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出典:「雪のふる街」(本間昭南・著)32ページ
>「勝、お前今日中に仕上げる約束の仕事あったか」
>店の奥でラジオの修理に取りかかっていた沢村勝に、主の滝田洋平が顧客帳を見ながら訪ねた。
>「今日中と言うのはありません。明日は一つありますが」
>「今やっているやつか」
>「はい。これ、雑音がひどいのです」
>「後、どれくらいかかる」
>勝は取り外した真空管と、裏返しになった基盤の配線を見ながら、ちょっと首をかしげた。やがて彼はきっぱりと言った。
>「二時間」
>「なら、今日はこれから出張修理に行ってくれ。網代町の銀行のテレビの具合が悪い。映りが問題のようだ。見て来てくれ」
>「テレビですか。俺の手に負えるのかな」
>「大丈夫。お前なら直せるさ。お前に無理なら俺にも無理だ。それならメーカー送りだ。頼むよ。ロビーのだから急いでいる」
>勝は腕の時計を見た。
>時間は二時を回っている。直るにしても駄目でも三時までには帰れるだろう。
>彼は素早くビニールバッグを取り出して、工具とテスター、それに若干の部品を入れた。
質問の追加
「それに若干の部品を入れた」の「それに」は不適切ではないでしょうか。
![「次の文章は、主語の表記が不統一です。これ」の質問画像](http://oshiete.xgoo.jp/_/bucket/oshietegoo/images/media/5/871276_57fe1bb8b9c83/M.png)
No.9ベストアンサー
- 回答日時:
1.
主の滝田洋平との掛け合いの場面なので、動作主を明確にする必要があるときには「勝」としたほうが好ましいです。読者が瞬間的に動作主を特定できるため、めりはりが出ます。
逆に、動作主が明確な場合にわざわざ名を記すとくどくなってしまう。
「彼は取り外した真空管と、裏返しになった基盤の配線を見ながら、ちょっと首をかしげた。」
「彼は腕の時計を見た。」
とした場合、「彼=滝田洋平」ではない、と断定できるだけの状況設定ではないため、読者が、(ほんの)一瞬ではありますが、主格を見失ってしまう危険性があります。
前後を良く読めば「勝」であることは明らかですが、仮に「彼=滝田洋平」という意図であったとしても、完全に間違いということにはならない点が厄介なところ。
こうした点に引っ掛かりが生じてしまうと文の流れが中断されてしまうため、せっかくのリズムが途絶してしまうわけで、わずかな言葉の用い方でかなり違ってきます。
2.
全体的には好ましい文体なのですが、2箇所ほど手直しするとさらに良くなる。
a.
×
>勝は取り外した真空管と、裏返しになった基盤の配線を見ながら、ちょっと首をかしげた。やがて彼はきっぱりと言った。
>「二時間」
○
>勝は取り外した真空管と、裏返しになった基盤の配線を見ながら、ちょっと首をかしげたが、すぐに「二時間」ときっぱり言った。
・「勝は」という主題提示が継続している文中で、わざわざ「彼は」とするとくどい印象を与えてしまう。
・「首をかしげた。」「やがて彼はきっぱりと言った。」という文と「二時間」」を切り離しているため、「二時間」に必要以上の意味を与えてしまっている。つまり大げさな印象になってしまう。
・また、「やがて」ではなく「すぐに」としたほうが、いかにも熟練の職人であるという印象を読者はもちやすくなる。
b.
×
「テレビですか。俺の手に負えるのかな」
○
「テレビですか。俺の手に負えるかな」
・「負えるのかな」は「負えるものなのかな」で、「自分の手に負えるような事態なのかな」という意味になり、故障の程度を心配しているニュアンス。
「負えるかな」とすると、治せるかどうか、という自らの技量を心配しているニュアンスになり、こちらのほうが自然になるでしょう。
3.
