ヨーロッパにはもともとどんな民族が住んでいたのでしょうか?
特にフランス・ドイツ辺りの民族について知りたいのです。
ケルト人も民族移動によってガリアの地域に移ってきたそうなのですが・・・
ならばケルト人以前のヨーロッパの原住民とはいったいどんな民族なのか?
ゲルマン系の民族なのでしょうか?
クロマニョン人のルーツはどこへ行ったのでしょう?
新石器時代はいつ頃始まったのでしょう?
ストーンヘンジは誰が築いたのか?
衣食住はどんな暮らしをして遺跡は残っていないのか?
青銅器はいつ頃伝わった?
土器と小麦の伝播は?
などなど、いろいろ知りたいことがいっぱいです。
情報お寄せ下さい。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

質問を絞って頂きましたが、満足な回答は出来そうにありません。

ヨーロッパの歴史の専門家の登場までの前座としてとりあえず纏めてみます。

結論からいえばケルト以前の先住民社会は新石器時代の人々であり、ヨーロッパ文明の基礎はギリシャ・ローマ文明にありとする人々は、ケルト以前の社会は先史時代として専門書でもない限り大雑把な解説でおわっています。

エジプトで文字が使われ最初のピラミッドが建造された紀元前3,500年ごろのヨーロッパでは文字も青銅器も鉄器も知らない石器時代が続いていました。紀元前3千年ごろエジプトではじまった青銅器文化が前ヨーロッパに広まるのに2千年を要したといわれます。一方、原始ケルト族は紀元前2千年まで遡るものの歴史の表舞台に登場するのは紀元前千年ごろからです。すでに鉄器を知っておりアルプス以北の中央ヨーロッパ全域に展開していました。従って、歴史に登場するヨーロッパの部族は北部のゲルマン、東部のスラブを除いて、ケルトの支族であり、民族名があってもケルト系という括弧つきがほとんです。唯一の例外はアルプス山中に住むバスク人で
彼らの言語は、どのインド・ヨーロッパ語(現在のヨーロッパ語の共通の祖先)にも所属しない謎の民族・言語とされています。

石器時代にヨーロッパ各地に巨石遺跡を残した人々がいますが、彼らの存在は考古学の世界であり、名前があるとしても遺跡発見の地の名前を便宜上つけるもので、
後の民族とは別のものです。ヨーロッパの歴史上の主な出来事はケルト以降と思ってまず間違いないでしょう。*フン族のヨーロッパ侵略、*民族大移動(フン族に圧迫されたゲルマン族の南下

ケルト人は好戦的で当時のヨーロッパで対抗できる民族はいなかったようですが、帝国をつくることを知らず、族長を中心とする小集団の集まりだったため、後にローマ軍に撃破され(シーザのガリア戦記が有名)、又ローマ人とのたびたびの戦争でローマ人の戦い方を学び取ったゲルマン人にも破れました。英国に住んでいたケルト人は侵入してきたゲルマン人(アングロ、サクソン他の支族)に完敗し、今日ではケルトの末裔と言われる人々が英国のウエールズ地方とアイルランドに残っています。

以上、疑問解消に少しでも役立てれば嬉しく思います。

参考URL:http://www1.odn.ne.jp/~can36360/i122.htm
    • good
    • 1

「民族」をどう定義するかにもよりますが、ゲルマン系とかケルト系とかいったレベルであれば、残念ながら、ケルト以前の「民族」については『よくわからない』という事になると思います。

通常、「民族」といえば、言語等の文化を共有しており、共通のアイデンティティを持っている集団のことを言うのだと思いますが、ギリシャ・ローマ以前については、文字による記録が無いので、もともとたしかな事を言うのは、かなり難しい話です。(言語がわからない等々)

例えば、ブリテン島のケルト人は、伝統的には「紀元前7世紀頃(時期は諸説あり)、大陸から移住してきた」とされてきました。それは、主にブリトン人の言語がケルト系だった事、大陸のケルト人のものとされる「ラ・テーヌ文化」とよく似た遺物が見つかっていること、の2点から来ていました。「言語が同じ」=「遺物も同じ」=「民族(=血筋?)も同じ」という暗黙の前提があったようです。

