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明治初期の活字体本なんかみていると、「志ノし」や「曽ノそ」などの変体仮名が現在規定されている平仮名が混在しています。

変体仮名には何か特別な用法が存在していたのでしょうか?

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A 回答 (5件)

コメントを拝見いたしました。


何かの研究材料として、お読みになっていらっしゃるのですか?
最初のご質問に対し、私自身の力不足は否めませんが、少し調べてみた事だけ補足させていただきます。

まず、「変体仮名」のルーツになっていると思われる「万葉仮名」についてですが、岩波の「古語辞典」(1975年版)の「上代特殊仮名遣の甲類・乙類 ――奈良時代の発音――」という解説に次のような説明があります。
「平安時代以後の日本語と奈良時代の日本語とを比較して最も大きい相違は、平安時代以後は母音がaiueo の五つであるのに、奈良時代には母音が aiueoの他に i"e" o"という三つがあって、合計八個あったという点である。(中略)奈良時代に母音が八つ区別されていたことは万葉仮名の用法の分析の結果判明した。」

以下具体例が続きますが、たとえば「こ」に当たる万葉仮名は、「古故姑孤・・・」といった甲類と、「許虚挙居去・・・」という乙類の二つのグループに分けられます。それぞれのグループに固有の単語群が、くっきりと分かれているために、違う音韻であることがほぼ想像されるからです。同じようなグループ分けが「きぎひびみけげへべめごぞとどのよろ」といった音についても確認されています。次のサイトが見やすいので参照してください。

http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/notes/kana/h …

このような例を含めた(他にも、それぞれの時代について色々な例があるのですが)「音韻の違い」というものが、続く時代にも残っていったのか(そう考えるのが自然だと思いますが)、また、そのための文字の使い分けが「変体仮名」が書かれる様になってからもあったのかという事については、調べが及びませんでした。

そこで以上のことについては、遠い背景として示唆するにとどめて、「同じ音韻(と思われているもの)の中での仮名の使い分け」だけに問題を絞ります。ここでは、音韻の違いによるのではなく、視覚的な理由、あるいは書きやすさといった、「筆で書くこと」に由来する文字の使い分けがメインテーマになります。

伊勢物語の古文献です。
http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/exhibit/n4 …

「昔をとこありけり。をんなのえうまじかりけるを、年をへてよばひわたりけるを、からうじてぬすみ出て、いとくらきに出けり。あくた河といふかはをゐていきければ、くさのうへにをきたりける露を、かれはなにぞとなんをとこにとひける。行さきおほく夜もふけにければ、『おにある所とも志らで』かみさへいといみじうなり雨もいたうふりければ、あばらなるくらに女をば、をくにおしいれて、おとこゆみやなぐびをおひて、とぐちにをり。はや夜もあけなんとおもひつつゐたりけるに、おにはやひとくちにくひてけり。「あなや」といひけれど神なるさはぎに、えきかざりけり。やうやう夜もあけゆくにみれば『ゐてこ志をんなもなし』。あしずりをしてなけどもかひなし。」

『』で囲んだ部分を画像で確認していただきたいのですが、この書面では、「し」はほとんど「し」と書かれているのですが、この二箇所については「志」の字が用いられています。以下は想像ですが、毛筆で書かれた古文献には句読点というものがありません。筆の運び方や字体の選択などで、紛らわしくなりそうなところも見てわかるように、おのずと配慮がなされていますが、毛筆ならではの感覚だと思います。「し」という字は、使われる頻度が高く、しかも「もし」「ありしも」「いひしに」「いみじう」などと、語句の連なりの中に飲み込まれていることがほとんどです。そのような「し」を、前の言葉でなく、次の言葉に付くんですよと際立たせたり、美的なアクセントとして「志」という文字を織り交ぜているのではないでしょうか。
『おにある所とも志らで』という部分は、「所ともし」と続かないためなのではないか。また、「知る」という意味で「志る」としているのは良く見かけます。『ゐてこ志をんなもなし』の「志」は行頭で形を整えたのではないかと想像します。もちろん筆を執る人は、多くの量を書きこなしていくわけですから、その過程で、この言葉については「志」だというような経験的、感覚的な定着化・慣習化もある程度あったろうと思うのです。

http://www.bekkoame.ne.jp/ha/a_r/roujinnkunn.jpg
こちらは時代がぐっと下り、江戸時代の往来物(教科書の類)です。冒頭、「慈○和尚は皆人の志り顔にして」とあります。ここでも「知る」は「志る」です。ですから、最初のご質問に帰りますが、この言葉については、こちらといったものが長い書字の歴史の流れのなかで、その当時当時にあったのだと思います。
気まぐれに使分けているのでなく、おっしゃるとおり、何らかの経験的な使い分けがあるのでしょう。それは、おそらく、当時のものをたくさん読んでいけば、感覚的に習得されうるような使い分けなのではないかと想像します。

書字の歴史の中でしだいに淘汰・洗練されてゆき、明治において制度的に整理されていくその流れの中で、最後に残っている数少ない「変体仮名」は余計に目立つわけですから、それらをどう使分けていたのかという疑問は、当然のごとく出てくるものだと思います。ですが、その解答はじかに当時当時の文献に触れる中で、自然に会得されていく部分も大きいのではないでしょうか。すでに、何らかの法則性を感じ取られているようですし、ご研究の発展を待ちたいと思います。

非力でたいへん失礼いたしました。また、憶測に基づいたあいまいな回答しかできずに申し訳ありません。専門家のすっきりとしたコメントがいただけると良いのですが・・・。

最後に、明治の仮名遣い状況についてのわかりやすいコメントがありましたのでリンクを貼っておきます。
http://www.komaki-aic.ed.jp/kyouikuiindayori/H13 …
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この回答へのお礼

