アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

最近、「保育園落ちた日本死ね!!!」http://anond.hatelabo.jp/20160215171759 というのが話題になりましたが、このような発想というか、感情的というか、怒りをまき散らすというか、こうした行動や発言をする人が出て来るのかを説明しているサイトあるいは心理学的解説がありましたら教えて下さい。
~~~ 下のような解釈があるのは知っています ~~~
「怒り」は、「わかってほしい」「助けてほしい」「愛してほしい」という心の叫び
「怒り」は感情の「蓋」だ、と言います。「怒る」という感情表現をしていますが、よくよく聞いてみると、本当に伝えたいことは「怒り」ではないことが多いからです。「私は怒っている」の後には理由があって、それは「自分の気持ちが理解されていない」、「助けて欲しかったのに助けてもらえなかった」、「愛されたかったのに愛されなかった」からで、そこには深い悲しみがあります。鍋の蓋が、中の圧力に耐えかねてカタカタと音をたてるように、悲しみや孤独感が抑え込めなくて吹きこぼれるときに「怒り」という大きな音をたてる、と私たちは考えます。 「怒り」が、「わかってほしい」「助けてほしい」「愛してほしい」という心の叫びだとしたら、それをぶつけられるのは、「あなたならそれがわかってくれるだろう」という期待をかけられているから、ということになります。(ぶつけられる側はそう感じられないので、効果的なコミュニケーションとは言い難いのですが。)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
同じような状況になっても、感情的暴発や怒りの噴出にはならない多くの人がいます。
一部の人が、易怒やヘイトに走るのは、何が原因なのでしょうか。
不安が背景にあるとか、援助を期待しているとか、閉塞感やストレスの解放を企図しているとかの説明ではなくて、そうした行動をとる人は(一見すると同じような状況下にあったと思われる人々の総体から眺めると)人数的には少ないのに、一部の人は明らかにそうした行動をしばしばとります。
教育や人生経験に差があるのかもしれませんが、相当に論理構成がきっちり出来るし、知的にも平均以上という人でも、そうした行動をとる人がいます。 社会経済的な状況や人間的ネットワークの紐帯や構造には、そうした行動をとる人間と、そうでない人間とを分ける基本的なものはあると思えません。
生理的、内分泌、精神神経などに特徴的な傾向があるのでしょうか。

質問者からの補足コメント

  • NO.3のご回答にお礼で、補足を書きました。
    お礼文の文字数制限で半分くらいしか書けなかったので、2)と3)をこちらに書きます。

    2)教育、躾け、文化、規律、訓練、習慣、習熟、慣れがポイントだろうという意見は、了解可能なものとしてわかります。また、事態の推移に関する予見から損得や円滑志向あるいは自尊心との照合、または相手や周囲への気遣いなどから、セルフコントロールする理性の保持・維持の程度も関係しているという意見も、了解可能なものとしてわかります。酒を飲んだり、疲労が溜まっていたり、リラックスしていると、悪口、非難侮蔑の言辞が増加するのを、そうした症例として挙げるのもわかります。

      補足日時:2016/04/07 00:35
  • さらに、仲間なのだとの感覚を高める効果が、部外者・第三者・権威などを非難し攻撃し侮蔑する言辞を言い合うことで生じるので、それで快感や一体感が増加したり、ウッキョク感やキンチョウ感をホグスせるという経験が、非難、攻撃、貶める発言を促す(生徒間での先生評、サラリーマンの上司評、女同士の男評、男同士の女評、風刺作品が受け入れられるバックグラウンドetcにしばしば見られる)という意見も、了解可能なものとしてわかります。
    ただ、それらの意見は、《勉強したから勉強が出来るようになった、練習したから強くなった、気分が良くなる映画演劇小説アニメが広く受け入れられる、恐怖や失敗の経験が背景にあって萎縮や反応が生じる》というのと似ていると思います。 【こどもは成長すれば大人になる】では、こどもが成長するとはどういう現象が起きていることなのか、その現象が起きるメカニズムはどのようなものかに全く触れていません。

      補足日時:2016/04/07 00:38
  • 【手に持ったものを手放せば落ちる】のは何故なのか、どういうメカニズムなのか、落ちる速度や落とす力はどう決まってくるのかをなにも説明出来ていません。というよりも、そのメカニズムに迫ろう、つき詰めて調べようという気が感じられません。もう21世紀なのですから、行動などを表面的に観察した結果を統計処理して心理傾向を説明するというだけで終わらずに、【どうしてそうなるのか】を個人の中にある構造的特徴、生理反応を起こしたり起こさなかったりするメカニズムに突っ込んだ研究や見解を知りたいのです。

    3)親の顔がみたい、しつけがなってない、いつまでもこどものママの反応や発言・思考でいるのを許す社会になってしまったんだ、という感性的反応があるのもわかります。俺はあんな表現を無恥に世間に出すようなことはしないと差別蔑視する感性的反応が起きるのも当然だと思います。

      補足日時:2016/04/07 00:40
  • しかし、そうしたところで人間の感情や行動に関する理解を留めていては、色々の研究をしたりする意味がないし、21世紀の細分解明文化社会っぽくないでしょう。
    「良かった俺じゃなくて」とか、「実践の学として」とか言わないで、さらに深入りしてメカニズムや微細な差を調べる必要があると思ってます。 外因・外的影響に関しては色々な研究がたくさんあるようですが、そのような反応をする個人の内部生理神経物質・機能に関する研究が(私が知らないだけで)もっとあるはずだと思うので、そうしたものに関わりそうなのを教えて欲しいです。

      補足日時:2016/04/07 00:43
  • 回答をありがとうございます。
    今回の回答の主な内容は次のようですか?
