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大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)は「自衛戦争」だと思いますか。

あなたの意見をお聞かせください。
注:「自衛戦争」の概念はあいまいなので「侵略戦争でないもの」としてください。

A 回答 (13件中1~10件)

武力行使が原則禁止?


だとすると、侵略に抵抗するのも同罪になってしまうと思うが。

それは、バカな教師が、責任割合を無視して喧嘩両成敗と称して、いじめの被害者と加害者に同じ罰を課すのとどう違うんだろう。



無知な方がよく誤解しているようですが、
占領だけでは、何十年経過しても、国際社会からは自国領とは認められません。
(なので、竹島は未だに「紛争地帯」ですし、北方領土はロシアが「占有」しているに過ぎません。)
一方、たとえ侵略であっても、当事国間が条約によって領土問題を解決した場合は、領土になります。

アメリカ人には、自分達の利益を重視して日本の行為を「侵略」にした方が都合がよいから、結果他国を植民地にするための侵略戦争だ。と言う意見の方が受け入れられやすいですが・・・


日本を敵視する一部の東アジアの特定諸国の人達からは、『「日本はアジアを解放した」と日本人が言っているのは恥ずかしい』とか言う意見もあるらしいですね。

しかし、これは某東アジアの特定諸国の方々が「日本は酷かったニダ」とか「侵略されたアルよ」とか言った事への反論としてのものであって、日本が最初から言い出した事ではありません。

アジアの華僑は、日本人が植民地を解放する前は白人に媚び諂って植民地支配(分割統治)に加担していました。

【分割統治】
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%89%B2 …
(ある者が統治を行うにあたり、被支配者を分割することで統治を容易にする手法。被支配者同士を争わせ、統治者に矛先が向かうのを避けることができる)

アジアの華僑は明の滅亡時に国を出た人達がルーツで、暮らしも豊かとはいえませんでした。
しかし白人の植民地支配が始まった時、現地に詳しいが原住民と親しくない彼らは、使うには最適でした。
華僑も富と特権的身分を得られるので、現地人への圧政・収奪等の汚れ役を進んで引き受けました。
それにより、白人は直接的な怨みの対象なるのを回避できました。


↑からアジアでは中国人はアジアの裏切り者と思われていました。

マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
『「日本軍はマレー人を一人も殺していません。」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、 その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。』



WW2については、敗戦国の言い分を認めるのであれば、世界史は大幅な改変を迫られるでしょうね。
「大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)について」の回答画像8
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
わかりやすい資料をたくさんお付けくださりありがとうございます。
恥ずかしながら華人の話は知りませんでした。
ニダ、アルというのはユーチューブの某面白兵器劇場ですか?

お礼日時:2017/01/05 05:33

国連憲章です。


http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japan …

第2条が原則です。
> 武力による威嚇又は武力の行使を…慎まなければならない。
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追加です。



歴史は決して現在の価値観で述べるものではありません。
当時の国外情勢やら背景やらがどうであったか?
当時の人間性、社会性、文化、伝統精神、慣習、歴史認識など広範囲な知識が必要です。
当時の価値観で考察することが唯一、解明する手段だと思います。

武力対決の勝者は昔も今も、また、良くも悪くも「違法」にはなりません。
武力が「違法」と主張するならば、戦争の勝者も罪の無い人類を武力(原爆など)で大量殺戮しました。当然、勝者にも裁きがあるものです。
しかし、この矛盾している世界観は70年以上も変わっていないのです。
この面での人類は進化しておらず、是正しない限り、武力対決の敗者だけが「違法」として裁かれるのです。
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日本では先の大戦を「大東亜戦争」ではなくGHQが「太平洋戦争」と呼称することを強制し、以後、今日まで歴史認識も「太平洋戦争」史観ですので「侵略戦争でないもの」と


する回答は一般的には無理な話ではないでしょうか?

質問者様は一般の「太平洋戦争」と言わないで大日本帝国が呼称していた「大東亜戦争」と仰っていますね!
質問内容から察するところ、どうやら、ご自身では既に明確な私見をお持ちであり、その確認をしようとしてませんか?

