プロが教えるわが家の防犯対策術!

現在、海外で教師をやっています。皆さまの力を借りたいと思い、相談させてください。

現在、物理・化学をセカンダリースクールで教えており最近は環境教育についての授業をしています。
その授業の中で、日本の公害病を紹介しようと思い「水俣病」の動画を見せて、生徒と一緒に化学の必要性や公害についてこれまで学んできたことを振り返りながら学習していこうと考えていました。

ところが、私の予想に反して生徒が水俣病の患者見て、病気が故に逸脱した行動に驚くのですが「大きな声で笑う」のです。もちろん、激しく注意をしました。

しかし、アフリカで生活をしているとアフリカの人々は「人の不幸を見て笑う」ことをよく目撃します。

こういったアフリカ社会の中で、生徒たちが国際社会で生きる一員として世の中に出ていくかもしてれないことを考えると「人の不幸を見て笑う」ことをやめさせたいです。


力不足な私にアドバイスをしていただけるととてもありがたいです。

どうぞ、よろしくお願いいたします。

A 回答 (2件)

価値観の違う地域で指導するときに大事なのは、その地域の慣習を知ることです。


例えば、汚物垂れ流しのところで日本の温水洗浄トイレの説明しても理解できないし、
中国でバスや電車を並んで待つ習慣の無いのにいきなり並んで待ちましょうと言っても
理解されません。
みんな「井の中の蛙」です。その世界に満足した状態から少しでも安全,住みやすい
生活を想像できるように段階を踏む必要があります。
ルールを守れ!といってもなぜ守らなければ説明しなければ守れません。
身の回りのことからわかりやすく説明しましょう。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

確かに、その地域のことを知らないと何も語られないですね、、。
ありがとうございます!

お礼日時:2017/06/02 05:06

笑いは残虐性と隣り合わせというのもありますからね。


「赤信号みんなで渡れば怖くない」という、ツ-ビートさんのコントが出たとき、当時の良識人は怒ったり、しかめっ面になったりしたものです。
他人の上げ足をとってみたり、欠点を笑ったりするのは、今でもコントのネタとしてはよくありますよね?。
最近は自虐性に偏ってきた(裸芸なんかはそうですね)けど、あれも言うなれば「他人を笑うことが許されないゆえの自虐」なのです。
残虐と同じ方向性にあるものです。

残虐性を社会の中で「抑える」ことで、現代人は高度な「文明社会」を築いてきました。
やった、やられた、という二分性の社会では、富むものと貧しいものとの格差が拡大していくだけで、社会全体が等しく「富む」ということは不可能です。
残虐性を無くしていく方向の中で、抑圧されることを前提としての「富の配分」という思想が可能となります。

あなたが行っている「教育」というプログラムは、言うなれば「彼らの本能を抑圧するための」プログラムであるともいえます。
やった、やられた、という、極めて明確な日常から見るならば、未だ社会性に対して未発達な子供たちには、水俣病で神経を侵されてのたうち回っている患者の姿も「滑稽」にしか見えないはずです。
それを「厳しく注意をすること」で、子供たちの本能を「制御」することはできるかもしれません。
ただそれは「社会的立場として上位の人間が下位の人間に対して行う罰」と捉えられてしまっても仕方がないかと思います。
「やった、やられた」の世界からすれば、それは自然なことではありますが、同時にそれは「あなたの意図するところとはかけ離れたもの」でもあるはずです。

科学の必要性、公害に対しての知識が必要なのは、よくわかります。
しかし悲しいかな、人間は「自分の身に起きたことではない事実」を把握できる能力を備えた存在は稀有です。
経験をしない限りわからないのです。

決して無駄なことではないのです。
怒ることも、記憶に強く刻まれるという意味では正しいのかもしれない。
ただ、できれば怒ることなく、とつとつと事実は伝え、何があったのかを語りかけ、皆で考えることが大事です。
聖徳太子は「和を以て貴しとなす」と言われました。
人が人として、本能以外の生きる術を持ち合わせているとすれば、それは「理」に他なりません。
本能から理性へとシフトしていくという作業を行えるということが、あなたの置かれた立場で許された最大の「功」であるし、生き甲斐ではないかと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

>聖徳太子は「和を以て貴しとなす」と言われました。奥の深い言葉ですね。
そこの地域にあったやり方をしないといけませんね。

お礼日時:2017/06/02 05:08

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!