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岩崎武雄著のカントで実践理性批判を読んでみたのですが、わかる部分ももちろんありましたがいまいち全体を理解できなかったというのが正直なところです。

実践理性批判を一言でいうと、というのはもちろん無理だとは思いますが、簡単にまとめると何が言いたいのかということを教えてください。(もう一度読む上でも参考にしたいと思うので)

これは質問というより相談なのですが「現代におけるカント哲学」という章で近年の世界状況から見て、永遠平和論について考えていこうとおもっているのですがどうでしょうか。
もちろん近年のカントに関する国際会議についてなども入れたいのですが。

カントに関する国際会議についてあれこれ検索したところ、なかなか情報がなかったので可能な限りでよいので具体的な情報があれば助かります。HPアドレスや資料でも結構です。

よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

おはようございます。



>カントに関する国際会議についてあれこれ検索したところ、なかなか情報がなかった

やはりドイツ語のものしかないようです。
http://www.uni-mainz.de/~kant/kfs/
ここに国際会議の情報も掲載されています。
前回、このサイトを紹介しなかったのは、
tomatooowさんがドイツ語を読めるかどうかがわからなかったからです。

さて、どうやら、「永遠平和のために」からカントの倫理学についてのレポートを書きたかったようですね。たしかに、カントが死んでからも数多くの戦争がありましたしね。

>実践理性批判を一言でいうと、
そう無理ですね(笑)

しかし、
>簡単にまとめると何が言いたいのかということを教えてください。
『実践理性批判』には、最後に「結論」(Beschluss)があります。
結論が結論である以上、ここに少なくとも言いたかったことが書いてあるはず。
この結論の冒頭の言葉はよく引用されます。

Zwei Dinge erfuellen das Gemuet mit immer neuer und zunehmender Bewunderung und Ehrfurcht, je oefter und anhaltender sich das Nachdenken damit beschaeftigt: Der bestirnte Himmel ueber mir, und das moralische Gesetz in mir.
「くりかえし、じっと省察すればするほど常に新たに、そして高まり来る感嘆と崇敬の念をもって心を満たすものが二つある。私の上にある星の輝く空と、私の内にある道徳律とである。」

つまり、道徳律というものは、宇宙のように崇高なもので、なかなか究め難い、ということでしょうか。(でも、これでは結局何も言っていませんね。やはり無理なようです・・・間違いない)

ところで、「崇高」とカントが考えるものの一つに、戦争があります。
なので、永遠平和について考える場合は、カントが他方で戦争を認めていることも考えなければならないでしょう。(かなり有名なことですので、もうそんなことは知っているよ、という場合は、偉そうにごめんなさい)

Selbst der Krieg, wenn er mit Ordnung und Heiligachtung der bürgerlichen Rechte geführt wird, hat etwas Erhabenes an sich, und macht zugleich die Denkungsart des Volks, welches ihn auf diese Art fuehrt, nur um desto erhabener, (je mehreren ...省略): da hingegen ein langer Frieden den bloßen Handelsgeist, mit ihm aber den niedrigen Eigennutz, Feigheit und Weichlichkeit herrschend zu machen, und die Denkungsart des Volks zu erniedrigen pflegt.
「戦争でさえも規律と市民権への真正な敬意を伴って行われるならば、それ自体にある崇高なものをもち、このように戦争を遂行する国民の精神態度を、(その国民が・・・すればするほど、)一層崇高なものにする。これに反して、長い平和は単なる商人根性を、またそれとともに低劣な利己心や、臆病や軟弱さを優勢にし、国民の精神態度を低下させるのが常である。」
(『判断力批判』第28節、ドイツ語 B. 107ページ)

このように、長く平和が続くと、精神衛生上あまりよくない影響が現れるようです。日本ではバブル期にあたりますかね。いずれにせよ、克己心あるいは闘争心はそれなりに必要なのでしょう。
A.グリガが指摘するように、「永遠平和」という言葉は両義的です。

「そこには人類に対して二つの可能な解決が、すなわち、全国家の国際条約に基づく戦争の終結か、または全滅戦争後の人類の巨大な墓場の上での永遠平和か、という二つの解決が、提示されている。」

そう、ホッブスじゃありませんが、人間が生きている限り「永遠平和」は有り得ないような気がします。前者の「国際条約」を承認させるのにも、武力でねじふせる、という力業が横行しそうですしね。