    ①質問は回答者を考えてするとよい②ニューラルネットの例では正解にほぼ収束するまで中間の回数が1000回近くなるはずだが、漫談のような説明では感性に訴えて速やかに理解を得られる③漠然と効果が認められるのならば論理的ではなくても経験則で科学的である④経験的に既知のものと結論や結果が一致しているならば厳密な研究や検証論理の説明をあえてはしない・科学的に正しくないものは既に排除されていることが多い・経験的法則が世間に流布しているのはそれが科学的にも正しいものであるからとみなすのが妥当である⑤昔から言われていることが正しい場合は訂正されない・昔の道徳教育に異を唱えることは学がない⑥質問者の発想は物まねであり知性的でない・シツケが嫌いなのではないか・何か別の悩みを持ってないか・科学や論理にロマンを求める人はそうした傾向がある

    No.8の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/10 22:18
  • ➆?<実際の先生達は、シツケに厳しいですよ。知性も論理も、科学も、これを蔑ろにできるほど凄いもんじゃないです。むしろ、正しかったと後天的に証明するだけにあるとおもいます。>?
    もし回答内容が上記のようならば、私の質問に対する回答にも、私に対するアドバイスにもなっていません。
    私の質問と補足の一部を再掲します。
    ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
    外因・外的影響に関しては色々な研究がたくさんあるようですが、そのような反応をする個人の内部生理神経物質・機能に関する研究が(私が知らないだけで)もっとあるはずだと思うので、そうしたものに関わりそうなのを教えて欲しいです
    【どうしてそうなるのか】を個人の中にある構造的特徴、生理反応を起こしたり起こさなかったりするメカニズムに突っ込んだ研究や見解、一部の人が、易怒やヘイトに走るのは、何が原因。生理的、内分泌、精神神経などに特徴的な傾向があるか。

      補足日時:2016/04/10 22:22
  • ★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆
    なお、大規模書店、公立図書館で専門図書と分類されているコーナーや新書コーナーにある図書の大部分は読者を専門研究者向けというよりは、そうしたことに関心がある一般人向けです。webの質問サイトはそうした一般人向け専門図書よりも概説で表面的なものが多く、専門研究者があたって有効に利用できる論文ダウンロードサイトは極く限られたものです。《①質問は回答者を考えてするとよい》と要約した部分は、全く実情を無視した意見とみえます。

      補足日時:2016/04/10 22:24
  • 《②ニューラルネットの例では正解にほぼ収束するまで中間の回数が1000回近くなるはずだが、漫談のような説明では感性に訴えて速やかに理解を得られる》と要約した部分は、これが元回答の要約なのか自信がないです。納得、理解した気分、記憶した内容等が、多くの場合、感性や感覚、感情の働いた結果であり、概念理解の正答近接、人間の認識能力の再現というニューラルネット開発改良のネライとは方向性が異なるのはわかります。ただ私の質問に絡めて考えるなら、ニューラルネットワークの評価関数・係数・重みが収束した(変化がほぼとまった)状態が、どう違うと(どのような関数を組み込んでおくと)、易怒する人と易怒には遠い人の違いが実現・再現出来るもかを調べた研究などを教えて欲しいとなります。

      補足日時:2016/04/10 22:25
  • また、ペリー幼児教育計画の社会的有用性(質の高い幼児教育を受けることは、子どもの人生を豊かにする極めて効果的な方法である)に疑問を抱くのではなく、《質の高い幼児教育》の介入実施をしてもなお、就学前にIQ90に到達しないものが33%、《質の高い幼児教育》の介入実施をしてない状態で、就学前にIQ90に到達するものが28%になる・《質の高い幼児教育》の介入実施の効果は28%⇒67%への増加であるとすると、プリスクールの以外に何かのものが影響していることになる。プリスクールで得た長続きする効果をもたらしたのは、《具体的にどのような変化が5歳児に起きたのか》 そこが私の知りたいことです。
    しつけ、ゆとり、感情、心理的安定、生活や今後への危惧の有無、既得の知識体系、過去の成功経験や感情経験を ないがしろにして構わないと言っているのではないのです。

      補足日時:2016/04/10 22:29
