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ヒトラーとナチ•ドイツでファシズム(ナチズム)において多様で多元的な「意見(思想・表現)」の存在が否定され一つだけの「ものの見方•考え方」に統制された理由を踏まえたうえで、「個人(人間)の尊厳」を守るうえで「意見(思想•表現)」の多様性•多元性が確保されることが必要な理由について説明してほしいです。

A 回答 (1件)

その質問をしているのは、学校のテストなのでしょうか。



でしたら、その答えはかつての悪名高い、国家総動員法などを引き合いにすればきっと先生は喜びます。
そうやって、思想を制限して多様性を失うとナチスや大日本帝国のように国が滅ぶという論調を書けばきっと100点ですね。







ここからはまじめに話しますが、国家総動員法は、単に極左とテロリズムを制限する法で、現在で例えるならばドイツ憲法にある「ナチスと極左は認めない」と言う条文や、フランス憲法にある「共和制を否定する思想は認めない」と言う条文に近い法です。(因みに平時の今の日本と当時を比べてはなりません。有事体制なのでその辺は窮屈なのは当然です。どこの国も戦時体制はそんなもんよ。)





そして、お気づきでしょうか?

「個人(人間)の尊厳」を守るうえで、思想の多様性が大事なのですよね?

では何故、現在のドイツは、憲法下で「ナチスと極左は認めない」と表記し、フランス憲法では「共和制を否定する思想は認めない」と書かれているのでしょうか?



それは、国民の厚生として繁栄に結びつく思想は、より多くの思想の自由を認め、そうでない危険なものは制限する。と言う事です。


ファシズムがそれを行うと危険なのは、ファシズムとは国家を超絶した存在として党がある体制の事を言います。
ナチスで例えるなら、ドイツ国家よりもドイツ労働党(ナチス)が上に位置しているのです。


このような状態だと「国民の繁栄のために危険な思想は排除する」と言う方法ではなく、「党の繁栄のために危険な思想は排除する」という事をします。これは国民にとって危険です。



はっきり言うと、ファシズムも民主国家も、思想の制限はします。その基準が「国民の繁栄」のためか、「党の繁栄」のためかの違いだけです。

ただし、それが大差なのです。





特定の思想を否定する事が「悪」なら、ドイツ憲法の「ナチスと極左は認めない」と言う条文や、フランス憲法にある「共和制を否定する思想は認めない」と言う条文は「悪」なのか?考えてみて下さい。






ただ、学校のテストなら「「個人(人間)の尊厳」を守るうえで「意見(思想•表現)」の多様性•多元性が確保されることが必要」という前提をひっくり返してはいけませんので、私が前半に書いた3行の方向性が良いでしょう。






(補足:当時の日本の憲法はイギリス型の運用でした。イギリス型は条理を優先するので国家総動員法は憲法違反になりません。学校では、当時の日本はドイツ型で、違憲と教えます。確かにドイツ型なら違憲です。そんで暴走した国家が~という下りになります。が、そもそも前提が間違っています。テストに出たら、ドイツ型の嘘を書きましょう。ただ、嘘は嘘です。もしも本当にドイツ型なら、関東大震災の時の山本権兵衛は、政治家として神がかった行動をしましたが、全て違憲になります。当時はイギリス型なのでOKだったのです。)
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