アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

こんにちは。よろしくお願いします。
質問はタイトル通りで、人といて楽しいというのが分かりません。
正確に言うと時が過ぎるに連れて、興味がないようになってしまったとも思います。
まず、これまでの人生についてお話しします。どうしてそうなったかが関連しているかもしれません。

小学校低学年の時、明るく元気で放課後は友達を誘って良く遊んでいました。
高学年に差しかかる時、不登校になりました。周囲が自分に対して攻撃的に感じるようになって、ものすごく安定感や充実感を感じなくなったことがそのときの自分に関係しているのかもしれません。
その時にはっきり覚えているのは、自分はもう学校に行かない。何があっても行かない。そのように感じていました。

小学校不登校で親は心配して、自分をフリースクールや施設に連れて行きました。
そこで、フリースクールのような所が楽しくて、そこが充実していました。
同じように学校になじめないという仲間がいたことが関係していると思います。

その後、近所の中学では、進学するのが難しいという話を親子でして、中学受験をしました。

中高一貫校で、中学は卒業できました。ただ、最初、30人ほどの中に自分がいるというのが耐えきれない感情が伴っていたかと思います。中学では成績優秀でしたが、その分、勉強でとてつもなくストレスがあったかと思います。

そういうストレスを感じた状態で高校に入学したのですが、自分は最初、解放を求めていたかのように思います。解放というのはストレスを卸す=勉強に気を使わない=これまでのような勉強をやめる=中学では大してやらなかった部活をやる==小学生のときのような本来の自由奔放な自分を取り戻して、人付き合いをしていくという意味があったかのように思います。

しかし、高校では拘束が強くなりました。中高一貫校で、大学受験の前の高校という段階であるため、部活禁止、0時限勉強、大量の課題というものが自分の解放を妨げたように思います。
加えて、その時に学校内のある教師と出会ってから、自分の感覚を否定されて、別の感覚に強く導かれていくような感じがしました。
ストレスがMAXに差しかかったころ、高校は中退。
それでも学校側から強い大学受験に対する①救済観念(〇○大に受かればしあわせになれる)と②競争意識(順位発表)を持たせられていたため、異常な大学受験に対するこだわりは残ってしまいました。

その後も自分をだましだまし、大学受験に向かわせていましたが、途中で燃え尽き、終いには年齢的には2浪して、大学進学。(正確には1浪して受かった大学で仮面浪人)燃え尽きた間はどうして自分はあのとき、こんな高校にいてしまったのか、そして、解放できなかった感情がずっと心に生きていました。
そんな感情に邪魔されながら、引きこもりながらも大学進学はしたので、自分としては形は腐りきらずに済んだかなと思いました。

しかし、長いこと集団生活をしていたわけでない自分にとって大学では人付き合いがまともにできないどころか、自分だけがどうしてこのような感情を持たされ、周囲は今までの人生を楽しんできたかのようにニコニコしたり、騒いだりしているのが許せないでいました。お前らも私のような思いを同様に感じてきたならこんな所でそんな軽やかな表情なんて作れるはずわけない、どうして自分だけがこんな目を持たせてられ、束縛され、意味のない、理解できない、自分で自分を評価できない時間だけが過ぎていたのかと思うと、自分が生きていることを放棄したくなりました。

結局、大学では単位は揃えるだけ揃え、着実に卒業だけには歩を進めてきました。
しかし、今では、抑うつ状態と診断され、専門的に治療が必要だと言われてしまいました。
元の自分の感情は育てることができなく、今の自分に毎日、憑いています。
その感情が長いこと(8年)、歩を進めることができなく、潜伏しててきため、やりきれないものとして、自分の感情に取り付けられ、毎日、うつっぽい感情が漂っています。

今の私には、感情を捨てることも、解放することもできません。ただ、このどうしようもない人生を少しでもどうにかできれば良いかなとも思っています。このような流れの中、タイトルにあるように、人といても楽しいと思えない、人に興味が持てない自分が完成してきました。同時に自分の人生を放棄し、人生は短くても、太くできれば良いかとも思ってきております。
どうせ今の自分にはやり直せる環境がないですし、やり直しが効くようにも思えません。
周囲との差がどんどん生まれ、年齢が近い人ほど、興味が持てません。
気づけば、私だけが愚かな人間のように思えます。
その背景には勉強が関係していたかもしれません。あんな感情的解決に結びつかず、役にも立たず、人生を表面的に彩るような、深層の心理に働かないものを、相手にするべきではなかったという強い後悔が勉強にはあります。

世の中では、私の何十倍も苦労している方がいるかと思います。しかし、回答では苦労の発表大会にしたって意味がないと思います。感情の解決はそんな簡単ではないからです。

こんな感情を抱えた中、今さらどういう切り口で人生を生きていけばいいのかわからなくなってきました。電車やビルなどの高い場所を見ると、死ぬのも難くはないかなとも思ったりするときはあります。しかし、まだそこまで追い詰め切れていないので、まだ大丈夫です。このままでは生きているのか死んでいるのかよくわからない状態になってきております。

アドバイスを頂ければ幸いです。
よろしくお願い致します。

A 回答 (3件)