しかし、最近では、このような等式はあまりあてにされなくなっています。言語では、「他からの借り物」や「少数者による征服」、遺物では「貿易」などの、民族移動以外の原因での伝播の可能性があるからです。(今のブラジルの住人をポルトガル人とは呼べないし、日本の若い女性が家にヴィトンのコピー商品を持っていても、フランス人じゃないですから)

現在では、一部の地域での副葬品の大陸との類似性よりも、住居の形等を重視して、そのような「文化の継続性」から、「紀元前7世紀頃にケルト語を話す人がブリテン島に移住してきたかどうかはわからない。してきたとしても、それは少数で、ブリテン島がその時期に『ケルト化』したと考えるべきではない」という考え方が広まってきています。ケルト人全体についても、「似た言語を話し、文化に一部共通性の見られる、伝統的な意味での『民族』が複数集まった集団」という考え方が出てきています。
更に、アイルランドとブリテン島の同じケルト系言語の間の違いが記録に残りだした頃から既に大きかった事から、文化の連続性ともあわせて、通説の「ケルト人の移住」以前から、ブリテン島にはケルト系の言葉を話す人がいた(但し、ケルト人と呼ぶかどうかはまた別問題)、という説もあります。

つまり、「ケルト人以前」といっても、それが何時なのかすら、そもそも「ケルト」とは民族なのかどうか、すら、はっきりしなくなってきているのです。
「よくわからない」というのがお答えになるとは思っていませんが、私の理解するところはこんなもんです。

尚、残っている地名から考え「ケルト系の言葉を話す人々は、かつては大陸の広範囲にいたらしい」という事と、「ピレネー山脈近辺のバスク人は、その他のヨーロッパ人とは言語も『血筋』も違っており、その他のヨーロッパ人より前からいた、と考える方が合理的だろう」(バスク人はRHマイナスの血液型の人の比率が、ヨーロッパ平均の2倍)という2点は、あまり異論のないところだと思います。
    • good
    • 4

バスク地方に住むバスク人もヨーロッパ系民族が入ってくる前からいました。

    • good
    • 1
この回答へのお礼

どうもありがとうございました。
初めて聞く名前です。
またじっくりと調べてみようと思います。

お礼日時:2001/06/22 20:09

質問の範囲が広すぎます。

教えて!gooの限られたスペースと回答者の限られた時間ですべてに答えるのは無理です。ヨーロッパの石器時代からローマ時代までの歴史を勉強すれば疑問は全て解かれるでしょう。或いは考古学の部分は切り捨てて、英語の起源とかケルト人について調べれば大半の疑問は解けるはずです。もう一度整理して質問を絞ればすぐ回答が得られますよ。参考URLをひとつだけ下記します。

参考URL:http://www.infoaomori.ne.jp/~sakamoto/eigoshi.html

この回答への補足

すみません。
範囲を絞ってもう一度お聞きしたいのですがよろしいでしょうか?
”ケルト人以前にヨーロッパに定住していた民族について”です。

補足日時:2001/06/22 20:05
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q金髪碧眼のヨーロッパ人の由来

北欧、ゲルマン人は、中央アジアにいたアーリア人が紀元前2~3千年前に北方に移動した人々だと聞いておりますが、正しいでしょうか?もし、そうだとすると、中央アジアにいたときは黒髪茶目だったと思うんですが、たった2~3千年の間に、金髪碧眼になったんでしょうか?北欧、ゲルマン人で金髪碧眼でない人々もいるんでしょうか?そのあたりの経緯、進化(退化?)あるいは適応変化について、どのように理解されているのかを、教えていただけませんでしょうか?よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

