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日本人が仏教で仏陀やお墓に花を供えるヘンテコな仏教の礼儀作法は源信が作ったと思う。


源信は物事を大袈裟に表現する癖があるので何でも八万四千の光とか千光とか十万の光とか途方のない根拠のない大きい数字を言うマイブームがあったのか多用した。

それが現代の仏教の礼儀作法として源信の妄想癖から爆発して書いた書を日本の仏教関係者はこの現代信の教えを取り入れたら儲かると思って取り入れたと推測される。

なんせ源信は高僧ではないのに不自然に何のレベルにも達してない凡人僧の源信の教えを引き継ぐ理由がどこにもないのにわざと残しているのが不自然すぎる。

源信の前の時代の高僧は供え物は意味がなく念仏だけでいい。花など要らない無意味だと説いていた。源信の教えをわざわざ取り入れたた理由が知りたい。

金になるからですよね?

A 回答 (3件)

>金になるからですよね?



違いますね。
それが理由なら、献花によって寺や僧侶にお金が入ってくるシステムが必要です。
つまり、花の栽培と流通がそれなりの規模を持つ産業として成立している必要があります。
ですが、平安時代にそのような産業なんか成立していません。花の栽培が産業化するのは江戸時代に入ってからで、平安時代に献花に使われる花はそこらで摘んできたものか、自宅で栽培した物でしょう。
献花によって寺や僧侶にお金が入ってくるシステムが成立しない以上、「お金のため」というのは成立しません。

日本は飛鳥時代に仏教を導入していますが、基本的に日本文化の基礎にあるのは神道です。仏教も中国で儒教の影響を受け、更に日本では神道の影響を強く受けており、死後の世界の考え方も儒教や神道の考え方を土台に仏教風にアレンジしたものです(そもそも、仏教では魂は死後すぐに転生してしまうので、死後の世界などというものは存在しない)。
仏教の献花もローカライズの一環と見てよいでしょう。


あと、関係ありませんが質問文の文体は統一なさい。
この質問文では「だ・である」調と「です・ます」調が混在しています。文末形式はちゃんと使い分けるよう、小学校の国語の授業で教わりませんでしたか?
読んだ人からすると馬鹿っぽく見えますから、次からは気を付けなさい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/12 20:47

韓国の泣き婆と同じことですよ!?全ては金の為、それほど執着しても、死ねば同じですがね。

しかし、供物を捧げる行為は、それ以前に石器時代からあったようです。
常夜灯が入る前に、供物台が存在します。
源信=https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E4%BF%A1 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/12 20:47

昔の人は科学的知識が乏しく、不安要素が多かったため、様々な礼儀作法が追加され、追加することで、心の安定を図ったのだと思います。

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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2017/06/12 20:47

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