学校に向いてない子なんだな。


こういう子は早熟そうなところがある一方で、いつまでも幼いところがある。共感力の成長が遅いんだ。
ニコニコして集団の中で居心地よさそうにしている人というのは、たとえこの社会に学校が無くても、井戸汲みの集団でも、わらじ編みの集団でも、祭りの支度でも、ブドウの収穫でも、どこに属していようとも失敗もなく苦痛もなくやるんだね。
これは賢さや愚かさの問題ではなく、情動の傾向の問題で、遺伝もあるけれど習慣からも大きく形成される。
一日でも早く、後ろを向くのをやめて、自分が居付けそうな仕事をしないといけない。他人に喜ばれたり他人のために骨を折る仕事をしてみて、共感を学ぶといい。学校がどうこうとかお話ししている次元は自分の人生の産物ではないから。
    • good
    • 2

おじさんです。


「人といて楽しいという感覚がわからない」
→なるほど。
「高学年に差しかかる時、不登校になりました。周囲が自分に対して攻撃的に感じるようになって、ものすごく安定感や充実感を感じなくなったことがそのときの自分に関係しているのかもしれません」
→原因はそこでしょうね。
でも、その考え方がご自分で分っているのであれば、自分で改善しましょう。
カウンセラーや特別な人に相談するような難しいことではないからです。
子供の頃、若い頃は、いじめなどはいくらでもあります。
でも、皆そこを乗り越えて生きていくのです。

人間は友達を探し、選びながら生きていくものです。
そこが楽しいのですよ。
孤独を好んで楽しい人生なはずはありませんからね。
    • good
    • 1

質問文が事実をほぼ書いているのであれば、ここで回答をできるようなものではないです。


出来れば、主治医に相談してください。主治医がいないのなら、専門の医師に掛かってください。 その辺りの人に相談したり、心理に詳しいと言われているような人に相談するのも自重して、専門医師のアドバイスによってください。
 ~~ ☆ ~~ ☆ ~~ ☆ ~~ ☆ ~~ ☆ ~~
質問文には誇張や欠落があって、実際にはさほどの状態ではなく、危険が少ないというものだとして、その上で、いい加減な回答・アドバイスをします。

1)人といて楽しいというのが分かりません。時が過ぎるに連れて、興味がないようになってしまった
① 「人といて楽しいという実感を持てない、人といることに興味を持てない」と言う人はそこそこいます。うつになっているとは限らないでです。自分の状態を評価することに熱心になっても、そこから何かの変化を生み出すのは難しいです。「人といて楽しいという実感を持てない、人といることに興味を持てない」のであれば、それが自分だと開き直って、それ以上その問題にこだわるのを止めた方がイイと思います。

2)小学校低学年の時………………結局、大学では単位は揃えるだけ揃え、着実に卒業だけに………………自分の感情に取り付けられ、毎日、うつっぽい感情が漂っています。今の私には、感情を捨てることも、解放することもできません。
② この文章は、主題に回答しようとする人に向けて、過去の状況をあえてコンパクトにまとめたものでしょう。しかし、それだけでなく、にわかあめさんが普段から自分の過去を何度も何度も再帰回想している内容ではないだろうかと思ってしまいます。そのような回想を日常的に頻繁に繰り返していては、《感情を捨てることも、解放することもできない》のは当たり前です。過去を振り替えるのを出来れば止めましょう。次に現状を歎く、残念に思うのも出来れば止めましょう。過去を振り返っても、現状を歎いても、もうそれを繰り返しても、そこから何かが生まれることも、変化が生じることもないのは実証済みでしょう。それらを考えたり、思い出したり、歎いたりする以外のことに時間と頭を使いましょう。なにも考えることがないから、思い出したり、歎いたりするのであれば、次のようなことをしてみましょう。(a)比較的関心があることを調べる(歴史、鉄道、ファッション、料理、気象、IT、何でも)(b)自分でも出来そうなことを頻繁にやる(太極拳、ダンス、一人カラオケ、水泳、ハイキング、ヨガ、チェス、天文観測、何でも)(c)資格を4つ取る(http://www.shikakude.com/ 役に立つかどうかはどうでもいいです。過去を振り返える、現状を歎くということよりは生産的に行動を変えることがネライです)
結果として、生きているのか死んでいるのかよくわからない状態は少しは変わります。おそらく、《このどうしようもない人生という思いにとらわれている状態》も変わります。

3)今さらどういう切り口で人生を生きていけばいいのかわからなくなってきました
③ 「自分の人生をどういう切り口で生きればいいのか」など考えたこともない人が多いと思います。そんな疑問に答えが出せるなどと思う人も少ないでしょう。「こういう切り口で生きていこう」などと考えている人もすくないでしょう。惰性というか、考えなしというか、毎日の習慣の繰り返しで生きているだけとか、やらないとダメだからやっていくしかないという思いで生きている人が多いと思います。 単純に言えば、にわかあめさんは、自分にこだわりすぎです。 他人も、多くの人が、どういう面で言えば大同小異です。 自閉、閉じこもりも多いし、そんなつもりは自分ではないがニートになってしまっている人、フリーターやアルバイトでただただ生きているだけの生活を繰り返して先に展望を持てなくて閉塞感に悩まされている人も多いです。 それでイイと云っているのでないです。 閉塞感や孤立、孤独、わびしさのようなことばかり繰り返し思い出しても、何かが良くなる変化は期待できないです。 「~~けばいいのかわからなくなってきました」 何かがわかれば何かが良くなるというものでもないです。 わかることに主眼をおくのではなく、とにかく何かをしましょう。②(a)(b)(c)をやってみましょう。座禅、瞑想は迷走になってしまう危険が高いので、動作を伴うことをしましょう。 勉強や調査でも、自分の意思でやるなら動作とおなじです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。だいたいそのままに書きました。カウンセラーの方を参考に改善していきたいです。しかし、回答いただいた内容は参考になります。

お礼日時:2016/08/25 01:16

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!