>「それに若干の部品を入れた」の「それに」は不適切ではないでしょうか。
:
どういった点を不適切と思われたか不明ですが、この「それに」は、
1 そのうえ。それに加えて。「晴れたし、―風もない」
という意味の接続詞。
http://dictionary.goo.ne.jp/jn/131799/meaning/m1 …
「工具に加えて部品(工具でないもの)を入れた」という意図であり自然だと思います。
hakobuluさん。回答ありがとうございます。お久しぶりです。
>動作主を明確にする必要があるときには「勝」としたほうが好ましいです。
確かにそうだと思います。しかし、著者の作品には、状況を明確に把握できないシーンが所々にあります。これは、著者が明確に描写する必要はないと判断している訳ではないはずです。著者は、読者が理解できるかどうかを考慮せずに自分の思い込みだけで書いていると、私は思います。
>「勝は」という主題提示が継続している文中で、わざわざ「彼は」とするとくどい印象を与えてしまう。
同感です。
>「負えるかな」とすると、治せるかどうか、という自らの技量を心配しているニュアンスになり、こちらのほうが自然になるでしょう。
僅か一字違いですが、意味合いは大きく異なりますよね。
>どういった点を不適切と思われたか不明ですが、
「それに」を「ビニールバッグの中に」と解釈しそうになりかねないからです。一瞬ではありますが、そういう解釈をする読者もいるかと思います。読者にすんなり読んで貰うためにはわかりやすい表現を心がけるべきだと、私は思います。
No.12
- 回答日時:
>文章の場合にはそれができません
質問の内容「」付ですよ。
舞台でのセリフの台本なら、わざわざ「」は使いませんが、一般文書で「」で表示すれば、会話の内容です、という意味ななると理解します。
したがって、文章の場合・・・・の質門とは受け取れません、直接話法、間接話法の○○?、ズバリ言えばまた頭にくるでしょう。
同じ経験、経験=非常に広い意味での経験です、同じ作業をした、から同時にその場にいた、まったく同じ環境
同じ状況にいた、したがってその時に見聞きした内容も当然同じ(個人の感覚よる相違は当然あります)。
fxq11011さん。回答を頂けることはありがたいのですが、どうにもよく意味がわかりません。
>ズバリ言えばまた頭にくるでしょう。
「また頭にくる」とはどういうことでしょうか。私が頭に来て質問を繰り返しているということでしょうか。
そうだとすれば、とんでもない誤解です。私は、頭に来ていません。そもそも、頭に来る必然性がありません。質問文をよく読んで貰いたいと思います。
No.11
- 回答日時:
主語表記が統一されている文章とは、どんな文章のことでしょうか。
んなもん、日本語文法の本に載ってないです。だから、意味を定義してください。A.「主語が省略された文章」が存在しない文章?
B.主語を、代名詞(彼、彼女、それ...)に置き換えていない文章?
C.人称代名詞には、私、あたい、俺、小生などろいろあるが、各人、使うのは1つだけ?
※主語「表記」とあるので、主語が誰だかワカンナイ という意味には解釈しません。
主語が誰だか分かる場合でも、機械的に表記統一されているかを問題としていると解釈。
主語「表記」とはそういうことであり、たとえ主語省略(あるいは代名詞化)しても意味分かる場合でも
表記統一せよ、ということでいいよね?
※※で、普通、語が誰だか分かかるなら、主語省略とか代名詞置換とかを行います。
主語表記統一と言ってしまうと、そういうのも禁止するの?
そんな馬鹿すぎること要求するの?その辺の趣旨がワカリマセン。
よって、主語表記が不統一でも、不統一ということ自体は問題とはならない。
(主語表記不統一の結果、主語が誰だかワカンナイという事態が生じるなら問題となるのであり
あなたの質問のように、主語表記不統一そのものだけなら今回は問題ないところ、主語表記統一を要求している。
だから、質問趣旨がワカラナイ。)
私の知る限り、A.B.Cどれも、実現したものは存在しません。(たとえ理系文章でも存在しない。)
で、A.の意味にとると、文学史上最悪文書は、はっきりしています。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」。
>>雨にも負けず、風にも負けず....そういう人に私はなりたい。
典型的な主語省略例であり、最後の1文でようやく、主語の正体が「私」だと判明するのだが....