  • 補足はこの回が最終になります。(機能の上限に達した)
    残念ながら、私の欲しい回答は得られませんでした。 コミニケーションの難しさもわかりました。
    私としては、扁桃体基底核外側核のシナプス伝達に関わる物理量のクライテリアか、外側結合腕傍核との連携に関わる機能や細胞の大きさなどが、易怒やボーダラインのような場合に、そうではない人と異なる傾向があるかとか、何かの繰り返し経験で肥大化するあるいは萎縮減少するなどの研究がなされているのか、どんな方面を探すと、そうしたことに触れている(通常の図書館にもありそうな本)(webやPDF)があるのかを教えて欲しかったのです。
    しつけや教育、畏怖などの言葉も、何かの繰り返し経験で個体内部で変化する物理的に定着・塑性変化することに関する知見に関係する可能性があるから、それを取りあげているだけです。

    No.10の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/12 09:47

A 回答 (16件中1~10件)

人に馬鹿にされたりして、心の安定が崩れた時に


それを立て直そうとする作業が怒りです。
ですから、怒りっぽい人というのは、実際の自分より
自分を高く位置づけて評価していて、その安定が
くずれやすい人と言えます
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この回答へのお礼

>怒りっぽい人というのは、実際の自分より自分を高く位置づけて評価していて、その安定がくずれやすい人と言えます

それはまあそうかもしれませんが、怒りっぽい人10人Aグループ、怒りっぽくない人10人Bグループで、《実際の自分より自分を高く位置づけて評価しているか》《(評価が)安定しているか、崩れやすいか》を調べたもののようなものがありますか。

ある人物が《実際の自分より自分を高く位置づけて評価しているか》を判別することが困難だと思います。自分自身の経験では、自信満々でやっているとき、自信を失っているときのような変化が起きるし、(実際の自分より自分を高く位置づけているか/実際の自分相応にみているか/実際の自分より自分を低く位置づけているか)を判定することそのものが難しいと思います。
https://welq.jp/5525
自己評価が高いか低いか適度かを直接にみる尺度は存在しなくて、単にある種の反応傾向が多い人を《自己評価が高い/低い》と呼び慣わしているだけではないでしょうか。

「安定性がないから、喜怒哀楽や依存反発が交互突発しやすい」のか「喜怒哀楽や依存反発が交互突発しやすいのを、安定性がないと呼ぶ」のか、その辺りも気になります。

お礼日時:2016/04/05 09:05

愛が 足りてない 全く。

。。可哀想。。。
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この回答へのお礼

「(一部の人が、易怒やヘイトに走るのは、) 愛が 足りてない 全く」という回答なのでしょうか。ある人々には愛が全く足りてないが、そうではない人々にはそれよりも愛があるので全く足りてないのではない。足りている足りてないという「愛」とはなんなのでしょう。愛が足りてる、愛がまったく足りてないという識別は、どうやると出来るのでしょう。

お礼日時:2016/04/06 21:49

ネットで検索すると物凄い数が出てきますね。



とりあえずWikiが信頼できると思いますよ。

以下。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%80%92%E3%82%8A


大体思うところは分かりましたが。

質問者さんは、”怒り”が生じる原因が不思議なのではなく、

”怒り”を。外に、平気でぶつけてしまう人がいることが不思議なのですよね?


捉え方に少し問題があると思った部分です。

質問文から、

「同じような状況になっても、

 感情的暴発や怒りの噴出にはならない多くの人がいます」


この点に関しては、

一人一人には人間としての心と人生がありますから、

第三者から見れば、「ならない多くの人」かもしれませんが、

ご当人は、必死に我慢しているもんじゃないでしょうか?


「俺だけはそうなるまい」


と英雄的な行為を孤独に継続できる人が、多数いる、

という解釈に変えるほうが妥当じゃないですか?


”労せずして怒りを押さえ込める人が沢山いるのに・・・・”

としてしまえば、頑張っている人に失礼ですよ。


ここに苦労がないとしてしまえば、

確かに、心の問題以外の身体的な特徴があるのじゃないか?