ウィキペディアの転載です。 
(前の回答のときにも書きました。ウィキペディアを探すと自力で簡単に見つかることです)
> 補足確認質問ですが、
> 北ヨーロッパでインドヨーロッパ語、特にゲルマン語を話す人々が住んでいる地域が金髪碧眼人種が住む地域とが良く重なっていますが、これは、高々数千年位の間の人間の交流によるものということでしょうか?
⇒ 混血は一世代でおきます。ヨーロッパは多くの民族、人種が混在?しているかのように住んでいます。一応の棲み分けはしていますが、すぐ隣に住んでいるので、混血はすぐに生じます。数百年もならずに簡単に混血します。また戦争も頻繁にあった(侵入したり侵入されたり)のですから、簡単に短期間で混血します。西洋史、世界史の簡単なレビューをしてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%91%E5%8F%B2
 
> そもそも人種としてのアーリア人(古イラン人、古インド人)は北ヨーロッパにはいかなかったということでしょうか?
⇒ 民族・人種としてのアーリア人の子孫が北ヨーロッパでそれなりの勢力を作ったということはないでしょう。 インド・ヨーロッパ語を使用する民族ならば、ヨーロッパにも広く広がり、北方ではドイツ、スカンジナビアにもいっています。 インド・ヨーロッパ語を使用する民族はアーリア人の子孫と考えるのは間違いです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E4%BA%BA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3%E5%AD%A6%E8%AA%AC

> ヒットラーのこじ付けで、ドイツ人他はアーリア人種という考えが一般的に通用しているように思われますが、北ヨーロッパ人はアーリア人種ではないということでしょうか?
⇒ 北ヨーロッパ人はアーリア人種ではないです。
(上の通り)
ウイキペディアには、金髪碧眼で一番多いのはリトアニア人となっています。(前回回答)
リトアニア語とラトビア語はバルト語で、現在使われているインド・ヨーロッパ語の中で古い特徴を最もよく残していると言われるそうです。サンスクリット語や古代ペルシャ語などとの共通点も指摘されているとのことですが、他の言語圏から表現を持って来る(借用する)ことは多いので、人間が集団で移住してきたということにはなりません。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%88%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%A2%E8%AA%9E#.E4.BB.96.E8.A8.80.E8.AA.9E.E3.81.A8.E3.81.AE.E9.96.A2.E4.BF.82
金髪碧眼が多いフィンランドも民族、人種が違います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%B3%E4%BA%BA
金髪碧眼が多いポーランド人もある意味人種のるつぼのようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E4%BA%BA
 
人種というのはずいぶん魅力的なテーマですが、「○○人は◎◎人の子孫で、その特徴は、、、、である」といえるような簡単な特徴区分けに使える実態はないです。

ウィキペディアの転載です。 
(前の回答のときにも書きました。ウィキペディアを探すと自力で簡単に見つかることです)
> 補足確認質問ですが、
> 北ヨーロッパでインドヨーロッパ語、特にゲルマン語を話す人々が住んでいる地域が金髪碧眼人種が住む地域とが良く重なっていますが、これは、高々数千年位の間の人間の交流によるものということでしょうか?
⇒ 混血は一世代でおきます。ヨーロッパは多くの民族、人種が混在?しているかのように住んでいます。一応の棲み分けはしていますが、すぐ隣に住んでいる...続きを読む

Qゲルマン民族の大移動となったフン族はなぜ・・

歴史の勉強していくと何故?何故?と疑問がわいてきます。またそれを知った時
すっきりします。ゲルマン民族が移動することによって、ヨーロッパに変化が起きましたが、ではそのフン族がいきなり西方へ移動してきたのは何故でしょうか?
いろいろ調べてみましたが・・ゲルマン民族大移動の原因で出てくる程度、しかも
それまでおとなしくしていたのに、いきなり移動したようなニュアンスです・・
どなたか、ご存知のかた教えてください。

Aベストアンサー

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。

「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っていますから西進するしかなかったのです。  こうしてヴォルガ川にたっし、さらに西進しました。  これには気候の変化説、疫病説など諸説もありますが正確なところは不明です。  この時代の移動速度は緩やかなものでした。