なるほど。日本の長い長い歴史の中で、無駄なものは削られ足りないものは追加され洗練されてきた仮名の用法・・・う~ん、何ともいいがたい物を感じます。
当時の人々にとっては当時の諸本や日常の生活によって、覚えずにして覚えていくものだったのでしょうか、現代人である私にはとてもわかりがたいものを感じました。
明治期の知識人も反対をしていなかったといことも又気になるところです。研究の発展が待ち遠しい限りです。

>何かの研究材料として、お読みになっていらっしゃるのですか?
恥ずかしながら、個人的な趣味の範囲です。著作権が切れた情報をデータベース化する企画を最近とりくんでまして、そのさいに思った疑問を、興味本位で質問した所存です。

このような駄問に誠意ある回答をしてくださったことに感謝しています。どうもありがとうございました。

お礼日時:2004/09/01 03:30

>変体仮名には何か特別な用法が存在していたのでしょうか?


「こういう時にはこの変体仮名」(たとえば助詞の「に」のときは現行の「に」ではなく「尓」を使わなければならない,みたいな)という意味での「特別な用法」でしたら,たぶんないと思います。

特に手書きの場合は,書き手のセンスに基づいた「書きやすさ」「見た目の美しさ」が大きかったのではないかと思います。
活字になっても,その本を作る人のセンスに左右される部分はかなりあったのではないでしょうか。
同じ単語に出てくるひらがなであっても,場所によって違った字体になっていることがあったりしますので。
(手書きの原稿に対して,活字を拾う人がどの程度忠実に使い分けをしていたのか,あるいはしていなかったのかが分かると面白いのですが。)

回答No.2で紹介された記事でも触れられていましたが,全くの個人の自由,好みの問題,という部分だけでなく,何となくこういう場合はこちらが使われやすい,という傾向のようなものはあったかも知れません。
たとえば,「は」でも助詞として使われている場合(特に主語を示すとき)は「者」を崩した字が好まれ,「は」だけでは単独の語になっていない場合(「思はず」の「は」など)は「ハ」が好まれる,のような傾向は,単なる本の編集者の気まぐれというレベルを超えて,ある程度普遍的に見られるような気がします。

なんだか推測ばかりですみません。ただ,上述の記事にもあるように,今後の研究に待つ部分が大きいと思います。

なお,No.1の回答(およびその出典)に書かれている「明治3年」は,明治33年(1900)の誤りではないでしょうか。
この年に,小学校で教えるひらがなの字体を現行のものに決めました。
(それ以外の字体が「変体仮名」になったのはそのとき以来ということになりますね。それ以前は,使用頻度の差はあれ,どれが正体だ変体だという区別はなかったはずです)
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この回答へのお礼

>なんだか推測ばかりですみません。
いえいえ、かなり役立ちました。ある程度の用法はあったものの、美的感覚も含まれている。
変体仮名の奥深いところを感じ取れます。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/09/01 02:49
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仮名づかいの問題は、広義の旧仮名づかいの問題も含めて、たいへん奥が深さうですね。


特に、時代を遡って行って、音韻の問題まで絡んでくると、私のような素人には全然立ち入ることができません(かつては、日本語に50音以上の音があったのか否や、また、それに従った文字の使い分けもされていたのか否やと言う問題)。

ですが、ここでは「明治初期の活字体」に附いてと言う事ですから、そこまで案じることはないんですよね。

直接の回答にはなりませんが、幸いかなりヒントになる書き込みに出会いましたので、ご紹介しておきます。
(長大なキャッシュです。下から、2/5位の所に「仮名文字遣」というコメントが見つかるはずです。少しづつ間をおいて「仮名文字遣2」「同3」のコメントがありますので、それらを読んでください)

http://216.239.57.104/search?ie=EUC-JP&lr=lang_j …

互いに基本的には互換性はあるが、使い分けの原則がある程度あった部分もある。研究途上の分野でもある、と読めたのですが、どうでしょう? 「明治初期」でしたら、現代に近いのですし、もっと明確な回答が得られると思うのですが、私の探した範囲では、ちょっと見つけられませんでした。ご容赦を。
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この回答へのお礼

>互いに基本的には互換性はあるが、使い分けの原則がある程度あった部分もある。

なるほど。確かに同じような部分もありましたが、明らかに分けている印象が会った部分もありました。近代的仮名遣いみたいに詳しい原則がわからない以上気になるところですが。

まぁ、明治期の活字本と言っても内容はもっと古い物(宇治拾遺物語)でしたが、他の明治期の本では現行の平仮名に書き換えられていたりしていたので。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/08/31 00:06

「明治初期の活字本」という限定された対象について確かなことは「私には」わかりません。


五十音図に1文字ずつが規定された現在の仮名に慣れた目で見ると「混在」と見えても、当時またはそれ以前は、同じ発音に何種類かの仮名が使用されるのが「普通」の状態であったはず(手書きの場合)で、「この発音に対してはこの仮名を標準とする」という規定がまだ普及していなかった当時としては、「普通」の状態の反映として、活版印刷でも様々な字体が用いられていたということではないでしょうか。

「明治3年になって、仮名字体は初めて整理統一され、学校教育によって、その徹底が行われ現代に至っている。」
出典:URL参照

参考URL:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/cozy-p/kana.h …
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この回答へのお礼

そういう歴史があったのですか。
とりあえずありがとうございます。

お礼日時:2004/08/30 23:59

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