と考えることになります。


まずは、

どんな人間も身体的な苦痛に関しては、中々耐えれるものじゃなく、

そのストレスにより怒りを外に表しやすいとしてみましょう。

このレベルが一定であれば、人間としての構造が共通であるととなり、

不思議さは消えます。


なので個人的事情により、怪我や病気をしているか?

疲れているとか、睡眠不足ではないか?

というあたりも違いとして出てくるでしょう。




また、教育や習慣に関する部分を除外しようとしていますが、

どうしてそこを除外したいのですか?

一般には、知識や論理性ではなく、

シツケに相当する教育が不足していると解釈されると思います。

ストレス耐性という物が良く述べられます。

ストレス耐性にについても検索すると沢山出てきます。




こうした話が出ると、

練習をしてこなかった人は、大仰な原因を持ち出そうとします。

しかし、練習によって改善した人は、昔の自分を見るようで赤面します。


私たちは動物ですから、動物が怒るように、怒るはずです。

これが身体的な共通項として、万人が持ちえるレベルだと思います。

同じようなものでトイレがあります。

動物はモヨオすと、その場でようをたします。

何故人間だけやってはいけないのでしょう?

合理的な理由がどんなにあっても、シツケられていないと我慢できませんよ。


例えば、

人が一日3回トイレに行くとして、

10年で1万回ほどトイレの練習をします。

では、「自由にやってよいよ。」

親や周囲の人が面白がって子供を騙したとします。

10年後に、「あれは、嘘。人前でやってはいけないよ。」と爆笑されたとします。

しかしその人は、10年間その場お漏らしの練習をしたことになるんですよ。

この人が、人前で自分を抑えるのに、何年掛かるんでしょう?



ヘイトスピーチだろうと、怒りの発散だろうと、トイレだろうと、

「人前でやるべきではない」とシツケられるべき事であり、

何もしなければ、動物の水準になるのが自然ではないでしょうか?



子供が怒りを現して癇癪を起こすと、

昔の人はカンの強い子供だと言って笑い物にし、辱めたものです。

お漏らしをすると、周囲の人がこぞって辱めたものです。

汚い言葉を使えば、同様に辱めたものです。


転んで泣き出した場合は、慰められましたが、

悔しくて泣いたり、怒ったりした場合は、頭を叩かれました。

すぐにばれましたし。


それほど昔ではないことですが、

親に反抗して、道で泣き続ける子供がいた場合は、

近所の年上のお兄さんが、拳固でゴツンとやってましたよ。


これらが日常で見られなくなった以上、

こうなると思っている人は多いんじゃありませんか?


女性が感情的だと良く言う人がいますが、

私の知りあいの女性は素晴らしいストレス耐性を持っています。

話を聞くと、子供の頃はゴツンとやられていたようです。

昔ですら、普通は女の子に手を上げません。

そう考えると、

男女の違いがなく、シツケに問題があると思えます。



20歳まで、怒りを外に出すことが、

お漏らしと同じくらい恥ずかしいとシツケられて来なかった人がいたとして、

これを知って反省し、自分を変えようとしたとして、

後何年頑張れば、帳消しにできるんでしょう?

果たして、そうなっちゃった人が、そういう努力をするでしょうか?

しないとすれば、40歳になってもしないはずですよね。

では、40までやってしまった人は何年・・・?

こういう経緯になるので、三つ子の魂100までと言います。



「人前で漏らすくらいなら死んだほうがマシである。」

と言う人と、

「我慢しないで発散したほうがいい。

 だけど、今日は3回のうち1回トイレにいけたので、結構自分も成長した。」

と言う人がいるかもしれません。

後者の人は中々いないと思いますが、


「人前で感情的になるなら死んだほうがマシである。」

と言う人と、

「我慢しないで発散したほうがいい、

 だけど、今日は3回のうち、1回抑え込んだので、結構自分も成長した。」

と言う人がいるかもしれません。


トイレの場合は、後者の人は中々いないでしょう。

ですがご質問のテーマに関しては、前者で無い人がかなりいると思います。


人前で漏らす事がどうして恥ずかしいのか?

動物に説明できるでしょうか?