そこには既に東ゴート族が居住していましたから彼らを略奪、抵抗する者を殺しました。
この情報はすぐに東、西ゴート族に伝わり、かれらフン族の残酷さ、騎馬戦術の脅威が過大に誇張されて伝わったため、パニックが起こりゴート族の西方への大移動が起こって次々とゲルマン民族などの大移動が伝播したのです。  この頃は草原の確保より略奪が目的に変化していてフン族の移動は迅速で警報が間に合わない事もよく起こりました。

アッチラというフン族の王が出現し部族をまとめてから、その攻撃力はすさまじいものとなり現在のフランス、イタリアまで侵略された位です。

フン族についてはアジア系遊牧騎馬民族という位の情報しか正確なものが乏しい民族です。

「きょう奴」が分裂して一部が西進し中央アジアキルギス高原に達して定着した部族の子孫という説があり彼らは多数の家畜を抱え遊牧し、乗馬に巧みで当然騎射に長けていました。
農耕を知らなかったので自然に生える草を家畜の餌にし殆ど生の獣肉などを食べていたといいます。
従って草がなくなれば当然移動して新しい草原を探さねばなりません。
東方は彼らが既に同様な生活習慣で暮らしてきたので草はないことを知っ...続きを読む

Qラテン系ってどこの国の人のことですか?

よく、明るくて陽気なタイプの人のことをラテン系とかラテン気質とか言いますよね。
私は「ラテン系」ってずっと何となく中南米(ブラジルとか?)とイタリア人のことだと思っていたのですが、
先日ここでフランス人もラテン系に入ることを知り、
ラテン系っていったいどこの国の人を指すのだろうと不思議になりました。
(フランス人はステレオタイプのラテン系というイメージではないので……)

はてなのキーワードでは
『イタリア・スペイン・フランスなどの南欧州の文化や人種を指す。
昔、スペインやポルトガルの植民地だった地域も含めて、ラテン系と称されることが多い。』
とあったのですが、具体的な国名はどこになりますか?

ご存知の方、どうぞよろしくお願いします。

Aベストアンサー

正確ではないかもしれませんが、ラテン系言語を主に使用している国かな、と個人的に思いました。

ヨーロッパは基本的にゲルマン系、スラブ系、ラテン系の3つの言語で大雑把に分けることができます。(いずれにせよ、もともとはラテン語からの派生だと思いますけど。)
で、その内ラテン系に入るのが、フランス、スペイン、イタリア、ポルトガル、ルーマニアetc・・・になります。

これらの国、特にスペイン、ポルトガルは新大陸(アメリカ)への植民も盛んだったので、言語も含めた文化が、今でも中南米でしっかりと根付いてることから、これらの地域も「ラテン系」と言われているのでしょうね。
(ブラジルはポルトガル語が公用語、またその他の中南米のほとんどの国ではスペイン語が公用語です。)

Qゲルマン系、スラヴ系、ラテン系、アジア系、これらは具体的にどのあたりを

ゲルマン系、スラヴ系、ラテン系、アジア系、これらは具体的にどのあたりを指すのですか?
地域や「・・など」とかではなく、国名で教えて頂けないでしょうか?

Aベストアンサー

>国名で教えて頂けないでしょうか?

ゲルマン→ドイツ、オーストリア、
スラブ→ポーランド、チェコ、ハンガリー、スロベニアなどの国から東は全部です。全部言うのはしんどいので地図を見たらわかります。おおざっぱに言うと東ヨーロッパとロシアです。
ラテン→これは国が少ないので全部言います。フランス、イタリア、スペイン、ポルトガルそして何故か東に飛んでルーマニアです。
アジア系というのは日本人から見ると中国や韓国を思い浮かべますが、世界ではアラブもアジア系です。アジアはものすごく広いです。アジアは中近東や西アジアや中央アジア、東南アジア、東アジア、極東といろんな地域があります。

Qセム族ハム族とは?

