プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

この制度では、訴訟はゲームになり、訴訟技術に長けている人間が得をする、という感は否めません。
しかし、日本人は体質的に他の民族よりも因果応報の考えが強いので、日本人の体質にあまり馴染まないのではないでしょうか?
この制度では 求刑より重い判決を判事が出すのは合法ですが 本来の司法の公平性やバランスからはあまり好ましくないはずです。それでも 疑問視する声は少数です。
むしろ 日本人が求めているのは 作り話ですが、時代劇に代表される 大岡越前や遠山の金さんのような名裁きではないでしょうか?
日本でも裁判員制度が始まりましたが、裁判員のスタンスも 検察と被告人の間に立って 公正な裁きをするというよりも 検察側に立って 検察の求刑が適当な量刑なのか審査する という要素の方が強いかと思います。

そこで質問ですが、みなさんは 現在の裁判制度についてどう思いますか?

A 回答 (1件)

日本人は体質的に他の民族よりも因果応報の考えが


強いので、日本人の体質にあまり馴染まない
のではないでしょうか?
   ↑
当事者主義では、自分に都合の良いことしか
主張しませんし、競合する人間に対しても
その落ち度などを平然と主張することになります。

そういうことをやると、日本では、あいつは徳が無い
人格に問題がある、となり到って心証を悪くします。

また、そもそも日本語がそういう理論闘争に
適している言語なのか、という問題などが指摘
されています。

例えば、精密な理論を展開するよりも、
情感に訴えた言語の方が、説得力を持ったりしますが、
日本語にはそういうのが多い、という説があります。

もっと本質的なことに遡ります。

善悪の判断は欧米と日本とでは異なります。
一神教たるキリスト教文化圏の
欧米は、普遍的、客観的な正義があるはずであり
その正義に照らして善悪を判断しようとします。
だから、彼らは何百年も、延々と正義論を続ける
ことができるのです。
こういう国では、お互いの主張をぶつけ合い、
その主張を第三者が判断する、という当事者主義が
適合しても不思議はありません。

しかし、日本の善悪は、他者との関係で決まります。
善悪などは時代や立ち位置により変わってくるものだ
と考える傾向が強いのです。
人にどう思われるか、を非常に気にする民族です。

日本人に善悪はない。
あるのは、その行動が美しいかどうかである、
悪い奴といわれるよりも、汚い奴といわれる
方がイヤダ、
潔いのは美しい、イジメは美しくない・・等々。

こういうところが、日本人に当事者主義が適合
しないのでは、という疑問が出てくるわけです。



むしろ 日本人が求めているのは 作り話ですが、
時代劇に代表される 大岡越前や遠山の金さんの
ような名裁きではないでしょうか?
    ↑
それはあるでしょうね。
こういう裁きは不公平ですが、それでも一般庶民は
望むかもしれません。


日本でも裁判員制度が始まりましたが、裁判員のスタンスも
検察と被告人の間に立って 公正な裁きをすると
いうよりも 検察側に立って
検察の求刑が適当な量刑なのか審査する
という要素の方が強いかと思います。
   ↑
これは指摘の通りだと思います。
裁判官ですら、そうだ、と主張する学者、実務家も少なく
ありません。


みなさんは 現在の裁判制度についてどう思いますか?
        ↑
国民に対して、裁判への関心を強める、という
効果が期待できますが、裁判を見世物化する
ことにならないか、懸念されます。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/03/11 09:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!