そのため、
最後まで読まないと意図が分からない。理系文章としてはありえないほど最悪。ただし、文学的価値を減じる意図は無い。 こういう評価もアリ。
で、質問文の文章。(追加質問は含まず)
ここまでの回答者のまとめ:
主語が誰だかワカンナイ表現は無い。
つまり、主語統一が必要か、については、暗黙的に、主語が誰だか分かっているなら、省略ok、代名詞置換えok。
私の回答:
主語表記が統一されている文章、を実現している作家は、いるとしても超レア。
よって、主語統一する必要は無い。主語統一する必要あるなら、 雨ニモマケズを
文学作品として認めちゃダメだぞ。(私は、理系文書としてはダメ、と言っているだけ。)
追加質問が2回。それでも、やっぱり、主語が誰だかワカンナイ表現は無い。
追加質問2回目は、そもそも、主語が誰だかワカンナイ表現ではない。
だから、何故主語表記を統一する必要があるのか、そこからわからない。
他回答者と私で、見解が違う箇所。
>まるで自分のことが見えていないのではないかと危ぶみ
自分とは、美保のことか健一のことか。私には特定できない。
特定できない理由。
美保の場合:美保は呆然としている。だから、自分が見えない。(=いつもと違う心理状態である。)
健一の場合:美保は呆然としている。だから、健一を視界にとらえても、健一だと認識できない。
そして、そういう状態は、すぐ解除される。(=呆然としている状態から、多少立ち直った。)
つまり、どっちの解釈でも、意味は同じであり。どちらでもよい。だから、判別できない。
つまり、そんなところにこだわる理由がわからない。
※私は初見では、いつもと違う心理状態である と意味にとったので、 自分=美保 のほう。
あなたの質問の意図:
>売るのであるならばもっとまともな本にして売って貰いたい
>著者の本には、明らかに誤記とわかる記述が少なくありません。
質問掲示板に「無断複製」(引用にあらず)するということは、明白中の明白な誤記を
複製しているはずですが、当該質問(追加含む)については、回答者意見は
「誤記ではない」ですよね?
そうなると、
著者(あるいは出版社)に対する攻撃じゃねえ?
という疑問が。
※特定出版社に本に対し質問しまくったり、回答に「別におかしくない」が多数となったり、
同じ質問スレで、当初質問文以外の箇所を追加したりすると、余計そうなります。
※でもって、今回の質問文に対し、「名誉毀損」かつ「著作権違反」の成立(相手が訴えれば)。
が確定しているので、相手が訴えれば、質問自体が抹消されます。
それ、覚悟のうえ、なんだろうね。
※※「名誉毀損」かつ「著作権違反」が成立とは、引用条件と公益条件の両方とも満たしていない
から法的に成立してしまう、という意味です。あとは、著者出版社の行動次第ということこと。
masa2211さん。詳細な回答ありがとうございます。
>主語表記が統一されている文章とは、どんな文章のことでしょうか。
「賢一」のことを描写している文章であれば、主語は「賢一は」となります。「賢一は、・・・。」に続く文章は、「彼は」でも「賢一は」でもいいのですが、私が言うところの主語表記が統一された文章とは、主語を「彼は」もしくは「賢一は」のどちらかに同一した文章のことです。直前の文章の主語が「彼は」であるのに、それに続く文章の主語が「賢一は」であると、私は違和感を覚えます。なぜ「彼は」でなくて「賢一は」としなければいけないのかと、私は思います。
下記の文章も主語の表記が統一されていません。(同書の59ページ)
>やがて賢一は美穂の上目遣いが始まると、暗算の手順を声に出して言い、次いで彼女に復唱させた。
>作業の手が止まると、声を出して計算することを求めた。行き詰ると、賢一が声を出して最初から暗算をやる。彼は日に三回の仕込み作業の内、夕方以外は彼女を急かせなかった。
