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【観覧注意】
ごめんなさい。
どうしても考えてしまうので、もう一度質問させてください。
こんばんは。
少し重くて哲学的な話になってしまうのですが
よければよろしくお願いします。

ネットでこんな記事を読んでしまいとても怖くて仕方が無いです。
これについて考えているとこの記事に考えを合わせてしまって、死んだ後生きている人と違うパラレルワールドか何かになって時が自分だけ止まるとしたら、とか辻褄合わせをしてしまって信じてしまいそうです。

私の仮説は
死ぬと苦しかったり痛かったりそのまま脳が止まる、時間が止まる→永遠に感じ続ける
というものです。
もしくはこれを信じてしまった人のみ起こる、とか。
考えが止まりません。
本当に怖くて、よければこれに対する意見をお聞きしたいです。

重くてごめんなさい。
よろしくお願いします。

高校生なのにこんなこと考えている自分が怖いしもしかしたら警告か何か?と思ってしまいます。。。

「【観覧注意】 ごめんなさい。 どうしても」の質問画像

A 回答 (11件中1~10件)

数々の宗教について研究し得た知識の範囲内でのお話になります。



まずパラレルワールドについてですが これは輪廻転生とはまったくもって異なります。

パラレルワールドは数々の物品や訪問者の証拠によって証明されつつあります。


あと、死ぬ時は苦しむとありあますが 死ぬ時は必ず苦しむわけではありません。

死は睡眠と例えたほうがわかりやすいと思います。

病気で苦しい時 睡眠できたららくになれますね。

死を迎えられず病や怪我で苦しみ続けるほうがよっぽど地獄ではないでしょうか?
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死んでみないと



誰にも分からないから

考えるのはよそうね!

臨死体験とかあるけど
ふわふわ気持ち良かったかな!

でもこれも確かな事じゃないしね

楽しい事を考えてた方が幸せだと思います

個人的には死んだら肉体の苦しみからは解放されたいね。
そして気持ちの解放もされたいね!
死んでまで苦しみたくないですよね〜!
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>>ネットでこんな記事を読んでしまいとても怖くて仕方が無いです。


これについて考えているとこの記事に考えを合わせてしまって

この記事 デタラメでしょうね。

 息子さんが後に インタビューに応じていますが、彼女は死を恐れるものとは考えておらず、卒業のようなものと考えていたそうです。それと、星とダンスするのが楽しみで、お迎えが来るのを待ちわびていたんだとか。
 また最後の数ヶ月間は、世界中からやってくる友達と話をしたり、タバコを嗜んだり、穏やかに過ごしていたそうです。

 ちなみに彼女自身は死について「蝶が繭をぬぎすてるように、肉体を離脱し、更に高い次元の意識に到達する過程である。そこでは引き続き、学習したり、笑ったり、成長もする」ということを言っていたそうです。

P.S
一応私が参照したサイトのリンク貼っておきます。もちろん英文ですが、大学入試程度の難易度ですので、勉強がてら読んでみてください。
http://www.nbcnews.com/id/5820045/ns/health-heal …
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主さん、こんにちわ!


今の年頃で生や死に関して考え始めるのはおかしくもなんともありません。
かのお釈迦様も、その苦しみから解放されたくて修行を始められたくらいですから。
人は死を恐れるあまり、死の淵を覗きがちですが、そんなものは死んでみなければ分からないことであり目に見えない事の代表格の話です。
死んだ後に、論文を出されている方は1人としていません。それが事実なのでは??
生きていくのも苦しみ、死ぬのも苦しみです。
主さんのお年頃が一番仏門に入る人が多いとされた時代もあります。
哲学的な側面からだけでなく、死を苦しみだと捉えないスピリチュアルな側面も持ち合わせるとよろしいかと。世の中の物事は常に多面性があり、いろんな人がいろんな角度から死を考察してます。キューブラー・ロスも有名ですが、なぜ死後の数ヶ月後に辿り着いた結論を親族は受け取ることが出来たのでしょうか??私はそここそが恐ろしい言論かと思います。

人が病などで死ぬ瞬間は、痛みや苦しみなど全くなく、SEXしている時の1000倍気持ちいい状態だと言っている人もいます。

哲学がお好きなら柔軟さを忘れずに勉強なさることです。仏教も哲学ですよ!
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全ては脳の電気回路です。

そこに電気が流れているだけです。
テレビやパソコンのスイッチを切っても、死んだとも思わないでしょう。
大丈夫、あなたが死んでも、世界は動いていますし、誰も困りません。

死んだ人がどう感じるかは、死んだ事が無いので知りません。

心臓が先に止まれば、脳は酸欠を起こしますので、酸欠で倒れた事がある人の話しが参考になるでしょう。
低血糖で倒れた人の話しも参考になるかもしれません。

ただ、無になったり、時間が止まると言うことも有りません。脳が、上記理由で考えられなくなるからです。考えられないし、認識できないし、何も無いのと同じでしょうかね。
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その人ひとりの時間だけが止まるとは考えられないので大丈夫でしょう。

まあ、意識が停止するからその時点で時が止まるというのは一見あり得そうですが、人間が生きているうちは例えば好きなことをしているときに時間がゆっくり流れるなど主観で変化するのはわかります。しかし人間が死亡した時点でもう意識を生み出す生理反応がその人の中に存在しないのですから、人間の主観も存在しないですし時間は止まらず流れ続けます。
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「感じる」という事自体が生理的新陳代謝を伴う


ので、その状態で停止する事はできません。
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哲学的な話し、物事を考えること追求することが好きなのではないですか?私は人の死に興味があって介護の仕事につきました。

人の死に立ち会い、いろいろ考えたりしましたが、続けていたら、今は死ぬ前のもっと前の、人がより自分らしく生きることが出来るか、何をもって幸せな人生かー、とか目線が変わってきました。今でも自殺や家での看取りなどいろいろ経験させて頂いてます。
哲学的に考えるということが、あなたの人生における意味があるんでしょうね。
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これはね、矛盾しているんですよ。



そもそも意識というのは動的なものなのです。

痛いという感情があるとします。痛いと感じるのはそれが「日常じゃないから」です。つまりいつもは痛くないのに、あるとき「痛い」からこれを痛みとして感じます。心拍数で考えましょうか。いつも心拍数が1分間に60回の人なら120回になれば「すごく早い」わけですが、日常的に120回ならいつもと同じです。

つまり意識というのは「落差」があるから感じるわけです。
「永遠に感じ続ける」そこで意識が固定されるとしても、それは「感じている」ことになるのでしょうか?

感じるためには変化が必要です。変化するということはどこかで感じ方が変わるということですから、言っていることに矛盾があるわけです。

だから、意識がそこで固定されるということがあったとしても、感じてるとは思えません。
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普通に考えたら、時間が止まれば、痛みも止まります。


何も感じない状態になるんじゃないですかね。
時間が止まるって事は、意識も止まるって事じゃないんですか?
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