重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

人類学などに人類学などに出てくる原初的社会の貢ぎ物について質問です。

例えば、生け贄を差し出すとか、収穫物の一部を差し出す、色々なものを宗教的な権威に差し出すということはあると思うのですが、

この場合、何らかの犠牲、sacrificeが伴っている必然性はあるのでしょうか?

つまり、tributeはsacrificial tributeであるのが通常でしょうか?

もしそうだとしたら、なぜでしょうか?

A 回答 (2件)

犠牲を甘んじて受け入れても神や仏のあるいは偶像の


ために貢物をしたという姿勢が絶対的服従の証という意味で
必要だったのではないのかと考えています。
その点で支配者が大きな神殿を作るのとは違うという
認識をしています。
    • good
    • 1

恋人に何かをしたい、捧げたい、尽くしたいという気持ちと似たものが、神や預言者、教導者に対して起きると、tribute という言葉で表現することが出来るでしょう。


https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A …

供物、捧げものも、犠牲をだすことに意義があるのではなくて、饗応が主眼であって、生産が十分ではない社会では、穀物や酒、家畜はとても貴重なもので日常は飲食用には使えず、特別の日にしか出せなかったのだと思います。 そうした貴重な飲食物で饗応するというのが、神に対する最高のもてなしだったのでしょう。
祈り・悔悟・精進といった行為を自己犠牲、最高の饗応も、香油を注ぐのも自己犠牲と考えてるなら、犠牲的要素を伴っているとも言えるでしょうが、尽くしたい、捧げたい、もてなしたい、喜んでもらいたいということが基本なのでしょう。
贖罪とか、罪をあがなう、交換で期待するというような別の発想が入り込んで、燔祭やら犠牲の生命体を引き渡すというようなものが起きたのでしょうが、それはもともとあった基本のものではなくて、専門職業になった神官や祭司が考え出した後代のものだと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%9B%E7%89%A9
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!