ヘイトスピーチをするくらいなら、死んだほうがマシである。

と言うくらい強い羞恥心がなければ、押さえ切れませんよ。

これも一日3回やれば、10年で1万回です。

トレイに行くように自然にできるようになるはずです。


しかし、幼少時にそうして来なかった人は、年を取ればとるほど戻れません。

昨今は、そういう教育上(シツケ)の被害者が出ているのだと思いますよ。



もし、

「トイレに行くくらいなら、その場で漏らした方が健康的である。」

という信念を持っている人がいたとします。

どんなに良い人でも、どんなに美しい人でも、

一緒に入られませんよ。


こうした人が孤独になるのは、仕方ないでしょう。



私の知り合いで、幸せな気分になって、リラックスすると、

非常に自然に、こちらをディスって来る人がいます。

TVを見て、凄い好きなタレントが出てくると、嬉しそうにディスります。

どうも、愛情の裏返し程度であり、

そんなに悪いことじゃないと思っているようです。

この人と親しくなると、大変不快な思いをします。


もしトイレに対しても、

「行かないより行った方が良い」くらいに思っている人がいたら?

親しい人の前ではリラックスして、やっちゃうでしょう。




その人には、

あるとき、自分を抑えられないと告白され、泣かれたことがあります。

その人は、そのあと頑張っていましたが、すぐに戻ってしまいました。

それでもそこから20年頑張って、大分改善しました。



晩年になると、

その人の幼少の頃、少年少女時代、青年期、成人、壮年、と見ていくわけです。

この変化を見て、なるほどと思えば、ご質問の内容は不思議に思えません。


シツケでしかありません。

また、これについても、いまさら私が言う事でもありません。


少し前は、そういう人を見かけたら、

「親の顔が見てみたい。」

と言っていました。


原因について色々と考えるよりも、

「良かった俺じゃなくて。」

でいいんじゃないでしょうか。



以上、ご参考に成れば。
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この回答へのお礼

とても参考になる回答をいただいて感謝しています。
ちょっと長いお礼になるので、ご勘弁ください。
お礼に文字数制限で書き切れないので、2)からは、質問の補足に書きます。

1)感染症と呼ばれる疾病で、感染源に曝露されても、感染しない人、感染しても発症しない人はいます。 免疫のためとか、遺伝子が異なるためとか言います。 アレルギーの場合に減感作治療とかもあれば、軽症の違和感や炎症で済んでいたのに劇症化してアナフィラキシーになる人もいますが、それらの生理反応の過程も研究されています。 精神障害でも、遺伝や出産時のトラブル、成長発達過程での外因(環境や接遇を含む)があったにしても、現実に精神科やICD、DSMなどの分類で障害と呼ばれる状態が起きるのは、その人が何らかの生理的、内分泌、神経伝達物質生成分解の機能面で、他の人とは異なるものが、《今の状態》であるのだろうと思います。 そのようことが具体的に確定してなくても、《直接の原因・機能しているメカニズム》の研究は行われているだろうと思っています。 それと似た発想で、《易怒する人は持っていて、易怒することがない人は持ってない(持っている/持ってないは逆かもしれません)違いのメカニズム、発生機序に関する研究》について調べる手がかりを知りたくて、この質問をしているのです。

お礼日時:2016/04/07 00:26

教育は 愛だって トシちゃんが昔言ってた。

その通りだと思う。
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この回答へのお礼

回答をいただいたのにはお礼を申し上げますが、私が求めている内容というか、方向とは違うもののようです。
Glory_777さんの回答に、お礼やら補足コメントを書きましたので、そうした私の関心事に繋がる回答がありましたら、よろしくお願いします。

お礼日時:2016/04/07 00:25

>個人の内部生理神経物質・機能に関する研究が



なんで 其処まで 知りたいのか ちょっと気に成った。。。
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この回答へのお礼

> なんで 其処まで 知りたいのか

こどもの頃、灯油は簡単に火が着き燃えると思っていたらそれは間違いで液体のママの灯油に火をつけ燃やすのは大変なこととわかりました。炭や薪、厚い本に火をつけるのも容易ではないが、ぺらぺらの新聞紙や紙くずは容易に着火します。また、炭酸ガス雰囲気でマグネシウムが燃えることなども知りました。中学の理科の先生に聞いて、(たぶん納得のいく説明はもらえなくて)その後、疑問に思ったことは自分としてはまだわからないものでも本で探すようなこともするようになりました。感染症をはじめ多くの疾患が外来の原因だけで発症したり重篤化するものではないことを知り、人間そのものの全体ではなく、個人を形成している遺伝子の違い、特定個人の細胞や各種のものの変成、特異化、機能不全や過敏化などが大きな関心を呼んで研究されていること、ヒトゲノム計画、https://biobankjp.org/index.html https://biobankjp.org/plan/purpose.html 実用化に向けて色々の計画が始まっているようです。であれば、易怒や物忘れ物覚え、運動能力、音感などについても、個人の内部生理神経物質・機能に関する探索的な研究が始まっている土楼と考えたからです。
天体の構造や運動など知らなくても問題ないですし、天動説で生活上困ることはないです、物理化学や生理学、進化論や農業技術、有機化学、通信工学など知らなくてもちっとも困りませんが、どうやったら粘土で陶磁器が作れるのかを知ろうとすることもあるのではないかと思います。

お礼日時:2016/04/07 19:26

以前興味深い文献を読んだのですが、それが今どこにあるのか分かりません。


覚えている範囲で回答させて頂きます。
日本人は社会的公平にとても敏感なんだそうです。
調査により個人の理想とする社会的な報酬分配は以下の通り。
1.実績をあげた人ほど多くを得るのが望ましい
2.努力した人ほど多くを得るのが望ましい
3.必要としている人ほど多くを得るのが望ましい
4.誰でも同じくらいに得るのが望ましい
上記の中で不公平感を抱きやすいのは1と3を選んだ人だそうです。
しかし明確な理想を持たない人達も多数存在していました。
結論では、彼らの自尊心や自己肯定感の低さが投射され、世の中からまともに相手にされていないという疎外感から不公平感が高くなると締めくくられていました。
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動機は子どもの頃の引火原因を探求したかった事が切っ掛けなの?



