単二電池

お釈迦さんにさからうとバチが当たりますか?

バチは当たらなくても たとえば友だちが去って行き 人びとから嫌われますか?

いづれの答えでも それは なぜですか?

A 回答 (8件)

当たりません。



バチは人が考えたものですから。
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この回答へのお礼

つまり ゴータマさんのオシへにもブディズム一般にも 関係がない。
ということでしょうか?

その割りには みなさん 何だか ゴータマさんに遠慮をしたり ブディズム
のことを何かとかばったりしているようには見えますが。

でも 分かりました。バチは関係ない。こう はっきりしているのですね。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/02/21 22:21

質問のタイトルが“お釈迦さん”になっているので、そう表現してます。


バチは“神仏”が当てる、という表現でも構いません。

あるいは“好ましいほうの心”が、と。

逆も真なり。

これが悪魔の立場に立てば、正反対になります。
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この回答へのお礼

そうですか。

だとしたら 哲学としては 一般に人間の心の中のハタラキの問題なの
でしょうね。

例によって ヤマシサ反応です。良心とも言いかえられます。

単純に言って かつて一度 ヤマシサ反応が出たにもかからわずこれに
逆らって――ということは 自分でもよくないことだと知っていて――
おのれの欲するところを強行突破のかたちでおこなった。このヤマシサ
なる心があとになっておのれの心の中ではたらいて 言わばそのツケを
現在のわれに回すことになる。

これなら 原因と結果とがそれとしてつながっている。そして しばし
ば そのツケを払わされることを バチが当たるというふうに言い慣わ
している。ということ。

おまけとして 一般に良心は 神と関係させて捉えられることがあり
そのときには 神によるさばき(捌き・裁き)だという見方も持たれる
かも知れない。(ひとりの主観の内面においてのことですが)。

こういうことでしょうか。

お釈迦さんには 少なくとも直接の関係はないようです。ね。

こういうことでしたら 見解が一致したでしょうか。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/02/22 05:50

例えば、人間社会のためにと一生懸命であるという心持はお釈迦さんの思いに叶っているはずで、それは好ましい心を使っているわけで、だから好ましい心を育てることになりますが、その中にあっても好ましくない行為があれば、それに付いてはバチが当たることになります。



二歩前進、一歩後退、といった感じです。
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この回答へのお礼

でもね。判断の基準が すべてお釈迦さんになっていますよね。

それが 問題なんぢゃないですか。

つまりは《お釈迦さん》という名前の自分の主観でありその判断力が 基準
になっている。のではないかというのが この問いのひとつのミソです。

お釈迦さんという名前を出すと あたかもどこへでも入っていけるフリー・
パスを持っているかのように思っているのではないか。

それにさからうと バチが当たる。というふうに すでにクウキを決めてい
るのではないか。

これは 人間の社会としてのあり方にとって 不幸なことですよ。と思いま
すよ。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/02/21 23:29

バチは当たります。



好ましいほうの心の究極のお釈迦さんに逆らう、と云う事は好ましくないほうの心を使うと云う事です。
心は使うほどに育つので、好ましくないほうの心を使うと、好ましくない心が成長してしまうので、そのことをバチが当たると云っているのです。

お釈迦さんにさからうとバチは当たります。
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この回答へのお礼

あぁ そういう場合があるのですか。

でも でも でも。
お釈迦さんに逆らうことが わが心の真実であった場合は どうなりますか?

それでも自分自身では知らず知らずのうちに:
★ 好ましいほうの心の究極のお釈迦さんに逆らう
☆ ということに成っているということなのでしょうか?

意識としては これこれがわが真実であるとして お釈迦さんのオシへに逆ら
ったという場合です。それでも その心は 好ましいほうの心ではなかったと
いうことなんでしょうか。

でも それは 考えているそのときには 分からないですね。

あとで はっきりと分かるようになるのでしょうか?

つまり その逆らいの中身については 道理と論理とでよく考えたものだと思
っているのに 間違っていた・・・なんてことがあるんですかね。


だから 人びとがわたしに対して 好意的ではなく 時には敵対的にふるまう
ようになっているのですね。

ナットク。・・・てな具合いにはなりまへんなぁ。


ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/02/21 22:59

誤字がありました。



誤:破層

正:破僧
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Samaggiuposathaと二種の破僧


佐々木 閑
Sasaki Shizuka
Hanazono University

http://ci.nii.ac.jp/naid/110002932918


逆らうといえば五逆罪。

仏教での悪者デーヴァダッタ

~~~~~~~~

提婆達多(だいばだった、Skt:Devadatta、デーヴァダッタ、音写:提婆、調婆達、調達、訳:天授、天熱)は、釈迦仏の弟子であったが、後に違背したとされる人である。

提婆達多
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8F%90%E5%A9%86 …

~~~~~~~~~

そういえば
『仏教思想のゼロポイント: 「悟り」とは何か』
で、作者の魚川 祐司よりも
書評を書いた佐々木閑に言及したのは

破層の考察がしたかったのですが、

まったく進んでいません。


デーヴァダッタは極悪非道扱いなのに
破僧の定義が変われば構わないとしたら
一体なんなのという気がします。

法華経には提婆達多品第十二があるから
フォローされているから大丈夫というのは
それだけ法華経が凄いと云う話になって終わりそうなので、
微妙ですけれど。
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~~~~~~~~~~



お釈迦さまが与えた罰「ブラフマダンダ」

怒らないこと~役立つ初期仏教法話1~
http://samgha.co.jp/products/shinkan/s_003.html

~~~~~~~~~~


Definitions for brahmadaṇḍa

Concise Pali English Dictionary

brahmadaṇḍa

m. a (kind of) punishment by stopping all conversation and communication with one.

https://suttacentral.net/define/brahmada%E1%B9%8 …


~~~~~~~~~~~~

とりあえず。
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この回答へのお礼

タコツボに閉じ籠ることによって 罰を受ける。・・・

《さからう》こととは別であるように捉えられます。

ご回答をありがとうございます。

お礼日時:2016/02/21 16:07

あなたの゛お釈迦さん”って何ですか?


宗派によっても釈迦は違ってきますし、哲学的釈迦といった解釈もできそうですね。

私は無宗教なので、精神的作用をバチと結び付けているに過ぎないと思います。
勿論、神仏は尊重しますが、文化としてです。
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この回答へのお礼

★ あなたの゛お釈迦さん”って何ですか?
☆ 回答者みなさん方それぞれの思っているお釈迦さんのことです。この問
いにおいては。

ですから 次のようにあなたのお考えでこたえてくださって結構なのです。
★ 私は無宗教なので、精神的作用をバチと結び付けているに過ぎないと思
います。
☆ つまり 回答者さんのお考えになる(受け留めている)お釈迦さんは
さからわれても・けなされても 基本的にバチとは関係ない。ということだ
と受け取りました。

じつは わたしも同じ考えです。

ご回答をありがとうございます。

たぶん 違った考えの人もいるかと思いますので 質問をひらいています。

お礼日時:2016/02/21 16:05

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