>彼は半ばやけっぱちの気分で腰を据えることにしたのだ。こうして二人の作業が終わる頃には、皆はもう自分の食事をアルミの盆に載せ、休憩室に入っていた。賢一は夕食を皆と一緒に休憩室で食べることはなかった。
>彼は作業が終わると、特調の調理台で一人で食べた。その方が早く済ますことができたからだ。
宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、最後まで読めば「私は」が主語であることはわかりますので何ら問題はないと、私は思います。夏目漱石の「吾輩は猫である」も最初の文章だけは「吾輩は」という主語を表記していますが、それ以降は主語を省略しています。これは、主語が「吾輩は」であることが表記しなくても明白だからです。
しかし、「雪のふる街」の著者は、主語が変わった(別の主体を描写している)にもかかわらずその主語を省略しているケースがあります。これでは読み手は混乱します。下記がそれです。
>母の人生は貧との闘いの連続であったが、姉のそれもまた母に劣らぬものだった。
>生活を顧みない父の放浪癖のため、一家は常にその日暮らしを強いられていた。
>その上、姉が12歳の時、とうとう家族を見知らぬ田舎に置き去りにして姿をくらましてしまった。
(出典:「猫たちの挽歌」19ページ)
No.10
- 回答日時:
>「使用せれている状況」は「使用されている状況」、「表記れた文章」は「表記された文章」の誤記ですね
会話なら、こんな風に一括でなく、その都度、その場で訂正言い直しも(話し手)、再確認も可能ですね(聞き手)。
会話の一例
「おーい昨日のあれ、小屋の入り口にあるから、持ってきてくれ」。
他人には理解不能です。
昨日、ともに同じ経験をしており、現在の状況がわかる(相棒)人なら十分ですね。
fxq11011さん。再度の回答ありがとうございます。
>昨日、ともに同じ経験をしており、現在の状況がわかる(相棒)人なら十分ですね。
ちょっと意味がわかりません。「同じ経験」とは何のことでしょうか。
>会話では日常茶飯事と思いますが?。
これは、話の食い違いを指しているのでしょうかね。確かに、会話においては、その場で聞き直したり言い直したりすることができます。しかし、文章の場合にはそれができません。だからこそ、わかりやすく正確に書く必要があります。著者が何を言いたいのかわからない本を好き好んで読む人はいません。
No.8
- 回答日時:
>主語の表記が不統一であることに問題はないかということです
「」での表記は、直接話法の場合、つまり会話の内容をそのまま(直接)表記。
とすれば、質問の内容は会話で使用せれている状況と判断しました。
当人同士がその場で了解できればOK、で、部外者に通じる必要はありません。
もちろん、間接話法で表現・表記れた文章なら、そんな指摘もありえますね。
fxq11011さん。回答ありがとうございます。
「使用せれている状況」は「使用されている状況」、「表記れた文章」は「表記された文章」の誤記ですね。
No.7
- 回答日時:
No.6です。
その1、その2について
最初は誰かを特定しないで描写していき、途中で誰かを明示することで読者に対してある種の効果を与えるテクニックを時々見かけますね。
特に主人公の視点で描写していくとき、主人公がはっきりと認識するまでは代名詞を使い、主人公が人物を特定できた段階で実名を明示するということはあると思いますよ。
リンク先の回答者さんも指摘されていますが、この部分も、それを意図したものと見ることもできると思います。
その3について
「自分」は賢一なのか美穂なのか、どちらにも取れるように思います。
最初読んだときは“賢一”だと思いました。
>思わず身を乗り出した彼の視線が、もう一つの姿を改札口の前に捉えた。
>真っ白なタートルネックのセーターの上に、黒のブレザーと黒のスラックス姿の彼女は、賢一と眼が合うと右手を一杯に上げた。