エジプトや中近東で歴史的に、セム族、ハム族が出てきますが、歴史的にはどのように繁栄して推移してきたのでしょうか。現在の国で言うと、どの国の人を構成しているのでしょうか? 人種3大分類でいうと、どういう比率でどのカテゴリに近いのか?
教えてください。

Aベストアンサー

まず、参考URLにあるように、最近は「セム・ハム語族」という言い方はしなくなりました。
一応、旧来の言い方に従うと、
1.セム語で現在最も「有力」なのは、アラビア語ですから、繁栄の歴史については、アラブ史の本を読まれるといいでしょう。
2.言語と国民を対応させるのは、歴史的に言葉が変わったりするので、難しいのですが、乱暴に言えば、我々が「アラブ人」と呼ぶ人達ですね。それから、ユダヤ人もそうです。
ハム語は、アラブ化される前にエジプトで話されていたエジプト語や、北アフリカの(アラブ人の進入以前から居た)ベルベル人の言葉(ベルベル語)などが入ります。
3.「どういう比率でどのカテゴリに入るか」というご質問の主旨が今ひとつよくわかりませんが、アラブ人はコーカソイド(いわゆる「白人」と同じ)に分類されます。(というか、これも今は、学問上は、人種という分類自体、ほとんど意味がない、という考え方が主流になっているので、「分類されていた」という言い方の方が正しいでしょう。)

参考URL:http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/ara/arabiago.html

まず、参考URLにあるように、最近は「セム・ハム語族」という言い方はしなくなりました。
一応、旧来の言い方に従うと、
1.セム語で現在最も「有力」なのは、アラビア語ですから、繁栄の歴史については、アラブ史の本を読まれるといいでしょう。
2.言語と国民を対応させるのは、歴史的に言葉が変わったりするので、難しいのですが、乱暴に言えば、我々が「アラブ人」と呼ぶ人達ですね。それから、ユダヤ人もそうです。
ハム語は、アラブ化される前にエジプトで話されていたエジプト語や、北アフリカの...続きを読む

Qフランス人はラテン系? ゲルマン系?

フランスの起源はゲルマン民族大移動後に現在のフランスの地に建てられたフランク王国にあると聞いています。
ならば、フランス人はゲルマン系ということになりますね。

しかし、今では一般にフランスはラテン系ということになっています(言語では確かにそうですね)。

どこかの時代に、フランスに居住する民族が入れ替わったのでしょうか? それとも、他の理由があるのでしょうか?

Aベストアンサー

フランスに居住する民族が入れ替わったというより、フランク王国にいたゲルマン民族の一部が徐々にラテン化していき、現在のフランスを形成していったようです。
言語的には10世紀のカペー朝の時代には”ゲルマンの影響を受けたラテン語”が使われていたようです。(もちろん現在使われているような統一的なフランス語が成立するのは中央集権時代以降です)
民族的にはさらに前の民族大移動期から先住民族、ローマ人、ゲルマン系の混血が進んでいましたから、もはや現在のフランス人を指してゲルマン系とは言えません。
言語だけでなく一般にフランスがラテン文化圏と認識されるのは、ローマカトリックを信仰しつつ、文化芸術の面でローマ帝国期を連想させる威光を示したことの影響によると思われます。

参考URL:http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761568934_9/content.html

Qユダヤ人はどうして嫌われているのでしょうか?

映画「ホテル・ニュー・ハンプシャー」で、
「このホテルにユダヤ人がいるんじゃあるまいな」という
発言がありました。
シェイクスピアの「ベニスの商人」もユダヤ人です。
チャップリンの初期の映画にもユダヤ人をばかにする人種差別的ギャグがあるそうです。
ヒットラーにも嫌われました。
どうしてユダヤ人は嫌われるのでしょうか?
イエス・キリストがユダヤ人なのですが、白人はそう思ってないのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様です。気をつけたいものです)。

さらには独自コミュニティを形成してそれを崩そうとせず、あくまで頑なにユダヤであるということを固持してきました。
これは、キリスト教という緩やかなつながりでつながっていた西ヨーロッパ圏では、ユダヤという存在は異端という点がその場に存在しているようなものです。
日本でもそうですが・・・自身たちとは違う風貌、習慣を持つ人は少なからず煙たがられる傾向があります。
さらには、銀行業などの当時「卑しい」とされていた職業で設けていました。余所者に自身たちの金を吸い上げられるのですから、決して面白いわけはありません。