このグリガの『カント』(法政大学出版局)は、『カントの人間学』にも引用されている本で、第7章の「永遠平和のために」は50頁もあります。途中からはカントの交友関係などに重点がおかれますが、グリガも言うように、「永遠平和」の問題は啓蒙時代の状況と思想を良く理解しておく必要があると思います。そこで次にお勧めの本が、カーシーラの『啓蒙主義の哲学』(紀伊国屋書店)です。第六章の「法、国家および社会」では、グロティウスやモンテスキューなどから、カント哲学の基礎としてのルソーに至る思想が自由、社会契約などの重要な概念との関連において説明されています。

すいません、これで精一杯です。

参考URL:http://www.uni-mainz.de/~kant/kfs/
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この回答へのお礼

本当に詳しくご説明ありがとうございました。

ドイツ語は読めません・・・(今は無理ですがいつか大学へ行ったら第二ヶ国語としてとりたいです)
しかし!なんとかやってみます!!

ちなみに先日の雑誌はGetできなかったものの、コピーはGetできましたm(__)m

いろいろ助かりました!
Vielen Dank (笑)

重ねて感謝します。

お礼日時:2004/08/09 10:06

岩崎武雄の本は大変いい本なんですが、『純粋理性批判』を理解することに主眼がおかれています。



カントの三批判は、厳密な学問としての哲学大系をたてることを目的としています。
とくにその第一作の『純粋…』は、全体を通じた理論の土台となるべき部分で、緻密な理論で構成されており、用語や概念もまた大変に細かく規定してあります。
岩崎の本は、その緻密な理論のわかりやすい道しるべ、といった性格のものなんです。

ですから「実践理性批判」の部分は、『純粋』のなかで定義づけられた概念が、どのように「実践」へと結びついているかが述べられています。
したがってそこだけを読んでも、何が書いてあるのかよくわからないのは当然なんです(『純粋』の部分も、岩崎の本だけ読んで理解できる、というよりも、一次文献と照らし合わせながら読んでいってはじめて生きてくるような性格の本だと思います)。

カントがどのようなことを考えているか、おおざっぱでいいからトータルに、わかりやすく理解したければ、中島義道の『カントの人間学』(講談社現代新書)がてっとりばやいんじゃないでしょうか。
さらに、カントの倫理学を詳しく見ていこうと思えば中野 重伸の『カント倫理学序説―「道徳形而上学の基礎づけ」を読む』(高文堂出版社)がいい本だと思います。

個人的には、カントは『純粋』のガチガチに論理を組み立てていくところが好きなんですが、現在、やはりカントで重要とされるのは、倫理学の方面でしょう。

今日、環境倫理、生命倫理(バイオエシックス)などの形で、「倫理」という言葉がよく使われています。
たとえば胎児の出生前診断について、あるいは、臓器移植について、安楽死問題について、あるいは、環境保護の立場から、人間と自然の共存を目指そうとするときに、個々の事例を超えて、規範が求められる。
そうした規範はどうやって立てていけばよいのか。
その規範に根拠をあたえるのが、倫理学なんです。

この倫理学には、大きく分けてふたつの立場があります。
「目的論」と「義務論」といわれるものです。

「目的論」というのは、規範を守らなければならないのは、ある目的(たとえばみんなが幸福になるため、みんなの利益のため)のためである、とする考え方で、功利主義に代表されます。

「義務論」というのは、規範を守らなければならないのは、それが義務だから、とする考え方で、その根本的な理論づけを与えているのがカントの倫理学です。
『実践理性批判』の内容に関しては、このサイトでいくつか回答していますので、もしよかったら参考にしてください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=752240

従来、一般的に「社会正義」とされるものは、最大多数の最大善を目指すべき、という功利主義の考え方で理解されてきました。
けれども、たとえばマイノリティの権利はどうするのか、多くの人々の利益のために、個人の自由が軽視されるのではないか。
こうした問題や、環境倫理やバイオエシックスに関わる諸問題は、「最大多数の最大善」という考え方では答えを出すことはできません。

今日では、ジョン・ロールズに代表されるように、功利主義に変わる新しい社会原理を、カントの倫理学を継承しつつ、生み出していこうとする流れがあります。

具体的に平和論の今日的受容・展開に関しては、私はカントの研究者でもなんでもありませんから、専門の方にお聞きになってください。
以下のサイトは専門家による研究会のひとつです。
http://www.asahi-net.or.jp/~js8t-stu/kant-hpj.html

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~js8t-stu/kant-hpj.html
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この回答へのお礼

詳しくご説明ありがとうございました。
助かりました。

早速「カントの人間学」借りてきたのでざっと読みたいと思います。

なんとか組み立ててやっていこうと思います!
本当にどうもありがとうございましたm(__)m

お礼日時:2004/08/08 22:58

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