直前のこの部分は賢一の視点(著者は賢一と一緒にいる)で描写しています。
>母の歪んで引き攣った笑顔と、美穂の一杯に見開かれた瞳が並び重なり合って、
直後のこの部分も賢一の視点で描写しています。
間にはさまった部分も賢一の視点で描写していると捉えるのが自然で、その場合「自分」は“賢一”になります。
しかし、
>~彼女は、賢一と眼が合うと右手を一杯に上げた。
>美穂は大きく見開いた瞳を上目遣いにして、賢一を見た。
は、美穂の視点(著者は美穂のそばにいる)で描写したものと捉えることもできそうです。
それに、美穂はおそらく賢一を見送りに来たのでしょうから、当然、賢一をはっきりと見ようとすると思いますので、
>しかしその表情は強張り、その上どこか虚ろだった。
が、美穂の表情とするのは不自然にも思えます。逆に、予想していなかった人を見たときの賢一の表情とみることもできそうです。
そうするとこの部分は美穂の視点で描写したもので、「自分」は“美穂”を指していると考えることもできそうに思えます。
いろいろ考えてみましたが、やはり、「自分」は“賢一”であると捉えたくなりました。
全体を読んでいないので賢一と美穂の関係性が分かりませんが、もしかしたら、美穂は賢一に何らかの思いがあったのに、この時までは美穂は心を決めかねていて、そのせいで見送りがギリギリになってしまい、さらに、
>しかしその表情は強張り、その上どこか虚ろだった。
となっていたと捉えることもできるように思います。
賢一を見たことによって心が変化して、
>美穂は大きく見開いた瞳を上目遣いにして、賢一を見た。
となったと考えたくなりました。
このように考えると、「自分」は“賢一”であるとしても不自然は無いように思います。
引用された部分を読んだだけですが、この著者は、代名詞の使い方や描写の視点の置き方を、明確な意図を持って判断し使っているというよりも、流れで書いているようにも思えます。
ただ、この質問の内容程度のことは、けっこう多くの作家が“やっちゃっている”のではないでしょうか。
様々なテクニックを、明確な意図を持って判断し使用して、それが有効に作用しているのは、一部の作家だけだと思います。
テクニックを深く考えずに使い、あるいはテクニックを使っていることさえ自覚せず、かえって読者を混乱させる作家(作品)も多いと思います。
作家に限らず、自分が分かっていることは読者も分かっていると思い込んでいて、文章ではうまく表現できていないことが分かっていない人は、結構多いと思いますよ。(自戒を込めて)
takashi8842さん。再度の回答ありがとうございます。
>読者に対してある種の効果を与えるテクニック
著者がそれを意識していたかとなると、私は疑問に思います。それは、あまりにも迂闊であるとしか思えない表記が他にあるからです。
>「自分」は賢一なのか美穂なのか、どちらにも取れるように思います。
読者が混乱するようでは、著者の思いは伝わりません。どうして伝わるような書き方ができないのかと、私は思います。
>もしかしたら、美穂は賢一に何らかの思いがあったのに、この時までは美穂は心を決めかねていて、そのせいで見送りがギリギリになってしまい、
補足しました。よろしければご覧ください。
No.6
- 回答日時:
「勝は」と「彼は」の使い分けは意図的である可能性が高いと思います。
複数の登場人物(沢村勝、滝田洋平)のうち誰についての文なのかを明示するために、最初は「勝は」として、その後は「彼は」にする。
誰についての文なのかがあいまいになりそうになったら、再び「勝は」と明示する。
この引用部分については、二回目の「勝は」の直前の会話が、滝田洋平の発言で終わっていますので、「彼は」が滝田洋平を指すと受け取られる可能性を避けるため「勝は」としたのだと思います。
「それに」については、「それ(指示代名詞)+に(助詞)」ではなく「そのうえ・更に」という意味の「それに(接続詞)」だと思います。