もう一つが、政治的要因。
政治で、国民の不満をそらす方法に、悪役をつくる、というのがあります。
簡単に言えば、こじつけでも「~が悪い」というのをつくれば、そこに国民の不満がいきますから、政府とかそういったお上に攻撃がこなくなります。
で、ユダヤはキリストを十字架送りにしたというのがありますから、非常に悪役に仕立てやすいのです。上に書いた民族的な特徴も仕立てやすい理由です。

大体、嫌われる、あるいは嫌われている人、民族には共通項があります。
1.お金にうるさい(理由はともあれお金をためる人全般)
2.異文化的である。または異文化の性質を強く持っている
3.異郷の地でがっぽり稼ぐ人
4.郷に入らば郷に従えを実践しない人
5.自分たちのほうが偉いと少なからず思っている人
などなど・・・
ただ、こうやって見るとわかるように、どこぞの民族も似たようなことをやっています(車をアメリカで売りまくって、ご当地の車会社から白い目で見られたりする国です。まあ、いまはあまりやらないのかな・・・?)。
結局、嫌われる民族か、そうでないかというのは、ある意味紙一重なところがあります。
ユダヤが嫌われているのは、これらを満たしてしまっているせいと、国を持たなかったという地政学的悲劇のためと考えています。

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様で...続きを読む

Qインド=ヨーロッパ語族が広範囲に広がった理由

世界の人種・言語圏を見ると、インドからヨーロッパ全域に至る広範囲に渡り、インド=ヨーロッパ語族が中心になっていますが、なぜ4千年程前に黒海周辺の狭い地域で暮らしていた当民族が、ここまで勢力を拡大できたのでしょうか。素人考えでは優れた文化(特に生存に直結する武器や農耕手段など)が背景にあったのかな、と推察しますが。有力な学説などがありましたらご教示下さい。

Aベストアンサー

私も素人ですが、インドヨーロッパ語(以下印欧語)族の起源に関しては、真面目に本を読んだ事があるので回答させて頂きます。

印欧語族の起源に関して、とりあえず「一番有名な仮説」と言えるのは、南ロシア起源と考える「クルガン仮説」でしょう。参考URLの説明をご覧下さい。この仮説では「馬の家畜化が戦車の使用につながり、それが原印欧語の拡大の契機となった」と考えられています。
但し、参考URLを読んで頂ければわかるように、これは「定説」と言える程のものではまだありません。特に、「何をきっかけにして印欧語が広がっていったのか」については、この仮説の中では支持の少ない部分です。

「印欧語の拡散」に関する仮説で、代替の仮説として取り上げるにたるものとしては、「アナトリア起源」説があります。(これも参考URLで触れられています。)この仮説では「農業が少しずつ伝播する過程で、農業による人口増→農民が周囲を徐々に開墾していく→開墾地域の拡大に従って、原印欧語が話される地域も広がっていく」と考えられています。(尚、No.2の方が挙げている「ヒッタイトが鉄と馬で版図を拡大したのにつれて印欧語も広がった」という説は、私は知りませんが、それとこの『アナトリア起源』説は、場所は一致していますが、別のものと思われます。)

そもそも論からすれば、言語学からは、現在の印欧語の分布状況、各印欧語に共通する単語の種類から、原印欧語の起源の大雑把な場所や時代が推定できるだけです。例えば、「原印欧語には、鉄を意味する言葉は無かったようだから、原印欧語が話されていたのは、鉄器時代よりは前だろう」とか、「原印欧語には、羊とか牛を意味する言葉はあっても、穀物や野菜を味する言葉は無かったと思われるから、主に牧畜に頼っていたのだろう」とか、同様に原印欧語にあったと思われる植物や動物の名前から地域を推定する、等いった事です。このやり方は、借用語の可能性(現在、印欧語に共通する言葉であっても、元々原印欧語にあったのではなく、後になってひとつの言語でできた言葉が、他の言語に借用されただけかも知れない)を考えると、かなり限界があります。
言語学ではこの程度の大雑把な話しかできませんが、クルガン仮説は、原印欧語と、「クルガン」やそれに付随した遺物を結びつけ、南ロシアを起源にした原印欧語が「クルガン文化」とともに伝播していった、と推定しているわけです。