私の持論ですが、「大東亜戦争」とは、戦前の日本人の価値観による史観であり、「太平洋戦争」は、当時の欧米人の価値観による史観としているのが私の考えです。

http://warof.jp/daitoua.html

「大東亜戦争」の呼称は、対米英戦の開戦時だった東条内閣が正式に発表しています。
また、新聞やラジオなどでも報道されていました。


「東条英樹」
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%A2% …

『東條の国家弁護 編集』
「戦争はヒロヒト天皇の意思であったか?」の尋問に対し「ご意思に反したかも知れぬが、わが内閣及び軍統帥部の進言により、渋々同意なさったのが本当であろう。そのご意思は開戦の詔勅の『止ムヲ得サル事朕カ志シナラス』のお言葉で明白である。これは陛下の特別な思し召しで、我が内閣の責任に於いて入れた言葉である。陛下は最期の一瞬まで、和平を望んでおられた。この戦争の責任は、私一人にあるのであって、天皇陛下はじめ、他の者に一切の責任はない。今私が言うた責任と言うのは、国内に対する敗戦の責任を言うのであって、対外的に、なんら間違った事はしていない。戦争は相手がある事であり、相手国の行為も審理の対象としなければならない。この裁判は、勝った者の、負けた者への報復と言うほかはない」とアメリカの戦争犯罪を糾弾した。 東條は東京裁判を通して自己弁護は行わず、この戦争は侵略戦争ではなく自衛戦争であり国際法には違反しないと「国家弁護」を貫いたが、「敗戦の責任」は負うと宣誓口述書で明言している。東條の主任弁護人は清瀬一郎が務め、アメリカ人弁護士ジョージ・ブルーウェットがこれを補佐した

要するに、開戦当時の首相であった東条英樹は、東京裁判で戦争目的を「自衛戦争」とはっきりと述べております。
また、その後、マッカーサ元帥も米国議会で日本の戦争目的を『セキュリティ』と証言しております。
当然、議事録があるでしょうが、日本の歴史認識は「太平洋戦争」史観ですので、戦争目的を「自衛」の為にすることは出来ません。
また、昨年か一昨年に、安倍内閣も先の大戦を「太平洋戦争」史観のような見方を改めて閣議決定しましたよ。

【まとめ】
現在の政府は「侵略戦争」だったとする見識です。
つまり、公式では「侵略戦争」が正解です。

しかし、私個人の意見では、
この戦争を「大東亜戦争」と見た場合、決して「侵略戦争」ではありません。
大東亜の秩序を確立するため、『対米英打倒戦争』であった。
若しくは『自衛戦争』であった。

この戦争を「太平洋戦争」と見た場合、当然、日本の立場など無視されますので『自衛戦争』ではなく『侵略戦争』だと言うことです。

以上、私の回答とします。
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この回答へのお礼

鋭い洞察に感服いたします。
私がこの大戦を大東亜戦争と呼ぶのは、陸軍軍曹だった曾祖父がそう呼称していたからです。
いわばこれはコインの表と裏であり、ふだん私はその一面である「大東亜戦争」から歴史を観測しています。
ただ、必ずしもその肯定がほしいわけではなく、「太平洋戦争」的観測とその主張も聞いてみたいと思ったのでこの質問をいたしました。
詳しい解説をどうもありがとうございました。

お礼日時:2017/01/05 16:31

>「自衛戦争」だと思いますか。



回答:自衛戦争ではないと思います。(回答終了)
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>注:「自衛戦争」の概念はあいまいなので「侵略戦争でないもの」としてください。



侵略の概念は曖昧ではないとでも思っているのか?
というか、お前のいう「侵略戦争」や「自衛戦争」の概念とは誰が決めたものなのだ?


回答:侵略戦争ではないと思います。(回答終了)
理由:当時の国際法には「侵略」の定義など定められていない。
(お前はこのことを知っていたか?)
これを知らずに、侵略だの自衛だのという言葉を弄ぶことに意味があるのか?



