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LGBT理解推進派の主張に「多様性を認めろ」というのがあります。

その通りで多様性が認められた社会は豊かな社会だと思います。
しかし多様性というなら当然 「LGBTは気持ち悪いから顔もみたくない」という嫌悪感を政治家が表明する自由や「国会に出席したくないからトルコやドバイに居座って日本には帰りません」という議員も認めることが 本当の多様性ある社会だと思うのですが、現実はLGBTは気持ち悪いから顔もみたくないという表明をした政治家やガーシー議員は批判されています。

多様性を認めるなら彼らも認めるべきではないのですか?
みなさんはどう考えるか?色々ご意見教えてください。

A 回答 (9件)

義務があることはしなくちゃいけないから、なった以上はガーシーは戻らなきゃいけない。

それ以前に議員にならない自由があるから。
LGBTについては、思うことは自由だが、文字に書くのは、俺がここで君がクズと言うのも全くの多様性になってしまう。これは、集団で生きるときの礼儀的ルールとなり、それが必要だから侮辱罪という方が制定される。

無人島でひとりで自給自足で生きるなら全ては許される。
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LGBTで勝手に⚫️⚫️県レインボー協会と自称する(事務所の場所はバーチャルオフィスw)多様性認めろや新宿区議会議員候補の応援したりする方に以前出会いましたが


ただ気難しいだけで自分の匙加減で男性と扱えというのに力仕事を任せて気をつかえだとか自分勝手にドヤってきます。
マウントとりたい威圧的な変わり者でした。精神科の知人の医師に話したら発達障害が多いそうです。医師も正直LGBTの方々は診察したくないと話していました。診断に来ても治りませんからね…
LGBTは別に差別もしませんし多様性は理解出来ますが、
運動して騒いでいるのはフェミニズムな感じで私もそういう方とはトラブルの原因になるので関わりたくありません。
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多様性といっても、限度があるでしょう。



犯罪を認める、なんて多様性は
無理なわけです。

では、国会不出席はどうなのか。

公務ですからね。
多様性よりも、出席義務が優先すると
思います。

自分の意思で議員になったわけだし
議員になれば出席する義務があることぐらい
承知だったでしょう。


しかし、
「LGBTは気持ち悪いから顔もみたくない」
というのは、表現の自由の範囲内ですから
多様性により認められるべし、
と考えます。

これを否定するのは、御指摘の通りで
それこそ、多様性の否定です。

民主制を否定することだって、
表現の自由を否定する表現だって
表現にとどまっている限りでは
表現の自由に含まれるからです。


○米国ですが。

ユダヤ人など海に放り込め、と
公言した議員が訴追されたことが
あります。

これを弁護したのが、なんと、ユダヤ人弁護士。

このユダヤ人弁護士曰く。

『彼の発言を、心から憎む。
 しかし、彼がそうした発言をする自由を
 私は命を賭けても守る』
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自民党は「差別意識を表明する自由を認めろ」的なことを言ってるけど野党が邪魔してるってこと?

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個人の拒否権を示す、何かの印を決めたら如何でしょうか。

例えば『お・こ・と・わ・り』と書いたカードを見せる、などしたらやはり相手を差別したり、人格を否定したことになるのかな...
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多様性を認めるというのはどのような特徴があっても、人間として同じ権利を持つというだけの話です。

趣味を理解しろという話ではないですし、仲良くなれという話でもありません。LGBTのような人が、ヘテロは気持ち悪いから顔も見たくないと言ったら批評の対象になるでしょう。
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ガーシー議員は、議員としての職務という義務を果たさないということへの批判・非難ですから、それをも多様性といってしまうと「人を殺す自由という多様性」などと同じ次元でしょう。



一方でLGBTなどを認めるという中には「他人には不干渉になれ」という意味合いがあると思っています。
LGBTの人たちを嫌うのも自由でしょうが、そうであれば無視しなさいということでしょう。
良くも悪くも日本という国というか日本の文化というのは、同調性とか同位性を基本としていると思います。
多様性を認める社会というのは、異種異様なものには触れない関わらないことが認められる社会であろうと思います。
みんな仲良く交じり合うということは要求できない社会でしょう。

「山に行きたい奴は山へ行け。海に行きたい奴は海に行け。決してどちらかに強制するな」というのが多様性を認める社会でしょう。
日本人の多くは「前回は山だったから、今回は海」とか「山に寄ってから海に行く」などどうにかして全員が納得する案を考えて全員で行くことを望むように思います。
多様性を認める社会を否定しようとは思いませんが、一朝一夕に何事も受け入れるかといえばそれも難しいのが現実ではと思います。
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>多様性を認めるなら彼らも認めるべきではないのですか?


べきではありません。
多様性を認める、というのはできるだけ多くの人が幸福になる為の方便です。

他人の人権を侵害したり人格を傷つけたり法令違反をしたりは当然認められません。
無制限な自由によって社会が毀損されるのなら本末転倒です。


ただし、内心は自由です。誰を憎もうと差別心を滾らせようとかまいません。
それを言動にあらわせば批判され避難され糾弾され排斥されることもあるでしょうね。
特に立場のある人の言動は注目されるし影響力がありますから批判の声が大きくなるのは当然でしょう。
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LGBTは認められていなかったから認めよう、が多様性。


認めたくない人が否定されたのではない。
今はどっちも認められるから多様性社会。
私はLGBTは認めない派。
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