ただ、このように、特定の遺物・遺跡と、特定の『民族的な集団』を結びつける発想自体、最近(といってもここ20年ぐらいですが)は、以前ほどは支持を得られなくなっています。『人間の移動を伴わない文化の移動』の可能性を考慮していないからです。このような「人間集団の移動」と「物や文化の伝播」を分けて考えるのは、特にイギリスの考古学界で顕著で、それは、「ケルト人のブリテン島とへの大量移住」という従来の仮説が、いまや事実上否定されている事に象徴されています。(住居や埋葬方法などを見ると、ケルト人の大量移住はほとんど考えられない)

といったわけで、「クルガン仮説」は、今でももっとも有力な仮説とは言えますが、定説と言うほどのものではなく、更に肝心の「何をきっかけor原因にして伝播して言ったか」は、特に意見がわかれている部分です。

従って、ご質問に関しては、とりあえず「クルガン仮説」が一番有名(有力と言うのには少し躊躇します)ではあるが、原印欧語拡大の契機については、よくわからない、というのが実情だと思います。

参考URL:http://www.memomsg.com/dictionary/D1198/301.html

私も素人ですが、インドヨーロッパ語(以下印欧語)族の起源に関しては、真面目に本を読んだ事があるので回答させて頂きます。

印欧語族の起源に関して、とりあえず「一番有名な仮説」と言えるのは、南ロシア起源と考える「クルガン仮説」でしょう。参考URLの説明をご覧下さい。この仮説では「馬の家畜化が戦車の使用につながり、それが原印欧語の拡大の契機となった」と考えられています。
但し、参考URLを読んで頂ければわかるように、これは「定説」と言える程のものではまだありません。特に、「何をきっ...続きを読む

Q宮内庁はなぜ日本史の解明に非協力的なのか

よく宮内庁は皇室の歴史が明かされるのを嫌う傾向にあると聞きます。
仁徳天皇陵は全く調査をすることが許可されてないのでしょうか。
(社会科の先生からはこう聞きました)

日本は今や世界屈指の近代国家です。
しかし、日本の天皇の由来は全く混沌としています。

ならば、なおさら古代日本史の解明は国家の義務なのではないでしょうか。
その機関たる宮内庁が非協力的というのはどういう態度なのでしょう。
その理由が宗教上にあるというのなら、次に繋がるかどうかは別として
今回は一応納得します。

Aベストアンサー

皇室関連の質問をここでしたりすると、「皇室は千年の歴史があり、最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしまいます。

で、そういう立場からすると、過去の「作られた歴史」が暴かれてしまうことは権威の根拠に関わってしまいます。例えば、天皇家というのは実は朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族の末裔ではないかという話があります。倭国(日本)は百済の支援をして当時の倭国としては大軍事力を半島に派遣して白村江の戦いで敗れてしまいます。なぜ倭国が百済に過大なまでの支援をしたのか、単なる同盟関係であっただけではなく、実は百済が天皇家からみると「本家」で、倭国は百済の分家ではないのかという話があります。
日本ではその後いわゆる壬申の乱が起きて天武天皇が即位するんですが、大友皇子と大海人皇子の関係とかどうも日本書紀を読んだだけではよくわからんことが多いのです。そのへんについて日本書紀が改竄というか捏造というかそういうことをしたことは間違いないのですが、どのへんを歴史を書き換えたのかはよくわかりません。
もし仮に「皇室はかつて朝鮮半島からやってきた渡来一族の末裔である」ということが明らかになってしまったらどうなるでしょうか。嫌韓のネット右翼がなんと言い出すかどうか考えただけでも恐ろしいですね。今のところ皇室半島渡来説は荒唐無稽で根拠のない話ということになっています。なぜなら、日本書紀にも古事記にもそんなことは書いていないからです。しかし、日本書紀も古事記も時の権力者にとっての「大本営発表」なので歴史の削除、捏造、針小棒大などは当然あるわけです。あるけど、ないことになっている。それが我が国の古代史に対する学会の立場です。古代史は天皇家についてはアンタッチャブルの領域なのです。