形の上では区別がつきませんので、文脈で(常識的に)区別するしかないと思います。
その区別を読者に強いることを、是とするか非とするかで意見が分かれるところかもしれませんね。
マニュアルや法律関係の文書では極力避けるべきだと思いますが、文芸作品の中ではある程度は許容されてもいいのではないかと思います。
この引用部分については、非とするほど紛らわしいものだとは思いませんでした。
takashi8842さん。回答ありがとうございます。
>二回目の「勝は」の直前の会話が、滝田洋平の発言で終わっていますので、「彼は」が滝田洋平を指すと受け取られる可能性を避けるため「勝は」とした
なるほどと思います。実にわかりやすい説明です。
しかし、この著者の場合、必ずしもその理屈は通用しないケースがあります。下記の場合も主語が不統一なのですが、takashi8842さんはどう思われますか。
>その瞬間、母は顔一杯に笑いを広げて声を上げた。
>「体に気をつけるんだよ!」
>賢一も笑いを返した。
>母は賢一が初めて見る笑顔を向けて、まるでデッキの取手を掴まんばかりに手を伸ばした。思わず身を乗り出した彼の視線が、もう一つの姿を改札口の前に捉えた。
>真っ白なタートルネックのセーターの上に、黒のブレザーと黒のスラックス姿の彼女は、賢一と眼が合うと右手を一杯に上げた。
>しかしその表情は強張り、その上どこか虚ろだった。まるで自分のことが見えていないのではないかと危ぶみ不安を覚えた瞬間、美穂は大きく見開いた瞳を上目遣いにして、賢一を見た。
>母の歪んで引き攣った笑顔と、美穂の一杯に見開かれた瞳が並び重なり合って、ゆっくりと離れて行った。
私の疑問
その1 著者は、賢一が改札口の前に捉えた「もう一つの姿」を「彼女」と表記しています。どうして「彼女」なのでしょうか。
その2 「彼女は」と表記した後で「美穂は」とあります。どうして「美穂は」でなければいけないのでしょうか。
その3 「まるで自分のことが見えていないのではないかと危ぶみ不安を覚えた」の「自分」とは誰のことでしょうか。私は美穂のことだと思うのですが、賢一のことであるという意見もあります。→
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
No.5
- 回答日時:
会話では日常茶飯事と思いますが?。
不明、疑問があれば、リアルタイムで再確認可能のため。
例 「暑くないですか」「全然、ちょうど良いです」
全然を肯定にしようする例として挙げていましたが、どうでしょう?。
「全然(暑くないですお気遣い無用)、ちょうどようです」、やはり否定で使用にほかなりません。
fxq11011さん。回答ありがとうございます。
>会話では日常茶飯事と思いますが?。
申し訳ありません。何が日常茶飯事なのでしょうか。私の質問は、主語の表記が不統一であることに問題はないかということです。
>「暑くないですか」「全然、ちょうど良いです」
この「全然」というのは、「全然暑くないです。ちょうど良いです」を簡略化したと思えば何も問題はありません。
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表記その1 「勝は」 → 「首をかしげた」
表記その2 「彼は」 → 「言った」
表記その3 「勝は」 → 「時計を見た」
表記その4 「彼は」 → 「部品を入れた」
>勝は取り外した真空管と、裏返しになった基盤の配線を見ながら、ちょっと首をかしげた。やがて彼はきっぱりと言った。
「首をかしげた」のも「きっぱり言った」のも勝です。どうして「やがて彼はきっぱり言った」としなければいけないのでしょうか。ここは、「やがて勝はきっぱり言った」でいいのではないのでしょうか。私だったらここは、「そして、きっぱり言った」とします。