怒りとどう関係あるのかな。。。それとも感情という抽象的な概念は捉えにくいから

自分が捉え易い具体性を持たせたいって 事だったんだろうか。。。

感情のコントロールは又違う脳の部位だと思うけれどね。。。

シナプスとかの研究とかだと 生物化学的なんじゃないかって 思うけれど。。。

物理的な側面よりも。。。?
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No.3のものです。



物事を解明し、

その論理を理解して利用しようとしている方は貴方だけではありません。

質問をする以上は、

同じ姿勢を持っている人を想定して、訴求するように内容を考えるべきです。


学会活動をしてみれば分かりますが、

勉強しようと思っても教科書もなければ、先生もいません。

専門書でさえ洋書で5年ほど遅れており、和書でも10年遅れています。

それを読んで知識として話せば、哀しそうに笑われますよ。


学会の論文誌でさえ、日本語の論文は3年以上遅れます。

英文論文誌であれば、半年から2年です。

海外の国際大会などで既に半年遅れています。


大学教授といわれる方は、何十年も前の現役の人であり、

学生のレベル達していない場合も多々あります。



大学院を卒業している方は無数におり、その方々は全てこれらの事を知っています。

こうした方々がどうやって探求するかと言うと、

「私の考えはこうである。証拠はこうである。

 他の事も説明できる。

 どうか私を試して欲しい。」

と自分でした発見をベースに論議をしようとします。


しかし、ご質問からは、

「人から聞いたらこうだった。自分はここが納得できない。

 もっと納得できる話をしてほしい。」

この様な印象を受けました。




こういう人が、まともに相手にされるでしょうか?

科学的なアプローチをしたいと思うのは分かりますが、

それらに従事している人に変な思い込みをお持ちじゃないですか?


人の学習について、ニューラルネットワークと言う仕組みが用いられていると

仮説があるのをご存知ですか?

非常に古い論理ですが、人間がもつ学習と同じ挙動を示します。

どうも確からしいと思われています。


これらは工学分野の専門知識に成りますから、心理学では解明できない内容です。

しかし、

このジャンルを選んで卒業した学生は多数おり、

それほど稀有な知識ではありませんよ。


4つの素子でモデル化されたニューラルネットワークに、

1+1=2を教え込むのに、1000回以上の学習が必要になります。

(以降は厳密さを抜かして、アバウトに話します。)


これらを収束回数とし、

如何にして効率を上げるかを研究している人が過去におります。


そういう方には、どうして1万回と言う数字を私が挙げたのかわかるでしょう。

また、これを再学習させる(1+1=3とか)のに、やはり1000回以上の

学習が必要になります。


人の脳には、140億以上の脳細胞があり、これらがネットワークを作っている

と言われています。

この仕組みでは、素子の数は精度(鮮明さ)に影響し、

学習回数はほぼ同じに収束されているはずですから、

(メイズ(惑ってしまう)に入ることがなければ)

やはり2000回ほどの学習が必要なのです。


と言う事は、

2000回の再学習で、人は大筋で変われるはずなのですよ。


(私が音痴を治した時もこれを使いました。

 ただし一回の学習に1時間かかるので、2000時間。

 だいたいその通りでしたよ。)



そのため才能論を大変嫌っています。

非科学的だからです。


しかし、シツケに関しては合理的な手法であり、科学的なのですよ。

また、2000回を達するためには拒絶反応があると上手く行きません。

嫌なことは、3ヶ月に1回もすると、自分を褒めたくなります。

好きなことで気軽に出来るものは、10日で700回ほど実施してしまうでしょう。


音痴であったとき、

私は自分に才能が無いと思っていました。

しかし、人生で歌唱した時間を思い出すと、3回ほどであり、15分です。


友人と、曲のフレーズを覚える競争をしたとき、

10日で700回以上を聞いていました。


40年で3回と言う人は、2000回達成するために、2万7千年ほどかかります。



次に、科学的なアプローチが出来る人が、

どうして芸術分野を苦手と考えるのでしょうか?


