委ねろと言うなら、それは法の無視であり衆愚政治やポピュリズムに堕ちる事だと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/02/16 11:18

犯罪者に刑罰を科すというのは報復的処置でしょうか?もしそうであるなら、裁判において情状を酌量する必要はありません。

現代社会における犯罪は、もちろん個人の資質によるところが大きいのですが、社会的側面も影響しているという面も見逃せません。法治国家の刑罰は犯罪者に自覚を促し、更正を期待し援助するという側面もあります。うまく機能している現状だとは言えませんが。人類が社会を構成して共存していく生命体であるという現実を見るとき、それは模索し続けている課題の1つなのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/02/14 13:26

日本の借金と国債の件については、紗布羅和さんの理解は間違っていますがここでは触れません。

 日本では合法的に死刑が認められており、また死刑判決確定後6か月以内に死刑を執行することが法律で決められているのはご存じと思います。 その執行命令に法務大臣が速やかに判を押さないのは法務大臣個人の信条によるものであり、また人の命が関わっている話ゆえ、誰も速やかに死刑執行しないことを批判しません。 逆に法務大臣が死刑執行命令に判を押しすぎると、それをマスコミや世論が批判する傾向にあるのもご存じのとおりです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/02/14 10:58

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