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内海聡先生は自身が書いたこの本↓の中で、こんなことを言っています。
「薬においてはほんらい副作用などというものは存在せず、全てが作用である。」




私はこの言葉を見てなるほどなって思いました。
内海先生は良いことを言っている。
内海聡先生が述べているよーに、薬においてはほんらい作用と副作用の区別など存在せず、全てが作用であると考えるべきではありませんか。

A 回答 (6件)

それは考え方の問題にすぎません。

求めている薬の作用に対して、求めていない作用が出たときにそれを副作用と称して注意(関心)を促すことには意味があります。

そもそも毒も薬も同じで、服用する量が違うだけです。適量に飲めば治癒に効果を発揮しますが、過剰に飲めば体にダメージを与えます。毒を飲めば肝臓が働いて解毒作用をするわけですが、薬を飲んでも(適量に)同じように肝臓は解毒作用をします。なので、薬をよく飲む人は肝臓に負担がかかります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2017/05/11 20:46

人にはそれぞれの立場があるわけです。

普通はその立場でものを言います。
内海氏もその例に漏れません。
内海氏が学会で絶大なる権威を持ち、かつ巨万の富を得ているならそういう主張はしません。
どうせ人生につまずき、食いっぱぐれたのでしょう。でもうまい飯にはありつきたい。
そういう方々が良くやるのがこういった主張です。
なぜなら周りと同じような主張をしていては、おこぼれにしかありつけません。
でもちょっと変わった主張をすると、周りから「おやっ?」と注目され目立つようになり、同じような立場の三流マスコミ
が取り上げてくれたりもします。
それなりに医薬に関しての知識はありますので、そうそう出鱈目でもありません。
しかしどこか変です。要するに本質は同じです。「薬においてはほんらい作用と副作用の区別など存在せず」は
内海氏が言い出すまでもなく、もともと判っていたことです。それを知らない愚昧な民衆をたぶらかすために
ちょっと見る場所を変えて主張しているわけです。

事情を知っている人からすれば、内海氏は鼻つまみ以外の何ものでもありません。
当然それにたぶらかされる人は〇〇な民衆の一人だということになります。
そのうち「虫には害虫も益虫もない」などと言い始めるかもしれません。

ご愁傷様です。
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内海聡氏は「この世に副作用などというものは存在しない。

それは副作用ではなく、もともと「そうなる物質」なのである。それらは人間が人間の都合により決めた勝手な定義にすぎない。」と書いています。

彼の書いている通り、作用・副作用は、人間が人間の都合により決めた勝手な定義です。
しかし、その定義は大変有用です。

また、彼は「作用」と「副作用」を対比していますが、対比すべきは「主作用」と「副作用」です。
あなたも書いている通り、全てが「作用」です。
そして「作用」の中に、「主作用」と「副作用」の区別があるという関係です。

抗ヒスタミン薬を、花粉症薬として使うとき、眠気は副作用です。
抗ヒスタミン薬を、睡眠薬として使うとき、眠気は主作用です。

薬を道具として使うとき、何を目的として使うかはっきりさせておくために、主作用・副作用の区別をはっきりさせておくことは極めて重要です。

内海聡氏の主張は、基本的薬理学の知識の欠如を意味しています。
基本的薬理学の知識が欠如した上での、作用・副作用に関する主張は、前提が間違っている以上、結論は意味を持ちません。
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>全てが作用であると考えるべきではありませんか。



その「作用」の中で、本来の目的と違う「悪い作用」のことを「副作用」と言うんだが。
日本語、わかる?
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この回答へのお礼

物理の世界では作用に対して必ず反作用が働く。
でも薬の中では反作用はなく、作用だけってことだ。

お礼日時:2017/05/06 10:54

薬の副作用で深刻な後遺症が残った人に対してそれ言えますかね?



酷だと思うのですが
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この回答へのお礼

教えが足りなかった、もしくは教えを自分に都合よく勝手に解釈した結末なので酷ではないです。

お礼日時:2017/05/06 10:50

自分がいいならいいでしょ?


他人に押し付けないこと
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この回答へのお礼

医は人の命。
宗教ではございません。

お礼日時:2017/05/06 10:51

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