感性の世界でも優れている場合が多いですよ。


人に話すときに、

感性的な方が伝わりやすい場合は、素直に威力があるとするべきです。


私の知っているある大学の先生が、

学会発表で特別講演をしたときに、

(ニューラルネットワークの非線形学習が、線形学習に及ばないということを、

 数学的に証明したいのですが)

話している内容は、漫談のようでした。

私が思うに、彼のほうが漫談のプロよりも上手であったと思います。

人を笑わせながら、難しい論理を理解させてしまった。

論理は理解をするための道具でありますが、

伝える道具としては、向いておりません。

論理的に解釈したいという人がいても、

本当に厳密に伝える場合は、数式の証明、数式にかなり近い環境、実験、

測定誤差、日常での適合度合いなどをレポートしないといけません。

相当面倒ですよ。


科学的と言うのは、論理的であると言うのではなく、

実証的であるのが殆どです。

なので、経験則が本質です。

また、人の経験にそぐわないものは売れませんから、

そうした日常の経験を例えにし、

どうの様に対応するとどのような結果になるかで説明するのが普通です。


難しいことを言って説明する学者なんていませんよ。

漫画の読みすぎです。

まだ、勉強中の学生か何かじゃないですかね。




さて、

さきほど説明した大学の先生の真似をして、学習時間2万7千年を表現するとしたら?

「嫌いなものは一生治らない。」

と説明するでしょう。

更にいうならば、「来世でも無理だろう。」


また、

「どうしてもやりたくない」と意地をはる人がいたとして、

「この人を説得するののに、一生で足りないかもしれない。」

そう思えるときがあります。


ある人の、ある望みがあり、ある練習方法がありました。

なんとかして2000回と思いました。

しかし、一回の練習時間も想定すると、

概算で15万年くらい掛かりそうだと分かったことが有ります。

その人の望みは、高く、それを考えていくと・・・

ピンと来ました。

「56億7千万年後くらいに、何とかなるかも?」

と言った事が有ります。




さて、長くなりそうなので切りますが、

過去の人が盲目的に言ってきたことがあったとして、

漠然と効果があったと想えたとして、

どうしてそれが科学的に証明できていないと思うのですか?


結論が全く変わらない場合は、

誰も喜びませんから、敢えて言わない場合もあります。

研究を発表する人だって、職業でやっているんですよ。

売れないとおもったら出しません。


世の中の人が思い込んでいた物と逆の結論を導き、

それにより人類が多き進歩する。

そんなネタを求めます。

特許では、進歩性と言います。



今も尚、昔に言われたことを大人がいっていたとして、

それが益にならなかったら、それを否定する知性派の人が必ずいますよ。

正しいので、訂正されていないと考えるほうが、

世の中を肯定していると思えます。

ちょっと、大人を侮りすぎていませんか?



うつ病が流行るだろうと予告されたのが40年前です。

そのとき、これを言っても仕方ないので、沢山の抗うつ剤の開発が行われました。

富を得た人がいると言う事です。


また、幼児教育が与える影響を50年追跡したものがあります。

アメリカ:ペリー計画 参考URL

http://www.blog.crn.or.jp/lab/01/55.html



質問者さんのいいたことは分かりますが、

ご自身が調べた内容についても、

「結果はこの通りになるんだろう」と、受けいれたほうが良いですよ。

非科学的なものはとっくに排除されているはずです。

学の無いおっさんと、学のあるおっさんが、いたとします。

両者が言い争い、結局同じ結論になったとします。

その場合、学のあるおっさんは、学者さんだったとします。

さきに発表されたものを、盗作することはしません。

ですので、

学があろうと無かろうと、

昔から言われていたことが正しい場合は、訂正しないだけで終わります。


今の世の中で、昔の道徳教育に異を唱える人は、

学がないとしか思えません。

大変恥ずかしいことですよ。



まずはそういう可能性を考えるアタリから自分の思考の習慣を治しましょう。

質問者さんの発想は物真似であり、知性ではないと思えます。



私は始めて学会発表をしたとき、

こうしたことを指導の先生にたしなめられました。

殴られるかと思いました。

つまりシツケですね。


少し意地悪でしたが、

ご自身はシツケが嫌なんじゃないでしょうか?