それとも、ここは個人レベルの ぼくのかんがえたしんりゃく を語り合う場なのか?
「大東亜戦争(アジア・太平洋戦争)について」の回答画像9
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>侵略の概念はあいまいではないとでも思っているのか?
なるほど。そうですね。あまり適切な聞き方ではなかったようです。

>おまえの言う「侵略戦争」や「自衛戦争」の概念とはだれが決めたものなのだ?
侵略戦争や自衛戦争の概念は、ここ数百年で数々の条約によって形成されつつあるとおもっています。
したがってだれが決めたものなのだ?と問われると「強いて言えば各国家のお偉方」でしょうか。

>も前はこのことを知っていたのか?
知っていましたよ。にもかかわらず「東京裁判」との名を冠せられた「正義の裁判」が行われ、日本国が「侵略国家」と呼ばれる。それが正当化される根拠となる意見を知りたかったのもこの質問の動機の一つですから。
(今のところこの目的は達せられていませんが)

>ここは個人レベルの ぼくのかんがえたしんりゃくを語り合う場なのか?
このサイトは議論するところではなく質問するサイトです。私はいろいろな意見や価値観を伺いたいです。
したがって正しくは
「ここは(世界レベル)のあなたが考える大東亜戦争について語る場です。

>それが何か役に立つのか
役に立てさせていただきます

お礼日時:2017/01/04 06:25

開戦時の主張や東京裁判の結果ではなく、現代の価値観で私の意見を回答します。



戦争をそのように分類することには意味がないと思います。

現代の国際法では武力行使は原則禁止だからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
現在の価値観で言ったらアウトということですね。

お礼日時:2017/01/05 05:28

自衛なのか、侵略なのか、どちらかよく分からないのは、どこ迄を自衛とするか明確な区別が無いからですよ。



例えば、占領して10年でその土地が自国と言えるのか、それとも紛争地域なのかさえ、定義が無いわけです。

日本人は、自国の都合を重視して「侵攻」しないと自国が保てなかったから、結果自国を守るための防衛戦争だ。と言う意見は受け入れられやすいですが・・・

フランスやイギリスからすれば、ウチの領土を攻め取ったんだから侵略戦争だよ、と言うでしょう。

日本軍を英雄視する一部の東南アジアの人は、解放戦争だと言う人も居るかもしれませんが・・・
コレは日本人自らが口にする事でも有りません。恥ずかしいです。


そんな訳で、少しでも領土を攻め取れば、ソレは、「侵略戦争」だという前提が有れば、侵略戦争ですし、戦争当事国の言い分を認めるのであれば、世界史は大幅な改変を迫られるでしょうし。

言葉の定義次第ですかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、事実は多面的なものであり、見方をけえれば何とでもいえるということですね。

お礼日時:2017/01/02 19:31

昭和天皇にも講義をした、石原莞爾氏は極めて優秀な理論家で、理論を持たない東条英機氏との対立から左遷に追い込まれますが、満州事変等当時の日本軍部の理論的支柱と考えられます。



石原莞爾氏の著作としては、最終戦争論が有名です。
その中で彼は、一部の職業軍人が行なう戦争から、国家の総力を用いる戦争への変貌を主張し、日本における昭和13年に制定された国家総動員法の理論的根拠となっています。

また、最終戦争論の中で、石原氏は日米決戦こそ最終戦争であり、その勝者が世界政府を作り、世界は平和になると言う主張を行なっています。
日米決戦に備えて、満蒙・東南アジア等の統合が必要と考え、実際に満蒙・東南アジアへ軍隊を進めて行き、日本を中心とする東亜新秩序に組み込んでいったと思われます。

以上のような背景を元に考えると、当時の日本がやろうとしていたことは東亜新秩序で、アメリカに対抗する勢力を整備し、日米による最終戦争を経て、世界平和を実現しようとしていたことになります。
(関が原の戦いで、戦国時代が終わり、平和な江戸時代が達成できたようなものですね。)

このような文脈を元に考えると、市場と奴隷を求めた侵略戦争とは言い難いでしょうが、自衛戦争というほど穏やかなものでもなかったようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
一概にどちらともいえないということですね。
参考になります。

お礼日時:2017/01/02 19:35

自衛戦争だったと考えています。




当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、国民の1/4が
失業し、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
はっきりしません。

これに加えて、当時は社会主義運動が盛んに
なりつつありました。
うかうかしていると、体制すら崩壊しかねません。

それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、
日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。

ハルノートのハルは、真珠湾攻撃を耳にして躍り上がって
喜んだ、という側近の証言が残っています。
「これで戦争ができる」

また、パル判事は、あのような要求を突きつけられたら
モナコのような小国でも銃を持って立ち上がっただろう
と述べています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
マッカーサーの証言の資料は読んだことがあります。彼は朝鮮戦争で戦って列島に降りかかる「北からの脅威」を痛感しそういった証言をしたそうですね。

お礼日時:2017/01/02 19:38

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