また、皇室は一応ずーっと続いているということになっていますが、南北朝で相当ヤバいことになっています。血統の正当性という立場からいえば、南朝が正当です。しかし、北朝は時の権力者足利尊氏によって成立しており、最終的に南朝が北朝に吸収される形で再統一されています。このときの北朝系の血筋がね、どうなんだよってところなんです。私もその時代はそんなに詳しくないのですけれど。
で、戦後すぐに「我こそは南朝の末裔であり、正当な皇室の血筋である」と名乗り出た人がいたのです。世間でいわれるところの熊沢天皇事件というものなんですけどね。単なる気が狂ったおっさんが「わしは天皇である」といっただけならこんな歴史には残らないです。熊沢天皇事件が戦後事件史のひとつとして残っているのは「そういわれると、そうかもしれない」というのがあったからなのです。熊沢天皇は「北朝(現皇室)は南朝から帝位を簒奪し不法に即位している」と訴えたのですが、「そういわれりゃあ、そうだよな」ってところはあるんですよ。熊沢天皇は結局のところ南朝の末裔であることを証明することができなかったので最終的には「自称南朝の末裔」ということになったのですけどね。一時的であれ宮内庁は頭を抱えたのですよ。GHQは熊沢天皇に興味を持っていて、場合によっては昭和天皇を退位させて熊沢天皇を(GHQの手先として)即位させるんじゃないかと警戒したのですね。

宮内庁の仕事は、現在の皇室の伝統を次代に繋げることです。皇室にはなんとかの儀、かんとかの儀、と年がら年中しきたりだらけなのですが、それを続けることが最も重要なんですね。伝統の継続というものの頂点にある存在といってもいいでしょう。「歴史的に見て正しい」かどうかはむしろ邪魔なんですよ。まあ宮内庁関連の人といったら公家の末裔とか松平家の末裔とか父は貴族院議員とかそんな人たちばっかりですからね。しもじもの者が入りたいといっても入れてはくれません。

皇室関連の質問をここでしたりすると、「皇室は千年の歴史があり、最も由緒ある皇帝でありそれは世界的に認められていて世界で唯一イギリス王室と並立する歴史的権威が云々・・・」という人たちが必ず現れます。そういう保守的な人たちはもちろん、現皇室は基本的にそういう立場というかそういう建前があって成立しているのですね。これは明治維新以降の皇室の歴史的かつ政治的な立場です。そして宮内庁はそれを「守る」立場にいるわけであります。それを否定してしまったら皇室の存在意義そのものが問われてしま...続きを読む

Qアイルランド人と白人の違い

典型的なアイルランド人の顔ってどんなのですか?

この前、友達とアイルランドに行った時、友達がアイルランド人に「アイリッシュの顔だ~」と言われていました。
(道を聞いた人、パブで出会った人、ホテルの人など)

彼女は、髪は暗めの茶色、瞳も黒ですし、アイリッシュ英語どころか英語もロクに話せません。

私は、アイルランド人って他の白人と同じように見えましたが、
他のヨーロッパ圏の人たちと何か違う特徴とかあるのでしょうか?

まとまりのない文章ですが、お願いします。

Aベストアンサー

ええと、例えば、各国出身の白人とともにアイルランド系移民が多いアメリカ合衆国では、「アイリッシュ」といえば、「赤毛にそばかす」というのが定説です。

ただ、アイリッシュの芸能人には、デミー・ムーアのように、透き通るような象牙色の肌に黒髪、整った目鼻立ちと引き締まった口元という人が多く、どうも、私には、アイリッシュというとそういうイメージがあります。

Yahoo UK & Irelandで「irish face」を「images(画像)」で検索してみてください。私には共通点が見えますが、こういうのって主観と慣れですから。

参考URL:http://uk.search.yahoo.com/search/images?p=irish+face&fr=FP-tab-img-t340&ei=UTF-8


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A

人気Q&Aランキング