最初にそう思えたので、敢えてシツケと書いてみました。

反応があったので、何がしかの別のお悩みをお持ちと推察します。


経験則ですが、科学や論理にロマンを求める人は、

そうした傾向があると思います。


ですが実際の先生達は、シツケに厳しいですよ。

知性も論理も、科学も、これを蔑ろにできるほど凄いもんじゃないです。

むしろ、正しかったと後天的に証明するだけにあるとおもいます。




以上、参考に成れば。
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No7です


多分。。。No8さんへの 回答かと 思います

私は脳のお話しを描いたので。。。。意味不明でした。。。
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No.8ですが。



むしろ、どうしてそこまで拘るのか不思議です。

自分の衝動について考えてみたらどうでしょうか。


具体的に知りたいという部分を否定しているのではなく、

自分の考えを提示し、実験をしたうえで提唱しない限り、

まともに相手にされませんと言っているわけです。



不思議に思うとか、納得できない程度の話をすれば、

相手の方も、

あなたの感じ方を不思議に思うとか、

あなたの質問に納得できないと返してきますよ。


事情が分かってもらうことと、

対応してもら得ることは別ですよね。


知りたくても教えてもらえないストレスは、皆が感じるところでは?

専門的知識をもっと分かりやすく教えて欲しい。

これは他の方も同様では?


しかし、ゆっくりと自分の考えを出していけば、

それなりの専門家に質問できる準備が整うと思うんですよ。


いますぐ欲しいと焦り過ぎては、上手く行かないんじゃないでしょうか。


多くの回答の中から、特にシツケについて強く反応しているようです。

何かお悩みなんですか?


また、ご自身の論理性や知性を拠り所にして自分を支えなければ行けない

理由が他にあるんじゃないですか?



感性の欠如=知性の強さではありません。

共に高い次元にあるほうが良いですよ。


感性でのコミュニケーションで過去に障害があったんですか?


誰かに質問をされたとき、

単なる現象の説明だけでは相手の役に立たず、

相手の求めるものに近いモノを返そうとするのが普通ですよ。


本当に悩んでいる方は、本当に気にしていることを言えないものです。

ですが、普通の人が拘らないものに、執拗に反応すれば、

その背景にあるものが推し量れるものじゃないでしょうか?


知識欲だと主張するまえに、

どうしてそうした知識欲が生じたのかを、

ご自身の経験を交えて話さないといけませんよ。

その経験によりどう感じたのか?

どういう考えを持ったのか?

今何を望んでいるのか?


それらを秘密にされてしまえば禅問答になります。

(禅自体にはテーマがあるようですから、

 これは正しい例えじゃないですが)


納得のいかないところを主張するのではなく、

自分のした経験を話すこと。

その中で納得がいかなかったことを語ることです。


一般論で誤魔化そうとしても、誰もが気付きますから、

一般論で返されると言う事です。


まずはこのあたりを考えてから、

もっと高度な質問へとステップアップしたらいかがでしょうか。



より多くの質問をし、

より多くの会話をしないと分からないものもあります。

そうした謎の解明にに到達したいのならば、

自分のコミュニケーション力を先に磨かないといけませんよ。

感性が何故大事かと言うと、そうしたものの道具でもあるからです。


最初の一歩でこれでは、どんなに衝動が強くても、不自由でしょう。


知っていても、

教えたくないと相手に感じさせてはいけませんよね。



指導をうける姿勢というのも必要なんでは?

先生たちが厳しく指導していたのはこういうはなしでしたよ。


自分の衝動よりも、世に既にあるものを尊重することが出来ませんか?

それが嫌な人がどうして、既に世にあるものに尊重されるでしょうか?


いまの質問者さんの行動が合理的ではないんですよ。

それが故に、知性的ではないと思います。


以上、ご参考に成れば。
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