>もしかしたら、美穂は賢一に何らかの思いがあったのに、この時までは美穂は心を決めかねていて、そのせいで見送りがギリギリになってしまい、
著者は、次のように書いています。(451ページ)
>出発の日と時間を尋ねた彼女は、
>「多分見送りには行けないと思う。もし行けたとしても、別れの場は苦手だから、姿は見せない」
>と言った。
>賢一も送ったり送られたりの場面は苦手だったので、内心ホッとしていた。
>出発は一人が良い。特に今はそうしたいと思った。駅には見覚えのある顔は見当たらなかった。それは当然であったが、予想外の人に会うことは危惧していた。
>彼は密かに願っていた。この街を去る時は前も後ろも見ず、心には何の感慨もなく、できれば荷物のようになって汽車に乗って去りたいと。
著者は、賢一の同僚の遠見良夫について102ページで次のように書いています。
>賢一は彼のふわふわとした歩き方を見ると、洋画に出て来るハイヒールの女を連想してしまうのだった。
>賢一を驚かせたのはそんな外見よりも、彼が休憩室の畳四枚ほどの狭い場所に、若い娘達の間に割り込んでゴロ寝をしていることだった。
>娘達もそんな彼を、敢えて追い出そうとはしなかった。時が経つに連れ賢一は、彼はどちらかと言うと女に近い男なのだと考えるようになった。
>良夫は体付きも動作も、話し方まで女っぽかったので、娘達も彼には男性を意識しないのかも知れないと思った。
>賢一はいつの間にかなんとなく納得させられ、そうこうしている内にふと、自分も娘達を異性として余り意識することがなくなっているのに気付いた。賢一はこれはやはり、良夫と娘達の関わり方を見ているからなのかと思ったりもした。
質問を追加します。→ 次の補足へ
質問の追加
その1 遠見良夫のことを「彼は」と「良夫は」という言い方をしていますが、「良夫は」という言い方にどんな意味合いがあるのでしょうか。
その2 「休憩室の畳四枚ほどの狭い場所に」は、「休憩室の畳四枚ほどの狭い場所で」の誤記ではないでしょうか。
さらに疑問が生じました。
>「テレビですか。俺の手に負えるのかな」
自分の力ではどうにもならないことを「手に負えない」という言い方をしますが、著者は、これを肯定形にした言い方をしています。果たして、「手に負える」という言い方は認められている(通用している)のでしょうか。
>が言うところの主語表記が統一された文章とは、主語を「彼は」もしくは「賢一は」のどちらかに同一した文章のことです。
誤記がありました。訂正します。
(誤)同一した文章 → (正) 統一した文章
>つまり、そんなところにこだわる理由がわからない。
著者は、誰のことを「自分」と表記しているのかはわかっているはずです。しかし、著者のイメージしたこととは別のイメージを読者が抱いたとしたら、著者の思惑は外れたことになります。そういう著書は失敗作と言えるのではないかと、私は思います。ですので、私は著者の文章表記にこだわるのです。
>相手が訴えれば、質問自体が抹消されます。それ、覚悟のうえ、なんだろうね。
質問が抹消されても何も困りません。質問を投稿するのに覚悟するほどのこともないでしょう。相手が訴えて来たとしたら、堂々と受けて立ちます。そういう覚悟はできています。
>「名誉毀損」かつ「著作権違反」が成立とは、引用条件と公益条件の両方とも満たしていないから法的に成立してしまう、という意味です。
どうして公益条件を満たしていないと言えるのでしょうか。私が著者の本を批判することでその本の存在が知られることは著者の利益となるのではないのでしょうか。私はその本を批判していますが、その本を読んで共感する人もいるかもしれません。
同時に、私は、出版社の言いなりになって自己満足に終わるだけの本を書くのはやめて、評判になる(少しは売れる)本を書いて貰いたいと思っています。そういうメッセージを伝えることは公益に通じるのではないのでしょうか。